90 全てを込めた一撃
その木の根はやがて星の核にまで達し、星の血液たる溶岩を地表全土に流出させる。
世界蛇と地獄姫の魔力を吸い上げた時、ストルスはこの星を滅ぼす為に最も適した姿になる。
最強を求め、果てなき向上心の末に辿り着いた、ロキム・トライステッドの狂気の産物。
それが世界を壊す大樹、世壊樹・ユグドラシル。
触手のようにうねる根が、四方八方に無数に伸びて散らばっていく。
玲衣は巨大な幹を両断しようと斬りかかるが、斬ったそばから再生してしまう。
大地を割り砕きながら迫り来る根からリンナ達を守るため、玲衣は駆け出した。
「フェンリル、ルトちゃんとシフルちゃんを背中に乗せて!」
並走する神狼に玲衣は指示を出す。
フェンリルは全速力で走り寄ると、ルトと小さくなったふーちゃんを抱えたシフルを背中に乗せた。
ヒルデ、シズク、ディーナの三人は自分で動けるようだ。
玲衣は両手の剣を送喚すると、リンナをお姫様だっこで抱き上げる。
「レイ、どうする気だ!」
「とりあえず安全な場所まで逃げないと! 根っこが迫って来てるし、ルトちゃんとふーちゃんはまだ動けそうにないから」
「私も同感だ。あの根、どこまでも追いかけてくる訳ではあるまい。一旦体勢を立て直さねば。リンナ、行くぞ!」
「ん、それしかないか。フェンリル、二人を頼むぞ」
そうしている間にも、世壊樹の根は迫り来ている。
彼女達はその場から退避、刺し貫きにかかる根をかわしつつ、全速力で走る。
先ほどまで草原だった荒野を駆け、防風林を木々がなぎ倒される音を背にして抜け出る。
やがて、ヴィグリーズ記念公園の敷地内を跨いだ辺りで木の根は追跡を止めた。
「なんとか逃げ切ったみたいだね」
そこからさらに一定の距離を取ると、彼女達はようやく足を止める。
玲衣がリンナを解放し、緑の草の上にそっと下ろした。
世壊樹の根はその触手を地底へと向け、星の中心へと静かに伸びていく。
「ふーちゃん、そろそろ行けますか?」
「ふーっ!」
神狼の背から飛び下りたシフル。
元気を回復した相棒の力強い声に頷くと、杖を掲げて祈る。
ふーちゃんは再び緑の巨鳥へと姿を変え、シフルはその背によじ登った。
「シフル、どうするつもりなの?」
「ちょっと上空からあの木の様子を見てくるのです」
「危ないよ、ボクもついてく!」
シフルに対して心配の眼差しを向けるルト。
彼女を守れず、あまつさえ死を覚悟させてしまった。
その事が彼女に重く圧し掛かっている。
「大丈夫なのですよ。ふーちゃんも一緒ですし、だからそんなに悲しい顔をしないで欲しいのです」
「シフル……」
ニコリと笑うと、フレズベルクは上空高く飛翔する。
旋回しつつ高度を上げ、世壊樹と同等の高さ、地上三百メートル付近まで上昇。
シフルの両目が炎に包まれたユグドラシルの樹上、幹の終端から生えたストルスの上半身を捉えた。
「あれなのです、あの木の本体はやっぱりアイツなのですよ! ふーちゃん、皆に知らせるですよ!」
「キュイイィィ!」
フレズベルクは高度を下げ、玲衣たちの元へ舞い降りる。
その背中から、シフルは世壊樹の樹上にある本体の情報を伝えた。
「凄いよ、シフル! お手柄だよ! じゃあ、あとはボク達に任せて休んでて!」
「だが、ヤツの元まで辿り着くのはかなり困難だ」
「それに、おそらくチャンスは一瞬。あそこまで飛び上がって一撃で仕留めるなんて、多分レイにしか出来ない」
黄昏の魔人を一刀両断するなど、この場所はおろか世界中で玲衣にしか出来ない芸当だろう。
彼女は祈りを込め、両手に二本のレーヴァテインを召喚した。
「今の私でも、アイツの体を一撃で消し飛ばすにはかなりの力を溜めなきゃいけないと思う。私一人じゃ、辿り着くまでに消耗しちゃう。だから……皆の力を貸して!」
「レイ殿をあの木の天辺あたりまで送り届ければいいのだろう? お安い御用だ」
「任せて。私たちだって、レイに頼りっぱなしじゃないってとこ見せてあげる」
「シフルとふーちゃんも、お役に立つのですよ!」
「え、シフルも行くの!? じゃ、じゃあボクが守るから!」
その場の全員の視線が玲衣に注がれる。
玲衣は深く頷くと、真剣な眼差しをディーナに向けた。
「危険な場所にリンちゃんを連れてく訳にはいかない。だから……ディーナさん。少しの間だけ、リンちゃんをお願いします」
例え少しの間でも、自分の命よりも大切なリンナの身を預ける。
それが玲衣にとってどれ程の事か、二人の絆の強さを身を持って味わったディーナにはわかっている。
「任せろ。妹にはかすり傷ひとつ負わせん。だから安心して行って来い」
彼女の言葉を受け、最後に玲衣はリンナに微笑む。
「リンちゃん、行ってくるね。少しの間だけ、ここで待ってて」
「ん、待っててやるからサクッと片付けて帰って来い」
しばらくの間、二人は見つめ合う。
玲衣は名残惜しげに彼女に背中を向け、燃え盛る世壊樹を見据えた。
「さあ皆さん、ふーちゃんに乗るのです! 空から一気に送り届けるのですよ」
姿勢を低くしたフレズベルクの広い背中に、まずルトが乗り、シフルの隣に寄り添う。
次にシズク、もふもふな羽毛の感触にご満悦の様子。
さらにヒルデ、最後に玲衣が乗り込んだ。
「フェンリル、私の代わりにレイに着いてってやれ」
視覚が繋がっているフェンリルがいれば、リンナは玲衣と一緒にあの場所まで行ける。
翼を広げ始めたフレズベルクの背中に、神狼は身軽に飛び乗った。
「うわっと、フェンリルも来たんだ。ねえシフルちゃん、重量とか大丈夫?」
「ふーちゃんのぱわーはこんな程度モノともしないのですよ。さあ、ていくおふなのです!」
大きな翼を広げ、フレズベルクは飛び立つ。
目指すは世壊樹の頂上、ストルスの本体。
根が張り巡らされ、荒れ果てた大地を彼女達は見下ろす。
「うわぁ、下は酷いことになってるね」
「でも、案外簡単に辿り着けそうなのです」
「いや、そうでも無いみたいだぞ」
ヒルデが見下ろす先、蠢く根の先端から火球が撃ち出される。
一か所ではない、無数に存在する根という根の先端から射出されるそれは、さながら対空弾幕。
とてもかわしきれる物量ではない。
このままでは間違いなく直撃を受け、撃墜されてしまう。
「ま、まずいよこれ、どうするのシフル!」
翼のすぐ側を、次々と火球が掠めていく。
シフルはやむを得ず、決断を下す。
「仕方がないのです。ふーちゃん、急降下! 地表スレスレを行くのです! 皆さん、しっかり掴まっててください!」
シフルの指示を受け、フレズベルクは急降下する。
垂直に近い角度で落下し、地上ギリギリで水平飛行に移った。
触手のような根がその緑の巨体を捕えようと迫る。
「ウインドカッター! 連発でいくですよ!」
魔力で生み出された真空の刃が根を切り裂き、フレズベルクは高速で飛行していく。
世壊樹の巨大な幹はもう目前、その時突然巨鳥の動きが止まる。
「ふーちゃん!」
大量の根を捌ききれず、とうとう根に巻き付かれ、拘束されてしまった。
「皆さん、飛び下りるのです! シフルたちに構わず先に行ってください!」
「出来ないよ! ボクもここに残る!」
「ダメです! シフルもふーちゃんもこんな根っこにやられるほどヤワじゃないのです、行くのです!」
ヒルデとシズク、フェンリルに玲衣が飛び下りる。
ルトは「うぅぅっ」と呻くと、涙を振り払って飛び下りた。
玲衣はフェンリルの背にまたがり、その後ろにルトが乗る。
「それでいいのです。さぁ、ふーちゃん! 筋力強化! こんなの引きちぎるのです!」
赤い光に包まれたフレズベルクが巻きつく根を振り払う姿を背に、フェンリルと二人の女騎士は駆ける。
「ルトちゃん、大丈夫?」
「へいき。シフルは強いもん」
袖で目元をぐじぐじと拭うと、ルトはしっかりと前を見据える。
とうとう彼女達は木の根元まで到達。
ここからは幹を登っていかなければならない。
「これを登るのは難儀だな……」
「もっと面倒そうなのが来てる、後ろ見て」
「む、これは……。やれやれ、今度は私達の番か」
ヒルデとシズクが後ろを振り向くと、無数の根がこちらへ迫り来ている。
放置しては幹を登る間に追いつかれ、捕まってしまうだろう。
「玲衣殿、先に行け! ここは私達が食い止める!」
「私とヒルデで全部の根っこを押しとどめてみせる。一本たりとも貴女を追わせない」
「ヒルデさん、シズクさん……。すみません、お願いします!」
フェンリルは幹に爪を立て、魔力で氷の足場を作りながら登っていく。
それを追おうとする根を、グラムの鋭い剣閃が斬り裂いた。
「行かせないって言ったはず」
剣を振り抜いたシズクに迫る根を払うバンムルクの青い一閃。
「そして、シズクにも指一本触れさせん」
「惚れそう。結婚して」
「生きて帰ったら好きなだけしてやる。踏ん張りどころだ、行くぞ!」
大量の根を前に大立ち回りを始めた二人を遥か眼下に、玲衣とルトを乗せたフェンリルは幹を駆け上がる。
「レイ、前見て!」
「あれって、枝!? 根っこだけじゃなくて、こっちも動かせるの!?」
幹から生えた枝が何重にも重なり、網のようになって行く手を塞ぐ。
回り込もうにも、外側にも同じく網目。
まるで虫取り網のように、枝にすっぽりと包まれてしまった。
「これって、この辺の枝全部が集まってるんじゃ……」
「今度はボクだね。レイは絶対に頂上に行かせるんだから!」
フェンリルの背中から飛び出すと、ルトは思いっきりミョルニルを振りかぶる。
「ぶち抜けぇぇぇぇぇぇっ!!!」
網目状の枝に鉄槌を叩きつけると、衝撃で枝が砕けて大穴が開いた。
その穴はゆっくりと再生し、塞がっていく。
「急がないと塞がっちゃう、早く通り抜けて!」
「ありがとう、ルトちゃん!」
小さくなっていく穴をすり抜け、フェンリルはさらに上へ昇っていく。
大量の枝が彼女達を追いかけようとするが、その瞬間落雷によって消し炭と化した。
「絶対に行かせないよ。今ね、ボクすっごく怒ってるんだから。ミョルニル、最大放電!」
全方位に迸る稲光が、枝を根こそぎ駆逐していく。
轟く雷鳴を下に、フェンリルの背中で玲衣はとうとう頂上を見た。
燃え盛る枝葉、その中心に鎮座するストルスの本体。
頂上に生い茂る葉のような炎から、迎撃の炎弾が飛び来る。
「レイ、ここまで来たんだ。あとはやれるな?」
発光するペンダントから聞こえるリンナの声。
神狼の眼を通して今の状況も彼女には伝わっている。
玲衣は一人ではない、今もリンナと共に在る。
「うん、もう大丈夫。アイツをぶった斬って、全部終わりにするから!」
「よし、じゃあ最後の一仕事だ!」
フェンリルは世壊樹の頂上まで続く氷の道を作り出した。
玲衣は神狼の背中から飛び下りると、その道を通って真っ直ぐにストルスへ向かっていく。
火炎弾はフェンリルの氷の矢が全て撃墜。
全速力で駆け抜けた玲衣は、とうとうストルスの眼前に躍り出た。
「筋力強化!! いっけええええええぇぇぇぇぇぇ、レイィィィィィィィィィッ!!!」
聖剣の光と魔剣の闇が刀身から迸る。
二つの剣を同時に振りかざし、光の刃と闇の刃が天高く伸びていく。
極太の二つの刃が螺旋状に絡みあい、一つの刃となった。
「これでも、食らえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
全身全霊、全てを込めて玲衣は振り下ろす。
黄昏の魔人は自身の周囲に三重の結界を張り巡らせてこれを迎え撃つ。
ストルスの全魔力を込めた結界は、玲衣の刃を受け止めた。
激しい光が散り、全力と全力がせめぎ合う。
「我は、絶対に負けぬ! 我は最強なのだ! ロキム様の生きた証なのだ!」
「知ったこっちゃ、ないってのッ!」
パリィィィン!
一枚目の結界が粉々に砕け散った。
「あり得ぬ、あってはならぬのだ! 人間風情に、ロキム様の最高傑作たる我が負けるなど! 我はロキム様の世界を焼き尽くす命令を果たす使命が——」
「そんな下らない使命のために戦ってるなら、尚更私が負けるわけない!」
バリィィィン!!
二枚目の結界が破れ、粉々に消滅。
最後の一枚が、玲衣の全力の一撃を支えきれずひび割れていく。
「なんなのだ、我をも凌ぐこの力は、一体なんだと言うのだ!!!」
「わかんないなら教えてあげる! これはね! この星よりもでっかい、私のリンちゃんへの、愛の力だあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
バリイィィィィン!!!
魔人を守る三枚目の結界が破れた。
「わからぬ、理解出来ぬうううううううううぅぅぅぅうぅぅぅうぅぅぅッッッ!!!」
光と闇の刃に全身が飲み込まれ、ストルスは消滅していく。
断末魔の叫びと共に、その胸に脈動していた赤黒い宝玉もろとも。




