08 森の中
「腕の力だけで振ろうとするな。脇を締めて体の芯で振れ」
「はいっ」
「剣は叩きつけるものじゃない、斬るものだ。刃を立てて真っ直ぐに振りぬけ」
「はいっ」
訓練所の一角でヒルデに教えを受けながら、玲衣はひたすらに素振りを繰り返す。
隅の方でその様子を眺めながら、リンナは時計を気にしている。
「おーい、レイー! そろそろ昼を回る頃だ。森に行かないと」
「え、もうそんな時間?」
リンナの声に素振りを止めた玲衣は、肩にかけたタオルで汗を拭くと、ヒルデに向き直った。
「ヒルデさん、もう行かないと。見ていただいてありがとうございました」
「こちらこそ良い体験ができた。また時間があれば会いに来てくれ」
玲衣はペコリと一礼すると、リンナの方へと駆け寄っていく。
「おまたせ、じゃあいこっか」
「ん。ヒルデさん、お世話になりました」
リンナも軽く会釈すると、玲衣と一緒に歩いていく。
去っていく二人を見送りながら、ヒルデは小さくつぶやいた。
「人間の召喚獣に天才召喚師の妹、か。実に面白い二人だ」
☆☆
バリエル大森林は、王都の西側に広がる広大な樹海である。
その奥地はいまだ人跡未踏の地も多く、どんな召喚獣が潜んでいるかも判っていない。
今回二人が足を踏み入れたのはその入り口も入り口。
木々も鬱蒼としてはおらず、木漏れ日が心地良い。
危険な召喚獣もいない、まさに初心者向けのフィールドであった。
もっとも、考えなしに奥に進めば命の保証は無いが。
「リンちゃん、フォレストマッシュルームってどんなキノコなの?」
「大体8センチくらいの白いキノコだ。落ち葉の下の腐葉土から生えてる」
積もった落ち葉をガサガサと除けると、白くて丸い小さなキノコが顔を出した。
「あった、これだ。こいつを二十個集めれば依頼達成」
落ち葉の中に手を入れ、傷つけないように取り出すと、収穫かごへと入れる。
「どれどれ、落ち葉の下……」
玲衣もリンナに習って、積もった落ち葉を掘っていく。
するとすぐに白いキノコが姿を現した。
「あった! 案外簡単に集まりそうだね」
順調にキノコを集めていく二人。
そんな時、獣の唸り声のような音を玲衣の耳が拾う。
「ねえ、今なにか猛獣の唸り声みたいなのが聞こえなかった?」
「いや、気のせいじゃないのか。このあたりには小さな生き物しかいないはず」
——グルルルルル……。
大型の獣の唸り声が、今度ははっきりと二人の耳に届いた。
何か大きなものが積もった落ち葉を踏みしめ、こちらへと近づいてきている。
「リンちゃん、下がって」
リンナを背後にかばい、音のする方向を見据える玲衣。
やがて木々の隙間から、「それ」は姿を現した。
「なに、こいつ……!」
体高は5メートル程、全身を黒い毛で覆われている。
丸太のように太い四肢から伸びる鋭利な爪。
胴体からは二つの頭が生えており、それぞれに顔がついている。
二つそれぞれの口から鋭い牙、その隙間から唾液を垂らして。
二対一セット、合計四つの瞳が敵意に満ちて二人を捉えた。
「こいつ……、オルトロス!? A級中位の召喚獣だ! こんなところにいるはずがないのに!」
「いるはずのない召喚獣、ってことは……」
またリンナを狙う何者かの差し金か。
魔獣は咆哮を上げると、姿勢を低くして臨戦態勢をとる。
「レイ、光の剣は!?」
「ごめん、出そうと思ってるんだけど、出ないみたい」
右手に力を込めてみるも、全く何も起こらない。
玲衣は光の剣を諦め、腰に下げた鋼鉄の剣を抜き放った。
「リンちゃん、絶対守るからね」
ちらりとリンナに視線を向け、玲衣は魔獣を睨み据えた。
落ち葉の積もった森の中、対峙する少女と魔獣。
じりじりと間合いを詰めつつ、双方相手の出方をうかがう。
先に動いたのは玲衣だ。
「やあぁッ!」
落ち葉を巻き上げ、走りこんでいく玲衣。
速さを生かして一気に間合いを詰め、一撃を叩きこむ、そう目論んでの突進。
だが、魔獣の速度はそれを遥かに上回っていた。
突撃してくる玲衣の真横に一足で回り込む。
「うそ!」
魔獣の巨体に似つかわしくない機敏な動きに驚愕する玲衣。
オルトロスは唸りを上げつつ、玲衣へとその巨体をぶつけた。
「くっ……、速い……!」
魔獣の体当たりの衝撃を、剣の腹を盾にして和らげた玲衣。
しかしその衝撃は到底殺しきれず、吹き飛ばされる。
背後の木に背中から叩きつけられ、苦悶の声を上げた。
「あぐぅ!」
「レイ!」
ズルズルとずり落ちていき、根元に崩れ落ちる玲衣。
リンナは自分の無力さに打ちひしがれた。
自分は玲衣に守ってもらってばかりで何もできない。
手持ちの召喚獣も、オルトロス相手には出した瞬間倒されるのが関の山だ。
悔しさに握り拳を震わせる。
「まだだよ、まだ……」
剣を杖代わりにし、玲衣は立ち上がる。
切っ先を敵に向け、視線を真っ直ぐにして睨み据える。
魔獣の素早さは圧倒的、速度で上回る事は不可能。
魔獣の生命線は恐らくそのフットワーク。
なんとかして隙を作り、足を潰してしまえば、勝機はある。
「でもどうやって……」
足元に目が向いた玲衣の脳裏に、逆転の策が思い浮かぶ。
そして呼吸を整えると、再び魔獣との距離を詰める。
今度は不意を突かれないよう、慎重な立ち回りを心がけて。
素早く間合いを詰めに行った玲衣の側面に、オルトロスは再び回り込む。
今度はその牙の餌食にするつもりか、鋭い牙をむき出しにして。
「読めてるっての!」
素早い事がわかっていれば、目で追えない程ではない。
巨体の隙間を縫うように胴体の下を潜り抜け、攻撃をかわす。
魔獣の角度を利用した突進攻撃。
側面に回り込まれる度、玲衣はしっかりと目で追い、次々とかわしていく。
これに焦れたのはオルトロスだ。
機を窺う玲衣に対し苛立たしげに咆哮を上げると、真っ直ぐな突進を仕掛けてきた。
「それを待ってたッ!」
玲衣は積もり積もった落ち葉の中に剣を突っ込むと、全力の力で思いっきり巻き上げた。
舞い上がる落ち葉が魔獣の視界を覆い隠すその刹那。
思わず怯み、足を止めたオルトロスの太い右前脚に、玲衣は斬撃を叩きこむ。
刃を立てて水平に、真っ直ぐに、ヒルデの教えをしっかりと守って。
まずその剛毛、ただ叩きつけただけでは、体毛の鎧に衝撃は吸収されてしまっただろう。
次に筋肉のぶ厚い壁、その堅固な二重障壁を越え、玲衣の刃は魔獣の腱を断ち切った。
——ギャオオォォォォン!!
森に響く魔獣オルトロスの苦悶の絶叫。
怒りにまかせ、力任せに左前脚を玲衣に叩きつけんとする。
「まだやる気なの!?」
魔獣の脚から抜き取った剣の腹で、苦し紛れの攻撃を受け止める玲衣。
その力は元々は拮抗していたようだ。
右前脚が動かない魔獣の攻撃には、力はそれほど入っていなかった。
このまま押し切れる、玲衣が勝利を確信した瞬間……。
——グルルルルルル。
唸り声、落ち葉を踏みしめ迫る足音が耳に届く。
背後を振り向いた玲衣の視界に飛び込んで来たのは、リンナの背後に迫るもう一体のオルトロス。
「リンちゃん、危ない!!」
気が動転し、思わず剣を放り捨ててリンナへ駆け寄る玲衣。
リンナが背後を振り向く時、既に魔獣はその鋭い爪を自分に振り上げていた。
玲衣はリンナに飛びつくと、その身を盾に彼女を守ろうとする。
——リンちゃんを守る! 絶対に守るんだ!
——どうしてそこまで……! 私のためにレイを死なせたくない!
二人が強く願った瞬間、それは起こる。
玲衣のペンダントとリンナの宝玉、二つが眩い光を放ち——。
次の瞬間、爪を振り下ろさんとした魔獣を襲う一閃。
危機を感じたオルトロスはとっさに飛びのき、間合いを離した。
「リンちゃんには指一本触れさせない」
右手に輝く光の刃、左手で大切な少女を抱いて。
玲衣は切っ先を向け、二体の魔獣を睨み据えた。