第一章 第十四話 異世界の風呂
「く……ああー……っ! 疲れたな」
「本日の先頭は激しかったからな」
「全くよ! 血の匂いが取れやしないわ!」
煙突から噴き出す湯けむり。
レンガ屋根に黒や灰といった暗い色の石がミックスされた壁で構成された大きな建物。
「今日もおつかれ様でしたっス! さあさ、風呂入って今日も寝るっスよ!」
「ったく、そのしきり癖はいつ直るんかねえ」
「こらそこ揉めない。公衆の目があるでしょ?」
ちょっと臭い。
周囲は一日の疲れを癒すのと、汚れを落とす為にきた人々で一面が埋め尽くされている。夕食を食べた後、意味深なサナの態度に釣られ、着替えを持ってここまで来たが……こうも臭いと期待できん。
「耐えれん程じゃないが、なんか臭うな」
「それはこのお風呂やさんの名物の冒険の残り香、だね。洗礼みたいなものだよー」
「い、要らねえ……!」
迷惑な名物だ……
鼻を塞ぎたくなるが、サナは耐えるはおろか臭そうなそぶりすら見せない。さらに周囲を見てもそんな人は一人足りとも居ないじゃないか。
「ここは周囲に合わせようか……」
「これから毎日お世話になるもの。頑張って慣れてね、タクマ」
「そっか。言われてみればそうだよな」
郷に行っては郷に従え。
そんな言葉が過り、ふとあらぬ方を見ると。
「あれ、ここって……」
なんとなく既視感を感じ、周囲を見回す。
以前に魔法の包丁や野菜を売っていた屋台と、王城への道。さらに四方に道が分かれていてギルド、この銭湯といった大きな施設、そして中央にある大きな噴水。
「こうすると、便利だし賑やかだな。ここは」
「噴水広場って呼ばれててね。集合場所にもよく使われるんだよ」
「へえ、そうなのか。覚えておくよ」
なんて会話を交わしていたら。
「おいお前ら何してんだ、凄えから来い!」
「むっ、アイツ抜け駆けしやがったな……」
待ちくたびれたらしい正行がもう建物の前に立って、子供のように手を振っている。何かあるな。
「どうした、何がある?」
「見てみりゃわかるって、ほら早く!」
「おいおい、押すなって!」
はしゃぐ正行に無理くりに押しこまれる形で木の扉を開き、建物の中へと入ると——
「いらっしゃいだにゃ」
声が出ない。なんだ、コイツ。
小さな子供ぐらいの大きさの猫が正座して……違う。そんな大きな猫がいてたまるか、あれは。
「まさか獣人……?」
「ご名答だにゃ〜。だからって何かあげるわけじゃないがにゃあ」
「まじか。居るんだ……。この世界」
獣人。
動物の頭に、人の体を持つ架空の生き物。
だと思ってたのが、目の前で動いて喋ってる。眼前の自称獣人は人の要素が著しく薄く、ほぼ猫を大きくしてそのまま立たせたような風貌だけど。
「なっ、凄いだろ!」
「ああ凄いよ……まだ信じらんねえ」
正行がはしゃいでいたのにも頷ける。
こんなファンシーな存在が唐突に居たら、誰だって他の人に広めたくなるはずだ。
「こらこら、人を見世物にするんじゃにゃい」
「すいません。気を悪くされましたか?」
なんてはしゃいでいたら、当人に怒られ、反射的に頭を下げる。差別とかがあったら地雷を踏み抜くようなものだ。
「そう気にしてもないけどにゃ?」
猫の獣人さんはお婆さんを思わせる落ち着いた声でそう言い、続ける。しかし良かった、配慮が足りなかったというわけではなさそうだ。
「お主ら風呂に入りにきたにゃ?」
「そうですね」
「なら湯銭を寄越すにゃ。じゃなきゃ風呂には入れんにゃ?」
「はっ、確かに!」
言われて気づき、咄嗟にポケットの中をまさぐる。何かの形でもらってなかったかな。
「貰ってないよな、そういえば」
「渡して無いもの。当然よね」
「だよな。どーしたもんか……」
「大丈夫。ここは私が払っておくよ」
そう言ってサナは、要求された分の金銭を支払い、奥の部屋へ行ってしまった。
「お前さん達。女に払ってもらっておきながら、入らないつもりかにゃ」
「いやいや、そんなわけでは!」
「なら早く行くにゃ。後ろが詰まるにゃ」
振り向くと、列が既に出来始めている。
思えば、結構な盛況ぶりだったのに、並ぶ事もなくここに来れたのはわけがあるはず。
「正行、とっとと行っちまおう!」
「え、あっ……おう!」
列を作っている人達から強い悪感情を読み取った俺たちは、青いのれんをくぐって奥の部屋へと急いだ。
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「なあ拓真ー」
「なんだー?」
着替えながら話しかけてくる正行。
走ってくぐった青いのれんの先は、壁一面に鉄製のロッカーがある奥に広い脱衣所だった。現在俺達を含め、十人程がせっせと着替えている。
「なんかよ、似てねえか?」
「何にだ?」
「日本にだよ。このロッカーやのれんといいさ」
「言われてみればそうだな」
眼前のロッカーは見た事がある。
プールやそれこそ銭湯なんかでよく見かける、荷物や着替えを入れておく鍵付きのやつ。それに酷似している。
「いや、ロッカーだけじゃないな」
言うようにのれん、おまけに足元の板なんかも。
異世界だというのに何故か男用が青で、足元の板は水はけが良くする為か細かい穴が空いている。
「この魔法陣は……もしかして」
板の下に、青い魔法陣がある。
これは落ちた水を吸収する為か。何にせよ、この細かい気配り……。ロッカーを始め、これらも俺たちの世界の人間が持ってきた知識かもしれない。
「もしかしたら、俺らの世界の人間が持ってきた知識かもしれんな」
「まっさかぁ。知識チートじゃあるまいし」
「この世界じゃ、異世界転移ってのは珍しくないらしいからな」
なんて会話を交わしている間に、お互い着替えが終わった。
荷物からバスタオルを取り出して、腰に巻いておく。風呂から出てきた人たちがそのようにしていたから、その真似だ。
「よーし、早速風呂に……」
「あれ、ここなんだ?」
横開きのドアを開いたらそこは風呂……と思ったら、洗い場だった。
皆座って頭や体をゴシゴシ洗っている。ただし石鹸やシャンプーは使わず、壁に取り付けられている蛇口らしきものから出ている水のみだが。
「えーとこれは一体……?」
「あれ見ろ、拓真。俺はあれのせいだと思う」
指で示す先には、人が二人ぐらい入れるの幅の四角形の物体があった。
各辺に赤い石が埋め込まれ、また物体のある床には魔法陣がある。状況からして体の状態を検査する物と考えて良さそうだ。
「とりあえず、周りに合わせようぜ」
「そうしよっか。先ずこの蛇口を捻って……」
捻ると、お湯が出てきた。
ありがたい事だけど、どういう仕組みでここまで水が来てるのか気になる。体から魔力が持っていかれた感じはしなかったし。
「おい、おせーぞ拓真。考え事は後にしとけ!」
「おっと、ごめん」
見ると体が濡れており、髪は洗った上でもう一度拭いたようで、水分を含んでいる。
んじゃあ、俺もさっさと洗ってしまおう。
「あらかた体洗えたし、とっと行こうぜ」
「アレが気になるが……ままで行くしかねえか」
意を決し洗い終わった体で四角形の下をくぐる。
一瞬体に電気が走ったような気がしたが、それ以外は何も起こらない。
「いてて……あれ。石の色が変わってる」
「本当だ。青色って事はOKだろ!」
もしダメならこちらが入ろうとするのを防ごうするはずだが、それも無いから大丈夫だろう。
「よーしいよいよ風呂に」
振り返ると同時。
驚いた。
そして思い至る。
「これ、多分サナの言ってた奴だ」
「これって……これ?」
「ああ。俺が見て喜ぶ物があるって言ってたんだ」
部屋は驚く程広くも無い。
また床も壁も天井も石、風呂も石で構成されているが驚くべきはそこでなく魔法陣だ。
「なんだよこれ、デカすぎるよ」
「デカいだけじゃないぜ、これ」
床を踏んだり、わざと滑ってみたりしながら正行はそう言った。
この茶色の魔法陣の効果は恐らく、滑り防止だろう。足と床の間にザラついたマットが一枚あるような感じで、全く滑りそうにもない。
「なるほどなあ。こんだけデカい魔法陣見たら確かに俺は喜ぶよ」
「へえ。まあ俺にはよくわからんがな」
もう正行は風呂に入ってしまった。
この魔法陣、大きいだけでなく光も強くて周囲を照らすから、光景を眺めているのも眼福なのだが。
「まあ俺も入るか」
手近にあったタオルかけに腰に巻いていたタオルをかけ、適当に風呂へ入る。そこそこ温まったらでてしまおう。
「あの、すいませんっ!」
「うん?」
聞き覚えのない声に呼ばれた。
当然正行ではない。異世界であるこの世界に知り合いなんているはずもないが……
「なんでしょう?」
「こんな事聞くのは変かもしれませんけど……」
そこには黒髪、黒目で俺より一つか二つくらい下で筋肉の付きが良く、スポーツ少年を絵に書いたかのような少年が居た。
目は一重で、鼻もさして高くない。典型的な日本人といった風貌。何処か慌てている様子。
今更同郷の人間なんですがって言われても特に感慨もないんだが——
「サナ・フロウさんのお知り合いですかっ!?」
「——っ!」
違った。
非常に突っ込んだ質問に固唾を呑む。この風貌でサナの名前を出してくるなら確実に転移絡み。
万一この少年が転移絡みで恨んでるならアイツに不利益。どう答えれば……!




