76 灰色の大地
ニザベル山脈の北方、連なる峰々を越えた先にその地はある。
ヴァルフラント王国の北の果て、緑の育たぬ不毛の大地。
吹き付ける寒風と太陽を遮る厚い雲により一年を通して気温は低く、流れる川も無い乾ききった土地はひび割れている。
生命の気配を感じさせないあの世にも例えられる灰色の荒野、その地の名はニルブレイム。
人も召喚獣も近寄らない死の大地を、八足の芦毛の軍馬を駆って進む黒いローブの女性。
彼女の名はディーナ・ゲルスニール。
当代最強との呼び声も高いS級召喚師。
愛馬スレイプニルの鞍上、彼女は荒野の中に不自然な盛り土を視止めて手綱を引く。
「ここか、あの書物に書かれていた場所は」
実家の倉の中、埃をかぶって眠っていたあの書物。
その中に書かれていた内容の一つ、暁の召喚師がこの地に封じたもの。
それが存在する遺跡の入り口を探してこの地を訪れ、どれ程探し続けただろうか。
玲衣とリンナとの戦いが終わった後、彼女は本の記憶を頼りにこの場所へとやってきた。
全てはもう一つの可能性を手繰り寄せるために。
この試みが失敗した場合、あの女の計画は盤石なものとなるだろう。
そうなったら世界が……いや、世界などどうでもいい、妹の身に危険が及ぶ。
「何としても、あれを見つけ出して破壊しなければ……」
スレイブニルからひらりと飛び降りると、彼女は杖をかざす。
「ここまで長々と付き合わせてしまったな。ゆっくり休んでくれ。——送喚」
愛馬は青色の粒子となり、元の住処へと帰っていった。
杖と入れ替わりに取り出したのは緑色の宝玉。
「この先に何が待ち受けているのか。召喚、グングニル!」
緑の光となった宝玉はその形を変え、美しい槍となる。
獲物を盛り土に向けるとディーナは天高く跳躍、神槍を力の限り投げつけた。
グングニルが着弾すると、その周囲の地面はゴバァ、と音を立てて吹き飛ぶ。
乾いた砂塵がパラパラと空気中に舞う中、突き刺さった神槍を引き抜いたディーナ。
地表が砕け、露わになった古代遺跡の入り口を一瞥する。
「力ずくで解ける封印か、ずいぶんお粗末だな。……いや、既に解けていた、か」
ヤツの存在を考えるならば、それが妥当だろう。
神槍を握り締めると、彼女は地下へと続く階段を一歩一歩降りていく。
ディーナが足を踏み入れた古代遺跡の中は、どこか埃っぽい乾いた空気が漂う。
石造りの壁に掲げられた不思議な光を放つ照明は、古代の技術で作られたものなのか。
四角い石がタイル状に敷き詰められた一本道の通路。
その奥は闇に包まれ、先を見通すことは出来ない。
薄暗い通路に描かれた壁画は、古の戦いの一部始終が記されている。
ディーナにはこの古代文字を読むことは出来ないが、その内容は知っている。
あの本に書いてあった内容は、燃やす前に嫌というほど脳内に叩き込んだのだから。
「まったく、ご先祖様もとんだ置き土産をしてくれたものだ」
愚痴を吐いても仕方ない、しかし幾分無責任な話ではないか。
後世に託すと言えば聞こえは良いが。
「今のところ、気配は無いな」
コツ、コツ、コツ。
静かな石造りの通路に、靴音が反響する。
不気味な程の静寂。
やがて通路は別れ道に差しかかった。
「右側が肉体、左側が宝玉……だったな」
通路を左に曲がる。
右側には何の用事もない。
その先にあるのは空っぽの石造りの棺だけだろう。
あるいは盗掘者ならば、財宝狙いで飛びつくのだろうが。
左へ長く続く通路の果て、薄らと明かりが差し込む。
いよいよその場所が見えてきた。
この先に宝玉が無ければとんだ無駄足だが、おそらくここ以上に安全な隠し場所は存在しない。
「貴様の野望は、私が今から粉々にしてやる」
足を早め、ディーナは長い廊下を抜けた。
その先に広がるのはドーム状の広い空間。
地下深くにも関わらず、昼間のような明るさ。
古代の照明技術のたまものだろう。
大理石のような磨き抜かれた床は鏡のように景色を反射させ、長い年月の経過を感じさせない。
しかし、ディーナにこの光景を眺め感慨にふけっている暇などない。
彼女の目的の品は、その空間の中心に鎮座していた。
魔女か悪魔の指のような不気味なオブジェが円形に立ち並び、その中心に立つ台座。
そこに納められた宝玉の色は、夜の闇よりもなお暗い暗黒。
「あれか、三神獣の一体——地獄姫の宝玉」
やはりこの場所にそれは存在した。
その手に神槍を握り、ゆっくりと台座に近づくディーナ。
台座の前に立つと、その穂先を宝玉へと向ける。
「コイツを砕けば全てが終わる。だが——出て来い、居るのはわかっている」
「くすくす、気付かれちゃってた?」
宝玉に背を向け、通路へと続く入り口に目をやる。
その周辺にもやもやと立つ黒い空間の歪み。
そこから彼女は、ヘレイナはその姿を現した。
「さすがは天才召喚師さん、完全に気配を消したつもりだったのに」
「私が宝玉を砕こうと隙を見せた瞬間、背後から襲うつもりだったのだろうがな。そんな隙をこの場で晒すものか」
一歩、二歩と進み出て、ディーナはグングニルを構え、敵を睨みつける。
「ずいぶん警戒されてたみたいね。まあ、当然かしら。ずいぶんと嫌われていたみたいだし」
「誰が貴様になど尻尾を振るものか。この手で殺せるものならとっくに殺している」
「でもそれは出来ない。貴女に私を殺すことはできないの。おっと、貴女だけじゃないわ。あの娘以外の誰にも、ね」
「だからこそ、私はこの場所に来た」
「そして私がそれを見逃すはずがない」
彼女の右手の魔輪、その青い宝石が光を発し、右手に氷の槍、左手に氷の盾が生成される。
ディーナは軽く舌打ちすると、神槍の穂先を向けて構える。
「その腕、再生していたか。忌々しい化け物が」
「酷い言い草。レディに対して失礼よ」
じりじりと間合いを詰めつつ、二人は対峙する。
ヘレイナは彼女を挑発するようにクスクスと笑いを漏らす。
「何が可笑しい」
「初めて会った時のことを思い出しただけよ。あの時もこうして神槍片手に私に挑みかかって、あえなく呪いをかけられちゃったのよね。それに、心臓を貫いても私を殺せないと知った時の貴女の表情。傑作だったわ」
「……そんな挑発に乗ると思ったか」
「挑発? ただの思い出話じゃない。私にしてやられた挙句、私の真実を口にした途端に永遠の眠りについちゃうようにされちゃった、無様な天才召喚師さんのね」
その言葉が終わらないうちに、ディーナは強く床を蹴って飛び出した。
神槍を振り、真空の斬撃を飛ばしながらヘレイナに迫る。
「あらあら、挑発には乗らないんじゃなかったのかしら」
氷の槍を振るい、ヘレイナは斬撃を撃墜。
怒りのままに振り下ろされた神槍を、氷の盾で受け止めた。
「黙れ。貴様の命も今日これまでだ」
「怖い顔。美人さんが台無しだわぁ」
槍を引き、右回転しながらの薙ぎ払い。
攻撃は空を切り、ヘレイナは風魔法で空中へと舞い上がる。
そのまま氷の槍を構え、突撃をかけてきた。
「槍さばきで私に勝てると思っているのか!」
ディーナは素早く前方に転がり、突撃の軌道から抜け出る。
そのまま穂先を軌道上に突き出した。
ヘレイナが突進を止めなければ、グングニルの刃が体を両断する。
「おっと、危ないわね」
当然ヘレイナは突進を中断、上空に逃れようと上を向く。
足裏の風魔法により、彼女は高速で間合いの外へ逃れると、地上のディーナへと目を戻す。
「貴女の槍さばき、見られなくて残念だわぁ」
「私も、見てもらえなくて残念だ」
ニヤリと口元を歪めたディーナに、ヘレイナは眉をひそめる。
「貴女、何を企んで——」
その瞬間、背中に走る衝撃。
背後からヘレイナに着弾した真空の刃。
彼女が上空に上がるために目を逸らしたほんの一瞬に放った物だ。
「いっ……たいわねぇ。前にこれ、あの娘にもやられたのよ」
「やはりな、背中に纏った氷の鎧。以前戦った時と同じか」
「……貴女にもやられたのだったかしら。やっぱり私、背中がお留守なのね」
やれやれ、と肩をすくめるヘレイナ。
仕留められなかったことに、ディーナは眉ひとつ動かさない。
もとよりこれで倒せる相手だとは思っていない。
何よりも、ヘレイナを斬り殺すことは出来ないのだから。
一つ手の内を暴いただけでも上々だ。
「どうした、本気を出さないのか。ずいぶんと余裕だな」
「だって面白くないじゃない。私が本気を出したらすぐに終わっちゃうわ」
「ふっ、足下を掬われなければいいな」
空中の敵に向け、ディーナは槍を振るい無数に斬撃を飛ばす。
ヘレイナは呆れたようにため息を吐きながら、次々に飛来するそれを槍で掻き消していく。
「貴女ねぇ、それしか出来ないのかしら。バカの一つ覚えって言葉知ってる?」
「知っているさ。この攻撃は貴様を倒すためのものではない。貴様をその場に釘付けにするための攻撃だ」
「なんですって?」
絶え間なく飛び来る斬撃。
これを防ぎ続ける限り、ヘレイナはこの場から動けない。
何かを狙っているのか、攻撃を弾きながら観察する。
すると、斬撃の中の一つが緩やかな弧を描きながら軌道を逸らしていく。
「貴女、まさか……」
「気付いたか。だが、もはやどうすることも出来まい」
ニヤリと笑うディーナ。
挑発に乗った振りをして油断を誘い、がむしゃらな攻撃かと思わせてその場に釘付けに。
そしてグングニルの能力、対象が射程内に存在さえしていれば、視界に入れなくても構わない。
「まずいッ! 宝玉が……!」
斬撃の処理に追われ、ヘレイナにそれを止める術は無い。
無理やりに防御を解いたとしても、死なないだけでダメージは受けるのだ。
無数の斬撃により戦闘不能になるだけだろう。
ディーナの飛ばした真空の刃は、みるみるうちに地獄姫の宝玉へと迫る。
「油断したな、終わりだ」
「しまったっ……なーんてね♪」
斬撃が宝玉に届く寸前、突如現れた暗闇の玉がそれを飲み込んだ。
「何っ!?」
「危ない危ない。よかったわぁ、私の闇魔法を宝玉の前に仕掛けておいて。宝玉を砕こうとした瞬間に貴女自身が粉々になるのも面白いかな、と思って置いといたんだけど」
「クソッ、だがもう一度……」
「無駄だって言ってるじゃない。出てきなさい、闇の門」
ヘレイナの前に渦巻く暗黒の円が現れる。
ディーナの繰り出した斬撃は、ことごとくその中へと吸い込まれていき、ヘレイナに届く事はない。
「もうあんな隙は与えない。覚悟するといいわ」
彼女はそのまま空中を滑るように移動し、ディーナの間合いに飛び込んだ。




