第一章 第十一話 はじめてのたたかい
滴る血。
血走る目。
削がれた白い毛。
〈メェ〉
見えるのは。
毛のない肌と剣か何かで切りつけられた痕。
〈メッ……?〉
傷のない部分のが少ないぐらいの危険を体現したかのようような様相に、頬から汗が流れる。
「ひっ」
汗さえも奴の気を引いてしまう。気がする。
怖い、怖くてしょうがない——
「はーっ、はっ……はぁっ」
俺はどうすればいい?
どうするのが最適解?
まだ誰も気づけてない脅威がすぐそこまで迫っている。手負いの獣は命が危ない分、凶暴になってるのは俺にだってわかる。
「どうする、どうする」
何かしなければならない。
俺が行動を起こさないと、周囲へ知らせられないのは理解できる。
けど、そうすれば俺はあの羊に一突きにされてしまうかもしれない。だから動けないし、ろくに喋れない。
「考えろ、考えなきゃならないんだよ」
思考が焼け付く。
喋れないならリュートさんに触ればいいだとか、サナにテレパシーらしき何かが奇跡的に通じてくれるだとか。
「くそっ」
机上の空論は悪いのも、いいのも湯水のように沸いてくる。けれど、実行できるのはその内一つだけで実行できても俺の体が思うように動いてくれるかもわからない。
〈メ?〉
そう繰り返す思考の中。
奴が、こっちを向いていた。
「あっ」
羊は——?
〈メエ!〉
視線を外さない、外してくれない!
前足で地面を蹴り、土煙を上げ始めている。
「ひぃっ!」
突っ込んでくる……!
まずい、バカ!
さっさと声を上げればひょっとしたかもなのに!
どうして俺は追い込まれると頭で考えちまって、体がこうも動かないんだ!
「ンメメェェッ!」
そらもうさっきまで姿が見えてたくらいのをはっきり目が見えるぐらいまで来てる!
全部俺のせい。俺がまたしくじったから。どうして詰めの時いつも、いつも……!
「っ!」
刹那。
背中を炙られた感覚が走った。
出所に目をやる時間は無い。思考ばかりが先回りし、体が追いついてくれないのだ。
「この」
羊の背後。
赤い影がある。
「畜生が——ッ!」
否、赤に黒が混じっている。
影は、暴力に見えた。それ以外に表せない。
赤黒い爪の形をした暴力を煮詰めたような力が三つ、そこにある。
〈ンメエェエエェッ!?〉
振り下ろされる。
肉が裂かれ、骨が砕ける音、噴き出す血の臭い。
僅かに遅れて響く断末魔。
一つを除きそのままを表す言葉以外で形容するのは無理。何せ、生で聞いた試しがない。
「うげえっ」
ただ、ひたすらに心が痛い。
おまけで非常に気分が悪くなった。
「フー……!」
爪を振り下ろしたのはリュートさんだった。拳から太い鉤爪状で、赤黒い光が伸びている。その太さ、鋭さはまるでドラゴンの爪のようだ。
「ご無事ですか!?」
「身体は……なんとか」
リュートさんは急いでこちらへ駆け寄ってくる。
もし彼が動いてくれていなかったら、俺は。俺達はきっと今頃……
「本当に、ありがとうございます!」
「これも職務ですから。礼には及びません」
深く頭を下げたが当然の事をしたまで、と血に塗れた手を振るいながらそう言い、続けた。
「初心者の方が、不運にも手負いの魔物に遭遇し、怖くて動けずそのまま……という例も少なからずあります。助けれただけ、ね」
「そう……なのですね」
「それに、ああいう魔物は初心者の試験として適しません。むしろ僕の不手際までありますから!」
なんて言って、苦笑するリュートさん。
これは、裏を返せば今回の件は自分のせいであって気にするなって言っているようなものだ。気づけなかった俺が本来咎められる場面だが……
俺がその程度だって事でもある。温情は甘んじて受け取ろう。
「さて、トラブルもありましたが討伐対象になるイッカクシープを探しましょうか!」
「はいっ!」
暗くなりつつある雰囲気を切り替えるように、本題を持ち出すリュートさん。
何か違う気もするが早いとこ試験を終わらせて戦士に……
「ひっ、ひぇっ、なんだ今の! なんだあれ!?」
血やミンチで塗れた門の隅っこで、縮こまって座り込む誰かさん。そーいえば今回って確か。
「あっ……」
「あー……」
「正行、ごめん」
その場にいる誰も彼もに忘れ去られていた今回の主役に、皆揃って謝るしかなかった。
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「うぉぉぉおぉぉーッ!」
イッカクシープはこのブライト国において最も数が多く、こちらから攻撃しない限りは何もしてこない為初心者を試すにはにもってこいな魔物である。
「はーッ!」
しかし大人しくても魔物は魔物。
追い詰めれば凶暴化し、鋭いツノを活かして攻撃を仕掛けてくる。下手すれば致命傷に至る。
以上のことから、なるべく凶暴になる前に討伐してしまいたい。また凶暴になった場合は背後への警戒が疎かになる傾向がある為、ここを突こう。
「ふむう。ありがとうございます」
「いえいえ、また何か読みたかったらどうぞ」
リュートさんに読ませてもらったイッカクシープに関する羊皮紙の資料を返す。
汚れた服はサナの魔法でどうにかなった。本人はかなり負担がかかったらしく、俺へ送られてくる例のお湯みたいな魔力が恐ろしく多かったが。
「んー……のどかだなあ」
試験は門に突っ込んできた羊を片付けた後、本来行う予定だった草原で行なっている。
因みに単独で討伐するのが目的だから、助言含めて一切の支援をしてはならないそうな。歯痒い。
〈メッ!〉
「いって! やるぉー……やったなテメエ!」
なので、俺達は何もせずに正行が討伐し終えるのを遠巻きに見守るしかない。
だが、きっと大丈夫。動きが明らかによくなっている。初っ端で手負いのを見た上に、全身に肉片をぶちまけられたから最初は渋々で鈍かったものの攻撃を回避されたりする内、腹が立ってきたらしく、槍の矛先が首筋や胸を捉えている。
「リュートさん、見るからにどうです?」
「悪く無いです。あのまま行けば大丈夫ですね」
声が遠耳に聞こえるぐらいに居る正行を見つめ、リュートさんはそう述べる。
因みに正行の得物は槍。剣と迷っていたが、現実的に考えたら「斬る」という動作がしんどそうだから、こちらにしたそうな。
「タクマ、正行が!」
「ん? おお!」
なんて話し込んでいたら、サナが袖を引っ張ってきたので何かと思うと、正行がイッカクシープの懐に潜り込んでいた。
まだかかると思っていたが、このまま槍を刺せれば一気にいけるか?
「頑張れ、頑張れ正行!」
固唾を飲み、槍を手前に引いて、刺そうとする正行を見守る。
あのまま深く刺されば間違いなく致命傷。いける、倒せる……!
〈メッ?〉
槍が勢いよく懐に刺さった。
刺されたイッカクシープはそれに気づけない。
ただ、痛みに疑問を浮かべるのみ。
「勝った」
そう読み取れる口元の動きとともに、槍がより深く刺され、大量の血が草っ原を汚していく。
それをきっかけに動きが鈍くなったのを確認した正行は槍を勢いをつけ、抜いた。
「これがおとなしい魔物ねえ。空恐ろしいぜ」
誰に対してでもない愚痴を無表情で言い放って、真正面に立ち、槍を振り上げて——
「トドメだ!」
脳天に思いっきり突き刺す——!
即座にその場から身じろぎし、渾々と噴き出す鮮血を避ける。
〈……ッ……ェッ〉
槍を刺されたイッカクシープは体を震わせ、パクパクと口を動かすのみだ。
正行はあの資料を読んでいないが、凶暴化する前に討伐することができて良かった。
「終わったぞー。アレ凶暴じゃないって嘘だろ?」
後ろ手に倒れるイッカクシープを指しながら、皮肉めいたことを言う正行。
俺も同意だ。件の手負いの状態や、鋭い一本角。これからあんなのを相手にすると考えるだけでも膝が笑ってしまう。
「ま、倒せて良かったぜ! これで俺も戦士の仲間入りだろ、リュートきゅん?」
言いながら歩み寄り、リュートの肩を掴む。だからそういうところだぞ、と言いたいが明るく振舞っていても疲れの色が顔に出ているのがわかる。
視線を合わせないリュートさんには悪いが、今は突っ込まないでおこう。
「え、ええ……ごう、かくですよ」
「よっしゃあぁぁぁー!」
「オメデトウゴザイマス」
鬨の声をあげる正行に対し、癒し扱いされている人は微妙なリアクションだ。
しかし、これで正真正銘、正行は戦士クラスの冒険者になったから共に冒険できる。
「良かった、本当に」
イキイキしている正行を見て本当にそう思う。
職場での話はちょくちょく連絡を取っていたから知っているが、どれも愚痴ばかりで何とかならないかと思っていたのだ。
そこで条件が役満であるこの世界に連れてきたが……この分なら上手くいってくれて良かった。




