カサギの強さとビリーの憧れ
退魔の結界の中に侵入したキーセラたちが逃げることもせず、その場で都市を眺め降ろしながら大人しく待つこと数分。
顔を真っ赤にして壁の中の階段を駆け上がってきた、班長だと名乗る兵士に取っ捕まり、そこから始まった徹底的な検査。
結界を抜けた所をわざわざ見せた甲斐あって丁重に扱われはしたものの、その取り調べはもう、どうか魔族であってくれ、と言わんばかりの神経質さで行われた。
鎧の中身が丸めた革だと判明したため、もし自称する通りに人間だとするなら、カサギは誰に命令されるでもなく好き好んで棺桶で移動していた男……という事になってしまう。
そんな筈は無い、そう思われての事だった。
だが何をやっても当然、二人とも人類種との結果が出る。
「な、なぜそんな真似を……」
「きっとあれだ、変なんだ」
「違いない」
キーセラたちを取り囲む兵士たちの警戒の目は、証明が進むごとに変人とか変態の類を見る目に変わっていった――。
――キーセラが精神の凌辱をジッと堪えることの数時間、ようやく認められた二人の現在地は……壁の地下にある留置所。
本来は門兵に捕らえられた者が裁判に掛けられるまでの待機地点なので、それ相応なのだろうが……狭くて汚い上に、臭い。
挙句に檻の外では腕を組んだ兵士が、やはり変人を見る目で二人を監視しているのだからまったく休息にならない。
だがそれも、保証人として名指しした王領都市の司祭――キーセラと面識がある人物――が翌朝二人を迎えに来るまでの辛抱だ。
……王領都市に入る、たったそれだけのことでこれほどの気力を使うとは。
固い床に座り込んだキーセラは今後の苦労を思って、深~いため息をついた。
「はぁ……」
と、そこで向かいの牢からざり、と物音がした。
暗くて奥まではよく見えず、それまで誰もいないかに思えたが、静かなる先客が居たのだ。
そいつは這いずって来て牢の格子に手を掛けると、寝転がるカサギへ声を投げ掛ける。
「………カサギ……………………僕だ」
「その声は……おおっ、ビリー」
黒い肌に短いチリ毛、低めの背と分厚い唇が特徴の少年……先客はビリーだった。
キーセラたちが検査を受けている中、警戒態勢下にある王領都市の警備情報を漏らした疑いで一歩先に閉じ込められていたのだ。
とんだ迷惑を被っているが、それにしても落ち込み過ている。
ふっくらした顔いっぱいに浮かぶ表情と格子を掴む手は、どことなく縋りつくようなニュアンスを帯びていて、その頼りない姿は今にも消え行ってしまいそうだ。
「どうしたァ、ステテコのビリー。そうしょぼくれた顔しやがって。ほら元気出せったら、陰気臭いのはモテないぜ~ッ」
「あ……うん」
「班長だったか? あいつにゃあ嫌われてもヘーキさ。上に行けるタマじゃあない。それにビリーの解放もすぐだろう。おめーは俺の名前を呼んだだけだ」
「うん、分かってる」
カサギが「なら、なんだってそこまで」と首を捻っていると、ビリーがポツリと言葉を漏らした。
「僕の記憶の最後は、派遣された不帰の浜で魔物の群れの侵攻を何とか食い止めようとしているところ……。勇者ご一行が魔世将の半数を倒して、残りのほとんども再起不能にするかどこか遠くに追いやって、いよいよ決戦。そんなニュースでこれまでになく士気が上がった、その直後のことだった」
ビリーが涙を堪えて震えた声で「これってさ。もしかして、こういう事なのかなって……」と続ける。
「カサギでも魔王には敵わなかった、それも圧倒的に……そうなんだね?」
断定する口調で尋ねながらも、ビリーは心のどこかでカサギに否定されることを望んでいた。
だが……、
「あーそうだぜ、敗けた。そりゃあもう清々しいくらいに」
カサギは相手の心情をくみ取って配慮してやるような、そんな細やかな気遣いはしない男。
当然それについても包み隠さず明かした。
「……やっぱり、そうだったんだ。僕の部下たちの命も、村の人たちの思いも、好転を狙ったあの作戦も、全部が無駄だったんだ……魔王は……ノーラ・トスケイナは強すぎるんだ…っ。僕たちが何をやっても、どうあがいてもっ、結局はあいつを倒せなきゃ……しかもカサギまで体が動かなようだし……」
嗚咽を押し込めた涙声で嘆くビリーに、また「あーそうだ」と肯定したカサギが
「しかし、だ」
小さく、小さく呟いた。
ヘタな励ましをしないカサギだからこそ出せる、真摯さと力強さのある声。
「俺はあの決戦で一筋の光を見た」
「光……」
何かを掴むように月の覗く小窓へと手を伸ばすと、ビリーにはカサギがそうした途端、月の光が一層増したように感じた。
いや、これだけなら偶然雲が晴れただけかもしれない。
だが月の光によって照らされた牢の中、そこにいるカサギまで輝いて見えたのだ。
眩い光に当てられて思わず手を目で覆ったビリーは、しかし瞬きをすることなく、じっとその男を見ていた。
遠くを見やる目は、ありもしない希望に溺れているのではない。
望むものに狙いを定めたが最後決して諦めない覚悟ある目だ。
月に伸ばした手は、ビリーと違って縋るような機微を持たない。
望むものは自分でたぐり寄せてもぎ取る、信念に満ちた手だ。
覚悟と信念を人型に押し固めたようなその男が言う。
「ヤツは強い……強いが完全無欠の生物じゃあない。隙があった。いーや、もしかすっとそれは隙とも呼べないような、ほんの僅かなものなのかもしれない。寸分の狂いもない完全なガラス球に、爪の先にすら引っかからない傷があるみてーなのもの。ショージキ致命に至る隙かも今はまだ分からねー。ビリーが落ち込むのも分かる」
そこで一度言葉を切り、カサギはビリーへと目をやって、
「おめーの思いとは全く関係のないことだが……ここで一つ約束しよう」
いつものようにビシリと指を突き付けた。
「誰が無理と決めつけようと、誰が無駄と思いこもうと、ちょいとでも取っ掛かりある限りこの俺が勝利を諦めることはない。つまり不可能はない。だから挫けることもトーゼン、ない」
これだ。
瞬間、ビリーの脳裏に酒場での記憶が流れて行く。
『ケンカに負けるのは弱いっつーことにゃあならない。泣いたって迷ったって怯えたって、それも弱さじゃあない。だが、前を向くことだけは止めちゃあいけねーぜ。前に進めなくてもいい。目を逸らすな。諦めるな。そうすりゃあ人は強くいられる』
これなのだ、この強さ。
それ一つなら欠点にも成り得る「プライド」と決して諦めない「泥臭さ」とが繋がって出来る、誰にも左右されない強さ。
友人にバカにされながらも監視に励んでたのはこれにまた会うためだった。
まぁ『そうすりゃあ人は強くいられる』の後に『…ん、だ。ひっく、だからおめーも……ぐぅ…くかーっ』と続いたあたり、本人からすれば寝言に過ぎないのだろうが……。
とにかく、ビリーはその姿に自分の心が求めていた物を見た心地がして、抑え込んでいた涙を一気に溢れさせた。
わななく口で噛みしめるように告げる。
「ごめん……カサギ、君が魔王討伐をやり切れないかもと疑ってしまった……そうだ。君がやってくれるに決まっているんだ。そうすれば、無駄なことも無いんだ………」
鼻を鳴らし「あたぼーよ」と応じるカサギ。
「このカサギをそんじょそこらの腕っぷし自慢たぁ思わないことだぜ。俺以外のヤロウが時間転遷を持とうと、そいつに命運を任せることは一流の食材を『妻に出ていかれて仕方なくキッチンに立つ40代の男』に渡すよーなものだ。そこまで携わったヤツらの情熱なんかを全部ダメにしちまう。
だが、ことこの俺、カサギにおいてはそうはならない。ビリー、おめーが部下を持つまでになってたとは知らなかったが、随分と苦しい思いをさせたようだぜ。なに、安心しろ。おめーらが紡いだ“想い”と言うべき何かは、必ず俺が真実へと導いてやる」
相手を気遣っているのではない、カサギの本心から出る言葉にビリーは更に涙し、感極まったように口に手をやった。
「そうだよね……魔王の討伐は君が必ずやり遂げる。それなら、どんな犠牲も無駄じゃない……魔王さえ倒せば何をしても……えへ」
――んん?
それまで「この男はよくもまぁペラペラとクサいセリフを……」なんて思いつつ、黙って聞いていたキーセラだけが、ビリーの放つ違和感に気づいた。
「無駄なんてない……どんな手段を使おうと、カサギが魔王を倒すんだから……そうだ、そうなんだ……えへ、えへへへ…」
後から後から涙を流し、うっとりと恍惚の表情でうわ言のように呟くビリー。
その様子に既視感を覚え、何だったかと首を捻っているキーセラの横で、目が貧弱なためににビリーの違和感に気づかないカサギが頷く。
「そうだぜ。手段を選んでちゃあいけねー。勝利だ、勝利こそ追い求めるべき真実だ」
「えへへ…えへ……そうだよね…………」
キーセラは涙で歪んだビリーの瞳を見て、そこで彼がカサギに向ける視線がおかしいことに気づいた。
神興都市で裁判を傍聴した際に見たことがある。
カラーロ教の教えを勝手に解釈し、自らの殺人行為を正当化する『狂信者』が判決の直前に主カラーロの彫像へ向けていた目、あれと同じ……。
「……っ!」
キーセラがハッとするのと同時、感情を昂らせるあまり白目を向いたビリーが格子の前で膝を付き、口の端を歪めた。
「えへ…えへ……そうだ、何人死のうと。誰を犠牲にしようといいんだ……だって僕らがやろうとしてるのは魔王討伐なんだからさ。
……カサギなら必ずやってくれる……カサギが罪を洗い流してくれる。
あの秘密作戦……前線を避難路に沿うように下げて、逃げ惑う村人たちを防壁にしたあれに協力しちゃったのも別に構いやしないんだ……えへ、えへへっ! 僕は悪くないっ。えへへへへ~~っ! 僕は悪く、えへふっ。僕はボクぼく、えぐ…ぶぐ………ボく……ぼグッ………………ブクブクブク…」
最後は足を滑らせて格子に頭を打ち付け、泡を吹いて気絶してしまった。
「お、おいッ。どうしたってんだァ、ビリーッ!」
……ビリーの心があれほどまでに求めて止まなかったのはカサギの強さであり、ひいてはそれが放つ匂い立つほどの魅力――カリスマを以ってして魂に刻まれた罪を赦されること。
ごく自然な欲求だった。
だが記憶もなければカサギにも会えず、ただ追い立てられるような罪の意識だけがぼんやりとある中、解消する方法も無いまま16年もため込まれ、知らず知らずのうちに大きく膨らんだそれは、記憶を思い出してタガが外れた所でようやく満たされて……満たされるあまりビリーの心を壊してしまったらしい。
「お前どうした! 大丈夫か!? はっ、まさかこいつらに何かされたのか! やはり人類種ではないっ?!」
少し目を離した間にそんなことになっているのだから、監視役は慌てふためき、
「ええいこの、魔族の手先め! みんな集まれ!」
そんなことを叫びやがった。
すぐに廊下の先から扉の開く音が鳴り、数秒遅れて大人数がこちらに駆けてくる足音が聞こえてくる……。
「じょ、ジョーダンじゃあねーぜッ。手っ取り早く言いがかりを晴らすためにわざわざ結界を抜けたっつーのに……なーんだってこうなるんだァッ!?」
「さ、最悪です。こんなことになるとは……」
しばらくして大量の兵士と共に駆けつけた班長がサッと周囲を確認すると、
「ビリーは利用されていただけか、なるほど悪いことをした。しかし、とうとう尻尾を出したな。我々の目が濁らない内は貴様のような悪がのさばれないことを知るといい」
ドヤ顔で言ってから二人を拘束させた……。
「おら、放せ! 放しやがれってんだよォッ! だーーッ、チクショウ! 放せぇぇぇぇッ! おぉぉれは無実だああぁぁぁぁぁぁッ!」
――それから20時間もの間。
50個の槍と50個の小筒……加えて証明が進むごとに増す、200個の「途轍もない変人」を見る目を向けられながら、更なる精密検査を受けることになった。
思い出せないだけで「かつての未来の記憶」は魂の中に16年間存在していたので、前回のままではない”仲間”は多数います。




