純喫茶の黒ずくめ
そこは都内某所の純喫茶。
時刻は夜の十時を回ろうとしていた。
店の中程には、今や絶滅危惧種のゲームテーブルが据えられており、三人の男女が掛けていた。
全員が濃いサングラスに黒いソフト帽、ダークスーツの中も黒いシャツを着ている。一見して不審者そのものだが、店員は強いて何か言うつもりもないようだった。
「リリー、あの大学生なんかどうだい」
痩せた男が隣に座る若い女に向けて言う。呼ばれた方は長い髪をその細い指で弄りながら、
「まあ、ウケはいいと思うわ。強面系もいいけど、やっぱりかわいい系も悪くないわね」
そう言って紅茶を口元に運ぶ。
「なら決まりでいいかな」
対面に座る筋肉質の男が、野太い声でやおらゲームテーブルにコインを投入した。ドリンクの下でテーブルの液晶が明滅し、レトロゲームがデモからスタート画面に切り替わった。
男が操作キーに指を掛け、ゲームスタートの電子音とともに、対面の二人が立ち上がる。
店内を流れる音楽に合わせ、二人はおもむろにポケットに手を突っ込むと、店内をムーンウォークで歩き始めた。
狙いの大学生の前まで来ると、くるりと回ってから爪先立ち、ポーズを決めながら、
「「ポゥ!!」」
叫びながら名刺らしきものを差し出す。相変わらず店員も客も、気にしていない風だった。或いは触れちゃダメだと思って見なかった事にしているだけかもしれないが。
「あ、すみませんそういうのはちょっと……」
大学生は名刺に目をやる事すらなく、伏し目気味に断りを入れた。
背後でゲームオーバーの音が流れる。
「残念」
とだけ女が返すと、カニ歩きのような独特なステップで、シャカシャカシャカと二人の男ともども柱の向こうに消えてしまった。
今何を目にしたんだろう、と大学生が怪訝な眼差しで首を捻っていると、掛時計が夜の十時を打った。シフト交代の時間なのだろう、どこからか「お疲れ様でーす」と声がするのが聞こえた。それからややあって、ウェイトレスが大学生の前にコーヒーを運んで来る。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーになります」
「ども」
大学生の胸が高鳴る。運んできたのは、まさに彼が熱を上げている相手だった。まだ名前も知らないが、何か話し掛けるきっかけでも作れればいいのに、と彼は今日も悶々としている。
「ユリちゃん、三番卓料理上がったよー」
「はーい」
野太い厨房の声に彼女が返す。涼やかな声音は耳に心地良い。彼女はユリって言うのか。今日はツイてる。
と、ふと柱の所の貼り紙が目に入る。人を募集してるのか。ここで働けば……彼女とお近付きになれる、よな?
ドキドキしながら、上擦る声で通り掛かった男の店員に訊いてみる。
「あの、アレって……」
「ああ、勿論募集してますよ! 改めてお客さん、どうですか?」
何が改めてなのか分からないが、一も二もなく頷くと、「本当ですか!?」と痩せた店員は喜色をあらわにする。小走りで何事か厨房に告げ、暫くすると何故かユリさんがケーキを持って現れた。
「募集の件、ありがとうございます。こちらは当店からのサービスになります」
言って彼女がとびきりの笑顔を向けてくれる。
ああ、幸せだ。
それにしても何故、バイトの募集でケーキのサービスなんてつくのだろう? 痩せた店員と筋肉質な厨房の男も揃ってニコニコ顔でユリさんの後ろに立っているし。
「では明日の朝九時、お待ちしておりますね♪」
はい、勿論ですとも!
――翌朝九時。
開店前の筈の店内は、多くの若い男女でごった返していた。何がどうなってる? しかもみんな黒いスーツを着て、後ろにはキャンバスがずらりと――
「……あ!」
ユリさんがこちらに気付き声を掛けてくれた。真っ白なワンピース――私服だ。いつもの制服もいいが、これもまた良いものだ。
「ちょっと待って下さいね、みんなに声を掛けますから」
「い、いえ……ここにいる皆さんは一体……?」
「うーん、広く言えば関係者、なのかな。マスターの教え子です。私もですけど」
小首を傾げながら彼女は言う。
教え子? 何の? じゃあこの喫茶店は副業でやってる、ってことか。
「でも来て下さるって聞いて、みんな大喜びしてましたよ! 本当にありがとうございます!」
「へ? あ、はい!」
何だか話が噛み合ってるような、噛み合ってないような。それに店の真ん中に用意された、あのお立ち台は……?
「さあ、行きましょ!」
彼女がこちらの手を引く。柔らかい感触に思わず鼻の下が伸びるのを覚えた。状況が掴めないのは相変わらずだが、今この瞬間だけは、私はこの世で一、二を争う幸せ者の筈だ。
そのままお立ち台に立たされると、皆の視線が集まり、何故か一種、緊張した空気が流れる。これは一体――
「お待たせしました! モデルさん、到着です!」
彼女が言うと、「「おおーっ!!」」と黒ずくめが揃って歓声を上げた。
おかしい。
何かが変だ。
彼らの間で、「急遽予定を変更した」だの、「バイトを代わって貰った」だのといった言葉が飛び交っている。
どういう事だ。俺はモデルじゃないぞ?
ただのバイトに応募した一般大学生だ。その筈だ。
改めて柱の貼り紙に目をやると、やはり『急募 アルバイト』の字の下に時給や希望時間などが記されている。
……あれ? でも考えてみれば昨日はその辺りの事は何も訊かれていない。
「じゃあそろそろ始めようかー。いやあ、最初すぐ断ってたから、てっきり興味ないもんだと。そちらからわざわざ声を掛けてくれるなんて、びっくりしたよ」
店員の痩せた男がお立ち台の下から話し掛けてくる。彼も黒一色に身を包んでいる。
どこか既視感があるな。
それに、最初すぐ断った? 何の事だかさっぱり――
と、そう思ったところで、昨日の奇妙な黒ずくめを思い出す。彼が昨日の変な男? だとすると、残り二人は……
いや、ちょっと待て。それどころじゃない。求人の貼り紙の隣に、もうひとつ何か貼ってある。そこに何か、変な文言が書いて……
「ひとまず十二時までお願いしますね」
野太い声をした筋肉質の男――店長がニコリと微笑む。そして、生徒たちが一人また一人と、黒いサングラスを掛けていく。
(……ユ、ユリさん?)
半泣きになりつつユリさんの方を向くと、いつの間にやら彼女もダークスーツに――昨日のあの格好に着替えていた。彼女もサングラス越しに、今か今かと私が裸になるのを待っているのだった。
部屋中の黒ずくめが東南アジアの儀式めいた何かを唱和し始める。
改めて見上げた貼り紙には、絶望的な文言が並べられていた。
『ヌードモデル急募!! 希望者は店員までお声掛け下さい。拘束三時間、日当三万五千円。「今月のテーマは『羞恥と絶望』。人間の抱える複雑で多面的な感情を表現出来る方、お待ちしています」 ※生徒の単位認定対象になる為、冷やかしや直前キャンセルお断り。 カフェ・アール店長(◯◯芸術大学教授)』
相手が同じように受け取ってくれる保証はどこにもありません。
テンションが上がっている時ほど注意しましょう。