序章 第二話 夢現なままに
意識が醒める。
まだ眠気が酷く、目を開けられる気はしないが、意識は生きてるからか、背中に服越しに硬い板のような感触がする。木製の床だろうか。
「おきよ……。げん」
声がする。渋みのある低い声。
同時に、力強くさも感じられ、どことなく威厳を感じる。
「すぅー……」
深く息を吸い込む音がした。
まるで今から叫ばんとするかのように。
起きた方がいいか?
でもまだ眠た……
「起きんか、このねぼすけがぁー!」
「ひゃーっ! すっ、すいません!」
「全く! わしを目覚ましにしようとは全く! 中々に肝の座った人間じゃ!」
なにすんだこのお爺さん!
あーもう耳がジンジンする。
白髪で髪と同じ色のやたら長い髭で、シワシワ。もういかにもお爺さんって感じなのにやたら元気が良いのはどういう……まあ、そこはいい。
「ここは、どこだ……?」
無機質な印象を受ける部屋を見渡す。
木製の床と壁、家具は目の前のちゃぶ台のみで、壁に窓やドアは見当たらず、殺風景な光景が広がるのみで特別目につくものはない。出入り不可なのが殺風景さも手伝って不気味に思える。
「部屋のなのは、間違い無いけど……。ちょっと怖いなあ、ここ」
「監禁部屋か何かと思わせてしまったらすまんかたったのう。ここがどこかはさておき、先ずは自己紹介からするからの」
「はあ……。お願いします?」
お爺さんはそう言って軽く頭を下げ、続ける。
「わしは名をルオマ。カミを生業としておる」
「はっ、へ? カミぃ?」
「うむ、カミじゃ」
「それはもしかして……崇められたりとか?」
「そうじゃな、人々に願われたりだとか、たまに叶えてやったりだとかするカミじゃよ」
なるほど神様か。
確認をとったら本人の言ってる事とは合致しているから合ってるはず。
けど、神様なんて言われた所でホイホイ信じられないのが本音だ。口では本人の意思を汲むとしても内心では半信半疑で留めておこう。
「じゃあ、ルオマ様。僕は聞きたいことが山のようにあるわけですが、お答え頂けますね?」
「多少は聞くつもりはあったが山のようにか……」
「いやいや、突然来させておいて渋るのはどうかと!」
さも面倒そうに苦い顔をする自称神様だが、答えてもらわなきゃ困る。
突然強烈な眠気に襲われて目が覚めたら窓一つない、家具もろくにない部屋に知らないお爺さんと二人っきり……。このお爺さんに聞きたいことは山のようにあって然るべきだ。
「まあよかろう。何が気になるか言ってみよ」
「そうですね、先ずは……」
言いながら周囲を見回す。
どこかの部屋だろうって予測はつけてたけど、あんな怪奇現象の後だ。ここがどこであってもおかしくはないはず。
「ここがどこか。それが知りたいです」
「夢の中じゃな」
「夢の中ぁ……?」
また随分ファンタジーなことを……。
流石にそれは信じられないね。
「いやあ、ルオマ様? 夢の中はどう考えたっておかしいでしょうよ……」
「そう思うならここに来るまでお主の身にあったことを思い出してみるがよい」
「僕の身に起こったこと、ですか……」
何があったかな。
色々あって身動き取れない状態で、突然出現した魔法陣の光に包まれて眠気に逆らえずに寝ていた。
最後の記憶で眠っていたから、ここが夢だとしても辻褄は合ってはいる。起こった事はかなりおかしいし、自称神なのも手伝って相当に胡散臭いが。
まあ話が拗れてもいかんし、とりあえず話を合わせていこう。真偽はともかくとしても頼れるのが目の前にいるこの人だけである以上、へそを曲げられて情報を出し惜しみされたら困る。
「おかしくはないですけど……。ここが夢の中として今の僕は一体何なんですか?」
「意識或いは精神じゃの。本来このように意識と体が乖離して動くことは有り得ぬが、わしがちと無理に成立させておる」
「ほおー。意識がはっきりし過ぎて自覚湧きませんけど。そんな事があるもんなんですか……」
精神と体が分かれて動く、か。
想像がつかないし、受け入れられないが状況が状況だ。そもそも本題ではないだろうからそういう事にしてここは話を進めてもらおう。
「僕が気になるのは帰れるかなんですけど……」
「ああ、その話なんじゃがの。ちと事情があってのー……。訳を聞いてもらっても?」
突然低姿勢になった神様は手を揉みながら、下手くそな作り笑顔を浮かべてそう言った。
この感じ、ろくでもない裏があるのは間違いなさそうだ。
「まあお願いします。聞かなきゃ始まらないでしょうしね」
「おお、物分りが良くて助かるわい。ではちと話を組み立てる故、しばし待たれよ」
そう言って、ぶつぶつと何事か呟きはじめた。世界、だとか常識、だとか今まで、とか。ちょこちょこ物騒な事言ってるのが気になるな……
「ううむ 」
「どうされました?」
「考えてみれば唐突にして過酷。さらに常識の範囲外の話での。どう言えばよいか……」
腕を組み、眉を寄せるぐらいには話の順序を考えていたらしいが、おかしいと自覚があるのか説明する相手に匙を投げやがった。
こういう説明にこそ神様っぽいところ披露してくれよと言いたい所だけど、今は我慢しておく。
「ありのままをお願いします。後々理解できてない部分がある方が、厄介です」
「そうか? お主がそう望むならばありのままを語るが、荒唐無稽な話になるぞ?」
「聞いてみないと、何とも言えませんし」
「ふむう。ならばそのように語るとしよう」
おほん、と咳払いをして言葉を選んでいるのか何事か小声で呟いた後口を開く。さて鬼が出るか蛇が出るか……。
「このような状況に陥ったのはお主が今まで居た世界ではない別の世界に行こうとしているから、じゃよ」
「——はっ?」
俺今何て言われた……?
言われちゃいけないこと言われたよね。
世界が? 別の? 行く? お主が?
えーと……。
「ええい、しっかりせんかあぁぁぁい!」
「はぅふっ」
「やれやれ、あまりの衝撃に理解を拒んだか、もう一度言う。お主は今まで居た世界とは違う世界に行こうとしておる。もう理解できるか?」
「えっと……。きっと」
呆然としていたところに脇腹に手刀を入れられた。理解不能すぎてぼうっとしていたようだ。
取り敢えずは言われた言葉を少しずつ頭で整理し言葉を呑み下していく。
お主が今まで居た世界とは別の世界に行こうとしている、か。なるほど。
待て待て……!
おかしいだろうが。要は異世界転移させるよって言われたようなものじゃんか。断固拒否せねば。
「すいません、言葉の意味自体は理解はできるんですけど受け入れるがまだ……」
「ううむ、そうなるか。参ったのお」
理解はできたが、そんなリアル超展開について行けるような順応性はない。
参ったとおうむ返ししてやろうか!
「異世界転移って土地勘無し、知識無し、言語通じるか不明、常識違いまくりのわからんパラダイスに放り込むようなもんですよ……?」
「そこは認めるがのお……」
申し訳なさそうに俯く自称神様。
ちっ、こうなったら嫌味の一つでも言ってやる!
「あなた神様なんですよねえ……。なら何とかしてくださいよぉっ!」
「すまんが異世界に召喚されるのも重要じゃが、もう一つ厄介ごとがある」
「ええ……。まだあるのかよ……」
「あまりお主にとってはいい報せではない。ほれ、あそこを見るが良い」
自称神様が指差した箇所は何もない虚空だった。
しかしそこには黒い亀裂が入っており、モヤが漏れ出ていてどこか不穏さを感じさせる。
「なっ、なにあれ」
「空間のヒビじゃ。もうここは長くは保たん。それから先の質問についてじゃが確定した事でわしでもどうしようもないのじゃ」
「そんなぁっ!」
異世界に飛ばされて生活環境が滅茶苦茶になる上に唯一知識を持っていそうなこの人とはあまり話せない。お先真っ暗じゃないか!
_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆
「異世界から元の世界は帰れるんですね? ほんっっとーにそうなんですねっ!?」
「ええい、そうじゃと言うておろうがぁ!」
「異世界の住人が牛頭とかトカゲ頭でもないし、便を外にポイするようなガバガバな衛星概念でもなく、魔法は僕にも使えるし、意思疎通も可能なんですよねっ!?」
「だからそうじゃとさっきから言っておろうに! 摑みかかるでない、鬱陶しい!」
時間が無くさらに異世界に飛ばされるのが確定し、当然の帰結ながら自称神様を質問責めにした。
この人はこんな風に疑惑を否定してるけど、初対面である以上疑いが拭いきれずすっかり押し問答になってしまっている。
「大体ここまで全く神様っぽいところ見れてませんし、そもそも異世界に行くっていう話もほんとなんですかぁ?」
「むっ、神に向かって不敬な……! と言いたいところじゃがあまり信仰の深くない環境で育った以上無理もないかのお」
「異世界に関しても実際に見たこと無いですし信じろっていうのが無理な話です!」
俺はふんす、と鼻息を荒く吐いて念を押す。
まあ夢の中なのに意識はっきりしている不条理な環境下に置かれてるわけだし実はあるんじゃないか、と思う自分も居るが。
「ううぅーむむ……。それを言われると弱いの。そうじゃなあ」
自称神様は痛い所を突かれたと言わんばかりに狼狽えて頭を抱えた。
「——そうじゃあっ!」
と思ったら、すぐに何か閃いたようだ。さてどんなぶっ飛んだ案が飛び出すやら……。
「お主は先ず目を瞑れ。そうしたら数を数えて指を鳴らす。もし指を鳴らして何も起こらなかったら神を名乗る狂人とでも思えば良い。しかし——」
「しかし?」
悪辣に口角を上げて笑み、続ける。
「指を鳴らした後毛先が青い白髪で、青いワンピースに身を包んだ、お主と同じ年頃の少女がおる部屋に居たのなら……」
「居たのならば?」
「わしが神である事と、着いた場所が異世界であるとを信じてもらおうかの」
一瞬何の話だと思ったがこれは多分賭けだ。
今語ってきたのは察するに、俺が異世界に到着した時の状況で、それらが当たったら信じるしかないだろって訳だ。
「わかりました、乗りますよ」
「では早速」
指示通りに瞑目する。
視界が暗転し、自分の脈と息それから自称神様の気配、ピシピシという空間のヒビが広がる音のみが暗闇の中でする。
「さん——」
最初のカウント、ちょっと緊張してきたな。
「にい——」
二つ目のカウント、ぞくぞくしてきた。
「いち、ぜろ!」
「あっ、ちょっ……」
ぱちんっ……
「ずるいぞ」と抗議の言葉を出すこと叶わず、俺の意識は暗闇のままに落ちていった。
_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆_☆_
「……」
意識が醒める。
服越しに板の感触、床だろうか。つまり仰向けに寝転んでる状態だな。
「う、くうう、ううっ……」
追って目が覚める。
知らない木の天井。ぶら下がっている火の灯ったランタンが周囲を柔らかく照らしている。でも部屋が薄暗いという事は、今は夜なのだろう。
「ここは——?」
仰向けのまま周囲を見るとさっきの部屋とは違い窓もドアもあり、家具も種類が多く生活感がある。
「よいしょっ、と」
一通り確認はできた。
気が済んだから重たい体を起こす、と
「こんばんは。こんな時間にごめんなさい」
目の前に毛先の青い白髪を側頭部で束にして垂らしている、青いワンピースを着た俺と同じくらいの年の少女。
「どしたの。黙り込んじゃって」
それが視線に合わせて屈んでこちらを見ていた。
あまり見かけない髪色と原色の青のような目の色が不思議な印象を受ける。
但し、この要素や整った顔立ちはあるが、目尻は垂れてるし、血色も悪く不健康そうに見える。可愛いとは思うが、特別そうかと言うと首を傾げる。
まあ少女の印象はさておき、この状況は……
「ほんっとーに異世界転移しちまったてわけかあ……」
「その通り。で、私があなたを召喚したの。サナ・フロウって名前よ」
サナと名乗った少女が差し出した手を取って立ち上がる。
自称神様……。いや神様の言っていた通り意思疎通は可能なようだ。
「早速なんだけど、あなたの力が必要なの。付いてきてもらっていいかな?」
「勿論いいよ。ただ一応何するかは聞いても?」
「何をするか、か……」
問いかけに影を落としたかのように表情を曇らせ続けた。
「贖い……」
「あがない、か」
「何をしたかは聞かないでくれた方が嬉しいな」
「そう……なのか」
刹那、酷く迷う。
追求すべきなのだろう、本来ならば。
けど「聞かないで」と言った共に見せた下手な作り笑顔の奥に悲哀の感情を感じてしまう。
「わかっ、た」
「……いい人ね。それじゃ行きましょう」
「ああ、行こう」
これでいい、本人が望んだ事なのだから。
それでもサナの隠し事が気になり陰鬱な気分の中、部屋を出て居間を抜け玄関へとやってきた。
「ところであなた、靴履いてないけど」
「えっ、靴?」
何気ない指摘に足元を見る。なるほど確かに裸足だ……。そういえばここに来る前って自宅に居たよな。
という事は。
「ここに来る前家だったもんだから靴持参してないぞ俺……!」
「あっ」
その後部屋に居たのにうっかり呼び出してしまったのを思いっきり謝られ、曰く父親のものらしい俺の靴のサイズより大きいものを履く羽目になった。