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 ──神の咆哮。



 七年前、エストランテ王国やその近辺の空が酷く澱んだ雲に覆われ、嵐のような雨風が吹き荒れたその日、雷が怒るように泣いていた空を、人々はそう呼んだ。


 屋根が吹き飛び、ガラス窓は粉々になり、巨大な竜巻に馬車だけでなく馬ごと吹き飛んだ凄惨な嵐だった。

 何千人もの犠牲者を出した神の咆哮は、それまで自然災害によるものだと言われていた。




 けれど今、私の目の前で、一人の人間を中心として竜巻が渦巻いている。


 暗雲が立ち込め、打ち付ける雨が視界を遮断していたが、時折起こる落雷の明かりでそれが人なのだと気付いた。



「あの子を、救ってくれ」



 しかしその言葉だけは、全くもって理解ができなかった。

 


 





♢♢♢





 遡ること七年前。



 当時十四歳だった私エリシアは、魔物の襲撃により両親を失い、遠い親戚のヘンドリー子爵家に引き取られた。

 ヘンドリー夫妻には子はいなかったが各々贅の限りを尽くし欲に溺れ、エリシアを引き取ったのも貴族の端くれであるエリシアの両親の遺産金目当てだった。


 歓迎されなかったエリシアは使用人のような扱いを受け、夫妻の機嫌が悪い時は呼び出され、思い切り引っ叩かれたりエリシアが泣いても罵倒し続けたりした。

 けれどエリシアが孤児となるところに、住む家を提供してくれたのはヘンドリー夫妻だけだった。恩を感じていたエリシアは少しでも夫妻に認めてもらおうと、外聞のため招かれる講師たちからマナーや教養を身につける努力を惜しまなかった。


 ある日、交友のあった令嬢のお茶会に招待された先で宰相たちに遭遇したエリシアは、講師に教わった通りの挨拶をした。

 宰相たちを前にしても怖気付くことなく、優雅で気品が漂う姿を見せていたエリシアを、宰相たちは「ほほう…」と溜息が出るほど感心した。


 そして宰相、ロマン・トルストイ公爵は国王に進言した。



「例の件にはヘンドリー子爵家のエリシア令嬢が相応しいかと」



 


 エリシアが全てを思い出したのは、宰相や大臣たちがヘンドリー家を訪問し、残酷な命令を下した時だった。



「エリシア令嬢には、デリック王子殿下を暗殺していただきたい」



 


「…………え…?」


 

 その瞬間、エリシアは転生前の自分を思い出した。


 この世界が転生前の世界でプレイしていた王道恋愛ファンタジーの乙女向けゲーム、『聖女のあなたは祝福の姫君』の中であるということも。



 『聖女のあなたは祝福の姫君』は、主人公であるヒロインに聖女の力が覚醒することから始まる。

 舞台はエストランテ王国の王都にあるエストランテ王立学院。


 平民だったヒロインは力の発現により例のごとく男爵家に養女として迎えられ、王立学院に通うことになり、そこで攻略対象者たちと出会うことになる。


 ヒロインであるプレイヤーは一通りの攻略対象者と出会ったのちにどの攻略対象者にするかルートを決める。

 そしてイベントを乗り越えて攻略対象者と親交を深めることで好感度を高め、最終イベント時に一定以上の好感度を得ていれば、その攻略対象者と結ばれてハッピーエンドを迎えるという典型的な乙女ゲーム。



 その攻略対象者の中でも、メインとして前面に推されていた王子の二人。

 正式な王妃の息子のベンジャミン王太子と、妾の子であるデリック王子。


 しかし妾の子であるデリック王子はその出自により冷遇されているという設定で、さらにある理由のために学院入学直前まで王宮から追放されていた。




「…………ええと…、デリック王子殿下とは、…第二王子殿下のことでしょうか?」


 分かりきっていながらも怪しまれないために、エリシアは困惑しているふりをする。



「そうです。我がエストランテ王国には、ベンジャミン王子殿下と、もう一人…、デリック王子殿下がおられます。


魔力が高く生まれてすぐに母親を魔力で殺してしまったため、王宮とは離れたところで暮らしておられます」



 そう。それがデリックの裏設定だった。


 物心つく前に王宮を追放され、誰の庇護も受けられなかったデリック王子は王宮を憎んで生きてきた。


 だから唯一の直系であるベンジャミンは成人を迎えると当然のように王太子の称号を得た。



「国王陛下はまたいつかその魔力が暴走し、エストランテ王国に危害を及ぼすのではないかと危惧していらっしゃいます。

王国の平和のためにも、王子殿下には犠牲になっていただく他ないのです」

「しかしどんなに人を送っても返り討ちに遭い…、そこで、王子殿下と年が近く、見目麗しいお方なら、殿下も心を開いて隙を見せるかもしれないと、エリシア令嬢が選ばれました」



 正しくは、死んでも構わない令嬢として白羽の矢が立ったということだろう。


 国王は戦争の英雄や暗殺に手慣れた刺客をわざわざ国外から雇ったりしてデリック王子に差し向けたが、結果は惨敗。

 全員山の麓で遺体となって発見された。


 つまりは王国のために私にまで犠牲になれということ。


 …いや、だからって人を殺した事もない令嬢に暗殺を頼むとか、普通に考えてあり得ないと思うんだけど……。


「…エリシア嬢?」



 エリシア・ヘンドリーなんて名前、ゲームで聞いたこともない。

 子爵家は身分も低いからゲームでは出番がなかったのか、王立学院は義務教育でもないから子爵夫妻が入学させなかったのかもしれない。



 モブキャラでもない、ゲームに登場しない名もなき令嬢Aはこうして死ぬ運命なんだ…。

 攻略対象者に愛されたいとは言わないから、せめてヒロインを奪い合う攻略対象者たちを近くで見たかったのに…。


 ………断りたい。

 全力でお断りした───。


「ヘンドリー子爵、報酬はこれでいかがでしょう?」


 大臣に差し出された小切手に、夫妻の目の色が変わった。

 

「エリシア!これは名誉なことよ!」

「そうだ!王国の安泰のために、お前が活躍できるんだぞ!引き取ってやった私たちへの恩返しだと思って!」


 夫妻は鼻息を荒くさせてエリシアに詰め寄る。

 まだ引き取って半年やそこらだよね?


「…エリシア令嬢、申し訳ありませんが、これは提案ではなく、国王陛下からの勅令なのです」


 差し出された勅令書に逆らえるはずもない。



「…かしこまりました」


 嫌々ながら、エリシアは大臣たちもうっとりするような微笑みを返した。


 

 提示された額がそれほど良かったのか、夫妻は有頂天だった。

 エリシアがデリックに会うその日も、見送りもせずにそれぞれ賭け事や色欲に溺れ楽しんでいるようだった。




♢♢♢




 馬車は見慣れた街並みから、木の生い茂る森の中へと移っていく。

 道なき道を進んでいるのか時折体が跳ねるほど大きく揺れては、エリシアの尻を痛めつけた。


「こちらです」


 降ろされたのは、最果てのような森の中だった。

 お化けのような木陰が伸び、昼間だというのに陰湿な雰囲気が漂っている。

 不気味すぎて冷遇どころじゃない気が…。


「私たちはここで失礼します」



 え?行っちゃうの?

 こんな右も左も同じような木に囲まれた道なき森に置いて行っちゃうの?


「あの、王子殿下は…」

「私共にも分かりかねます」


 騎士らは手早く服や食事を降ろすと、無愛想な返答を残して馬に戻り、来た道を帰っていった。

 相当デリック王子を恐れているのか、嫌悪しているのか。


 道も分からないエリシアは、仕方なく持てるだけの衣服と食事を持って歩き出した。



 エストランテ王国において魔力持ちは貴重だが、世界的に見て魔力を持って生まれることは稀有なほどではない。

 調理に使う火も、庭に蒔く水も、手紙を運ぶ風だって、魔法が使われることがある。


 魔力とはそういった魔法を使うために必要なエネルギーのことで、生まれた時に持っている量で判断される。

 努力をしても増えることはなく、魔力を持たないエリシアには憧れこそあっても無縁の話だった。




 しかしデリックの魔力量はエストランテ王国では今までに類を見ないほどのものだった。


 とてつもない魔力を持っていたデリックは生まれてすぐに自らの母親に魔力を注ぎ込んでしまい、母親は内側から爆発するように破裂したという。



 その力はエストランテ王国の魔導士たちでさえ抑えきれず、日に日に死人が増えた。絶えず繰り返される幼子の破壊活動に頭を抱えた国王は、デリック王子が三歳を迎える前に森に追いやった。


 それもただの森ではない。


 魔物が住むと言われている、魔窟の森だった。



 魔窟の森は魔塔のある隣国バルティーナとの境目にあり、人々は決してそこに近づこうとしなかった。


 国王はデリック王子が魔物に殺されることを期待していたが、幼い王子は森の魔物たちからも恐れられ、今日まで生き残った。



「誰だ!」


 小さな崖の上から、幼い少年が見下ろしていた。



 ブルーヴァイオレットの髪。

 金色に鋭く光る獅子のような瞳。


 子どもとはいえ迫力ある目つきに、転生前は成人済みだったエリシアでさえ身の縮む思いだった。均整の取れた顔立ちは既に鼻筋が通っていて、浮世離れした端正さが余計にエリシアの恐怖心を煽った。

 背筋に冷たいものが走る。急に喉がカラカラになって、こくんと唾液を飲んだ。


「……エリシア・ヘンドリーと申します。

デリック王子殿下でお間違いないでしょうか?」


 挨拶をして見上げると、デリックは警戒の色を強めた。



「子どもが何の用だ。出て行け」


 恐れを感じていても、嫌な感じなデリックにふんと鼻を鳴らしたくなった。



 私より年下でしょ?

 自分の方が子どもじゃない…。


 口に出そうになったそれは、心の中で呟くまでに留めた。



 魔窟の森を出て王立学院に通うようになったデリック王子は、残酷で無慈悲なことで有名だった。

 デリック王子を前にして誹謗中傷していた生徒は大怪我を負って二度と歩けない体になり、裏で集団暴行を働いた生徒らも重症を負って休学を余儀なくされた。



 他人には興味を示さず、ヒロインにさえ冷たい態度だったデリックの闇を知るプレイヤーは、デリックが次第にヒロインに心を開き甘えるようになるギャップに萌えたという。


 しかし私は普段甘々で優しく、時々意地悪な王道ルートであるベンジャミン王太子が好きでこのゲームをプレイしていた。



 そう、ベンジャミンルートだった私はデリックと関わる機会が殆どなく、実際にどんな人物なのか、攻略していない私には詳細は分からない。


 舞台は数年後の王立学院だから、デリックの過去は悲惨なものだったという簡略な説明はあっても、こんな一般の令嬢まで彼の魔法の犠牲になっていたとは知る由もない。

 デリック王子ルートならその辺も詳しく載ってたんだろうけど…。



「今後は殿下の食事や衣類のご用意を私がさせていただくことになりましたので、以後お見知り置きを」

「ふんっ、今まで放置するか暗殺者を送り込むかの二択だったが、お前のようなガキを寄越して今度は何を企んでいる」



 私より四つ年下の十歳のはずなのに、その表情は酷く大人びていて、子どものような無邪気さや純粋さは皆無だった。

 暗殺者が常に送られていたなら、そうなってしまうのは無理もないのかもしれない。



「…とにかく、そちらに上がります」


 崖の上に行くためにエリシアは回り道をした。


 私はあからさまに優しい人が好きだから、あれほどの生意気な子どものおもりはごめんだけど…。

 でもこれは、国王の勅令。


 私は、彼を殺さなければならない。




 デリックは眼光鋭くエリシアを睨んだ。


「誰が近くに来ていいと言った」



 その前に私が殺されないといいけど……。




新連載スタートです。

しばらくは毎日数回更新予定になります。

よろしくお願い致します!


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