91 願いは時を越えて
数年前まで大都市だった面影は、もはやどこにも無い。
荒れ果てた荒野に横たわるのは五人の仲間の骸と、永い封印の眠りに着いたヘル。
戦いに生き残ったのは、レイフ・ゲルスニールともう一人、神槍を操るオーディ・ヴァルフラントだけであった。
「終わったな、レイフ。犠牲はあまりにも大きかったけどよ」
「終わってなどいません。私達はただ、問題を先送りにしただけ。ヘルの眠りは七百年で覚め、彼女はストルス復活に向けて動き出すでしょう」
沈痛な面持ちでレイフは横たわるヘルを見る。
遠い未来の人間に重荷を押しつけてしまう、そんな負い目。
そして、共に過ごした仲間を失った行き場の無い悲しみ。
狂っていく親友を助けてやれなかった自分への不甲斐なさ。
様々な感情が入り混じった、影の濃い表情。
「先送り、か。そうだな、無責任にも未来の奴らに丸投げしちまったわけだ。将来の惨事に向けて、何か俺たちに出来ることは無いのか」
「レーヴァテインの身体能力強化だけでは、ストルスに太刀打ち出来なかった。ですが、召喚獣としての身体能力強化を上乗せすれば対抗は可能だと思います」
レイフの言葉に、オーディは首をひねる。
「召喚獣にレーヴァテインを持たせるってのかい? そんなこたぁ出来ねえだろ」
「ええ、ですからこうします」
レーヴァテインの宝玉を軽く放り上げると、レイフは聖剣を全力で叩きつけた。
暁色の宝玉がひび割れ、小さな欠片が分かたれる。
「お、おい! 一体なにしてんだ! そいつが無けりゃストルスを倒すなんて……」
「慌てないでください。この程度で壊れたりはしませんよ。これが未来への布石です」
レイフは宝玉とその欠片に対して術式を展開すると、レーヴァテインの内部設定を書き換えていく。
鮮やかな手さばきでプログラム入力を終えると、欠片は空中に浮かび上がりその場から忽然と姿を消した。
同時に、暁色の宝玉はその色を失い、曇りガラスのように変色する。
「消えた……だと。レイフ、一体何をしたってんだ」
「以前から別世界の存在は観測されていましたよね。今、その世界に宝玉の欠片を飛ばしたのです。この世界の人間にはレーヴァテインを呼び出せないよう設定を変更し、七百年後まで起動しないようにして」
「この世界の……。そうか。誰かが眠ってるヘルをレーヴァテインで刺しちまったら、その時点で封印は解けちまうからな」
「ええ。そして別世界の人間を欠片を通じて召喚することで、召喚獣としての身体能力強化とレーヴァテインの身体能力強化を両立させる」
「なるほどな。レーヴァテインに選ばれた奴が別世界の人間を召喚すりゃ、ストルスにも負けねえ奴の出来あがりってわけか」
全面的に納得したオーディは、筋肉質な腕でレイフの背中をバシバシと叩く。
「やっぱお前大した奴だぜ! 新しい国のトップはお前しかいねえ!」
「いたっ……、国? 何の話ですか?」
白い歯を見せて二カっと笑うと、彼は心積もりをぶち上げた。
「生き残ったわずかな連中で国を作るんだ。今までの文明はストルスの野郎どもに破壊されちまったが、幸い召喚の技術は失われちゃいねえ。みんなで一からやり直すんだ。お前にはその国のトップに立ってもらいたいんだよ! 世界を救った英雄ならみんな喜んで担ぎあげるぜ!」
「一国の長……。残念ですが、辞退させていただきます」
「うんうん、そう言うと思っ……何ィ!?」
快く受けてくれると思っていた彼は、思わぬ返答にわが耳を疑う。
少し申し訳なさそうな顔で、レイフは誘いを断った。
「なんでだよ、一国の王様だぜ! いや、女王様か……」
「私はそんなガラじゃないですよ。王様ならあなたの方がふさわしい。ゲルスニール王国よりも、ヴァルフラント王国の方が響きもいいですし」
「だ、だけどよぉ……」
「私はこれから、田舎にでも引っ込んで悠々自適に過ごします。あなたの国の片隅に小さな町でも作って、ね」
「……はあぁぁぁ。英雄様のたっての希望とあっちゃぁ仕方ねえか。わかった、王様稼業は俺の仕事だ」
盛大に息を吐くと、オーディは観念した。
レイフの頑固さならば、長い付き合いの彼はよく知っている。
こうなったら梃子でも考えを曲げないだろう。
「これらは人目の付かない場所に封印しておく。お前は安心して隠居してな」
世界蛇の宝玉と地獄姫の宝玉、そしてその身体。
それらを軽く担ぎあげると、彼は力尽きた仲間たちを見回す。
「こいつらも手厚く葬ってやらねえとな。レイフ、やっぱもう少しだけ手伝え。俺一人じゃ荷が重めぇや」
「仕方ありませんね、もう少しだけ付き合ってあげますよ。彼らを弔いたいのは、私も同じです」
いなくなってしまった数多の命を思い、レイフはヴィグリーズの空を見上げる。
願わくば七百年後の未来で、全てに決着が着くことを。
彼らの犠牲、様々な人々の想いが無駄にならないよう祈って。
☆☆
白と黒の螺旋が絡み合った刃が、世壊樹の頂上で振り下ろされた。
玲衣の全てを込めた一撃が、魔人の身体を宝玉もろとも跡形も無く消滅させる。
生い茂る葉のような世壊樹の炎は、魔人の絶命と共に消滅。
うねる根や枝も動きを止め、幹は枯れ木のような色合いに変わる。
地中深くへの進攻も止まり、ユグドラシルは完全にその機能を停止した。
「レイ、やったのか!? 返事してくれ、レイ!」
ペンダントから聞こえる恋人の声に、玲衣は息を切らせながら返事を返す。
「うん、やったよ……、リンちゃん……。ハァ、全部、出し切って、ちょっと疲れたけど……っ」
なんとか息を整えると、枯れた木の頂上にフェンリルが登ってきた。
すり寄ってきた狼の頭を撫でると、ペンダントから漏れるリンナの安心した声。
「よかった、どこもケガしてないみたいだな」
「大丈夫だって言ったでしょ。それよりも皆の方が心配だよ」
玲衣はフェンリルの背中にまたがる。
神狼は彼女を乗せ、身軽に木の幹を駆け降りる。
五十メートル程下ったところで、枝の上に大の字で倒れているルトが見えた。
「ルトちゃん!!」
すぐさまルトの側まで駆け降りる。
倒れたままの彼女に玲衣は急いで近づき、抱き上げた。
「ルトちゃん、しっかりして!」
「んぅ……、レイ? アイツは、やっつけたの?」
目を開いたルトは、キョロキョロと辺りを見回す。
意識もしっかりしていて、深い外傷も見られない。
どうやら力を使い果たしていただけのようだ。
玲衣はホッと胸を撫で下ろすと、彼女の問いに答える。
「そうだよ、全部終わったの。でも、他のみんながどうなっているか……」
「そうだ!! シフルは、シフルは無事なの!? 早く助けに行かなきゃ!」
玲衣の腕の中から勢いよく飛びあがるルト。
危うく頭突きされそうなところを、玲衣はさっと回避する。
「うん、急いで下ろう。ルトちゃんはフェンリルに乗って。私は自分で降りていけるから」
ミョルニルは既に送喚された後。
今のルトはただの十二歳の少女だ。
彼女に神狼の背中を譲ると、玲衣は先導して大樹を下ろうとする。
その時、二人の耳に巨鳥の羽ばたく音が聞こえた。
遅れて届いたのは、ルトが最も聞きたかった声。
「ルトちゃーん、レイおねーさーん! 無事ですかー!」
「……シフル? シフルの声だ! シフルー、ボクたちはここだよー!」
ルトの呼び掛けに、フレズベルクが彼女達の乗る枝へと飛び来る。
その背中にはシフル、あちこちに小さな傷があるが無事な様子。
「シフルーっ!!」
フェンリルがフレズベルクの背中に飛び乗ると、ルトはシフルに飛びつく。
玲衣も続いて飛び乗ると、既にヒルデとシズクも乗っていた。
シズクはもふもふな感触に浸っているが、ヒルデは何やら苦痛に悶えている。
「二人も無事だったんですね、よかった。ヒルデさん、大した怪我は無さそうですけどどうしたんですか?」
「またノートゥングとの二刀流をやった。無茶しなければいいのに」
「無茶でもなんでも……、シズクを守るためだ……」
「ヒルデ……。再三言うけど結婚して」
痛みに呻くヒルデを思いっきり抱きしめるシズク。
ふーちゃんの背中に彼女の絶叫が響き渡る。
なんだかんだで幸せそうなヒルデから、シフルとルトの方へと視線を移す。
「シフルぅ……、無事で良かったよぉ……」
「ルトちゃんにもう一度会いたい一心で頑張ったのです。ルトちゃんこそ、シフルは心配したのですよ」
「もう絶対離れないから! 嫌だといっても離さないんだからぁ!」
シフルのお腹に顔を埋めて泣きじゃくるルト。
二組のカップルに挟まれ、玲衣も自分の恋人が恋しくなる。
沈黙した木の根が張り巡らされた上を飛び、夕日が沈む緑の草原へとふーちゃんは出た。
遥か下に見えるプラチナブロンドの髪の女性と、淡い青色のツインテールの少女。
リンナがこちらを見上げている。
それに気付いた瞬間、玲衣は地上二十メートルの高さから飛び下りた。
「ちょっ! レイおねーさん!?」
「あれくらいレイなら平気。お熱いお熱い」
草地の上に軽やかに着地した玲衣は、すぐさまリンナへと駆け寄る。
リンナも玲衣に走り寄ると、彼女の腕の中に飛び込んだ。
玲衣はリンナを抱きしめ、二人は間近で見つめ合う。
「リンちゃん、ただいま。全部終わらせてきたから」
「ん、おかえり。帰ってくるって信じてたよ、レイ。んっ……」
そのまま唇を重ねる二人。
その傍らに、フレズベルクがゆっくりと降下する。
「おうおう、見せつけてくれてるのです」
「シフル、ボク達もやろうよぉ」
「ヒルデ、私達も」
「後でだ、後で。どうやらまだ一仕事ありそうだからな」
ヒルデが指さす先、公園封鎖の警備に当たっていた騎士たちがこちらに走ってくる。
色々と事情を説明しなければならない、この木がある限り隠し事も通らないだろう。
「さて、世界を救ったなどどう説明するべきか」
「正直に全部言っちゃえばいい。黄昏の魔人も地獄姫ももういないんだし」
「ふっ、それもそうだな。ただ、そうなるとレイ殿とリンナ殿はこれから大変そうだが」
ヒルデの支えを借りて巨鳥の背中から降りたヒルデは、騎士たちの対応に向かう。
ふーちゃんの背中の上では、シフルとルトがこっそりとキスの真っ最中。
そして、口づけをかわし続けるリンナの杖、その先端の宝玉にフェンリルは吸い込まれていく。
蒼い粒子が二人を取り巻き、キラキラと輝きながら。




