第一章 第四十四話 寄り道
「逃してたまるか……!」
口ではそう言った。
でも正直な所このままではグラス・スピリットを倒せるか、否追いつけるかすら危うい。何せこちらがスタートした頃には、あちらは五十メートル走のコースを丸々走った位には距離を稼いでいたからだ。その差を埋めるべく、釘を放ったもののスピード不足なのかまだ追いつけない。
「ちっ、すばしっこい連中だ」
前提として正行の言っていた直接攻撃は無理だ。
位置をゴールの草原から遠い順に並べると俺達が割った岩の付近を走り、釘が一本目の低木に差し掛かった所、グラス・スピリットが二本目の低木を通り過ぎた以上、離れ過ぎている。
「おまけにそれじゃ釘を使う意味が無い」
追いつくなら、グレイト級のクイックを付与した上で全力疾走してようやくかな。
最もそんな魔力は残っていない。さてどうしたもんか……。
「タクマ、まさか釘の速度が足りないのかい?」
「ああそうなんだよ。後一手足りないって所だ」
「なら釘自体早くすれば良いだけだろう? そら、クイック!」
追い縋る釘達にクイックが付与される。
直後追い風を受けたように速度を上げ、定規で引いた線を進むように直進する姿はさながら弾丸だ。
言われてみればそうだ、釘そのものを早くしてしまえば解決した話、発想が硬かったかもしれない。
ともかく、これで行けるはず。上手く行ってくれ。
「いけー、頑張れえぇー!」
「あれっ、どしたの座り込んじゃって」
「はは。ごめん、ずっと魔力使っててさ」
この追尾釘は、浮いている間も魔力を使う。
だからクイックを付与するまで思案していた間も、慢性的に魔力を持っていかれ続けていたせいで、体感的には後一回普通の魔法を放てる位しか魔力が残っていない。
「じゃあ回復するね。二人は?」
「俺達は追いかける。討伐には証拠も要るからな」
「わかった。行っておいでー」
そう会話を交えた後、いそいそとサナは俺の服の背中側をめくり上げ。
「わあぁっ!」
「はーい回復するよー?」
人肌温度の柔らかな感触が背に押し当てられた。
魔力はお互いの距離が近い程、交わす量が増えるからこんな風にハグをするのは非常に効率が良い。
おまけにサナは身体も顔も良いから、色々と役得……。なのだけど、二度目でも心臓が跳ねたからいきなりは勘弁して欲しいなあ、うん。
「あっ、追いついた!」
「ホントだ。正行達が討伐の証拠を回収してるね」
そうこうしている間に魔力の消耗が中断された。
今回使った釘は、目標の追尾が不可能になると同時に浮遊が止まって魔力の消費も終わる。そこからも無事に追いつけたのは明らかだ。
「おーうお疲れ、証拠品と釘回収して来たぞ」
「このドロっとした緑の液体が証拠、なのか」
「グラス・エキスだっけ。虫の体液みてえだな」
当たり前だけど、討伐クエストや殲滅クエストをこなすにあたって証拠として魔物の亡骸を持っていくのはNGだ。ギルドが汚れてしまう。
なので、対象の魔物を殺さないと手に入らない物品を持って帰る事になっており、グラス・スピリットの場合は透明な身体の中にある液体が証拠品に当たる。依頼書曰く自然の力を秘めているらしいが、見た目は正行の言う通り虫の体液だ。
「んで、これを後二体分かあ」
「ちょっとしんどいけど……。頑張るかあ」
体を伸ばすついでに空を見上げれば、太陽が中天で輝いている。もうお昼になったらしい。
なんていう話をして、皆とまた分かれてから探しに向かいすぐ何の因果か一番疑っていたフェルンが丁度二体を見付け、思ったより呆気なくクエストは終わってしまった。
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灰燼。
眼前に広がるのは、灰と燃え殻のみ。
肌を風に乗った燃えカスが掠めてゆき、視界にはただひたすらに鈍い色しか入ってこない。
「なあ……。こんな大事な場所を帰り道のついで、だなんて、さ」
「色々考えたけどこの位が良いかなって、ね」
見返って作り笑顔をするサナにちょっと引く。
きっかけは、簡単だった。
クエストを終え、門を抜けた先の農村地帯を真っ直ぐに向かいギルドに戻ろうとしたら「ちょっと寄り道がしたい」等と言い出し、来た場所が。
「大火事の跡地かあぁ……」
「これが彼女の罪、か」
「話は聞いてたけどよ。実際見るとキツイな……」
こんなのを見て、唖然してしまうのは当然だ。
けど因縁しかないこの場所に連れてきた以上は。
「何かあるから、来たんだよな」
「先ずは二人にここを見てもらいに、かな」
俺以外の二人、正行とフェルンに視線を送る。
あまり見ていて気持ちの良いものではないが、サナの立場になって考えれば己のしでかした事を把握しておいてほしい、というのはわからなくもない。
「しかしその語り口だと、ボクらに見てもらうというのが本命では無いだろう」
「うん。ここからのが大事。ちょっと待ってね」
待つように頼んだサナは、先ずはローブを脱ぎ捨てて、下に着ていた片口の出た青色のワンピース姿になった、けど。
「あれ。その布は……?」
「うん。この下にあるものが本命かな」
色は真っ白でワンピースとは離れており一目で後付けとわかる布が、手の平より上から右肩までを覆っている。
そして布に手を掛け、一度大きく息を吸ってから、サナは続けた。
「きっと驚くと思う。でも納得もすると思う」
しゅるんっ。
肌と擦れる音と共に。
血の通った柔肌が現れる。
「あぁ……。いっそ、怪物の腕なんかの方がマシだったかもしれないね」
否。
血の如くの色をした文字が書かれた柔肌だった。
肘の下辺りに血色の魔法陣があり、そこから腕全体へ、のたくった文字がびっしりと伸びている。
「フェ、フェルンっ。あれ、何なんだよ——!」
「罪の印だね。罪を犯した者に国が与える最大の罰。あれがある者は付与した物及び、其に与する者に逆らえない」
顔つきを変えずに語るフェルン。
要求しておいてなんだけど、あんなの見て平気で居るのを通り越し、解説するのはむしろ関心じゃなく、呆れが先に来てしまう。
「私のは大罪の印って呼ばれてる。他にも罪の印としての役目以外に、使命に逆らえない、もあるの」
「使命は魔王討伐ってわけか」
「うん、それとね」
人差し指を立てて「もう一つ」と告げてからサナは続ける。
「普通の女の子として周りから扱ってもらえる、これもある意味大罪の印の効果かな」
何を言っているか分からない。
俺たちの世界から人攫いをして、魔王降臨のきっかけになり、恐ろしく強い水の魔法が使える。
それを除けば、普通の女の子……。なわけあるか、そんなの逸般人の間違いだ。
「あれっ」
バケモノと呼ばれた位だからな。
しかし魔王を降臨させた張本人なのに街を歩いても何も起こらないどころか、街の人達は気さくに話しかけてくれている。
常人であればこんな話は分かり得ないから、皆理解しているなんて暖かで理想的な話は先ずあり得ないはず。なら——
「もしかして王族の中でとかでサナの罪の話は止まってる?」
「当たり。ここに連れてきたのは誰にも聞かれないようにしたいから。私の家だと聞き耳立てると聞こえちゃうからね」
ここまで語って言いたい事は言えたらしく、スッキリした表情になったサナはギルドの方へ踵を返す、前にまた振り返って頭を下げて。
「また暗い雰囲気にしてごめんね!」
自分が重たい事をまた語っていたのを気にしてからぺこぺこと謝ってきたのを、俺達三人は笑って許しギルドへ証拠品を納めに行った。




