2 いい日、旅立ち withゴリラ
2 いい日、旅立ち withゴリラ
俺はゴリラだ。人間の血液型は四種類と言われてるが、ゴリラはB型だけしか存在しないらしい。これは割と有名な話だ。では ゴリラを漢字で書くとどういう表記になるか知っているだろうか。答えは「大猩々」だそうだ。漢字の表記の方が格好良くて俺は好きだ。では俺の学名は「大猩々・大猩々・大猩々」になるわけだな。
まぁ、それは置いといて。ゴリラだって現実逃避くらいしたくなるさこの状況じゃ。
「ゴリラ! 疲れたから休憩するわよ!」
俺の意思とは関係なく姫は鎖を引っ張りスタスタと木陰に向かう。まだ一時間も歩いてないというのに、もう五回目の休憩である。
リリィは木陰に腰を下ろし、水筒の紅茶を喉を鳴らしグイグイ飲む。紅茶の飲み方じゃないだろそれ。
まぁ無理もない。今、ひたすら左チクビ王国に向かい歩いているが、辺り一面右も左も大草原で視覚的に変わり映えがない。そして隣にはゴリラ。王室育ちのリリィにはとても辛い環境だろう。
「はぁ……マジ帰りたいわ」
もう百回聞いたわそれ。
「そうだ。ほらアンタも食べるでしょバナナ」
リリィは袋から取り出したバナナを俺の足下に雑に投げる。無残にもバナナは地面を不規則に転が
る。
俺は正直バナナはそこまで好きではない。割とリンゴとか柿とか歯ごたえがある果物の方が好きなのだ。それに城でたらふくエサを食べてきたため満腹なのだ。
「な、なによその目は……なにか文句あるって言うの?」
リリィは俺の目を負けじと睨む。別に俺は睨んでないし文句もないのだが。
確かに投げ捨てられたバナナを食べるという行為については人間ならば抵抗があるのかもしれない。しかし俺はゴリラだ。食べ物は食べ物。豪華な皿に盛られてようが、ゴミ捨て場に捨てられていようが、変わらない。だが好き嫌いはあるのだ。
「ふん! 贅沢なゴリラね! 土が付いた果物は食べないって訳? それとも私からのエサには手を
付けない気? せっかく恵んであげたのに!」
なんか誤解をさせてしまったみたいだが、リリィは勝手に被害妄想を膨らませてしまったようだ。言葉が通じないって不便だなぁ。
リリィは腰を上げ、スカートに付いた土を払うと、鎖を引っ張り歩みを進める。
鎖は長くはないので俺も強制的に歩幅を合わせることになる。歩幅こそ合わせられるが、心は合わぬまま。
「あぁもう! 行けども行けども前も後ろも草原! 右にはゴリラ! 旅なんてつまんない! お茶漬け食べたい! もう帰る!」
わがまま姫の堪忍袋の緒が早くも切れたようだ。
なんと、リリィは来た道をなんの迷いもなく引き返し始めた。リリィもまだ子ども。いきなりの旅は荷が重かったのだろう。
旅の合計時間は約一時間。半分は休憩時間だが。
しかし旅と言えるのかどうかは分からないが、彼女もこういったことを繰り返し大人になっていくのだ。決してこの小旅行は無駄ではなかった。と思うゴリラであった。
引き返すときは何故かリリィの足取りは軽く、行きと比べ半分くらいの時間で帰れそうだ。
「え?」
リリィの足はピタリと止まる。リリィは一点を見つめ、立ち尽くす。
リリィが見つめる先は、先ほど休憩したばかりの地点。リリィが俺にバナナを分け与えた場所である。先ほどのバナナは回収せずに地面に置いたままであったはずだった。
――それを放置したのが間違いであった。
その放置されたバナナをむさぼり食う『ピンク色の巨体』がそこにあった。少なくとも人間ではないその姿はゴリラよりもわずかに大きかった。
その桃色の物体はこちらに気づくと、槍を構えて、こちらを警戒し始めた。
そう、このモンスターは『オーク』である。姿は豚に似ているが、それ以上に巨体で武器を使いこなす知能を持ち合わせている。
「ななな何よあのキモい豚! キモいキモい! 豚のくせに武器持っててキモいんだけど!」
彼女はオークも知らないのだろうか。初めて目にするのは珍しくないだろうが、本などに代表的な
モンスターとして記されている。彼女は一国の姫だというのに教養がない。
そして、彼女は怯えてるんだがバカにしてるんだか分からん……。
――まぁ実は俺は正直、豚という生物を見下している。豚とは人間に食われるためだけに生まれたような動物だ。人間は他にも牛や鳥、羊なんかも食べるが、最も食べられてるのは『豚』である。豚は鳴き声以外は食えると言われているだけあり、骨まで出汁として使われ、言葉通り「骨の髄までしゃぶりつくされる」のだ。
そして彼ら自身、殺されるときは抵抗もなく涙を流すのみ。まるで人間が生み出したような、なんとも人間に都合の良い生物である。なんとも同情を誘う動物である。
この生物を見下すなと言う方が可笑しいのだ。それが差別だと言う者がいるのなら、お前は豚と対等に扱われても文句はないのだろうか。と問い詰めてやりたい。あくまで個人的な意見だが。
「ちょ……! ゴリラ何する気よ! まさか戦う気じゃ……」
オークは敵意剥き出しで威嚇してくる。恐らく少しでも目を離せば、襲いかかってくるだろう。リリィ姫がいる状態では恐らく逃げ出せない。
――――戦うしかないのだ。
「ちょちょちょ! 豚が向かってきたわよ!」
リリィは騒ぎながら地べたに尻餅をつく。この状況では仕方ない。恐らく初めてモンスターを目の当たりにし、初めて襲いかかられたのだ。
オークはまずゴリラに槍を鋭く突く。槍の刃先は頬のすぐ横をすり抜ける。わずかに頬を擦ったのか、薄く切り傷が出来る。しかし槍は外した後の隙が大きい。それをゴリラは見逃さない。
鈍い音と共にゴリラの鉄拳がオークの頬にめり込む。オークは地面をバウンドするかのように数メートル吹き飛ばされる。ゴリラの握力は500キロ以上。成人男性の約10倍である。
それは1トンのバーベルを持ち上げることが出来ると言われている。
そんなゴリラの全力パンチの威力がとてつもないことは言うまでもない。
――例えそれが凶悪なモンスターを相手にしたとしても例外ではない。
「……え?」
リリィは口を半開きにしながら呆気にとられている。オークの巨体は地面にめり込み、気絶している模様。豚がゴリラに喧嘩で勝てるわけがないだろう。これで分かってもらえただろうか。
――ゴリラにも好き嫌いの一つや二つあるということを。
それはそうとリリィ姫を怖がらせてしまっただろうか。オークのような凶悪なモンスターの巣窟に足を踏み出したこと。そして一緒に旅するゴリラがこんなにも凶暴だと知ったということ。
ただ彼女は立派にも逃げ出さず鎖を掴んだまま腰を抜かしていた。動けなかっただけかもしれないし、無意識だとしても彼女は俺との繋がりを握りしめたままであった。
勇敢に腰を抜かしていたのだ。
「ウホォ……」
気まずいながらも俺は出来るだけ腰を低くし怖がらせないようにリリィを覗き込む。
リリィは倒れてるオークを見た後、あめ玉のような丸い目をパチクリし、俺を凝視する。彼女の小さい容量の頭の中で精一杯状況整理が行われているのだろう。
「も、もしかして今の私がやったの?」
んな訳ないだろ。なに自分の手を不思議そうに見つめてんだよ。自分の眠れる力が発動したとか都合の良いこと勘違いしてるんじゃないだろうか。
「まぁそんな訳ないか。ゴリラ……アンタがやっつけたのよね……」
一部始終を見ていたので、リリィも一応理解したようだ。そして彼女の反応は俺が想像していたものとは全く異なっていた。
「ゴリラ……。アンタ怪我してるじゃない」
彼女は俺を見て怯えるどころか、オークの槍が擦っただけの頬の小さい傷を気にしているようだ。
「ほら早く座って。届かない」
リリィは言われるがまま俺は腰を下ろす。彼女は小さな手を俺の頬の傷口に当てる。
――すると、彼女の手の平が薄白く光り、不思議と頬の痛みが引いていく。
「これは『バファリーナ』の魔法よ。私だってこのくらいの魔法は城の中で教わってるのよ。まだこれしかできないけど」
まず、この世界には実は魔法と呼ばれる不思議な力がある。
バファリーナとは初級魔法の一つで主にヒーラーと呼ばれる回復魔法を得意とする者が最初に覚えるような魔法である。バファリーナの性能は半分は優しさで出来ていると言われているほど微弱であるが、まさかリリィが初級魔法とはいえ、魔法を使えるだなんて思ってもみなかった。
だが、その証拠に彼女が手を離すと俺の頬に傷は綺麗に残っていなかった。
「……まぁゴリラにしてはよく頑張ったわ。はいご褒美のバナナよ」
リリィは新しいバナナを袋から取り出し、つまむように俺に差し出す。
本当ならここで受け取るのが良いのだろうけど、俺は先ほどいったようにバナナは好きでない。それなら貴重な食料だしリリィが食べるのが良いだろう。あまり腹も減っていないし。
「食べないの? 今度は汚れてないのに……ま、まさかアンタ、バナナ嫌いなの?」
俺がコクリと頷くと、リリィは腰を抜かす。
「嘘でしょ……バナナ嫌いなゴリラがいるなんて……!」
この世の終わりかのような表情をするな。ゴリラがバナナ好きと決めつけるのは人間の勝手な偏見である。
「ふーん。じゃあアンタさっき、私の事が嫌いでバナナを受け取らなかったんじゃないのね」
リリィはふと王国から持ってきた布袋からリンゴを取り出し、こちらに差し出してきた。
「……アンタがモンスターを倒して私がアンタを回復する。割と……いいコンビかもね」
俺も彼女を誤解していたようだ。教養がないワガママな温室育ちの姫だと思っていた。しかし、魔法というのは部屋の床が埋まる程の物量の難解な資料を全て読破し魔法理論を完全に理解した者しか扱えない。更に回復魔法というのはその一握りの者しか扱えないのだ。それを幼くして扱える彼女は確かに一国の姫の器としてふさわしいのかもしれない。
しかし俺がそれ以上に誤解していたのは彼女の人間性だ。素直ではないが、ゴリラの俺に対しても優しく、勇敢な子だ。
俺は彼女からそのリンゴを受け取って齧り付いた。リンゴは好物だ。
ゴリラにだって好き嫌いの一つや二つあるのだ。
――リリィと俺は左チクビ王国に向かい再び歩き始めた。
「ハァハァ……。疲れた……やっぱり帰りたい……」
彼女は額に汗を滲ませ、息を切らしている。もちろんすぐには不精者で気まぐれな性格は変わらず、弱音と溜息を吐き続けている。景色も日が落ちてきたくらいで代わり映えのない草原である。
唯一変化したことは彼女が俺に繋いでる鎖を先ほどと比べ数センチ程だが短く持っている事くらいだろうか。
彼女自身無意識かもしれないが、先ほどの一件で少し信頼を得られたのかもしれない。鎖の長さはきっと心の距離なのだ。
というか鎖を外してくれ。