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81 穏やかな時

 騎士団長の執務室の前、彼女は緊張した面持ちでコンコン、と扉を二回ノックする。

 少し遅れて「どうぞ」と返ってくる返事。

 その声に疲労の色を濃く感じ、申し訳無さで胸が一杯になった。

 ドアノブを回し、ヒルデは執務室へと入っていく。


「失礼する。アスラ、今戻ったぞ」


 デスクにかじり付き、死んだ目で大量の書類の山に挑んでいたアスラ。

 ヒルデの声にゆっくりと顔を上げるとその表情は一変、椅子から転げ落ちながら彼女の足下にすがり付いた。


「だ、だ、だんちょぉぉぉ〜〜〜〜」

「……本当に済まなかった。私が留守の間よく頑張ったな」


 まるで目の前に救いの神でも舞い降りたかのようだ。

 実際、彼女にとっては救いの神以外の何物でもないのだろう。

 この半月間、彼女は騎士団長代理としての重圧に晒されながらも何とか耐え抜いた。

 そもそも副団長という立場すら、自分には荷が重いと思っているのだ。

 そのストレスは実際、並々ならぬ物であった。


「もう、もう何度吐きそうになったことかぁ……。早く私をこの重荷から開放して下さい、だんちょぉ……」

「うむ、本当に迷惑をかけたな。ただ今を以て騎士団長代理の任を解く。通常の勤務に戻っていいぞ」

「はいっ、はいぃ……」

「よしよし、もう大丈夫だ。だからそんなに泣くな」


 小刻みに震えながら泣きじゃくるアスラ。

 扉の影に隠れていたシズクも、さすがに心が痛んだ。

 おずおずと部屋の中に足を踏み入れ、アスラの側でしゃがみ込む。


「……ごめん、アスラ。ヒルデは悪くない、全部私のせい。恨むなら私を恨んで」

「恨むなんて、そんな……。全部、全部私が不甲斐ないのがいけないんですぅ……」

「不甲斐なくなんてないさ。現にお前は十分頑張ったじゃないか。騎士団の皆からも聞いたぞ、お前は立派に務めを果たしていたと」

「うっ、うぅっ、団長……、もったいないお言葉ですぅ……」

「よしよし、アスラは偉い」


 ヒルデに泣きつくアスラの頭をなでなでするシズク。

 なんだかヒルデと自分の娘みたいだと思ってしまう。

 実際には歳はほぼ変わらないはずなのだが。


「ひっ、ぐすっ、もう大丈夫です……。団長、シズクさん、おかえりなさい。久しぶりの休暇はどうでした? 思う存分羽を伸ばせましたか?」

「ばっちり。たっぷり休んで元気いっぱい」

「私は……うむ、あまり休めてないな。むしろ死にかけた」

「死にっ……!? 一体何があったんですか……。エギル海の辺りには危険な召喚獣もいないはずなのに……」

「シズクの鍛錬に一日中付きあってしまってな。二日目の記憶がほとんど無い。ハッハッハッハ」

「わ、笑いごとなんですかぁ……」


 普段から過酷な鍛錬を積んでいるはずのヒルデが死にかける。

 恐ろしいトレーニング内容を思い浮かべ、アスラはまた涙目になった。


「ヒルデはまだまだ鍛え方が足りない。やはり私が守らなければ」

「むぅ、これでもかなり鍛えたつもりだったのだがな。それはそうとアスラ、留守中に何か変わったことは無かったか?」

「変わったこと? 特に何も、いつも通りでしたよ。ま、まさか何か大きな事件でも起きてるとか……!?」

「いや、無いならそれでいいんだ。さ、あとの業務は私に任せてアスラは自分の仕事に当たってくれ。あとでお土産のお菓子を一緒に食べよう」

「はいっ! はふぅ、なんだか肩の荷が降りた気がしますぅ……。では、失礼します」


 アスラはペコリと一礼すると、憑きものが落ちたようなスッキリした表情で立ち去っていく。

 扉が閉まり、部屋にはヒルデとシズクだけ。

 ヒルデは執務机に腰掛けると、早速書類を精査していく。


「うむ、アスラは本当によくやってくれているな。私よりも手際が良いのではないか? ハッハッハッハ」

「……ねぇ、ヒルデ。さっきの質問ってもしかしてヘレイナのこと?」

「あぁ、そうだ。そろそろ何か動きがあっても良い頃だとは思わないか」

「レイから聞いた。アイツが最後に現れたのは建国祭の日。確かに何か仕掛けて来てもいい頃」

「警戒しておくに越したことはない。ヤツが何を考えているのか、見当もつかないのだからな」


 手際良く書類に目を通しながら、シズクとの会話もこなしていく。

 騎士団長として、騎士だけではなく街の住人からも慕われるヒルデ。

 そんな彼女の姿に、シズクは胸が締め付けられる感覚を味わう。


「……ねぇ、ヒルデ。本当に私、ヒルデの隣にいていいのかな」

「急にどうした、お前らしくもない」


 珍しく弱気な言葉、いつもグイグイ押してくる彼女らしくない。

 ヒルデは作業の手を止めて、シズクの顔をじっと見つめる。


「私嫉妬深いし、ヒルデを着せ替え人形にするし、今回だって無理やり海に連れてってアスラにまで迷惑かけて。もしかしたらヒルデ、迷惑に思ってるんじゃないかな、嫌々付き合ってくれてるのかなって思って……」

「迷惑なんかじゃないさ。本当に嫌だったら断っている。私は可愛い服なんて全くわからないし、休みもほとんど取っていない。だからシズクが無理やりにでも引っ張ってくれて、とても助かってるんだ。私一人ではそういうことは出来ないからな」

「本当? ヒルデは優しいから、私を傷つけないようにって嘘をついてるかも……」

「ふっ、まったく、本当にお前らしくない」


 軽く笑うと、ヒルデは椅子から立ち上がった。

 そして、暗い顔でうつむいたままのシズクにつかつかと近寄っていく。

 彼女のあごに指を添え、クイっと引き上げた。

 強引に自分と目を合わさせると、じっと見つめ合う。


「あの時炎の中で言った言葉を忘れたのか? ならもう一度言うぞ。私にはお前が必要なんだ、シズク。私の隣にずっといてくれ」

「————っ!! ……それってそういう意味なの?」

「む、それはどういう……」


 言い終わらないうちに、シズクはヒルデの唇を奪った。

 一瞬触れるだけのキス、すぐに顔を離して目を逸らす。


「こういう意味なのって聞いてる」

「……ふっ、そうだな。そういう意味だ。お前にはずっと私の隣にいてほしい」

「まだ信用できない。今度はヒルデからして」

「何度でもしてやるさ。これからも、何度でもな」


 再び重ね合わせた唇。

 三度、四度、何度も何度も二人は口づけを交わし合った。




 ☆☆




 王都中心街の一角、ユニークなアイスクリームが売りな店の中。

 シフル・ガールデンは人生最大の危機を迎えていた。

 彼女が対峙する怪物の名は、アウド牛ステーキ肉汁絞りアイス。

 こんがりと焼き上げたステーキのジューシーな肉汁を、細かく砕いた肉と共にバニラアイスに混ぜ込んだ代物だ。

 どうして別々に食べようとしないのか、何故混ぜてしまったのか。

 これを考えたシェフの胸倉を掴んで問い詰めたいとシフルは心から思う。


「シフル、食べないの? ボクのはとってもおいしいよ?」


 ルトがおいしそうに食べているのはエギルマグロのソイソース煮付けアイス。

 ソイソース、つまり醤油で煮付けたエギル海特産のマグロの赤みを砕き、醤油と共にバニラアイスにぶち込んだスイーツ。

 もはやスイーツと呼んでいいかもわからない。

 甘いのか辛いのかしょっぱいのかもよくわからない。


「あの、ルトちゃん。本当にこれを食べさせ合うのですか?」


 シフルは未だ目の前のアイスに手を付ける勇気が出ない。

 ピンクと茶色が混ざったような色合いに、ところどころ入ったステーキの粒。

 食べ物を粗末にしてはいけないが、どうしても食べようとは思えない。


「え、なんでそんなこと聞くの? もしかして嫌? なら無理に食べなくても……」

「無理なんかじゃないのです! さぁ、ルトちゃん。あーんなのですよ」

「う、うん。あー……」


 スプーンでステーキアイスを掬い、ルトに差し出す。

 大きく口を開けて待ち構える彼女の舌の上に、アイスをそっと置いた。


「んむっ、うん! これもおいしい。やっぱりシフルに食べさせてもらったからかな」

「そ、それはよかったのです……」


 ルトの味覚が独特なのか、それとも食べてみれば案外いけるのだろうか。

 後者の可能性にシフルは賭けた。


「次はシフルの番だよ。ほら、あーんして」

「……はい、いくですよ。あー……」


 口を開けて待つ。

 まるで死刑宣告を待つかのような緊迫の時間。

 ルトはエギルマグロのソイソース煮付けアイスをたっぷりとスプーンに掬うと、シフルの口の中に放り込んだ。


「んぐっ……」

「えへへ、どう? おいしいでしょ」


 舌の上でとろける冷たいアイスの食感。

 ソイソースの塩辛さとバニラの甘みが絶妙な不協和音を奏で、魚の生臭さの追加攻撃。

 案の定な味に、シフルの額から汗が流れる。


「お、おいひいのれふ……」

「ちょっ!? シフル、口からいろいろ出てきてるよぉ!」


 溶けたアイスが滝のようにシフルの口から流れ出る。

 それを備え付けのナプキンで拭うと、ルトは軽くため息をついた。


「もう、やっぱり無理してたんだね」

「うぅ、ごめんなさいなのです。とんでもなく不味かったのですよ……」

「前から思ってたけど、シフルはボクに気を使い過ぎだよ! ちょっと反省して!」

「はい、おっしゃる通りなのです……」


 シフルにもその自覚はあった。

 彼女の無垢な笑顔を失いたくないばかりに、不純なものからは遠ざけ、彼女を喜ばせることだけを考えてしまっていた。

 このままでは恋人という対等な関係ではなくなってしまう。

 ルトが怒っているのはそこなのだ。


「シフルはボクの恋人なんでしょ? ボクもシフルの恋人だよ。おんなじなんだから、ボクに気を使ったりしないでよ。シフルにそれは嫌だって言われるより、シフルが嫌なことを我慢して辛い思いをする方が、ボクはずっと嫌なんだから」

「ルトちゃん……。シフルが、シフルが間違っていたのです。出会った頃からルトちゃんには教わりっぱなしですね」

「シフルもボクにいろんなこと教えてくれるでしょ。これでおあいこだよ」

「そうですね。お互いに色んな事を教え合う、これが対等な関係なのです」

「それじゃあ、シフルのアイスボクにちょうだい」


 言うが早いか、ルトはシフルの前のステーキアイスのカップを持っていく。

 そのままの勢いで綺麗に平らげると、席を立ちあがった。


「ほら、シフル。次のアイスクリーム屋さんにいこっ。こんどはシフルの好きなアイスを食べさせ合いっこしようよ」

「……はいっ、それでおあいこなのです!」


 ぎゅっと手を繋ぐと、二人の少女は店を出て走っていく。

 どちらが手を引くわけでもなく、横並びに隣合いながら。

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