1-2
目下の目標はデリックに殺されないよう気を付けながら、徐々に距離を詰めることだった。
「おはようございます、王子殿下」
「寄るな。帰れ」
1日目。
こちらも見ずに、瞬間移動をして消える。
「おはようございます、王子殿下。
今日は天気が良いですね」
「消えろ」
3日目。
視界にさえ入れてもらえないまま、瞬間移動で消える。
「おはようございます、王子殿下。
見てください。綺麗なお花が咲いて───」
「失せろ!」
言葉を遮られ、花束を払われる。
そして瞬間移動。
それから三週間、足繁く森に通ったが、エリシアが何をしてもデリックには警戒されるばかりで、到底仲良くできないと感じていた。
まあ、今までの人生ほぼ一人で生きてきたのだから、他人のお節介なんて受け入れたくないだろうことは理解できる……。
デリックはいつも何かに当たるほどイライラしていて、怒りをコントロールできないようだった。
エリシアが目に入ると舌打ちをし、近付くだけで突き飛ばしてくる。そんな日々が続くと、エリシアもうんざりとしてきていた。
「殿下、着替えをお持ちしました。今のお召し物は泥で汚れているので───」
「うるさい!」
デリックに突き飛ばされ、よろめいて転ぶ。
そんなことも日常茶飯事で、こちらを全く気にも留めないデリックは悪いとも思っていない。
デリックが移動魔法でいなくなると、エリシアは溜息を吐きながらゆっくりと体を起こした。
♢♢♢
「…殿下、食事をお持ちしました」
「いらない」
「…しかし、もう何日も食事をなさっていないじゃないで───」
「いらないと言っているだろ!」
放られたトレーが宙を舞い、豪華な食事が地面に真っ逆さまとなった。
「俺の周りをちょこまかと…。二度と俺の視界に入るな」
デリックは舌打ちをすると、ズンズンと早足にいなくなる。エリシアは重い溜息を吐きながら散らかった食器を片付けた。
デリックと出会って既に一ヶ月が経とうとしていた。
…こんな調子で、どうやって仲良くなるっていうの…。
そもそも三歳前から森に放置されていた子どもが、女や子どもだからって簡単に人に心を許すわけないじゃん。
宰相たちは何を考えてんの、国を支える中枢の人間でしょ!?
そんなんだから最終イベントで王国に危機が訪れた時だって何もできずに聖女であるヒロイン頼りになってたんじゃん…!
いつの間にかむしゃくしゃとしていたエリシアは、トレーに乗ったまま無事だった苺を頬張った。
みずみずしさが弾けて甘酸っぱさが口の中に広がる。
だいたいデリックもデリックだよ。
こんなに高そうな肉や今や最近話題の貴重な苺をこんな風にダメにするなんて…!
我が家みたいな子爵家は滅多に口にできない高級品なのに…。
「………っゔっ……」
唐突に、喉が焼かれるように熱くなった。それまで意識せずにできていた息が、意識してもできなくなる。
膝から崩れ落ちたエリシアは喉に手を当てた。
「っは、はっ、はっ…」
苦しい。
苦しい…。
息が……っ。
視界が歪んで目から涙が零れ落ちる。
『エリシアっ…!!』
せっかく、お父さんとお母さんが魔物から守ってくれたのに。
生かされた命だったのに、こんなところで無駄死にするなんて…。
「…おい」
心地良い風を感じ、静かな問いかけが聞こえた。意識が朦朧として重い瞼が落ちていく。
「……死んだのか?」
その声と共に、エリシアは息切れた。
♢♢♢
「…っは…!!」
パッと目が覚めたエリシアは、はあはあと肩で息をした。辺りを見渡すと真っ暗な森の中で、空には星が浮かんでいた。
あれ、私…、苺を食べて、息が苦しくなって…。
「………毒………?」
まさか。
デリックが食べるはずだった食事に…?
…いや、デリックが食べるはずだったからだ。
わざと毒を入れてたんだ。
あれをもし、デリックが食べていたら…。
呆然としていると馬の嘶きが聞こえてきて、馬車のカラカラと車輪の回る音がする。迎えの馬車が来たようだった。
エリシアは服に着いた泥を払って起き上がった。
あれ、でも私、生きてるよね…?
背後を振り返ると緩やかな風が吹いて、エリシアのハニーブロンドの髪を揺らした。
「まさか、デリックが助けてくれたとか…?」
その呟きに答える者はいなかった。
翌日、その日も騎士たちによって食事が降ろされたが、エリシアは着替えだけを持って行った。
しかしどこに行ってもデリックの姿は見当たらない。
…どこに行ったんだろう。
仕方なく着替えを置いて森を歩き出すと、“それ”が目に入った。
その途端、自分の血の気がさーっと引いていくのが分かった。
熊のような魔物が大きく手を広げて、デリックに向かって長い長い咆哮を上げた。
森の草花が舞い上がり、驚いた鳥たちが一斉に鳴きながら羽ばたいていく。エリシアは耳を押さえるだけでは足らず、目を強く瞑って耐えた。
やがてしんと静まり返り怖々と瞼を開いた。
目は血に染まったように赤く、爪はまるで鎌のように鋭く、太い。
熊の三倍ほどの巨体は、豆のように小さなデリックを今にも踏み潰してしまいそうだった。
『エリシアっ…!!』
ふと頭に思い起こされたのは、半年前の出来事だった。
♢♢♢
エリシアは両親に力強く抱きしめられ、視界が塞がれた。
「やめて、やめて……っ!!」
けれど母の金切り声と、遠くから聞こえる身を切られるような悲鳴で、その状況を何となく理解していた。
ぐしゃり、と何かを抉るような音と共に、ぶしゃっと何かが弾けるように飛んだようだった。
「ゔっ…ああああ…!!!」
必死に二人を抱きしめていた父が、その断末魔を最後にぐったりとしてしまった。
エリシアは絶望のあまり目を見開いたまま硬直していた。
「あなた…っ、あなた…!!」
母のか細い呼び声にも、もう反応を示さない。父がずるずると落ちると、その肩越しに血のように赤い目がこちらを向いた。
「っ………!!」
獣は返り血を浴びて真っ黒だった。家の天井さえ壊すほど大きな熊のようなそれが鼓膜を破る勢いの咆哮と共に腕を振り上げる。
「エリシアっ……!」
っやめて…!!
そんな心の願いは無惨にも打ち砕かれた。
次の瞬間、獣は鋭い鉤爪で母の背中を切り裂いた。バキボキという聞き慣れない音がして、呻き声を上げていた母もエリシアに凭れ掛かる。
両親を嘲笑うように部屋中を血みどろにしたそれは、まだ飽き足らないように父の背中を鉤爪で漁り、その血肉を啜っていた。
「っ〜〜〜」
…いや、やめて。
やめて。もう、やめてっ──。
ボロボロと涙を零すエリシアは怖気を振るって、両親の腕の中から抜け出せなかった。体の震えが、破裂しそうな心臓の鼓動が、荒い息遣いが、“それ”に伝わって気付かれやしないかと冷や冷やした。
魔物の気配がなくなっても、王都から魔物の襲撃を受けた騎士たちが駆け付けても、みっともなくガタガタと震えて、エリシアは声も上げられなかった。
エリシアの住んでいた街はたったの数時間で壊滅状態となり、何千人が住んでいた街の生き残りは数えられるほどしかいなかった。
♢♢♢
前世の記憶があるとはいえ、十四年間愛情を込めて育ててくれた二人は、間違いなく私の両親だった。
だからこそ、何もできずにただ震えていた自分の不甲斐なさに腹が立ち、未だにあの日の出来事が忘れられなかった。
あの恐怖を、他の人にも経験させるの…?
私より幼い子を見捨てるの…?
「っ…殿下!」
エリシアは咄嗟に飛び出していた。守るようにデリックを抱きしめて勢いのまま地面に倒れ込む。
「っ、いった…」
擦りむいた肘の痛みよりも、魔物に対する恐怖の方が何倍も大きかった。
こちらに振り向いた魔物が、一歩一歩と二足歩行でやって来る。
「殿下!逃げてください!!」
エリシアにはデリックの背中を押すことがやっとだった。
震える足が竦んで、力など入らなかった。
「殿下!!」
振り返ると、デリックは信じられないものでも見たかのようにエリシアを凝視していた。
「早く!!」
「ギャアオオオオ!!!」
咆哮が地響きのように駆け抜ける。エリシアは目をギュッと閉じて耐えていた。
目を開くと、魔物はもう目の前にいた。
───ああ、殺される。
お父さんとお母さんが、守ってくれたのに。
私もあんな風に引き裂かれるんだ…。
今度こそきつく目を閉じて、衝撃を待った。
けれど一向に攻撃が来る様子はない。
「……お前、何で俺を助けた」
その声がして恐る恐る目を開くと、あれほど恐ろしかった魔物は呑気に座って木のリンゴを齧っていて、デリックが訝しげにエリシアを覗き込んでいた。
「…え……あれ………」
さっきまで目の前にいたはずなのに、どうしてあんなところに…。殺しにきそうな勢いだったのに、何で襲ってこないの?
エリシアは混乱していたが体は気が抜けたようで、ずるずると横になっていた。
「おい、聞いてんのか」
そこに、乱暴な言葉が降り掛かる。
「ああ、すみません殿下。
てっきり…殺されるのかと思って」
「…お前、俺があんな奴に殺されると思ったのか?」
あんな奴、とデリックが親指で差したのは、紛れもなく魔物。
人々を襲い、騎士でさえ数人がかりでないと太刀打ちできないと言われている天敵だ。
…よくよく考えてみれば、デリック王子は魔窟の森の魔物たちからも恐れられる存在、だったっけ…。
「………」
言葉も出てこないと言いたげなデリックは、呆れたように溜息を吐いた。
そんなに馬鹿にしなくても…。
「…ほら」
エリシアに小さな手が差し出される。
「…え…」
今までエリシアのことを蔑ろにしてきたデリックの掌の返しように、今度はエリシアは戸惑わずにはいられなかった。
「…早くしろ」
そう言って顔を背けたデリックの耳は、夕焼けのせいか赤く染まっていた。
手を握ると、予想に反して力強く引っ張られる。
エリシアの体がトンッとデリックにぶつかった。
「っ…ごめんなさい…」
デリックは呆然として首まで真っ赤になっていた。
「あの、王子───」
不意にドンッと突き飛ばされたエリシアは、思い切り尻餅をついた。
……え??
「…っ……くそっ…」
デリックは吐き捨てるようにそう言って走り去っていく。
「……何なの………?」
エリシアは一層混乱せずにはいられなかった。
デリック意識し始めてます。
思春期の照れですね。笑




