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醜い男  作者: 小林マコト
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 リビラの本拠地は、王都のシンボルでもある大聖堂の地下にある。国のために悪事を働く組織であるというのに、聖域の真下に置かれたのはリーゼヴィットの要望だったと聞く。


 地下ではあるが、これもまたリーゼヴィットの要望で、天井は高く作られている。ここは家でもあるため、彼女の要望と趣味によって作られているのだ。ただし、内装にはやたらと凝ったくせに、構造自体はとても単純だ。


 入ってすぐは広間になっており、四方それぞれに扉がある。右は物置、左はリビラの事務所として使われている。正面の扉を開けると長い廊下があり、その突き当りの部屋がリーゼヴィットの執務室だ。襟を正してノックをすると、「はあい」と間延びした声が返ってくる。


 執務室は本棚に囲まれている。扉の正面に机があり、リーゼヴィットは椅子に座ってにやにやこちらを見ていた。

 黒――喪服しか身にまとわない主義で、髪も黒いために色彩がほとんどない。琥珀の瞳は悪魔的な美しさを誇るのに、顔の上半分は黒いヴェールで隠されている。


「厄介なことになったみたいね」茶化しきった声でリーゼヴィットは見透かした。「あなたの大事な呪いはどこに落としてきたの」


 ヴォッゴはまだ何も話していないのに、まるで見ていたかのようにリーゼヴィットは言う。どこまでも自由なリーゼヴィットにも慣れたもので、ヴォッゴもまた、当然のように会話を続けた。


「それは僕が聞きたい」


 生まれてずっと呪いを抱えてきた。おそらく死ぬまで解けないだろうと、むしろ解けないでいてくれた方が楽だとすら思っていた。

 リーゼヴィットが立ちあがる。黒い手袋の指先で、色素の薄い自らの唇を撫でながら、何か考えている。


「あなた、自分の呪いは永遠に解けないと思ってたでしょう。――呪い、そうね、もしかしたらあなたにとっては、祝福だったかもしれない。解けちゃって残念だったわねえ」

「やっぱり、解けたんですか、僕の呪いは」

「ええ、完全に。きれいさっぱり。びっくりしちゃうくらいに」


 どうしようかしら、この子。リーゼヴィットはヴォッゴの身体をつま先から頭までじっくりと観察し、「そうね」と前置きをしてべらべら喋りはじめた。


 そもそも呪いとは、生まれ持つものだ。誰しもが持っているものではなく、今となってはごく少数の人間しか持たない。その少ない人間も、自分が呪いを持っているとは思わずに生きていることがほとんどだ。ヴォッゴも十年前にリーゼヴィットと出会うまでは、呪いが実在するとは欠片も信じていなかった。

 それでも、リーゼヴィットが作ったこのリビラという組織の中にいれば、呪いの実在を認めざるを得ない。リビラの人間はその半数以上が呪いを持って生まれた者だ。程度や種類の違いはあれ、皆が何らかの苦しみを抱えている。


 ヴォッゴは、呪いを持っているわりに、特別苦しむこともなく生きてきたが。


「あなたの呪いはとっても軽いものだったけれど、私は好きだったのに。本当に残念だわ」

「そう言ってるわりには、楽しそうですね」

「ええ、とても。楽しくないはずがないでしょう。『愛せない』あなたがようやく恋をするのよ。それが美しくても、醜くても、興味があるわ」

「恋」

「そう、恋。あなたはこれから恋をする。あなたの呪いを解いた女と。でも忘れちゃだめよ、リビラとしての仕事はどこにも洩らしてはならない。失敗してもいけない。楽しみね、せいぜい幸せになるといいわ」


 幸せ。恋をして、幸せ。


 リーゼヴィットが何を言っているのか、ヴォッゴにはよくわからなかった。

 ヴォッゴの持って生まれた呪いは、「愛せない」というものだった。人間に対しても、物や事に関しても、愛情を持てない呪いだ。とはいえそう重い呪いではなかったため、執着が薄いくらいでなんとかなっている。これがかなり重い呪いだったら、きっと今こうして生きてはいない。


 執着や愛情といったものが薄いのは、ヴォッゴの生活に特別な困難をもたらすものではなかった。例外というものがなく、家族に対しても、自らに対しても、何も思わない。だからといって世の中の何もかもが嫌になるわけでもなく、嫌悪の類も薄い。


 日々が淡々としたものに思える。呪いがもたらしたヴォッゴへの困難というものは、その程度のものだ。

 リビラの仕事には地味なものから過激なものまで、多種多様な悪事がある。これらはすべて、国をよくするため、という大義名分のもとに行われ、女王が直に任務を与えてくる。主な仕事は諜報活動だが、そのために盗みや殺しも必要に応じて行わねばならない。ゆえにリビラのメンバーは皆、常に複数の身分を使い分けている。


 そういった仕事をしていると、ヴォッゴの「愛せない」呪いは、むしろ便利なものだった。標的の友人や恋人として傍にいても一切の情がわかない。強烈な嫌悪というものもほとんど生まれないため、大抵の人間の懐に入っていける。とても便利で、この呪いは神からの贈り物だとすら思えたくらいだ。解けなくてもまったく構わない、いっそ解けないでくれ、とすら。


 それなのに、今さら、こんなに簡単に解けてしまうとは。


 つまりヴォッゴは、誰かを愛してしまうのだろうか。頭が痛くなった。想像するだけで面倒なことを、よりによってこの自分がやっていくかもしれないとは。

 混乱したヴォッゴを、リーゼヴィットはくすくす笑った。


「安心なさい。恋はとっても素敵なものよ、面倒事が嫌いなあなたには、ちょっと難易度が高いかもしれないけれど。でも、もう一度言うけど、仕事もしっかりこなすのよ」


 少女趣味の節があるリーゼヴィットは、しきりに恋、恋と繰り返した。それでいて仕事を第一に考えるよう釘をさす。


「まあ、雛菊から財務大臣の汚職の証拠が引っ張り出せたら、しばらく休ませてあげてもいいわ。頑張ってね」


 どうせ進んでないんでしょ、と続けたリーゼヴィットの口元は確かに笑みを作っているが、威圧的だった。それはヴォッゴの頭を冷静にするにはじゅうぶんで、身体に力が入る。


「おそらく、もうすぐです。あの女、思いのほか口が堅くて」

「でしょうね。そうじゃなきゃ、ハゲの娘なんてやってられないわよ。そろそろ失脚させなきゃ厄介なことになるわ。信じてるわよ」

「必ず」

「アンドロを補助に回してあげる。ただでさえ少ない人員をふたりも割いてあげてるんだから、なるべく早く成果を出してね」


 脅しである。口調は軽いが、本気でリーゼヴィットは催促している。

 リーゼヴィットが怒ることは滅多にない。これでいて結構きちんとリビラのことを考えているし、リビラの男たちを様々なものから守ってくれている。しかし、仕事のできない人間には容赦がないのも確かだ。

 ヴォッゴには自分が期待されている自信がある。それはこの仕事への誇りでもあった。


 礼を言って、彼女の部屋を出た。恋だなんだの話は、一度忘れてしまうことにした。トッタの顔だけが消えない。


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