92 姉と妹
ヴィグリーズの町は大騒ぎとなっていた。
当然だろう、記念公園の方向からひたすらに轟く爆音に轟音。
巨大な火柱が立ち上ったかと思えば、途轍もなく巨大な燃え盛る木が現れて防風林を薙ぎ倒し、終いには巨大な白と黒の光の柱が振り下ろされて大樹は沈黙。
ヒルデの言いつけを守って遠巻きに見守っていた騎士たちは呆然と眺めるしかなく、町に残っていた騎士たちは一般市民のパニックを抑えつつ避難誘導。
ようやく警戒が解かれたのは、ヒルデ達が町に戻って来た後だった。
ヒルデは騎士団長として事態の収束を宣言、広く名の知られた彼女の言葉によって町は一応の落ち着きを取り戻す。
その後、彼女はシズクと共に騎士団員をまとめ、詳細な事情を説明。
玲衣とリンナも同席し、聖剣、魔剣、神狼を見せる事で半信半疑だった騎士たちもようやく納得。
一応の備えとして数名を町に残し、ヒルデとシズクは騎士を引き連れて、報告のため王都に戻っていった。
全てが終わり、ようやく玲衣たちが自由な時間を得たのは夜もかなり更けた頃。
ヴィグリーズの町の中央広場。
玲衣とリンナは月明かりに照らされる世壊樹の骸を眺めながら、ベンチに寄り添って座っている。
「お疲れ様、リンちゃん。色々大変だったね。一番大変そうだったのはヒルデさんだけど」
「ん、そうだな。死にそうになってたし……」
召喚武器の二重召喚は使用者に重い負担を強いる禁じ手。
以前と同じく体中を激痛に苛まれながらも、彼女はなんとか騎士団長の職務を全うして見せた。
「ごめんね、説明とか色々リンちゃんにまかせっきりで。私、難しいことはわかんないから」
「レイはあんなに体を張って戦ってくれたんだ。これくらいはやらせてくれ」
玲衣の横顔をじっと見つめるリンナ。
彼女の頬に、リンナは軽くキスをする。
「ひゃわっ、リンちゃんっ!?」
「本当に、いくら感謝してもし足りない。ストルスが私を殺しに来た時、レイが命を賭けて庇ってくれなかったら私は死んでた。それだけじゃない、今までだってずっとレイは私を守ってくれたよな。何をしても釣り合わないと思うけど、何か私に出来る恩返しって無いのかな……」
「……そうだね。ならリンちゃんは、残りの人生をずっと私と一緒にいること。私と家族になって、ずっとずっと私の側にいるの。それがリンちゃんが私に出来る、一番の恩返しだよ」
照れくさそうに笑いながら、玲衣が口にした恩返し。
もとよりリンナはそのつもり、一日だって離れる気は無い。
「そんなのでいいのか? もっと欲出してもいいんだぞ」
「私にこれ以上の望みなんて無いよ。リンちゃん、ずっと一緒にいようね」
「当たり前だ、嫌だって言っても離れないからな。んっ……」
玲衣とリンナは見つめ合い、月明かりの下で口づけを交わす。
日中にあんな大異変があったせいだろう、人の気配は全くしない。
静かに顔を放すと、二人の甘い空気を吹き飛ばすように強い風が吹いた。
「うわっ、すごい風。ちょっと冷えてきたね。宿に戻ろうか」
「そうしよう。今日は色々あったし、疲れを取らないと」
夜の草原を吹き抜ける風は冷たく、軽装では少し肌寒い。
ベンチから立ち上がると、玲衣とリンナは手を繋いで宿へと歩き出す。
数歩歩いたところで、人の気配を感じた玲衣は急に足を止めた。
「ん? どうしたんだ、レイ」
「そこにいるの、わかってますよ。そろそろ話をしてあげたらどうです?」
ため息混じりに振り向くと、玲衣は暗がりに声をかける。
釣られてリンナがそちらを向くと、バツが悪そうにディーナが進み出てきた。
「出来る限り気配を殺していたが、やはり簡単に気付かれるか」
「……リンちゃん。私、先に部屋戻ってるから」
一言残して、玲衣は宿に戻っていく。
姉妹水入らずの時間を与えてくれたことに感謝しつつ、リンナは彼女を見送った。
夜の広場に残されたのは、少し気まずい空気の姉と妹。
しばしの沈黙の後、リンナが先に口を開いた。
「……姉さん。今日はありがとう、色々と助けてくれて」
「大したことはしていないさ。私が今までお前にさせてきた辛い思いは、この程度で消せやしないだろう。……まったく、私はリンナの姉失格だな」
「そんなことないっ!」
静かな町にこだまするリンナの声。
悲しみを湛えた瞳で、彼女は姉を見つめる。
「私はずっと姉さんに会いたかった! 子供の頃に憧れてから、姉さんはずっと大好きな姉さんで、私の目標だったんだ! その気持ちは今まで一度だって変わっていない、ただの一度だって!」
溜まっていたものを全て姉にぶつけていく。
「姉さんが姉失格なら、その姉さんを尊敬してる私はなんなんだよ! いつもそうだ、自分一人で勝手に決めて、勝手に居なくなって! もっとあたしを信じてよ!」
途中からは涙交じり、自分でも何を言ってるのかわからなくなってくる。
「お姉ちゃんは今でも、あたしの大好きなお姉ちゃんなの! そんなあたしの気持ちまで、勝手に否定しちゃあやだよっ!」
黙って耳を傾けていたディーナは、泣きじゃくる妹をそっと抱きしめる。
「お姉ちゃん……」
「すまない、リンナ。またお前を悲しませてしまったな」
体を離し、そっと親指で涙を拭ってやると、リンナは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「それと、昔の口調に戻ってるぞ」
「な、あ、えとっ……、姉さん、今の全部忘れてくれぇっ!」
顔を真っ赤にして慌てた後、リンナはコホンと咳払い。
改めて話を仕切り直す。
「姉さん。もうヘレイナもいない、黄昏の魔人だって葬った。今なら全部話せるだろ? どうして突然いなくなったのか」
「あぁ。少し長い話になるが——」
ディーナはゆっくりと語り始めた。
何故自分がリンナの前から姿を消したのか、召喚師にしたくなかったのか。
全ての始まりは十年前、森でリンナを召喚獣から助けてすぐの事。
その日はヴィグリーズの戦いから丁度七百年、地獄姫が封印から解き放たれた日。
ゲルスニール家の蔵の中、同じように一冊の本の封印が解かれた。
高い召喚師としての才能を開花させていたディーナは何かを感じとると、吸い寄せられるように蔵の中へ。
そこで目にした本の恐るべき内容に、彼女は戦慄した。
その本はきたるべき黄昏の魔人復活に備えて、レイフが子孫に残した書物。
七百年の時が流れるまでは決して開くこと叶わない封印が施されていた。
長い時の中で忘れ去られたその本には、暁の伝説の真実、ゲルスニール家が暁の召喚師の血筋であること、封印を解かれた地獄姫が黄昏の魔人復活に向けて動き出すだろうこと、全てが記されていた。
ひび割れた宝玉は聖剣レーヴァテインの宝玉、それに選ばれた者は、黄昏の魔人復活を目指す地獄姫に狙われる。
荒唐無稽な内容ではあるが、その本の封印に使われていた魔力が、これが真実だと物語っている。
震える腕で懐に本を仕舞い、蔵を後にするディーナ。
自宅に戻ると、さらなる衝撃が彼女を襲った。
ひび割れた宝玉はその常軌を逸した頑丈さに加え、何も召喚出来ないガラクタだと思われていた。
そのため、まだ小さな子どもであるリンナがおもちゃにしていても誰も気にしない。
ディーナも昨日までなら気にも留めなかっただろう。
だが、彼女はその正体を知ってしまった、そして見てしまった。
楽しそうに召喚師ごっこをするリンナの手の中で、聖剣の宝玉がわずかに光を放ったのだ。
それはまさに、聖剣がリンナを使い手として選んだ瞬間だった。
聖剣の宝玉はプロトタイプであり、対黄昏の魔人の切り札でもあった。
それ故他の七傑武装と違い、高い召喚師としての力量が無ければ扱えない。
加えて、召喚師と召喚された者の絆が強ければ強い程、その力を発揮する。
力量、絆、どちらが一方でも満たせなければ、レーヴァテインは実体の無い光の剣としてしか機能しない。
リンナが召喚師にならなければ、レーヴァテインを呼ぶことは叶わない。
レーヴァテインが呼べなければ、黄昏の魔人の復活は阻止出来る。
何よりも、大切な妹を伝説に語られる恐ろしい存在と戦わせるなどディーナには出来なかった。
その日から、彼女は召喚師に関する一切をリンナの前で口にしなくなる。
召喚師に対する興味を失って欲しい一心で。
その一方で、地獄姫に対抗するために力を付けていく姉を間近にして、リンナの憧れはますます強くなっていった。
そうして、十五歳にしてS級召喚師となったディーナは十分に力を付けたと判断。
この世界のどこかにいる地獄姫を探し出して殺すため、旅に出る。
各地を旅して回る中、ディーナは偶然にも神槍グングニルの宝玉と巡り合う。
神槍に選ばれた彼女は、数年に及ぶ旅の末にとうとう地獄姫と巡り合った。
ヘルはヘレイナと名乗り、人間になり済まして紛れ込んでいた。
ディーナはヘルを殺すため、神槍で挑みかかる。
聖剣以外で地獄姫は殺せない、その事実は知っていた。
だが、心臓を貫かれても首を落とされても死なないなどあり得るのか。
彼女はどうしてもそれを信じられず、そして信じざるを得なくなる。
首を落としてもすぐに元通り、心臓を潰しても絶命せず、とうとう彼女は呪いをかけられた。
ヘルの計画、正体の一端でも口にした途端、覚めない眠りに囚われる呪いを。
それ以降、ディーナは表向きヘレイナに協力しつつ、その計画を妨害しようとする。
リンナによってこの世界に呼び出された少女、玲衣。
この世界の人間に聖剣を振るうことは出来ない。
彼女を殺しさえすれば、黄昏の魔人の復活は防ぐことが出来る。
「——そして、私はお前の大切な人を殺そうとした。お前の言う通りだ。お前を信じずに突っ走った結果、何もかも上手くいかなかった。滑稽な話だ」
「……姉さんはずっと、私を守るって目的のために動いてくれてたんだな。——ありがとう」
「リンナ……」
まさかお礼を言われるとは思わなかった。
罵倒される覚悟でいたのだが、また信じてやれなかった。
どこまでも変わらない、と自嘲する。
「でも、レイを殺そうとしたのだけは許せない。だから——」
そこで黙ってしまったリンナ。
ディーナは静かに妹の言葉——その続きを待つ。
「……だから、私達の結婚式には絶対出ること!! いいなっ!!!」
「…………ふふっ。あぁ、もちろんだ。大事な妹の花嫁姿を見に行かない訳がないだろう」
軽く微笑むと、ディーナは妹に背を向ける。
フードを目深に被り、杖をかざして愛馬を呼び出す。
その背に跨った姉に対し、リンナは寂しげに問う。
「姉さん、どこに行く気なんだ? 行き先くらい教えてくれ。もう黙っていなくなったりしないでくれ……」
「そんな顔をするな。両親にもずっと会っていないからな、顔を見せてくるだけだ。その後は……まだ決めてない。決まったら一番にお前に教えるよ、約束だ」
「……ん、わかった。じゃあ、またな、姉さん」
「ああ、また会おう」
スレイプニルに拍車をかけ、リズミカルな蹄の音と共に、ディーナは夜の草原へと消えていった。
その姿を見えなくなるまで見送ると、リンナは宿に戻っていく。
尊敬する姉への想いをさらに深く強くしながら。
宿の玄関を抜け、すれ違った女将に軽く会釈。
階段を上って二階へと抜け、騒がしいシフルとルトの部屋の右隣の部屋のドアを開ける。
カギはかかっておらず、ドアノブはあっさりと回る。
部屋の中は薄暗く、窓際で月を眺める玲衣がリンナには妙に艶めかしく見えた。
部屋へと戻って来たリンナに、玲衣は目を向ける。
「リンちゃんおかえり」
「ん、ただいま、レイ。一人で寂しくなかったか?」
「さすがにこれくらいは平気だよ。それよりお姉さんとは沢山話せた?」
玲衣の隣に座って肩を寄せ合うと、リンナはこくんと頷いた。
「聞きたいことは全部聞けたし、思ってることも全部ぶつけた。レイが気を利かせてくれたからだよ、ありがとう」
頬に口づけすると、玲衣はくすぐったそうに笑う。
「そっか、よかった。私も後で話してみようかな、私のお義姉さんにもなるんだし」
「もう行っちゃったけどな。スレイプニルに乗って」
「え、またどこかに行っちゃったの?」
「故郷に帰るだけだって。父さんと母さんに顔を見せてくるってさ」
「そうなんだ。じゃあ、リンちゃんの故郷に行った時に会えるかな」
「ん、私達の結婚式にも招待しておいたしな」
そこまで話すと、リンナは玲衣の顔をじっと観察する。
予想通り、彼女は顔を赤くして慌て始めた。
「もう、気が早いよ! リンちゃんまだ十五歳でしょ!」
「そうかな、私は今すぐにでも結婚したいけど」
「うぅ……、この国何歳から結婚できるの……?」
「十四歳からだけど。明日にでも式挙げるか?」
「だ、だからっ! 待ってよもう! リンちゃんのばかっ」
「ふふっ、良かった。レイ、少し暗い顔してたから」
真っ赤な顔から一転、その言葉を受けて玲衣は気まずく頬を掻く。
「あちゃー、やっぱりリンちゃんにはバレバレだね」
「部屋の明かりも付けずに外を見てたからな。何考えてたか聞いてもいいか?」
玲衣は視線を窓の外に向けると、月明かりの下に佇む巨大な世壊樹を見つめる。
「ヘレイナのこと、考えてたの。気が遠くなるような長い時間、アイツはストルスを想い続けてたんだよね。自分の命を捧げてまで復活を望む程に」
「……そうだな」
「それって本当にアイツの本心だったのかな。召喚獣の刷り込みじゃなくって、私みたいに心から好きだったのかな」
「それは……、誰にもわからないだろうな。きっとアイツ自身にも」
「うん。だから、なんだか複雑な気持ちなの」
リンナも思わず黙ってしまう。
隣の部屋から聞こえていたドタバタ音もいつしか聞こえなくなり、部屋の中を包む静寂。
「……私、リンちゃんに召喚されて良かった。リンちゃんの召喚獣で本当に良かった」
窓の外から視線を戻し、リンナの蒼い瞳をじっと見つめる。
「他の誰に喚ばれたとしても、リンちゃんほど好きにならなかったと思う。ありがと、リンちゃん。私を喚んでくれて」
「レイこそ、私の前に現れてくれてありがとう。大好きだよ、レイ」
どちらからともなく、唇を重ねる。
出会えた奇跡に胸を一杯にして、数々の危機を乗り越えて今も触れ合える幸せを噛み締めながら。




