89 光と闇
「魔剣を……、けほっ、呼ぶって……」
「あの力は元々私たちの力だ。魔剣の持ち主はレイ、ならばヤツから魔剣を奪い取ることが出来るはずだ」
玲衣の血色は悪く、呼吸も荒い。
ヒルデたちの攻撃を鬱陶しそうに弾くのみのストルスも、いつ攻勢に出るかわからない。
もはや一刻の猶予も無かった。
「聖剣と魔剣——二つ揃った状態が本来の姿なら、今のレイは半分の力しか出せていないことになる。回復効果が二倍になればその傷だってきっと塞がる」
「でも、前にあの力を使った時……」
魔剣の片鱗に触れた玲衣は、憎悪と殺意に塗りつぶされて戦い、リンナを悲しませてしまった。
もう一度あの力を使うことが怖い、また自分を見失って、万一リンナを傷つけたとしたら。
「無理だよ……、げほっ、ぇほっ……。なにか他に方法が……」
「このままじゃ、レイが死ぬっ!!!」
リンナは叫ぶ。
彼女の目尻から涙が溢れ、小さな体が小刻みに震える。
「レイが死んだら、たとえアイツに殺されなくても私は生きていられない……。頼む、どんなになってもいいから生きてくれ……。レイが生きていてさえすれば、私は……」
「リンちゃん……」
——そうだ、何を怖がってるんだ。
リンちゃんが泣いている、悲しんでいる。
だったら私がやるべき事は一つだけ。
ストルスの持つ魔剣に向けて、玲衣は左手を伸ばした。
「……ごめんね、リンちゃん。私、けほっ……自分のことばかり考えて、怖がってた」
「レイ……。大丈夫だ、レイは心の闇なんかに負けない。きっとねじ伏せて——」
「ねじ伏せたりしないよ」
玲衣の精神力がストルスの魔剣に届き、そのコントロールを奪い返そうとする。
反発する魔人の力とのせめぎ合い。
その中で、玲衣は自分の闇の部分と向かい合う。
「私ね、すっごく嫉妬深いの……っ」
「ん、知ってるよ。時々怖いし」
シフルと仲よくしていると、時々リンナを凄い目で見てくる。
「割と束縛しちゃうタイプだし……」
「ん、たまにぞっとする事もある」
二度と離さない、絶対に離れないで、そんな事を昏い眼差しで言われたことも何度かあった。
「万一リンちゃんが浮気なんてしたら、その浮気相手を殺してでも私に振り向かせるから」
「……それは初耳だな。でも大丈夫、私は絶対浮気なんてしないから」
玲衣よりも魅力的な相手なんて絶対にいない、それは自信を持って断言できる。
「えへへ……けほっごほっ! ……こんな気持ちも、リンちゃんが大好きって気持ちの中に含まれてる。だから私は、心の闇をねじ伏せたりしない!」
精神力を魔剣に絡め、強く強く、ありったけの力で引き寄せる。
「これも全部私の中の、リンちゃんが大好きって大切な気持ちの一部だもん! 私は心の闇を否定しない、受け入れて乗りこなす! だから——来い、魔剣・レーヴァテイン!」
四方八方からの攻撃をストルスは片手で捌いていく。
いくつかの攻撃は当たっている、しかしまるでダメージになっていない。
「ふーちゃん、ウインドカッターなのです!」
「キュイイィ!」
フレズベルクの放つ風魔法、疾風の刃がストルスを襲う。
「フン!」
軽く力を込めて腕を振ると、凄まじい風圧が発生し、攻撃を掻き消した。
その隙を突くべく、ヒルデ、シズク、ディーナの三者が三方向から刺突を仕掛ける。
それぞれの武器の切っ先が体に当たるが、魔人の体には傷一つ付かないどころか、一ミリもめり込みすらしない。
「フッ……、築いてきた自信が無くなるな……」
「同感、もう笑うしかない」
すぐに間合いを取ったディーナ、対してヒルデとシズクは息を合わせて同時に斬り付ける。
バンムルクとグラムの剣閃が交差し、S級召喚獣の首をも軽々と落とす斬撃を浴びせた。
それでも、魔人の赤い肌には刃は通らない。
「みんな、下がって! 今度はボクが……とりゃあああぁぁぁっ!!」
ルトの声に、シズクとヒルデが背後へ飛び下がる。
ミョルニルを振り上げたルトは、ストルスの脳天に力の限り鉄塊を振り下ろした。
——ズガァァァン!
インパクトの瞬間、轟く雷鳴。
渾身の殴撃と電撃。
聖剣を除けば、七傑武装最強を誇る威力の一撃。
それすらも、魔人を毛ほども揺るがすことは無かった。
「こんなことって……」
決して彼女達の攻撃が弱いのではない。
通常のストルスにならば、多少なりとも攻撃は通っているだろう。
だが元々の力に加え、聖剣を上回る魔剣の身体能力強化をその身に纏っているのだ。
筋力強化を乗せた玲衣の全力の一撃すら、その防御を貫けるかどうか。
「我の周りを飛び回る鬱陶しいハエ共め、遊びは終わりだ」
一瞥すら向けず、背後のルトに裏拳を入れる。
彼女の小さな体は弾き出されたように吹き飛ばされた。
腹部に受けた衝撃に意識を失ったルト。
地面に叩きつけられる寸前に、フレズベルクが受け止める。
しかしその勢いを殺し切れず、轟音と共に砂煙を上げて諸共に墜落。
「ルトっ! もふもふっ!」
「シズク、よそ見をするな!」
ヒルデの声に視線を戻すも、既に敵はシズクの眼前、拳を振り上げている。
「次は貴様だ」
左の正拳が空気を切り裂き、唸りを上げる。
グラムの刀身でなんとか受け止めたシズクだが、拳圧が腹部を直撃。
大きく吹っ飛ばされて仰向けに倒れる。
起き上がろうとしても、全身が痺れて力が入らない。
「シズクッ!」
ヒルデがそちらに気を取られた一瞬の隙に、丸太のような足による回し蹴りが彼女に繰り出された。
バンムルクで受けてはへし折られる、直撃すれば即死しかねない。
後方に跳び下がって回避しようとするが、体の前を足先が掠った。
「がっ……!」
それだけで十分、衝撃波をまともに受けたヒルデは血を吐いてその場に崩れ落ちる。
「せめて一矢報いて——」
神槍を手に刺突を仕掛けるディーナ。
ストルスは彼女に向けて拳を突き出す。
「ぐあっ!」
カウンターに近い形で拳圧を受けたディーナは、殴り飛ばされて地に伏せた。
「もはや飽いたわ。魔剣の一撃で跡形も残らぬよう消し飛ばしてくれる」
倒れ伏した四人と一羽を前に、ストルスはとうとう魔剣を振りかざした。
シフルは折り重なるように倒れる相棒と恋人の元へ走る。
「ルトちゃん、ふーちゃん、しっかりするのです!」
「う……、シフル、ごめん。ボクたちもうダメみたい……」
シフルに揺り起こされたルトは、全てを諦めたように呟く。
黄昏の魔人があの剣を振るえば、彼女達は容易く消し飛ばされる。
もはや誰にも止める術は無い。
「いいのです、ルトちゃんと一緒に死ねるなら……」
そう言いながら笑って見せるシフル。
その手が震えていることに気付き、ルトの目から涙がこぼれる。
「ごめんね、シフル。守れなくって、ごめんね……」
強く抱き合って目を閉じ、二人は最期の時を待つ。
「終わりにしよう」
闇の炎を刀身に纏い、魔剣が振るわれようとしたその時。
「何?」
ストルスの手に握られた魔剣、その柄尻が消えていく。
柄尻だけではない、消失は柄から刀身を登っていき、切っ先まで順番に消滅していく。
魔人の手の中から、魔剣レーヴァテインは完全に消え去った。
「魔剣が失われただと。本来の持ち主が呼び戻したとでも言うのか……。本来の——持ち主?」
魔人は視線を巡らせる。
その視線が瀕死の重傷を負っていたはずの少女で止まり、その目が驚愕に見開かれた。
「あ、あり得ぬ……。あのレイフですら、御せなかったのだぞ……」
いくら待ってもその時が来ず、シフルとルトはゆっくりと目を開ける。
その視線の先、二本の剣を携えた少女の姿を二人は見た。
倒れた二人の女騎士も、リンナも、そしてその姉も。
その場にいる全ての者の視線が、彼女に注がれる。
「レイおねーさん……」
「レイだっ!」
「レイ殿……!」
「レイ、まさか魔剣を……」
「レイ・カガヤ……。やってのけたのか……」
彼女の右手に握られた聖剣は、その刀身に眩き光を纏う。
彼女の左手に握られた魔剣は、禍々しい黒炎を迸らせる。
「レイ、やるぞ。一緒に戦おう」
双杖を手に、神狼を従えたリンナが彼女の隣に立つ。
「……うん。一緒にアイツを、黄昏をブッ潰そう!」
背中の傷はみるみる塞がり、パリン、と音を立てて氷が割れ飛んだ。
リンナと玲衣は穏やかに見つめ合った後、二人同時に魔人を睨み据える。
「完全に制御しているというのか……! 人間に、人間ごときに心の闇が制御出来るなど……」
「あんたには絶対にわかんないだろうね。この心の中の、リンちゃんといて楽しい気持ちも、モヤモヤする黒い気持ちも、全部ひっくるめて大切だってことが!」
「わからぬ、あり得ぬ、信じられぬ!」
「別にそれでもいいよ。わかってもらおうなんて思ってないから。行くよ、リンちゃん」
「ああ! フェンリル、レイについていけ!」
両手にレーヴァテインをそれぞれ握りしめ、玲衣は駆け出した。
その背後から神狼も続く。
魔人は両の拳に炎を纏い、玲衣を迎え撃つ。
「人間風情にィ!」
「あんたなんかに、負けない!」
繰り出された右拳を掻い潜り、玲衣は力強く踏み込む。
振り抜く聖剣の斬撃、それが魔人の胸に一閃を刻む。
「ぐあっ!」
怯む敵に左の魔剣、黒炎を纏った一撃が深々と傷を抉り焼く。
「負けぬッ! 我は黄昏の魔人ッ!」
炎を纏った両拳での、嵐のような乱打。
玲衣は両手の剣で一撃一撃を的確に弾いていく。
ガガガガガガガガガガガッ!
絶え間なく響く打撃音。
ストルスの拳が捲れ、血が噴き出していく。
玲衣との攻防に全力を傾ける魔人の背後。
尾に氷刃を纏ったフェンリルが、背中を斬り裂いて走り抜ける。
「ぐっ……!」
一瞬だけ生まれた硬直。
そこを逃さず、玲衣は敵の腹部に強烈な後ろ回し蹴りを見舞った。
「ぐぼぉぉッ!」
大きく吹き飛ばされる魔人。
両者の間にかなりの距離が開く。
「これならば、どうだァァァッ!」
ストルスは両手を上げ、巨大な火球を頭上に作りだした。
後ろを振り返る玲衣。
背後にいるのは傷を負って動けない仲間たち、そして守るべき大切な人。
この場で回避する訳にはいかない。
玲衣は右方向へと走りだす。
「消し飛べぇぇぇぇッ!」
魔人の打ち出した特大の火球は、正確に玲衣を狙って迫り来る。
「リンちゃん!」
それだけを言うと、玲衣は空中高く飛び上がった。
彼女の遥か下を、特大の火球が通り抜ける。
そのまま遥か彼方の防風林に激突すると、天をも焦がす火柱が上がり、その一帯が消し飛んだ。
「迂闊、動きの取れない空中へ逃れるなど」
「それはどうかな。フェンリル、空中に氷を張れ!」
玲衣の跳躍した先、フェンリルの魔力によって氷の壁が生み出された。
「さっすがリンちゃん! 私達、通じ合ってるね!」
「当たり前だ、レイの考えなら全部わかるさ!」
強く氷を蹴り、玲衣は空中で軌道を変え、ストルスへと突っ込んでいく。
それと同時に、自身の周囲に光と闇の弾丸を生成。
無数の弾丸を敵に向けて打ち出しながら迫っていく。
「ぐあッ! がはっ! がああぁぁぁぁぁッ!」
体中に弾丸を浴びたストルスは、反撃どころか身動きすら取れない。
敵の目前まで迫った玲衣は射出を中断、二本の剣を持つ両腕を交差させる。
「食らええぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
魔剣と聖剣が振り抜かれ、X字の剣閃を描いた。
玲衣はストルスの背後に着地、突進の勢いのまましばらく地面を滑る。
「が、あ、ぐ、ごぼぉッ!!」
その身を斬り裂かれたストルス。
その傷からおびただしい血を吹き出しながら、よろよろとよろめく。
ゆっくりと振り返ると、玲衣は魔剣の切っ先を魔人に向けた。
「まだ、まだ我は死ぬ訳にはいかぬ。いかぬのだぁぁぁぁ!!」
絶叫と共に、魔人は自らの左胸に手を突き入れる。
「あんた、自分で何を……」
「おかしくなったのか、突然自殺だなんて……!」
ずるりと傷口から手を引き抜くと、その手には脈動する赤黒い宝玉が握られていた。
「あれってもしかして……!」
「そう、これは我の宝玉……。もっとも純粋に近い魔力結晶体……。これに世界蛇と地獄姫の魔力を注入すれば——」
魔人の右手に握られている物は、紫と漆黒の二つの宝玉。
「アイツ、いつの間に!?」
「魔剣を手にしている間にな……。攻撃に巻き込んで消し飛ばさぬためだったが……、まさか使う事態に陥ろうとは……」
二つの宝玉から魔力が漏れ出て、ストルスの宝玉へと流れ込んでいく。
膨大な魔力に赤黒い宝玉は震え、対照的に世界蛇と地獄姫の宝玉は色を失っていく。
ついには二つの宝玉は魔力を完全に失い、粉々に砕け散った。
それは二体の神獣の、完全なる死を意味する。
「なんてことを……、ヘレイナは、ヘルはあんたのために長い時を費やしたのに、そんな使い捨ての道具みたいに!」
「何故貴様が怒るのだ。理解できぬな」
玲衣の怒りに心底不思議そうな顔をすると、自身の宝玉を胸に戻す。
変化はすぐに表れた。
「ぐっ、こ、この力、予想以上だ! 素晴らしい! ぬ、ぬおおおおおおおおッ!!!!!」
ストルスの体が肥大化したかと思うと、足は木の根に、体は木の幹に変わっていく。
「な、なにこれ!? なにが起こってるの!?」
「フハハハハハハハハハハッ!!! これぞ世界を炎に包む最強の力!!!」
ストルスだった木は急成長し、天を衝く程の大樹へと変貌する。
その樹上に生い茂るのは緑の葉ではなく、燃え盛る深紅の炎。
「もはや我はストルスではない! 世界を燃やし尽くす大樹! 究極の召喚獣、世壊樹・ユグドラシルだ!!」




