8人目
占い堂の二階。
だだっ広いフロアの壁際にドンと置かれた天蓋付きベッドの前で。
キーセラは目を閉じ、耳を塞いでいた。
天蓋から垂れたレースに映る情事の影を視ないため、くぐもった水音を聞かないため、なにより少年の名誉のため。
側に控えるコールピック――クジャクの獣人と人間とのハーフだと思われる執事――は慣れたもので、カサギを肩に担いだまま主人のそれが終わるのを澄ました顔で待っている。
……占い堂の店主・キャメロンが世の女性たちから熱烈に支持されているのは、占いを通じて異性、特に男を魅了する方法を伝授するが故だ。
それは相――人相、手相、体相を見て、その人に合う髪型や服装を提案することに始まり、狙う異性が恋に落ちる状況や仕草の診断にまで及ぶ。
当然、房中術の方にも抜かりは無いらしい。
10秒もする頃には少年の声に喜悦が混じり始め、
30秒地点で鼻にかかった甘ったるい喘ぎへ移行、
そこからの10秒で水音は苛烈さを増していき……
15秒を残したあたりで少年の影の腰が大きく跳ねた。
少年の荒い息だけが聞こえる中たっぷり5秒、腰に吸い付いていた老婆の影が顔を上げ、レース越しにこちらへ向く。
ほぼ同時、コールピックが「おばば様、時間でございます」と一分経過の合図を出した。
「こうもギリギリとは。わたしゃも衰えたねぇ」
「いえおばば様、彼は私が差配したウサギの獣人です。彼らを一回一分で満足させられるのはあなた以外におりません」
「ふん、お前の世事にはこりごりだよ」
「それはそれは。失礼いたしました」
老婆は謝意の欠片も感じられない声音でそう返すコールピックを無視して「さぁ、入りな」キーセラを呼んだ。
「も、もう五分くらいしてからでも大丈夫ですけど……」
「なんだい口答えするのかい、威勢のいい小娘だね。だがもっと生き急ぎな。人生ボーーーッと生きてりゃ短いもんよ」
「しぶとく120まで生きてるババアがよくまぁぬけぬけと」
コールピックに担がれたまま「うっぷ」と吐きそうな顔をしていたカサギがそう言うと、レースの奥でキャメロンが動きを止めた。
「初恋に溺れる淑女のように湧き上がるこの焦燥感……そこに居るんだね、勇者が」
「い、いちいちカンに障る表現をしやがるババアめ……」
「コールピック、入れな」
「ただ今」
コールピックがベッドに近づいて、その紫色のレースカーテンへと手をかけると……その隙間からシーツに身を包んだうさぎ耳の少年が現れて、部屋の外へと駆け抜けていった。
兎の獣人だ、それも純血の。
ハーフやクォーターの「混じり」と違い、獣の因子が色濃い「純血」。
俗にケモ度とも呼ばれる獣の因子は、純血で80~60、ハーフで40~30、クォーターで20~10程度とされている。
それ以下になると表面上にほとんど発現することはなく、精神面で僅かに影響が出るばかりであるが……。
全身に被毛する桃色と、シーツの合間から覗くお尻についた真っ白のポンポン、何より顔つきが兎そのものである。
人間に次いで人口が多い獣人だが、体力的に優れる彼らは力仕事の多い農村や工業都市、魔物の活発な地域に散らばっており、王領都市ではあまり見かけない。
その数少ない獣人の中で、見目よく、初々しい男児を呼びつけて、老婆の相手をさせるとなれば、かなりの金額がするだろう。
と、逃げていく少年を見て、自然とそう勘ぐったキーセラに「いえ、そうではありません」コールピックが声を投げかける。
また考えている事が分かったらしい。
会ってからずっとその調子であるが、にこやかに上がった口角とは裏腹に、目は一切笑っていない。
すべてを見透かすようなその視線にたじろいでいると、コールピックに担がれたカサギが「おうとも、そうじゃあない」と継いだ。
「このカサギに占いなんつー胡散臭い能力はねーが、キーセラの考えている事なんざ誰にだって手に取るよーに分かる。だが、そうとも。コイツの言う通り、まったくのケントー違いだぜ」
そこまで表情に出ているでしょうか……と顔をペタペタ触るキーセラを他所に、カサギが少年について話していく。
「あのババァ、ちぃっとばかし自分の技に自信あるからって、噂を流してはそれに期待したヘンタイを集めていやがる。しかも大体は一回で骨抜きにされちまうときた。さっきの兎の顔を見たかァ? あのヤロウももう逃げられねーだろうぜ。ケッ、哀れでならないね、だ」
「哀れであろうはずがございません。おばば様のお相手を出来ることは男性にとって名誉なことです」
にこやかな真顔と言う不気味な能面を張り付けたまま、即座に訂正したコールピックが今度こそカサギを主人に見せるべく動き出した。
「いかがでしたか?」
天蓋のレールをシャッと鳴らして開かれたカーテンの奥、広いベッドの上に居たのは……
「ふん、わざわざ言わせるでないわ」
老婆だった。それ以上でもそれ以下でもない。
強いて言うのなら「みすぼらしい」とか「卑しい」と言う形容がつくだろうか。
小さい体に曲がった背中。あちこちに老人斑が浮かんだ皮膚は、こけた頬を垂れ、その先、顎の横で皴を作っている。
後ろで縛った白髪――額から垂れた肉が視界を塞ぐのを避ける為だろうか――に艶の光は無く、その乾燥ぶりはまるで日干しして割いた竹のよう。
その老婆が悪態を付くようにしてペッ、と痰壺に口内の汁を吐き出し、手元にあった布で拭いながら続ける。
「気に入らなかったら昨日の夜に帰してるさね」
「では彼が記念すべき300人目のメンバーという事になりますね」
――さ、300人……。
キーセラは戦慄した。
いつから集め始めたメンバーかは定かではないが、最初期のメンバーはもう寿命が来ていてもおかしくない。
と、キーセラが肩を飛び上がらせた。
いつの間にか目の前に近づいていた老婆が彼女の手を取ったからだ。
キャメロンはその手に一瞥をくれ、すぐに離した。
「ふん、綺麗だが苦労してる女の手だ。だがあながち不幸だとも思ってなさそうだね。その調子で3日貯めた牛のような濃い人生送りな」
「は、はぁ。……3日?」
それだけ言うとキャメロンは待ちきれないとばかりにカサギの居る方へと顔を向けた。
コールピックが担いだそれをベッドに降ろすまでの間、キャメロンが勇者の到来に気づいた経緯を話していく。
「五年も前のことだ。ファンレターの中にひと目で老人の字だと分かるのがあってねぇ。そんなもの普段はすぐ捨てちまうんだが、なぜなんだか残しておいたんだよ。それが先週たまたま棚から転がり落ちたんで、よく読んでみて驚いた、まさか勇者が手紙を寄こしてるだからね。それも、魔王に殺されて17年近くも巻き戻った勇者から」
「不用心にも時間転遷について詳細に書いてあったからね。そこまで書かれりゃ阿呆でも分かる。大慌てで自分の魂を占い直して"キズナ"の繋がりから出会う日を知ったわけさね」
そこまで語ったキャメロンが寝かされたカサギの顔をいよいよ覗き込んだ。
「っ。…………」
目を合わせた途端、他の仲間たちと同様、脳裏に駆け巡るかつての未来の記憶に目を虚ろにさせたキャメロン。
「お、おいババァ、目を醒ませ。チンタラ記憶辿っている場合じゃあない」
そんな彼女へとカサギが酷く慌てた様子で呼びかける。
それもそのはず。
歳のせいか顔の筋肉が緩くなっている彼女の口からタラーっと垂れた唾が、その下に居るカサギの唇へとゆっくり……
「じょ、ジョーダンきついぜッ。その汚ぇもんをこのカサギの口に、や、やめ……オー! ノーッ。このカサギとてババァの唾なんぞ飲みたかないぞーーッ!」
ひょっとこ顔で口を横に向ける苦労も虚しく、その唾はカサギの唇に落ちると、縦皴に沿って口へと流れて行った。
「う、うェェェッ、おえッ」
えずきながら何とか吐き出そうとするカサギだったが、口に入ったそれ――少年の精液と老婆の痰の混合物は、思いのほか粘性が高かったらしく、勇者であるはずのその男は、こともあろうに、
「ち、チク、ショ…なんてこ、た、痰ぁ…喉に、絡ん……こひゅ…」
気絶した、喉を掻きむしる動作すら出来ぬまま窒息して。
「え、えぇ……」
「なるほど、今代の勇者さまは大変に手のかかるお方のようだ」
キーセラとコールピックがそれぞれ反応を見せているうちに、固まっていた老婆がバッ、と飛び上がった。
カサギが死んでしまう時までの自分の記憶をすべて回想しきったらしい。
「……? なぜ気絶しているんだい」
自分の下で顔を真っ青にしているその男を見て首を傾げた。
当たり前だ。
「おばば様の唾が喉に絡んでしまったようです」
「……ふん。だが、それも仕方あるまい」
「未来の記憶にその理由を見たのですね?」
「……可愛げのない執事め」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
「ふん」
そのやり取りを端から見ていたキーセラが「あの……」を声を上げた。
「えぇっと、いま何が分かったって……」
「この男、勇者が弱い理由よ。かつての未来でわたしゃの下に足繫く通っていたようだからの」
「……?」
今度はキーセラが首を傾げる番だった。
貧弱になった理由は、カサギから「魔王に殺された際、魂に呪いともいうべき損傷を受けたから」と聞いている。
だが、今のが本当であれば、魔王に殺される以前に弱くなることを予期していたようではないか。
――そう言えば、どうして「呪い」なんて言う雑な説明で納得したんでしたっけ……。
魂の状態を確認するには道具が必要だ。
マナシィの店にある壺、ケンクーの右目に嵌った氷。
どちらも自由の効かないカサギがあの村で手に入れられる代物ではない。
よく考えれていれば、いや、考えるべきだったのに、なぜ……とキーセラの脳裏に掠った不安の種は、続くキャメロンの声で根付くことなく消え去った。
「なんだ、この小娘に伝えておらなんだか……ならば敢えてわたしゃからは語るまい。だが、今からここで起きることを勝手に見るのを止めもしない。気絶している今が好機、やろうではないか。この男もそのつもりでここへ来たのだろうしの」
「コールピック、準備を。この男を取り巻く世相を見る。ヒェッヒェッ、人生最後の大覗きと行こうかえ」
これまでにカサギと目を合わせた"仲間"の一覧
・キーセラ
・スエサク
・ビリー
・マナシィ
・ヒッツミハットコ
・トリスタリア
・キャメロン
例外
・クリナ (記憶を取り戻したことをカサギに教えていない)
・祖父 (記憶を取り戻したことをカサギに教えていない)
・ケンクー(記憶を取り戻せなかった)
「純血」の獣人は上半身の骨格こそ人間寄り――脚は獣寄り――ですが、服を着てなくてもギリギリ注意されない程度には獣っぽい見た目です。




