93 信じていてもやっぱり気になる
黄昏の魔人討伐の報を受け、ヴァルフラント国王は直ちに事の真偽を確かめた。
ヴィグリーズ記念公園の惨状、ヴィグリーズの町の住民の口を揃えた目撃談、さらに建国祭の日に目撃された世界蛇と光の柱。
これらが完全に騎士団からの詳細な報告と一致。
ここに至って国王は黄昏の魔人討伐を真実と断定。
ヴァルフラント王国の祖であるオーディ・ヴァルフラントの遺言に従い、黄昏の伝説の真実を世間に公表した。
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決戦から二カ月が過ぎた頃。
その日のリンナは何やら様子がおかしかった。
朝からそわそわと落ち着かず、革の財布いっぱいに詰まった金貨を握り閉めながら、あぁでもないこうでもないとブツブツ呟いたり。
かと思えば急に玲衣の方を向いて何かを切りだそうとして、何も言わなかったり。
挙動不審な姿に、玲衣は首を傾げるばかり。
「リンちゃん、夕飯の買い物に行ってくるけど何かリクエストある?」
「ん、肉で」
ブレない彼女に苦笑しつつ、玲衣は部屋を後にしようとする。
「レイ、私も出かけるよ。ちょっと行きたい場所があって」
「そうなんだ、私も一緒に付いてくよ。買い物はその後でもいいし」
玲衣としては当然の反応。
たとえ買い物の間だとしても、リンナとは片時も離れたくないのが本音だ。
しかし、リンナの返事は違った。
「ごめん、一人で行きたいんだ。レイはゆっくり買い物してきてくれ」
この言葉は、玲衣に深い衝撃を与えた。
まったく想定していなかった返答に、思わず硬直してしまう。
そんな玲衣の脇をすり抜け、リンナは玄関扉を出ていく。
大量に金貨の入った革袋を大事そうに懐にしまいながら。
「リンちゃん、何であんなことを……? 私と一緒にいたくないの……?」
玲衣の呟きは虚空に消え、一人になった部屋がやけに広く見える。
もはや夕飯の買い物どころではない。
リンナの後をこっそり追跡して、どんな用事で出かけたのか確かめなければ。
心の闇を受け入れた彼女に、もはや躊躇いは無かった。
玄関の扉を開け、外へと出る。
二階の通路から見下ろすと、リンナが門をくぐって中心街の方向へ歩いていく。
見失わないように階段を駆け降りると、大家さんの部屋の扉がガチャリと開いた。
「あら、レイちゃん。お買いもの?」
「お、大家さんこんにちは。これから夕飯の買い出しに行くところなんですけど……」
にこやかに登場した大家さんが、レイの左手に下げた買い物かごを見て話しかけて来た。
リンナは路地を右に曲がっていく。
話が長引けば彼女を見失ってしまう。
「それにしてもビックリしたわ。暁の伝説が本当にあったことで、リンナちゃんとレイちゃんが世界を救っただなんて」
「はい、私もびっくりですぅ……」
「この集合住宅もね、英雄が住んでる場所だってんで入居希望者がどんどん来てねぇ。でも部屋は一杯だから、思い切って増築しちゃおうかしら」
「そうですね、いいと思いますけど……」
そわそわと落ち着かない様子の玲衣。
大家さんはその様子に何かを感じ取ったようだ。
「もしかして急いでるの? ごめんなさいね、呼びとめちゃって」
「いえ、また今度ゆっくりお話しましょう。それではっ!」
リンナが消えた方向へ玲衣は猛ダッシュする。
路地を右に曲がるが、リンナの姿は無い。
だが、中心街に向かったのなら次は左だ。
路地を左折すると、彼女の後姿が見えた。
なんとか見失わずに済んだようで、ホッと胸を撫で下ろす。
「よかった、見失わなかった。やっぱり中心街に行くみたい……」
気配を極限まで殺し、気付かれないように後をつける。
たった一人で曲がりくねった路地を迷わず進むリンナの成長ぶりに、玲衣は少し感慨深くなった。
同時に、手を引いてあげなくても平気になった事を痛感してしまう。
彼女が自分と一緒にいる理由が減ってしまったような気がして胸が痛む。
リンナの自分への想いを信じていないわけではないが、どうしても気になってしまうのだ。
だからこそ、こうして今こそこそと尾行している訳なのだが。
住宅街の路地を抜け、往来の盛んな中心街へ。
ここからは少しでも目を離せば見失ってしまう。
シフルを呼んできてふーちゃんに探させても、見つけるのは至難の業だろう。
「あの、もしかしてリンナ・ゲルスニールさんですか?」
「え、本当だ! 復活した黄昏の召喚師を倒したっていう英雄じゃないか!」
「サイン下さい、まとめて十枚ほど!」
「ちっちゃくてかわいいー! お持ち帰りしたい!」
「おわっ! お、落ち着いて、囲まないでぇ!」
小さな体にぶかぶかの黒マント、白みがかった美しい青髪。
ただ歩いてるだけでも、彼女は非常に目立つ。
今や有名人となったリンナは、見つかった途端に取り囲まれてしまった。
「リンちゃんが危ない! 助けなきゃ!」
もはやこっそり尾行などと言っている場合ではない。
リンナの危機に、玲衣は人ごみをかき分けて近づいていく。
特に最後のお持ち帰り発言など、絶対に看過出来ない。
「待っててリンちゃん、今助け……」
「あのっ、レイさんですよね!」
「えっ、そうですけど……」
不意に呼び止められる玲衣。
返事を返しつつ振り向くと、キラキラと目を輝かせた女の子の姿。
彼女の言葉に反応して、次々と人が集まってくる。
「本当だ、リンナ・ゲルスニールと共に黄昏の召喚師を倒した英雄じゃないか!」
「サイン下さい、あと握手して下さい!」
「素敵、私をお持ち帰りして!」
「わっ! ちょ、ちょっと、押さないで……」
彼女もリンナの二の舞となって取り囲まれてしまった。
一人一人に応対しているうちに、リンナの姿を完全に見失ってしまう。
「あ……、リンちゃんいなくなっちゃった……」
結局リンナがどこへ向かっていたのかは分からず終い。
今度から後をつける時は屋根の上を飛び渡っていこう。
失敗を教訓としつつ、玲衣は夕飯の買い物へと向かった。
☆☆
翌日、やはりリンナはそわそわとした様子。
一体なにを隠しているのか、そろそろ問いただそうか。
玲衣がそう思っていると、リンナは意を決したように切り出した。
「あの、実は中心街の高級レストランを予約してあるんだ。今日の夕食はそこでと思ってるんだけど……、レイはいいか?」
「……別に用事も無いし、いいけど。どうしたの? 高級レストランだなんて。何か話でもあるの?」
「話っていうか、渡したい物があるっていうか……。とにかく、話はそこでするからっ」
なんとも歯切れの悪い答えだが、どうやら何かくれるらしい。
釈然としない気持ちもあるが、ひとまず納得しておいた。
その日の夕方、二人はリンナが予約した高級レストランに辿り着いた。
二人並んで手を繋いでの道中、三回ほど通行人に囲まれたために、予定時間ギリギリとなってしまった。
「リンちゃん、時間大丈夫?」
「な、なんとか、間に合ったと、思う……」
最終的には玲衣がリンナを抱えて屋根を飛び渡り、地形を無視して急行。
かつてないスピードと浮遊感に晒されたリンナは、少し顔色が悪い。
「とにかく、早くお店に入ろう」
「ちょっと待って、髪を整えさせて……」
ポーチの中から手鏡を取り出そうとするリンナ。
玲衣はその手をそっと止めると、ニコリと微笑む。
「鏡なんて無くても、私がやってあげる」
「レイ……。ん、お願いするよ」
乱れてしまった蒼い髪を、玲衣は手櫛で整える。
柔らかな手触りときめ細やかな髪質。
彼女の髪を整える時間は、玲衣にとっても至福の時だ。
「よし、出来た。とっても可愛いリンちゃんの出来あがりだよ」
「ありがとう、それじゃあ店に入ろうか」
上質な木製の扉を開くと、チリンチリンとベルの音。
ウェイターが深々と頭を下げ、「いらっしゃいませ」と出迎える。
店内は板張りのフローリングに白い壁。
光量を控えめにしたシックな照明が、落ち着いた雰囲気を醸し出す。
店の奥へと案内され、白いテーブルクロスが敷かれた丸いテーブルへ。
両端に向かい合って腰を下ろすと、玲衣は落ち着かない様子で辺りを見回す。
「なんか落ち着かない……。こんな感じの場所、来たの初めてだから」
「ん、正直私も。でも、そういう話をするならこんな感じの場所が良かったから」
「……話って何? そろそろ聞かせてよ」
「そうだな。ちょっと待ってて……」
ポーチの中を探ると、リンナは紺色の小さな小箱を取り出した。
「これを渡したかったんだ」
静かにその箱を開くリンナ。
中に入っていたのは、光を受けて輝く二つのプラチナの指輪。
「これって……!」
「ん、婚約指輪。これを渡すような場所なんて、ベタだけどこういう場所くらいかなって」
口元を両手で覆う玲衣の目から、涙が零れる。
「レイ!? 急に泣きだしたりして、私なにか変な事言った……!?」
慌て出したリンナに、玲衣は首を横に振る。
「違うの、これは嬉しい涙だから。ありがとうリンちゃん。とっても嬉しい」
「そっか、よかった。着けてくれるか?」
「リンちゃんに着けて欲しいな。お願い」
そっと差し出した左手。
リンナは玲衣のその手を取る。
何度も握った、これからも繋ぎ続ける大好きな手。
その薬指に、リンナは指輪を通していく。
「ん、サイズは大丈夫だな。ホッとした」
「えへへ、これって私がリンちゃんのものだっていう証拠だよね。リンちゃんには勿論私が着けるから」
「いいよ、ほら」
小箱からもう一つの指輪を取り出すと、玲衣はリンナの左手の薬指に指輪をはめる。
お互いの左手に輝くおそろいの指輪。
玲衣の胸が幸福感で満たされていく。
「レイ、顔がにやけてる」
「リンちゃんだって。昨日はこれを買いに行ってたんだね」
「そう。サプライズで渡したかったから、レイにはついてこないように言ったんだけど、心配させちゃったかな」
「大丈夫、私はリンちゃんを信頼してるから」
信頼はしていても尾行はするが。
「あとはご両親への挨拶か。ちょっと緊張するなぁ……」
「ん、それなんだけど。実は来週辺り里帰りしようと思うんだ。当然レイも来るよな」
「リンちゃんの生まれ故郷でしょ。行くよ、行く、絶対行くから!」
身を乗り出さんばかりに行く気満々の玲衣。
結婚への最終関門、ご両親への挨拶。
絶対に乗り越えなければならない高い壁に、二人は挑もうとしていた。




