序章 第三話 彼女の責任
申し訳ありません。
遅刻してしまいました……!
すたすた……。
すたすた……。
夜の帳がすっかり落ち、静かな石造りの街で二つの足音だけが響く。
「……」
「……っ」
物凄く居づらい。だから時間が永い気がして、そんな錯覚かそれともこの暗い雰囲気のせいか。
どちらかわからないが、どうしようもなくじれったい感じがして先刻から喉で止めていた疑問を、いよいよ止められなくなった。
「あの、さ」
「なあに?」
「さっき言おうとしてた」
「……ごめんね」
「だよな。こっちこそごめん」
わかってた、無駄な問いかけだ。
それでもさっきの作り笑顔が焼き付いて離れず、知りたい気持ちに拍車をかけて仕方がない。
だってあの笑顔を俺は見たことがあるから。
いつもにこにこ笑っている。でもその奥に涙を流す、まるでピエロのような、否。ピエロの方がまだマシだよ。彼らはなにか報酬はある。
しかしあれは調和のみが報いの酷いものだ。
そんな表情をしてる人間は碌なことにならない。周りに自分の涙を悟らせないのに必死で、自分が本当の意味で求めるものが手に入らないんだよ。
「何であんな……」
「あっ、そういえばさ!」
問いかけに被せるように大きく明るい声色で思い出したような動きをする。
しまった、こっちが考え込んでる素振りを見せたから何か察してしまったか?
「えーと……。あなたの名前、知らなかったのよね。教えてくれる?」
「名前? 構わないけれど」
前言撤回。
今のは何の意図もないだろう。えーとの声色が今までと違い、少し明るい感じがした。
察するに「はっ、名前聞き忘れてた!」とか思ってるのだろう。
しかしこれはチャンスだ。
さっきから場の雰囲気が曇天のようで酷く居づらい。少し軽口を織り交ぜて自己紹介をしてみて何とかならないか試してみよう。
「俺の名前は野鹿拓真! 突如異世界へ君に呼ばれたものの加護なし、能力なし、人づては今んところ君のみの吹けば飛ぶような人間だ。てなわけでよろしくなっ!」
「ねえ、それ自分で言ってって悲しくならない?」
「うっ……」
あらまあー……。元気付けるつもりが哀れに思われたか。
まあこのぐらいでは押しが足らないって事だろうし俺自身人を笑顔にしようとすると自虐ネタに入るからやめとこう、今もしてたしな。
「……」
「……言う事は、ない?」
「今は」
「じゃあ行くよ」
「わかった」
特にそれ以上話題もなくまた足を進める。
住宅街の路地裏へ入ると、家の灯も見受けられない為静けさに一役買っている。
しかしそんな静寂に包まれた中だからか。
異分子である足音が煩わしく、余計に体感時間が永く感じられてまた焦燥感を掻き立てられる。
本当にタチが悪い。
「……っ」
危ねえ……。
生唾飲み込んで何とか堪えたけど、また無駄な問いかけするところだった。早くこんな環境から抜け出したい……!
「うわあぁぁああぁぁぁあぁ!!」
「うわっ、痛ぁっ!?」
い、今のは何だ?
下を向いて歩いていたから表情は見えなかった……。
でも怯えた様子の男性にぶつかられたな。何だったんだろう。
「タクマっ、大丈夫?」
「いてて、まあ問題ないよ」
「もお、ぶつかったのに何も言わないなんて! 今度会ったら文句の一つでも言ってやらなきゃ」
「お手柔らかにね……」
ぶつけられて肩を庇う俺をサナが心配してくれた。彼女の言う文句が物理でないといいが。
それよりなんで怯えててなんてぶつかったのに何も言わずに去ったのかのが気になる。
男性が何に怯えていたのか、どうして急いでいるのかはわからないが、相手にぶつかったのは男性の前方不注意で非が自分にあるのは自明のはずなのに何故……。
ん?
なんだろう。今の男性が来た方向から鼻を突き僅かに焼け付く感じのするこの臭いは。あまり嗅ぎ慣れないけど、言葉に出すなら……。
「煙い——?」
「……っ!」
状況への所感を何となく口にしてみただけなのなのだが、煙いって言ったと同時にびくっ、てなりやがった。何か関係あるなこれは。
「悪いけど今の動き俺は見逃さないよ? どういわけか洗いざらい話してもらおーか?」
「あわわ、わわ……」
明らかに動揺するサナに手をワキワキさせて迫る。相手の隙をついて追い込むって、あんまりやらないから慣れてないんだが……。
この後のリアクションで、白か黒かはっきりするから利用しさせてもらおう。
「こっ、この先で待ってるからっ! クイック!」
「うお、早えっ!?」
俺が追求しようとしたらサナは足早に男性の来た方向へ走り去ってしまった。黒確定だ。
それはそうと、何か名前らしきものを言っていたが、あれが魔法か? 彼女の筋肉のない足では、あの速度は無理だし。
「にしても付いてきてと言いながら置いてくとは。まあ逃げるように煽ったようなもんだけど」
なんてぶつぶつ言いながら逃げた当人が向かった路地の曲がり角を曲が——
「……なんだよ、これ」
……ってみて開けた場所についたと思ったら大惨事としか言えない光景がそこにはあった。
これか? これが贖いってやつなのか。この惨状にあのさっきまでドジって自嘲してたサナがやっただって? 実は幻でした、とかじゃなくてか。
ひとしきり考えた上で信じられない。
異世界に行くぞって言う話されたときと同じだ。こんなの、理解はできても受け入れられるわけがないだろうが。
「あ、来たんだタクマ」
熱風になびき乱れる髪を気にせずサナがこちらへ振り返る。ついさっきまでドジを踏んでいた人間とは思えないほどに真剣な面持ちで。
「見られちゃったのだもの。さっき言いそびれてた事、話すね」
「聞かせてくれ。これ本当にサナがやったのか?」
少し考えてから相槌を打ち、無言の肯定。本人が肯定したのだから信じるしかないけど……。
ここに来てから聞こえてくる悲痛な人々の声を。
数えきれぬの思い出が詰まってる家々を。
あちこちから臭ってくる何かが焼ける臭いを。
ぱちぱちと、聞こえる不幸を思わせるこの音を。
皮膚や口の中を掠めては焼け付くこの熱風を。
この五感全てが「悲劇が起こっている」と告げてくるこの大火事を、サナがやったって?
「冗談だろ?」
「本当だよ」
——ありえない。
「何かあるよな?」
「何かって?」
「一人でやったと思えないんだよ」
「うん。私はこの火事に関しては何もしてないよ」
会話に空白ができる。
何を言っているんだ、コイツは。
「どういう事だよ。じゃあさっきのはなんなんだよっ……!」
「でも責任は全て私にある。だから私がやったようなもの」
たった今言った言葉に続け強い悔恨と懺悔が入り混じった表情を見せたサナは凄みを感じさせる語調で「だから」と続けた。
「その後始末こそが私の贖いなの」
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「責任は全部自分にあるけどサナ自体は何もしてない……?」
「まあ何言ってるかわからないと思うわ。けど今は時間がないの」
下手な作り笑顔で「ごめんね」と言ったサナは青い石を紐で括っただけの、簡素なペンダントを俺の首元にかけた。
「これは?」
「誰かがつけてると私が本気で魔法を使えるようになるお守りだよ」
「お守り。へえ、お守りねえ……」
疑う俺にはあ、と溜め息を吐いた。
聞いて正解。代償があるんじゃないか。
「終わったら身体にお湯っぽいものが流れるわ。あなたにとって困るのはそれだけよ」
「その程度か。わかった、我慢する。それよりさっき魔法って言ったよね?」
「聞いてくると思った。魔法について積もる話あると思うけど後でね」
何だかまるで日頃の俺を見てたような言い方だが、そこはいいか。そこよりも今は魔法を使うって言っていたからその内容の方が気になる。
「どんな魔法を使うんだ? この火事を消すわけだから凄いの行くんだろ?」
「擬似的に豪雨を降らせる魔法と言った所かしら。期待はしないでよ?」
「豪雨を降らせる……。そら凄い」
この大火事に対して豪雨。
火を消し、かつ広域で豪雨と言うからには水の量もきっと十分だろうから的確な選択だ。問題は大きな魔法を使うのに必要とされるであろう魔力的なものだろうけど、足りるから使うわけだ。
状況が状況だから、不謹慎だがそんな凄い魔法を見れるとなるとこうワクワクしちまうな。
「期待しないでって言ってるのに……。まあいっか。とにかく邪魔しないで」
「そうしよう」
掌を地面に着け「ふっ」と力を込めると。
「なっ……!」
「うわっとと……」
「あらぁ、魔法陣?」
「でけえ魔法陣だな……!」
サナの体から文字や記号のようなものが描かれた青緑の円形をした光が地面に放たれ、どんどん広がっていく。火事の現場から逃げる人々も思わず足を止めてしまっている。
最初は俺たちが入るくらいだったが間も無く今居る広場をカバーし、最後は円の端が見えなくなってしまった。
「うん、このくらいかな」
「おいおいなんか凄そうだな……!」
「邪魔するなって言ったよね?」
話しかけようとしたら声だけで怒られてしまった。黙っていよう、うん。
「この身に宿る魔力よ。その力、その姿を変える事を我、望まん」
詠唱が始まった。サナは掌を今度は空に掲ていてそこと体から漏れるように青い蛍光が出てきていて集まっている。
「姿は神の起こせし災のごとき雨であれ。力は山をも削るものであれ」
蛍光が強くなってきて少し眩しい。
神の起こせし災いに山をも削るかあ、随分と物騒な詠唱だなあ。
「其を以て望むは人々の営み阻む忌々しき火の消滅。無辜の人々の救済なり」
眩しいっ……!
救済、と言った瞬間に光がサナを直視できないくらい一際強くなった。
そろそろ大詰めか……!
「我が贖罪と救済の雨を、今此処に! アノマリー・レイン!」
詠唱を終えるとサナの体から漏れて漂っていた光も空へ舞い上がり集積していき、空に上がったものはやがて水になり球状になり
「でっ……か」
最終的にはこの焼け落ちた住宅街だと思われる区域全体に影を落とさんばかりの大きさになった。
「なんかよくわかんねえけどみんな逃げろおぉぉー!」
「やべえのが来るなこりゃ、とりあえず退散、退散……!」
「濡れるのは嫌ー!」
詠唱を終えてそれまで周りで見ていた人々が一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。早く俺も行かないと、ずぶ濡れ確定だ。
「じゃあ俺も……」
「待ってタクマ」
「んっ? なんだよ。今から上にある水球をぶち撒けるんだろ? 俺もずぶ濡れは嫌だから逃げるぞ」
「言い忘れたけどさっきのお守りはね、してる人が側に居ないと効果を発揮しないの」
「えっ」
サナは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げたが、それなら袖を引っ張る手を離してほしいのだが。
「サナさん、離して?」
「ごめんね?」
「くっそおおおぉぉ……!」
ぱちん、とあの神様と比べると鈍い指パッチンがし俺はこの後のことを諦めて目を瞑った。