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闘争—自動販売機—

逆襲の自動販売機

作者: 土井留ポウ

        !!!!注意!!!!


この作品は、『急襲の自動販売機』の続編であり、未読の方は、まずそちらを読むことを強くお勧めします。

 病院に着くと、守衛が取り次ぎに来、すぐに建物裏手の救急外来に車を誘導された。

 待ち構えていた医師やナースによってチンピラは担架で運ばれていった。医師によって身元を問われた音川は、アパートの下の階の住人で名前は知らない、と応じた。

 何があったのだ、と問われ、自動販売機に襲われた、と言おうとしたが躊躇った。医師が不審そうな目で音川を見たので、音川は正直に、自動販売機に襲われた、と言うことにした。

 すると更に医師は不審な顔つきをした。


「警察を呼んでください」


 音川は言った。

 医師は頷いて、警察へ連絡しに廊下を歩いていった。


「…ちょ…ちょお」


 後ろで吉田が音川に呼び掛けた。


「…あんな、俺、携帯持ってくるわ」


 吉田はソワソワとして音川にこう言った。


「え?」


 何故、と音川は一瞬思ったが、すぐに察した。


「また、戻ってくるし…」


 そう言って吉田は不安そうな顔で廊下を引き返していった。


 本当に戻ってくるのだろうか…


 音川は廊下の暗がりに溶け込んだ吉田の後ろ姿を見送った。









 公園に打ち捨てられた原付バイク。

 凹んだ金属バット。

 ぶち破られたガードレール。


 事件であろうか。あるいは何らかの事故か。


 パトロールしていた一人の巡査が自転車から降りて、川を覗き込んだ。

 川底に四角い鉄の物体が遺棄されてある。その周辺には缶飲料やら虹色に輝く奇妙な丸いものが散乱していた。


「何があったんや…」


 巡査は一応本部に連絡した。

 ふと上空に何かの気配を感じて見上げた。それは凝っとこちらを見つめているような不気味さが感じられた。


「UFOや…」


 つい巡査が言葉を漏らすと、本部から、


「え?」


 と問い返された。

 巡査は言うべきか言わないべきか一瞬悩んだが、報告することにした。


「UFOらしきもの発見。何か上空に奇妙な発光体が二つあります」


 と見たままを報告した。


「何!UFO?UFOだな?」


 本部は巡査に確認を求めた。


「UFOであります」


「…了解。分かった」


 本部の方でも戸惑いながら返事がなされた。


「発光体は移動している模様。東の方角へ向かっています」


 巡査はそのままの流れで報告を続けた。







 音川はまんじりともせず、長椅子に座ったまま、ぼんやり周囲に光を投げかける前方の自販機を見詰めていた。精神が高揚していた。死にそうな目に遭ったんだ。でも、もう大丈夫だ…


 あの恐るべき自販機は倒したんだ…


 だが妙な胸騒ぎがしていた。


『2437年…日本…いや世界は滅び…自動販売機の帝国が築かれる…』


 トノシマが最後に言ったあの言葉が思い出された。

『未来を変えてくれ…』


 そんなこと、この俺に出来るのか…?


 音川は前方のただ人間の便宜のために作られたに過ぎない四角い物体を睨んだ。


 こいつらが世界の覇者になるなんて…


 その時、廊下向こうのナース室から悲鳴が聞こえた。

 音川は顔を上げ、何事かとナース室へ向かった。ナース室からナースが飛び出して来、音川を見ると抱きついた。震える手でナース室の中を指差した。

「ててて…テレビ…」

「え?テレビ?」

 音川はナース室の中に入った。

 テレビを見ると、何やら近未来的な鎧を着た男が映っていた。煤けた顔に汚れた日の丸のハチマキをしていた。


「やあ、音川君。久しぶりだね。いや、君の方ではまだ二時間ぐらいしか経っていないか…」


「その声は…!」


「左様。元日本政府情報局長トノシマだ」


「生きていたのか…」


「うむ。こうやって合間見えるのは初めてだね」

 そう言ってトノシマは傷だらけの顔に笑みを浮かべた。


「連中が君を抹殺しようとした真の目的が分かったよ。我々は今、反乱軍を組織しているのさ。その反乱軍のリーダーが誰だか分かるかい?」

 トノシマは不敵に笑った。


「それは何を隠そう君の子孫だったのだよ。彼らは早くから世界がこうなることを予期して密かに暗躍していたのさ。私は彼らと会った時、涙が止まらなかったよ。彼らのおかげで世界は盛り返しつつあるん…っく!」


 テレビの向こう側が大きく揺れた。砂煙が舞っている。

「大丈夫だ。今、激戦の真っ最中なんだよ。それよりも君に再び危険が迫っているんだ。いや、もはや君だけではない!吉田君、更には竜崎君にも…!」


 テレビの向こう側でトノシマの背後に小型金庫ほどの自販機が浮遊しているのを音川は見た。

「わあ!トノシマさん、後ろ!」

 音川は叫んだ。

「かァアアアア!」

 トノシマは素早い動きでビームのような剣を抜き、小型の自販機を一刀両断した。


「聞いてくれ音川君。もはや君だけの問題ではない!吉田君、更には竜崎君にも危険が迫っているんだ。音川、吉田、そして竜崎、これが我が反乱軍の御三家なんだよ」


「え?竜崎?誰ですか、それは」


「何!知らないのか!竜崎君はその時代で初めて連邦の刺客J—6000を撃破した武人ではないか!」

 竜崎というのはあのチンピラらしかった。


「そこは病院だね?記録によると竜崎君はあのJ—6000を撃破した後、相当なダメージを負ったというらしいからね。あれ?吉田君は?いないぞ、吉田君は何処だ?」

 トノシマがテレビの向こうから首を伸ばした。


「あ、いえ、その…携帯を取りに行くと言って…」


「何!別れたのか!」


「ええ…」


「それは不味いぞ…連邦は再び君たちに刺客を送ったのだ。しかも今度は二体だ。先程、連邦の基地の一部を占領しコンピュータを解析したところ、タイムゲイト使用の痕跡が見つかったんだ。二体だ。二体がそちらに向かっ……ジィ……」

 映像が乱れ始めた。

「……ジィ……くそっ……こちらも物資が不足しており……膨大な動力を必要とする……タイムコミュニケイションもそう……何度も出来ない……く……ジィ…………れ…………ジィ……」


 映像が完全に途切れた。

 砂嵐が画面に映っていたが、ひゅんっと突然、通常のテレビ番組に切り替わった。便器にこびり付いた汚れが一瞬で綺麗になる、トイレ用洗剤の威力に出演者が驚嘆している。どんなウンコ汚れもこれがあればバッチリですねえ、と出演者の一人が視聴者の追従を促すようにカメラ目線でこう言っていた。







 吉田は車で国道を真っ直ぐ自らのアパートへと走っていた。


「何なんや、ほんま面倒はごめんやわ…」


 幾分、酔いから覚め、また覚めたことにより、己が息から酒気が漂うのを忌々しく思った。


「何でこんなことになったんや、たまらんわ…」


 ここ最近良いことがなかった。


「職場では先輩の虎の尾を踏むし、彼女には振られるし、やけ酒呷った帰り道は自販機に車凹まされるし、ちんこに缶ジュース当てられるし、飲酒運転で捕まりそうやし、ほんま、ふんだりけったりやんか」


 後ろで何かが転がる乾いた音がした。ぐらついていたナンバープレートが外れたのだろう。衝突で膨らんだボンネットがフロントガラスからの視界を邪魔している。


「おお!俺が悪いんやろ!お酒飲まんかったらよかったって、分かってるし」


 吉田は叫んだ。開いた窓から夜の虚空に向かってその声は響いた。夜中の三時過ぎ、国道にはすれ違う車もいない。


「でも飲まなあかん時とかもあるやん!神様が飲ませたんや!でも、俺が悪ないとは言ってないねんで、そうや、悪いんは俺や!俺なんや!」


 前方に淡い光が見える。ぼんやりと道路の宙空に浮かんでいる。吉田は叫びながら、スピードを落とすことなく加速した。一言で言うと、彼は気付かなかったのだ。それが眼前に迫った時、慌ててブレーキを踏んだが、遅かった。


 激しい衝撃とともに頭がフロントガラスに叩きつけられそうになったが、彼は飲酒運転はするが、シートベルトはしっかり着用する律義者で、すぐに体はシートに戻された。


「またやってもうた…最悪やん…」


 恐々とガラス越しに覗き見ると、淡い光が路面から放たれている。


「あれ?あれは…」


 淡い光の中には、陳列されたジュースやスポーツドリンク、栄養ドリンクなどが窺える。吉田ははっとした。それは仰向けにされた自動販売機であった。


「なんでやねん!」


 周囲を見渡したが、ここは道路上である。自動販売機が設置される場所ではない。とすると、


「あいつの仲間や…」


 自動販売機は動く気配がなかった。凝っと空を見上げるように上空に光を放ち、まるで同胞が味わった苦痛を噛み締めるように、沈黙していた。

 吉田は先程の自販機との死闘の間は気を失っていたので、この後、自販機がどのような行動をするのか知らなかった。自動販売機はボディの上端下端を交互に打ち付け、その反動で徐々に起き上がるのである。

 吉田はどうしようかと迷いながら、車をバックさせ、Uターンさせた。やっぱりこのままバックレようか、動く気配がないではないか、いや音川に報告した方がいいかも、でも今頃病院には警察が来ているのだろうな、などと思案していると、バックミラーに光が反射している。振り返ると、すでに自販機が起き上がり、車の背後でぼんやりとした光を路面に投げかけている。

 吉田は一気にアクセルを踏んで、国道を引き返した。







 音川がナース室から出てくると、廊下の向こうから歩いてきた医師と巡査に出会した。

 医師は巡査に耳打ちすると、巡査は頷いて、音川の傍らまで来た。

「話を聞こう、お宅は何て名前?」


「音川です」


「身分を証明出来るものあるかな?」


 音川は今晩自宅にて自動販売機に襲撃され、そのまま逃げてきたので、財布も持っていなかった、足も未だ裸足のままだったのだ。


「何で、靴を履いていないのかな?」


 巡査は音川を窺う目付きでこう聞くと、更に、


「今、そこの部屋から出てきたよね、そこに何の用があるの?」


 明らかな疑惑の眼差しで、こう付け加えた。あらゆることが説明しづらかった。音川が口ごもっていると、先程のナースがカウンターの向こうに現れ、


「テレビが変だったものですから、あたしが…」


「テレビが変?何が変だったの?」


 ナースも口ごもりながら、

「いえ、休憩中なのでさっきまでテレビを見ていたのですが、急に画面が切り替わったかと思うと、鎧武者みたいな人が、凝っとこっちを見ながら、『音川君はいないのか、音川君は何処だ、君、呼んでくれたまえ』と言われたもので、あたしビックリしてしまって、そうすると、この人が見に行ってくれたものですから…」


 巡査は苦虫を噛み潰したような顔で腕を組み、

「話が見えてこないね。テレビの画面が切り替わって、鎧武者が現れ、それが『音川君を呼んでくれ』と…音川君というのは君の名だね?」


「ええ、僕です」


「テレビに何か細工した?」


「まさか…!違いますよ!彼はAD2437年の日本政府情報局長トノシマなんですよ…あ、いや元ですが。彼は未来のテクノロジーで僕と会話を出来るんです!」


 音川がそう言うと、そこにいた全員が沈黙した。しばしの沈黙の後、「うへっ」と甲高いしゃっくりのような声が巡査の背後で上がった。医師が堪え切れずに笑ったのだ。医師は両手で顔を覆った。耳がさくらんぼのように赤らんでいた。


「違うんですよ!本当のことなんですよ!未来の自動販売機なんっすよ!めっちゃ、ヤバかったんすよ!僕を襲ってきたんですよ!それを、あの竜崎さんが、今入院してる頭割られた人いるでしょ、あの人がやっつけたんですよ!」


 音川の口から今まで固く閉ざしていた言葉が堰を切ったように溢れ出た。巡査はひたっと音川を見つめている。


「しかも、まだいるんですよ!ほんま、こんなことしてる場合じゃないんっすよ!次は二体も来るんっすよ!しかも、僕だけじゃないんですよ、あの竜崎さんも、吉田とかいうやつだって狙われているんですから!あの自販機は飛べるんですよ、絶対、ここに向かってるはずなんですよ!」


 巡査は音川の迫真の表情に少し胸を打たれていた。そして、ここに来る前に見た、二つの発光体を思い出した。それからすぐに無線が入り、重体の患者と不可解な供述をする連れを不審に思った医師から110番が入ったとのことで、この病院に直行したのだが、その時夜空を見上げると、二つの発光体は別れ別れになり、一方は自分と同じ方向に向かって飛んでいたように見えた。


「未来から来た自動販売機が君たちを襲い、一人が負傷した。更に、まだ未来の自販機は二体おり、君たちを狙っている、そういうことなんだね?」


 巡査は音川から提示された情報を整理し、これに音川の確認を求めた。


「はい、そういうことなんです」


 巡査はしばらく沈思し、うむ、と頷くとこう言った。


「少し、署までご同行願おうか」
























 医師たちは暗い顔で集中治療室を後にした。


 運び込まれた時点では未だ患者の息はあり、心電図の波形は弱々しくも波打っていたが、いよいよ止まってしまった。

 医師たちは何度か蘇生を試みたが無駄であった。



 チンピラこと竜崎は集中治療室で静かにも息を引き取った。




















「きゃっ!何あれ!」

 ナースが廊下の奥を指差して悲鳴を上げた。

 暗がりの中、ぼんやりと浮遊する光。それは10メートルほど向こうの曲がり角を曲がり、こちらに背面を向けて先に進んでいる。

 音川は巡査の肩越しにはっきりと見た。それは小型の、先程テレビに映った金庫みたいな自販機とそっくりであった。曲がり角を曲がる際、一瞬こちらを窺うように正面を向けたが、見通しが悪いので左右を確認したのだろうか。その時、電照板の光から浮かび上がったのは、たった一つのサンプル、円形の小瓶、あれはカップ酒だろうと音川は思った。


 一瞬、強烈な緊張感を感じたが、それはすぐにも音川を素通りしていったように感じた。やつの狙いは俺じゃないのか…


 音川は、はっと感づくと同時、走り出していた。


「おい!待て!」


 巡査が叫んで、音川に続いた。


 この先にあるもの…それは集中治療室のはずだ。負傷し意識のない人間を葬るのは簡単だ。あいつが真っ先に狙っているのは、竜崎さんだ…音川は思った。






 自動販売機は集中治療室の前で浮かんでいた。


 扉は引き戸で頑丈そうである。ただし引き戸の中程にはガラスが嵌め込まれてあり、ベッドに横たわる患者を認めた自販機は、ボディを水平に傾け、いわば頭に当たる部分から突っ込んだ。ガラスが割られ、この自動販売機は穴に潜り込むように中に入った。


 駆けつけた音川は息を呑んだ。巡査も信じられないといった顔でそれを見た。


 この小型の自販機はベッドに横たわる患者の上で強烈な緊張感を醸しながら、ボディをやや下方に傾斜させ、あたかもその患者を見下ろしているようであった。


「う…浮いてる…」

 巡査は口をポッカリ開けて呟いた。


 音川は見た。波立たずモニターを横一直線に区切る一本の線を。絶望的な甲高い電子音だけが静まり返った室内に響いている。


 死んでいる。竜崎さんは死んだのだ…


「ああ…」

 音川は呻いた。腰から下が抜け落ちそうになった。張り詰めた糸がプッツと切れて、全身から力が失われるのを感じた。


「竜崎さん!」

 音川は思わず叫んだ。


 その時、自動販売機のボディが小刻みに震え始めた。強烈、いや猛烈な緊張感が音川の全身を駆け抜けぶるぶると電気が走る。その猛烈な緊張感は、室内にある小物にまで伝播したように、天井の照明が揺れていた。


 この自動販売機から感じられるのはとてつもない悔しみであった。涙が溢れるようにその商品取り出し口からカップ酒がぽろぽろと転がり落ちていた。





 仲間の仇を取ることが出来なかったことに対する途方もない慟哭であろうか…





 それは誰にも分からなかった




























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『……何や?……誰じゃ呆け……俺を寝かせろや……体を動かすな…呆けぇ……止めろや呆けぇえ……ちょ…何か落とすな…痛いやろ…止めい…それ止めい!…止めいて…痛いやろ…それ止めいて!それ止めい言うてるやろ!この呆けぇえええええ!誰じゃコラァアアアアァ!ワレァアコラァアアア!だああああああああああああ!呆けぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!』

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 モニターを区切っていた棒線が稲妻の如く脈動を始めた。心電図からの間歇的な電子音が前のめりなぐらいに早鐘を打っていた。


「ま…まさか…!」


 音川は奇跡を見た。自動販売機の発する猛烈な緊張感、竜崎に向けられたその悔しみの電流が、竜崎の魂を暗黒から引き上げ、意識を呼び覚まし、肉体に命の躍動を行わせたのだ。


 自動販売機ははっと驚愕したようにボディを後ろに引いた。竜崎の目が開いている。瞬間、竜崎の両手が伸び、ランドセルぐらいのサイズのこの自販機を掴んだ。


「またお前らやったんか!さっきはよくもやってくれたのう……忘れてへんで!コラァアアア!呆けぇええええええええ!」


 おりゃあ、と自販機は投げ飛ばされ壁に激突し、そのまま下に落下した。ごんっと鈍い音が室内に響いた。

 竜崎は獣のような素早い身のこなしでベッドから転がり起きると、己が心臓の鼓動で切迫の周波を描く心電図のモニターを持ち上げた。高鳴る電子音が焦燥的だ。


「これを喰らえ!呆けぇえええええ!」


 ぼんっと爆発音がし、割れたモニター画面に自動販売機は嵌まり込んでいた。この病院のモニターは未だ時代遅れのブラウン管であった。電極が外れたために、先程耳にした絶望的な甲高い電子音が鳴り響いている。


「ぐう…」

 竜崎は頭を押さえその場に片膝をついた。


「大丈夫ですか…!」

 音川は駆け寄った。無理もない、蘇生を果たしたとはいえ、傷が癒えたわけではないのだ。未だ予断を許さない状況で、立っているのが不思議なぐらいなのだ。


 その時、病院の敷地内に猛スピードで駆け込んで来る車の音が聞こえた。窓の外のロータリーで悲鳴のようなタイヤの軋みを立てて車は止まった。

 ブラインドを上げ、外を覗うと、血相を変えた吉田が車から飛び出してきた。音川は急いで窓を開け、吉田を呼んだ。


「吉田さん!こっち!」


 吉田はその声を聞いて救急外来の入り口へ向かう足を反転させ、音川の方へ駆け寄ってきた。


「やばいことなってるで!あいつまだ生きてるで!僕のちんこやりおったやつや!」


「会ったんすか!そいつは違うやつなんっすよ!二体来てるんです!僕らを狙ってるんですよ!」


 病院の正門前で絶叫が上がる。


「何じゃ!お前!」


 ゆっくりとほの白い光が正門からこちらへ近付いて来る。ロータリーの真ん中に建てられたオブジェ様の外灯に照らされた四角い物体と、それを追いかける守衛の姿。


「待てえ!何じゃお前は!」


 守衛はそう言いながらも手にした警棒でこの四角い物体を後ろからビシッバシッと殴っている。

 すると、おもむろにこの四角い物体は振り返り、ふと上体が傾いたかと思うと、さっと底部が持ち上がり、そのまま守衛に倒れかかった。


「うぎゃっ!」


 守衛はからくも圧死から免れていた。起き上がると、悲鳴を上げて病院から逃げ出し、国道を曲がっていった。自動販売機はロータリーの中程で倒れている。外灯がその無防備な姿を照らしていた。


「今がチャンスだ…!」


 音川は倒れると滅法弱い自販機の弱点を思い出し、周囲にある何か硬いものを探し、モップを見つけたが、首を振った。これでは駄目だ、もっと硬いもの、もっとダメージを与えられるもの、と右往左往していると、いつの間に持ち出したのか竜崎が消火器を差し出した。


「こいつで思いっきり殴りつけてやれ…」


 音川は頷いてそれを受け取ると、窓から身を乗り出し、倒れている自販機の側まで駆けていった。そして殴りかかろうとしたその時、


 ひゅんっ。ピタッ。


 自動販売機のボディが一瞬で起き上がった。この素早くも正確な動きに音川は目を見張った。


「えっ、馬鹿な…」


 自動販売機の商品取り出し口から弾丸の速さで缶飲料が乱射された。


「くっ…不味い…」


 音川は消火器を全面に差し出してガードしながら後退し、木陰に身を潜めた。乱射される缶飲料はほとんどがコーンスープなどの小さくて硬いスチール缶なのが小憎たらしい。バリンッ、と音川の後方の壁に当たり弾けたのは栄養ドリンクの小さな瓶、あれに当たればひとたまりもない。


「うわああああああああああ!」


 吉田が運転席で絶叫しながら、車で自動販売機に後ろから突っ込んだ。激突され、先の自販機のようにベタッと前に倒れた。

「またやってもうた…もう車がお釈迦や…」


「今だ…!」


 音川は木陰から飛び出し、再度消火器での滅多打ちを試みようとした。しかし、


 ひゅんっ。ピタッ。


 起き上がり小法師より素早く正確、あまりにも極端、血の通わぬ自販機ならではの不気味極まるこの動き…

 先の自販機の泥臭くて狂気めいた動きと対称的なこの洗練された極端な動きは、この殺人機械の唯一の弱点が克服されてしまったことを意味した。自販機は電照板の光を音川に差し向けじっと見詰めるように、









 音川君、何がチャンスなのかね?君は一体何をしようというのだね?







 と、こう言われているように音川は思えてならなかった。


「どけえ!音川!」


 吉田が絶叫し、アクセルを再び踏み込んだ。音川はさっと横に飛ぶと、自動販売機は衝撃とともに再度ベタッと前に倒れた。


 ひゅんっ。ピタッ。


 起き上がり小法師より正確に素早く起き上がる自動販売機。すかさず吉田はアクセルを踏み込み三度目の衝撃。前にベタッ。


 ひゅんっ。ピタッ。


「ほんならこれやったらどうや!?うおおおおお!いっけえええ!」

 吉田はアクセルを全開に自販機に激突し、そのまま起き上がる隙を与えず、ブルドーザーの要領で倒れた自販機を押し出していく。ロータリーを横切り、縁石に乗り上げてもスピードを緩めず、自販機は芝生の上で病院の壁まで追い詰められていく。前に病院の壁、後ろに車、自動販売機は倒れたまま、後ろから圧力を加えられ、見事に嵌め込まれてしまった。

「これでどうや?今や!音川!どつき回したれ!車弁償してや」


「よっしゃ!」


 音川が身動きの出来ない自動販売機に駆け寄り、消火器で殴りつけようとした時、猛烈な緊張感が電流のように音川の体を走り抜けた。


「ぐう…なんという猛烈な緊張感なんだ…今までに味わったことのない猛烈な緊張感だ…」


 モニターの下で煙を噴きながら今まで死んでいたと思われた小型の自動販売機が活動を再開したのだ。仲間思いの自販機はその感情の存在が示唆されるが、その感情によってまた恐怖し、また慄然する。竜崎の蘇生とその圧倒的な気迫で不意打ちを喰らわされた結果、人間で言うところの気絶の状態で活動を停止していた。


 そして、仲間の自販機のピンチを感じ取った自動販売機は、また別の感情、そう、狂おしい怒りの感情で目覚めたのである。





 一度ならず二度も、仲間を、僕の仲間を…お前たちは許さない!絶対に許さないぞ!





 もし自動販売機に人類の言語を用いるならきっとこう言っていたのだろう。このランドセルほどの自販機はモニターの残骸から飛び上がると、窓ガラスを突き破り、ロータリーの宙空でボディを震わせていたのである。ぽとっ、と一本、カップ酒が商品取り出し口から転がり落ちた。









 仲間を苛めるな!








 こんな叫びを上げているのだろうか、このランドセル大の自販機は天辺を水平に、超高速で吉田の車に突撃した。人間で言うところの頭突きである。人間であればその頭は頭蓋骨に致命的なダメージを負うところであるが、鋼鉄の自動販売機である。車は衝撃で弾かれ、二度ほど回転し、国道と敷地を区切る石塀に激突し、バウンドして止まった。車のシートに凭れ鼻血を出して眠るように吉田は目を瞑っている。


 ひゅんっ。ピタッ。


 車と壁の束縛から脱した自動販売機はすぐに起き上がった。その傍らを小型の自販機が妖精のように飛び回っている。この二体はお互いを見合う素振りで、押しボタンのライトを一斉に点滅させている。


 助かったよ。


 君のためさ。


 ありがとう。


 いいさ。仲間だろ。


 こんな会話を交わしているのだろうか。賑やかにも押しボタンのライトを点滅させ、いわゆる『当たり』のようなアクションを起こして嬉しそうになれ合っていたが、


 さて。


 もはや恐怖でうずくまりそうな音川にボディを向けた。


 最後の仕事に取り掛かろうか。


 もうほとんど戦意を喪失している音川の前にランドセルの方が進み出た。音川は窮鼠猫を噛むような気持ちで消火器を振り回したが、簡単に避けられた。


 僕にやらしてくれ。


 後ろを振り返り再び『当たり』のアクションをした。大きな相棒も同じく『当たり』のアクションでそれに応じた。


 もちろんさ。


 ランドセル大は音川の顔の眼前で弾丸の速さでカップ酒を発射しようとする。



 がこっ。



 何も発射されなかった。



 がこっ。



 何も発射されない。


 自動販売機の商品取り出し口の奥、商品を出したり止めたりする弁の音だけが虚しくこだました。弾切れだった。いやあくまでも商品切れか。感情の起伏によってカップ酒が無駄に消費されたのだ。そもそも小さな自販機の在庫などたかがしれていた。


 あれ。商品切れじゃないか。


 後ろで大きい方が気安く『当たり』のアクションを起こしてそれに応じている。


 ははは。


 小さい方は明らかに笑っている感じで音川の眼前で弁を開けたり閉めたりを繰り返している。遊んでいるのだ。もはや完全に勝ち誇っていた。


 巡査が発砲した。先程まで目の前で起こっている光景にただ口を開けて呆然と見ているだけだったが、竜崎にビンタされたことで我に返り、市民が殺されかけているのに黙って見過ごすわけにはいかない、と発砲した。しかし、弾は自動販売機の硬い板金を少し凹ませただけで跳ね返った。


「あかん…あかんわ…」


 竜崎は窓に凭れながら、なんとかしなければ、と立ち上がろうとするが意識が朦朧とする。竜崎の視線の先にはじゃれ合う二体の自動販売機と消火器を必死に振る音川。その視界の下方、ロータリーの中程の空間が揺らいでいるように思うのは気のせいか。何や、目を凝らすが、空間が揺らいでいるのか、俺の頭が末期的なのか。意識が朦朧とする。全体があそこに向かって引っ張られているように感じられる。空間の一点が凝集され、空間全体、なにもかもがあそこに引っ張られているような感じがする。


 自販機どももそちらに注意を向けた。何や、引っ張られている、音川も思った。














 ぱちんっ!










 そして空間が弾けた。反動で何もかもが吹き飛ばされたように感じられたが、物理的には何事もなかった。木や地面、病院の建物やベッドや花瓶、自動販売機や居合わせた人々、それはそのまま状態であった。ただ一つ、違うのは、ロータリーの中程に異質な二つの物体があることだ。その一つは本のようであり、もう一つは剣らしきものだった。


 それらは自然なあるがままの状態、何気ない感じで、そこに落ちているようだったが、確実に先程までなかったものだ。


「あれは…確か…」


 音川はすぐにも察した。あの剣は間違いなくトノシマが使っていたものだ。ああ、トノシマだ。例のタイムゲイトなんだ。音川は消火器を投げ捨て、ロータリーまで駆け出した。


 ロータリーの中程、外灯に照らされた剣を音川は掴んだ。目の端に本らしきものも認めたが、今は読書をしている場合ではない。小型の自販機は音川を追って背後に迫っていた。


 音川が鞘から抜くと、光り輝く刀身が露わになった。反転すると同時、剣を振るった。自販機はすぐにもボディを後ろに引いた。しかし、空を切った太刀筋は文字通り空を切った。真空波のようなものが巻き起こり、その太刀筋は三メートルほど伸びたのである。

 難なく躱したと思ったであろう自動販売機は一刀両断されてしまった。


「これ…すごいぞ…!」


 音川はこの剣の軽さ、そしてその切れ味の良さに感嘆した。おまけに真空波まで飛び出すという射程の長さ、音川はすぐにもこの技に『真空斬』と命名した。




 吉田は朦朧として目覚めると、窓の向こうで妙な剣を振るう剣士を目撃し、ひび割れた窓ガラスにへばりついて注視した。よく見ると、音川ではないか。自動販売機が、先程まで壁と己が車でサンドウィッチにしていたあの恐るべき自動販売機が、音川に恐れをなし逃げようとしているのである。


 自動販売機は地面を滑りながら音川を避けロータリーを一周すると、門へ向かいつつそのまま加速をつけて空へ飛び立とうとする。音川は追いすがりながら剣を構えた。


「おおおおお!真空斬!」


 自動販売機は空に伸び上がったかと思った一瞬、二つに割れ、地面に落ちた。臓腑のようにコーンスープやスポーツドリンクが転がり、血液のように虹色に輝く硬貨が散乱していた。


「た…倒した…!」


 吉田は凹んで開かない扉の窓ガラスを割り、身を乗り出して外に出た。


 竜崎も頭を庇いながら開いた窓から身を乗り出し、外にでた。


「やったな…」


 二人は音川の元に駆け寄った。空はいよいよ白み始めていた。曙光が国道の向こうのビルの隙間から差し込み、門や石塀の陰を引き延ばしていた。






 巡査は薄明の下で抱き合う三人の姿を見て、神話の中の世界にいるような奇妙な錯覚を覚えたという。

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