第一章 第十二話 戦いの準備
「……俺は」
正行が冒険者になれる、とはしゃぎながら草原を出て、門をくぐりギルドへ向かう街中の道中。
「おいどうした、正行」
当人以上に喜んでいた周囲と違い、正行が一人だけ討伐が終わってからというものの、ずっと浮かぬ顔をしているのがどうも気になり、尋ねる。
いつものコイツなら、浮かれまくって近所迷惑なぐらいはしゃぎ倒しそうだったからだ。
「殺したんだよな、生き物を」
血にまみれた手の平を見つめ、蚊の鳴く程の小さな声でそう呟く正行。
「そう、だよな」
言われてハッとし、俺も声が小さくなる。
魔物がどんな存在であろうとも、正行はあの手で生き物を殺した。
それは変わらない事実だ。
「えっと、ごめんな」
「なんで謝んだよ」
「これは俺が誘った事だからさ」
「お前を責めるつもりはねえよ……」
正行はそう言って、小刻みに震える手をぎゅ、と掴んで震えを無理くりに止める。
俺を責めないなら、一体何を責めるのだろう。この一件は俺が全て原因だというのに。
「たださ。感覚が手に残っちまってんだよ」
「一体、何の?」
「生き物を、殺す時のだよ。当たり前だけどよ」
言われて理解した。
今のはきっと、誰かに向けたものではなく自覚、若しくは自責の念だ。生きているものを殺めたという常人ならば当然備えている倫理観、それが正行を苛んでいるのだろう。
「それは考えても仕方の無い事だと思いますよ、マサユキさん」
「リュートきゅん?」
道すがら話していたらリュートさんがヒョコ、と会話に割り込んできた。
確かにこれは、冒険者になる為に仕方ない事だった。やって良い事かはわからないけれど。
「仕方ねえ事か」
「何せ魔物は人類だけでなく、色んな生き物に仇を成す害悪なんですから」
何人も同じ人を見た、という風に「割り切ってしまうのが一番です」と言い切るリュートさん。
最もな意見だが、今までこの世界で過ごし、数え切れない程の魔物を屠ってきたであろう彼の意見となると、価値観に距離を感じてしまう。
「そんなの頭じゃ、わかっていたつもりだったんだけどな……。へっ、情けねえ」
そう小声で言って、自分を嗤う正行。
リュートさんの言っている事に間違いはない。何せいつか必ず、今回やった事なんて目じゃないレベルの戦場に身を投じる事になるのだから、こんなので動揺していてはられない。
「でもさ、正行」
「どうした? 拓真」
こっそり話す為、距離を詰める。
リュートさんが言っていた事は合ってるし、納得もいく上に理解もできる。
けれど、今の正行には合わない。
「今はまだ、良いと思う」
「どういう……意味だ?」
「難しい事だしさ。今はまだいいだろ」
言われた正行はぎょっとしている。恐らく意味が伝わったのだと思う。
今は良い。まだ始まったばかりなのだからこんな物の見方の話は考えなくたって、なるように進んでいく。実際、俺が棚上げしているものがあっても進んでいるのだから。
「だからさ、今はやめとこう。そらギルドが見えてきた。忙しくなるぜ?」
「おっと、本当だ。この後色々やる事あるだろうしな……そういう事にしとくかぁ」
ニッ、と苦笑交じりに「俺らしくもねえ」と言うと、ギルドへ駆け出し一番乗りに着いたのだった。
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「うっしゃ! これで俺もぼう、けん、しゃ……」
すぅっ、と息が吸い込まれる。
うるさくなるな。
耳塞いどくか。
「だぁぁぁ——ッ!」
受付から戻ってきた正行がギルドカードを天に掲げ、鬨の声を上げている。
ゲームやラノベでよく見る、ファンタジーの世界観に憧れてきたアイツにとってはこれ以上にない「異世界へ来た証」になる物だろうから、喜びの度合いは推して知るべしだ。
「うっはあー、これでホントにかあ……」
「おめでと、マサユキ。これからは仲間としてもよろしくね?」
「お、ちったあ受け入れくれたか? 勿論よろしくされるぜ?」
サナから差し出された手を握り、歯を見せ、痛快に笑う正行。
これならただの気のいいニイちゃんに見える。そのままで終われ。終わればいいんだよ。
「つーわけでこっちからもよろしく頼むぜえ、サナたん?」
「た、たん。まあ、うん。えっと、よろしく?」
知ってた。
こら、手をブンブンするんじゃない。笑い方に少し気持ち悪いのが混じってる。どうして自分から好感度を落としてしまうんだろうか、あの萌え豚は。
「まったく、さっきまでのシリアスはどこへ行ったのやら……」
「その通りだ。これから戦うってのにろくに装備も揃ってねえ。冒険者舐めんなよォ?」
「本当にな。このままじゃろくに戦闘もでき——」
あれ、今の声あんまり聞きな慣れないような?
けど、何処かで聞いたような声でもある。威圧感があって、何となく腹立つこの感じは覚えがある。
「よお! オメエら元気にしてたかッ?」
「アンタは……!」
振り返るとそこには短い黒髪に、黒い皮鎧。そして光ってるように錯覚する程に鋭く紅い瞳の、受付に不向きな凶悪な人相の人物が一人。
何より、コイツが意味もなく突然殴ってきた事は忘れもしない。
「ムロウスかあ……」
「ハハァ! 覚えててくれたか小童ァ!」
「嫌でも覚えてるよ、この暴力受付め。あの時の事は忘れやんねえからな?」
「ほお。吹くじゃねえかァン?」
オリジナル笑顔を浮かべるムロウスが「ヤルか?」と挑発してくるが、サナが相手だぞとすっぱり流しておく。
正直、コイツの相手をしていたらいつ怪我をするかわからない。サナの治癒魔法も魔力を消耗するので、なるべく使いたくないからスルーが一番。
「まあそうツレねえ態度すんなって。俺が言いてえのはこんな事じゃねえんだからよ」
「へえ。アンタが理性的な事言うなんてな」
「オイオイ、ギルドのサブリーダーだぜ? たまにゃマジメなことも言うさァ」
そんなこれまでの言動から嘘か真かわからない事を吹きながら、ムロウスは声のトーンをグッと落とし、無表情になって続けた。
「正直に言う。お前らさっさと装備整えろ。見てるこっちが心配で仕方ねえ」
「うっ。そいつは確かに……」
ついさっき同じ事を指摘されたが、重みが違う。
言い方や表情が違うのは勿論だが。
「こっちもな、労働する側のお前らに死なれると困んだよ。わかるよな?」
「ぐうの音も出ない……」
「あなたに最もな事言われるのは癪ですが……」
何よりこちらの心配と、労働力的な意味での話をされては返す言葉もない。
現状俺は元の世界での普段着だし、正行は全身に皮製の防具を身につけているが借り物だから同じ。唯一防御性能がありそうなのは、魔法陣の装飾が施されているローブを纏ったサナだけだ。
「ほんとは私が用意できれば良かったんだけどね。正直を言うと、受け入れてくれるって想像してなかったものだから」
「過去の事ほじったってしょうがねえよ。どうにかする方法を考えようぜ」
俯いてそう言うサナに、正行が肩を軽く叩いてそう言う。
しかし装備品か。この世界に来る前はそんな事を考えていたが……どう用意しようか。
「何か役に立つもの……無かったかな」
所持しているボストンバッグを漁る。
ライター、服や下着類、靴下、ハンカチとティッシュ……日用品ばかりだな。ほんと旅行にでも行くかのような荷物で役に立ちそうなものは一見ない。
「おい拓真、それは」
「包丁だな。魔物とかに備えるのに持って……」
顔に「何でもっと早く出さなかった」と書いてあるような表情の正行と目が合い、俺は固まった。
これぞ灯台下暗し。コイツを連れきたように装備も元の世界で使える物があるかもしれない。
「よし元の世界に戻ろうか。頼むよ、サナ」
「話は聞いてたけど、何も知らずにというのはちょっと危ないよ?」
行動を起こそうとする俺達をサナは制止する。
ここで止められる理由は、話の筋から察せる。
「この世界と元の世界の文明の違い、或いは差。これが邪魔するんだろ?」
「当たり。具体的に言うと禁則事項、という神々が大賢者へ与えた罰がきっかけのものよ」
頷き、肯定される。
俺の予想と、サナの答えで大体わかった。
多分その大賢者って奴が元の世界から色んな文化を輸入してきて、そのせいでこの世界の文明が発展しすぎたか、何かの理由で壊れた。そこで神々が二度同じ事を繰り返さぬように定めたんだろう。
「んじゃあその禁則事項、てのに気をつけりゃ持ってきても良いんだろ?」
「そうね。何かまずそうなのあったら言うよ」
肯定しながら、サナは立ち上がって外の方を向いた。そういえば召喚魔法は室内で使うのってまずかったな。
「じゃあ、帰ろうか」
「もう帰るのか小童」
「そうだな、元の世界に用が出来たもんで」
「わかった。道中気をつけろよ」
そう別れを告げて、ギルドから外に出てサナに召喚魔法を使ってもらった。
「この者達を我が望む場所へ送りたまえ!」
外に出てみればもう陽が傾き、夕暮れ時だ。
夕日をバックに行われる召喚魔法はオレンジの陽の光で反対の色の光のが灯り、映える。
「セデムッ!」
瞬間、視界が歪む。
意識が徐々に薄れ行き立っているのが辛くなってきた。これには、抵抗するのではなく、身を任せれば早く転移できるから今は。
「んごっ……」
おいおい寝るの早いよ正行。
あ、俺も、もう意識がもたな、い……
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「んおおぉぉ……」
うるせえ。
意識が醒めたら、おっさんみたいな寝息がしてるって寝覚め悪いなおい。
「なんだこれ……」
しかも背中が重いぞ。
何か乗ってる……
いやここまでの経緯からして。
「邪魔だあぁーっ!」
「んごっ!?」
大声を出したら、寝息の主は起きた。
そして同時に眼が覚める。
「おい正行、どいてくれよ……」
「おおわりぃ、わりぃ」
周囲を見渡す以前に、俺に正行が乗っているようでは行動が起こせないから退いてもらう。
「ここは……」
「お前の家の庭だな」
「そうだな。特に変化は無い」
ついでにお互い異常がないか確認し合う。
顔色、目の色、髪色、その長さ、身長。異常は見当たらない。
「大丈夫、問題なさそうだ」
「俺もだな。しかし……周囲の建物が明かりが少なく、肌に当たる空気、それと直近でこの世界に居た時間からして、今は多分深夜だな」
正行の推測に頷き、肯定する。
俺も丁度それを思っていて、時間からして持ち出しを手早く済ませたいと思っていたとこだ。
『二人共、聞こえる?』
「「おっ?」」
と、思案していると目の前の空間が歪みサナの胸像と、背景に異世界の街並みが映し出された。
こんな魔法が使えるなら初めから使ってくれという突っ込みはさておき、こちらからも向こうの状況がある程度わかるのはありがたい。
『こっちから見るに、そっちは今深夜だよね?』
「そうだな。深夜だから気をつけようって話は今さっき終えた所だぞ」
『あっ、そうなんだ。えーとじゃあこっちから話すことはっと……』
どうやら話そうとしていたネタが被ったらしく、サナは暫らく人差し指を顎にあて、思案した。
『あっ、そうそう、私は移動しながらそっちと話してるから何かあったら言ってね。落ち着くのにちょっとかかるから』
思い出したか、今思いついたような事を言った。
ありきたりだが、状況報告は大事だからな。そんでもって、向こうは多分落ち着いてナビゲートする為に帰宅途中といった所だろうか。
「何かあったらすぐ報告な。りょーかい」
「こっちも承知した。んじゃ早速報告だ。今から俺の家に行くからな」
「はっ?」
唐突な正行の報告に素っ頓狂な声が漏れる。
特に相談もせずに即報告とは……幼馴染とはいえ、これは理由を聞かねば行動できん。
「おい、お前の家に行く理由はなんだ?」
「んあ? 状況を見ればわかるだろ」
なんて仕方ないな、ていう感じでゆるゆると首を振って続ける。
「お前のボストンバッグには、生活に必要なモンやライター、そんでもって包丁なんかが入ってた」
「ああ、入れてたな。まるで旅行だよなあ」
「まあそこはそうだが、お前なりに精一杯異世界で使えそうな物を探した。なら収穫はお前の家より俺の家の方が多い可能性が高い」
前言撤回。
このまま行動して大丈夫だった。
『二人共、これから正行の家に行くんだね?』
「ああそうだ、そっちも落ち着き次第連絡頼む」
サナからの確認を肯定し、正行と頷き合って家の庭から出る。
潜入ではないから、特に声を出さないようにする理由もないのだが。
「……暗いな」
「だな。暗いし、寒い」
何せ深夜なものだから、何となくそうなる。
周囲は街灯も少なく、交通人や車の通りがないから閑散としている。
「早く行くか」
「そうだな」
この会話を境に喋る事なく、日頃深夜に出歩かないから慣れない深夜の元の世界の道を歩いた。




