78 暇潰し
「では、シフルたちはすいーつ巡りに行ってくるのですよ」
「いっぱい食べさせ合おうね、シフル」
「いってらっしゃーい」
旅行二日目、午前中はラーンの町の観光。
午後からは昨日と同じく海水浴の予定だ。
同室の四人は当初一緒に回る予定だったが、昨日恋人同士になった二人の要望で、それぞれの恋人と行動することが今朝決定した。
腕を組んでべったりくっついたシフルとルトが中心街へと歩いていく。
ふーちゃんはシフルの下げたバスケットの中。
飲食店の入店対策だろう。
二人を見送った玲衣は、隣に佇むリンナに声をかける。
「リンちゃん、私達もいこっ」
「……ん」
「えっと、リンちゃん?」
「……ん」
「もしもーし。行こうってば」
「……ん」
「……キス、したくなっちゃった」
「……ん。んんっ!?」
上の空で生返事を続けていたリンナだったが、とうとう反応を返した。
顔を赤くしながら大慌てで玲衣の顔を見ると、明らかに機嫌が悪そうに頬を膨らませている。
「むぅ、やっぱり全然聞いてなかった……」
「いや、えっと、ごめん……」
「私を放り出して何考えてたのさ」
「……姉さんのこと。なんだか昨日から気になってて」
「あの人のことか……」
玲衣は正直、ディーナに対して複雑な感情を抱いている。
初対面でいきなり殺しに来たのだから無理も無いが、和解したはずの今でもわだかまりは残っている。
「ね、あの人の話聞かせてよ。どうしてリンちゃんがあんなに尊敬してるのか知りたいな」
「いいけど、ここじゃ場所が悪いな。宿の玄関前だし」
「そうだね。じゃあ、少し歩こうか」
宿の前を後にして、海辺を歩く二人。
海風が爽やかに吹き付け、青い水平線がどこまでも広がる。
やがて木で出来た桟橋を見つけると、リンナはそこに腰を下ろす。
「姉さんは私の憧れだ。ってこれは何度も話したよな」
「でも、何で憧れてるのかとかは聞いてないかな。何かきっかけとかあったの?」
「きっかけか。そうだな……」
リンナは海を見つめながら思い出す。
姉に憧れるきっかけとなった出来事を。
「あれは私が五歳、姉さんは十一歳の時だったかな。私は一人で森の奥まで出かけたんだ。危ないから行っちゃダメだって言われてたんだけど、好奇心には勝てなくって」
「え、リンちゃん大丈夫だったの?」
「当然大丈夫なんかじゃないよ。案の定召喚獣に出くわしてさ。まだ小さかった頃だし、具体的にどの召喚獣だったかは覚えてないけど、イノシシっぽかったかな。助けを呼んでも誰もいるはずなくて、でも助けてって叫ぶしか私には出来なかった」
「ちっちゃいリンちゃん、私が助けに行きたかったな」
五歳のリンナに思いを馳せつつ、玲衣は思わずぼやく。
「レイにはもっとピンチな状況を何度も助けられてるよ。でもその時助けてくれたのは姉さんだったんだ。召喚獣を呼びだしてあっという間にやっつけてくれて。私はその後両親に大目玉食らったんだけど。それから私は姉さんに憧れるようになったんだ」
「マントとか口調とか?」
「……形から入りたかったんだ。あの時の姉さんの背中、今でも覚えてる。今でもあれが私の理想の召喚師像なんだ」
リンナの後ろで話を聞いていた玲衣は、彼女を背中から抱きしめる。
「何となくわかったかも、リンちゃんの気持ち。……お姉さんのこと、心配なの?」
「ん、姉さんに限って万一なんてないと思うけど、それでも心配なんだ」
空を見上げ、リンナは姉を思う。
今、何をしているのだろうか、同じ空の下にいるのだろうか、そして。
——なんだろう、この嫌な胸騒ぎは。
☆☆
ディーナの投げた槍がガルムの眉間に突き立った。
穂先が脳にまで達したのだろう、断末魔の叫びを上げるとガルムは絶命する。
魔犬が倒れると同時に、ディーナは床に叩きつけられた。
「がはっ!」
うつ伏せに倒れた彼女の側に、スレイプニルが投げ飛ばされる。
同じく床に叩きつけられたその馬体には牙の跡が深々と残る。
もう一体のガルムは未だ健在。
その口を大きく開けると、喉奥に集中した炎の魔力を開放する。
吐き出された火炎が、傷だらけの一人と一頭を包み込んだ。
「あらあら、終わっちゃったかしら。少々呆気なかったわね。あら?」
炎を突き抜けて飛び出すスレイプニル。
その馬上、ディーナは手綱を握り、粒子となって消えていくガルムの骸へと駆ける。
鼻先から眉間へと乗り上げ、グングニルを引き抜くと消えていく骸から飛び下りる。
防御強化の効果がある以上、もう一体のガルムには生半可な攻撃は通らない。
同じく防御強化の影響下にあるスレイプニル。
これが無ければ牙の餌食になって命を落としていただろう。
負傷も決して軽くはないが、これから少々無茶をさせることになる。
「やれるか?」
鼻息を荒くして返事を返すと、スレイプニルはガルムへと突っ込んでいく。
ディーナはその鞍上から軽やかに飛び下りた。
主が背中から離れても、スレイプニルの足は止まらない。
それどころかますます加速を付け、ガルムの胸元に捨て身の突進を仕掛けた。
衝突の衝撃で、お互いにダメージを受け吹き飛ばされる。
転倒した魔犬の懐、ディーナは既に槍を構えていた。
「あら、これはまずい状況かしら。くすくす」
この状況でも、ヘレイナはただ楽しげに笑みを浮かべるだけ。
ヤツが手出しをしないのなら好都合。
ガルムの体に穂先を突き立てるが、やはりガードは抜けない。
だが構わない。
一発で駄目なら二発、二発で駄目なら四発、何度弾かれても次々に繰り出す。
「お前が死ぬまで、続けさせてもらう!」
怒涛の連撃は、魔犬に立つことさえ許さない。
やがてその防御に綻びが生じる。
何度も突きを浴びた箇所から血が噴き出し、穂先が僅かに喰い込んだ。
その場所を重点的に突き続け、最後に渾身の力を込めて抉り抜く。
「これで、トドメだッ……!」
遂に防御は砕け、神槍の穂先が心臓を貫いた。
残る力を全て込めたディーナの猛攻に、とうとう力尽き、崩れ落ちる魔犬。
ズゥゥゥン、と音を立てて倒れ伏し、絶命すると粒子となって消えていく。
二体のガルムはディーナとスレイプニルによって駆逐された。
足をガクガクと震わせる満身創痍の愛馬を送喚すると、前のめりに倒れ込みそうになるところを、神槍を杖代わりにして何とかこらえる。
送喚時に発生する回復効果を極限まで高めるため、残り少ない気力を振り絞ったのだ。
「くすくすっ。中々楽しいショーだったけど、どうやら限界みたいね」
口元を押さえながら楽しげに笑うヘレイナ。
風魔法を弱め、ゆっくりと地上に降り立つ。
「もう何かを言い返す気力も無いのかしら」
氷の槍を片手に、ヘレイナは近づいていく。
神槍で体を支えて肩で息をする、今にも力尽きそうなディーナの元へと。
「まぁいいわ、そこそこ楽しめたから。いい暇つぶしになったってとこかしら」
彼女の前に到達すると、止めを刺すために氷の穂先を心臓へと向ける。
「さよなら、天才召喚師さん」
「……ッ!」
その瞬間、ヘレイナが見せた一瞬の隙。
この時のために残していた力を全て込め、ディーナはグングニルを振り抜いた。
神槍の刃は敵の体を両断、するには至らない。
ヘレイナは一瞬で姿を消し、起死回生の一撃はむなしく空を切る。
「あぶないあぶない。ホント、最後まで油断ならないわね」
瞬間移動を回避に利用し、ディーナの背後へと現れる。
冷笑を浮かべながらも、その頬に一筋の汗。
背後に現れた敵を、ディーナはすかさず薙ぎ払う。
だが、力無いその攻撃はいとも簡単に止められてしまった。
「あらあら、本当に往生際の悪いこと。そういうの、嫌いなのよね」
ヘレイナは吐き捨てると、左手をかざして雷雲を生成。
放たれた雷撃の魔法がディーナの全身を駆け巡る。
「ぐあああぁぁぁあぁぁッ!!!」
電撃に体を灼かれ、膝を突いて崩れ落ちる彼女を、ヘレイナは冷たく見下ろす。
「いい加減死んでくれないかしら。もう貴女で遊ぶのは飽きたの」
「ふっ……、ふふっ……」
「何がおかしいの? とうとう気でも触れたのかしら」
「いいや、私は正気さ……。作戦が思った以上に決まったのでな、思わず笑ってしまった……」
そう言って顔を上げたディーナ。
浮かべた表情は、勝利を確信した笑み。
「作戦? 何を言って——」
——パリン!
「なッ……!」
背後から聞こえた音に、ヘレイナは顔色を変えて振り返る。
彼女が目にしたのは台座からはね飛ばされ、空中で真っ二つに断ち切られ、さらに床に叩きつけられて粉々に砕け散った地獄姫の宝玉。
「最後の最後で……、油断したな。貴様が瞬間移動でかわした攻撃は、最初から貴様を狙ったものではない。げほっ……。はぁっ、地獄姫の宝玉めがけて飛ばしたんだ、追尾斬撃をな。これで……、貴様の全てが終わる」
「お、おのれェッ、ディーナ・ゲルスニールゥゥゥゥ!!!」
その叫びが彼女の断末魔になる。
……なる。
なる、はずだった。
「ゥゥゥッ、なーんちゃって、てへっ♪」
舌をペロっと出しつつのウインク。
ディーナの勝利を確信した顔は、愕然とした表情に変わる。
「バ、バカなッ! 何故死なない! 宝玉を砕かれて、何故貴様は生きている!」
「ブリージンガメンで一度騙されたのに、また騙されちゃったわね」
「ま、まさか、あの宝玉も——」
「そ、真っ赤なニ・セ・モ・ノ。本物はね、じゃじゃーん! こんなところにありましたー」
ローブの内ポケットから無造作に取りだした、暗黒の魔力が迸る漆黒の宝玉。
手のひらの上で転がしながら、ヘレイナはそれを見せつける。
貴女は最初から手のひらの上だったのよ、とでも言わんばかりに。
「あー、面白かった。ニセモノの宝玉相手にあんなに必死になっちゃって。作戦が思った以上に決まったのでな、ですって! あはははははっ」
わざわざ声真似をしてまで嘲笑うヘレイナ。
力を使い果たしたディーナは、ただ恥辱に耐えながら睨みつけることしか出来ない。
「これ以上生き恥を晒すつもりは無い、殺せ」
「うーん、どうしようかしら。ここまで私を楽しませてくれたんですもの。殺すのはちょっとねー」
「生かしておくと言うのか、余裕だな。生きている限り、私は何度でもお前を殺しに行く」
「あ、それは無理。だって貴女、これから生きる屍になっちゃうから」
「……何? それはあの呪いの効果のはず。貴様の正体や目的について、私は何も口外していない」
「甘いわねぇ。あの呪いは条件を満たさなくても、私が任意で発動出来るのよ。知らなかったでしょ、ふふっ」
ヘレイナの発言に、ディーナの顔色が変わる。
その話が真実ならば、彼女はいつでも自分を消すことができた。
今回の戦いだって、そもそも刃を交える必要すらない。
本当に彼女の暇を潰すためだけの、ただの茶番だ。
「貴様……、私をどこまで愚弄するッ!!」
憎き敵に一矢報いるため、限界を迎えた体を怒りが突き動かす。
薄ら笑いを浮かべた顔面を貫くべく繰り出した刺突。
それがヘレイナの顔に届く前に、彼女は指をパチンと鳴らした。
「っあ————」
ぐらりと傾く視界。
体から力が抜けていく。
手から滑り落ち、カラン、と音を立てて床に転がったグングニルは力の供給を失い宝玉へ。
冷たい床に倒れ込んだディーナ。
暗転する視界、急速に薄れゆく意識の中、彼女が想うのは最愛の妹。
「リンナ、済まない……、お前を、守れな、か————」
それを最後に、ディーナが立ち上がることは無かった。
永遠の眠りにつく、ヘレイナだけがかけられる呪い。
彼女はそれに囚われた。
「お疲れ様〜〜。あ、大事なことを教え損なっちゃってたわ。この宝玉は貴女程度の攻撃じゃ傷一つ付かないって。なんせ暁の召喚師ですら破壊出来ず、封印するしかなかった代物だもの」
うっかりしてたわ、と呟きつつ、げんこつで自分の頭を軽く叩く。
「さてさて、貴女の出番はなんと、まだ終わってませ〜ん。私の計画、その最後の一押しに利用させて貰うわ、ふふふっ」
ディーナの体を軽々と担ぎ上げ、神槍の宝玉を回収すると、ヘレイナはその場を後にした。




