75 夜の浜辺
旅館の一室に備え付けられた浴室のドアが開くと、出てきたのは寝間着に身を包んだ風呂上がりの玲衣。
「ふぅ。シフルちゃん、ルトちゃん。お風呂空いたよ」
濡れた髪をタオルで拭きながら、彼女は同室の二人に告げる。
子猫のようにじゃれついてくるルトと戯れながら、シフルは返事を返した。
「わかったのですよ。ルトちゃん、一緒に入りましょうか」
「うんっ! 体洗いっこしようね」
「はい、いつものようにすみずみまで綺麗にしてあげるのですよ」
「んぅ、背中だけでいいよぉ……。お腹とか触られるとくすぐったいし」
「あ、レイおねーさん。シフルたちはまだ子供なのです。もちろんやましいことなど何もしないのですよ」
「わかってるよ……。あれ、リンちゃんはいないの?」
部屋の中をざっと見た限り、シフルとルト、それにふーちゃんしかいないようだ。
宿泊する部屋はペアチケットの記載通りの二人部屋。
追加で部屋を取ることも出来たのだが、四人いてもどうせ使うベッドは二つ。
余計な出費を抑えるためにと、あえてそのままにした。
「愛しのリンナおねーさんなら、ふらりと出て行きましたよ。湯冷めするからお勧めはしなかったのですが」
「そうなんだ。なんの用だろう、気になる……」
「そういえば、二人は一緒に入らないのですね。むふふ、お風呂どころじゃなくなるからですか?」
「も、もう! 私リンちゃん探してくるっ!」
ニヤニヤしながらのシフルの発言に、玲衣は顔を赤くして部屋を出て行ってしまった。
彼女の後姿をむふふ笑いで見送るシフル。
二人きりになったところでルトと軽く口づけを交わす。
「ちゅっ。さて、シフルたちもお風呂に入りますか」
「うん、ところでやましいことってなに?」
「大きくなったら教えてあげるのです。ふーちゃんも一緒に入りますか?」
「ふーっ」
ぴょんぴょんと跳ねながら近寄って来た相棒を抱き上げると、シフルはルトと共にバスルームへと入っていった。
☆☆
星明かりの下、静かに打ち寄せる波の音。
繰り返し聞こえるその音を聞きながら、リンナは暗い海を見つめ、考えを巡らせる。
湯上がりの髪はツインテールが解かれ、ロングヘアーが海風になびく。
波の音しか聞こえない優しい闇の中、ザッザッザ、と砂の上を走る音が混ざった。
「リンちゃん、やっと見つけた。こんなとこでなにしてるの?」
砂浜をこちらに駆け寄ってきた玲衣。
波打ち際に立ち尽くしていたリンナは、彼女の存在に気が付く。
「レイか。ごめん、心配掛けたみたいだな。少し考え事をしてたんだ」
「考え事って私のこと? ってふざける空気じゃないね、あはは……」
海を見つめるリンナの顔は真剣そのものだった。
少なくとも色恋沙汰どうこうな雰囲気ではない、とても深刻な考えに違いない。
「ふふっ、まあ当たらずとも遠からずかな。私とレイに関することっていうか、今までのヘレイナの行動から、ヤツの目的がわからないかと思ってさ。考えをまとめてたんだ」
「ヘレイナの目的? それってリンちゃんの……命なんじゃ」
リンナは首を横に振る。
ヘレイナの目的はそんな単純なものではない、と彼女の中で既に結論は出していた。
「私も最初はそう思っていた。ドラゴン、ケルベロス、高位の召喚獣を連続で差し向けてきた頃はな」
「私は今でもそう思ってたんだけど、リンちゃんはどこでおかしいと思ったの?」
「最初はホズモンドとの戦いの後だ。世界蛇の遺跡にヤツが姿を現した時、私もレイもとても戦えない状態。しかも遺跡はヤツの手によって崩壊が始まっていた。そんな殺すにはこれ以上無い絶好のチャンスでヘレイナは何をした?」
「……私達を遺跡の外へ飛ばした」
玲衣の中でも合点がいく。
あの時、ヘレイナが姿を現した時。
彼女が襲いかかってくれば、なすすべもなく殺されていただろう。
「そう、思えばもっと前から不自然な点はあったんだ。そもそも姉さんを仲間に引き入れてること、この行動自体が私の殺害と完全に相反する」
「だよね、あの人リンちゃんのこと凄く大事に思ってたし、私との戦いでもリンちゃんを巻き込まないようにしてた。ヘレイナがリンちゃんを殺そうとしてたなら、あの人が黙って見てるはずないもん」
「だから考えてたんだ。一体アイツは何の目的で私達を何度も襲い、七英刃なんてものを作って一人ずつと戦わせたのか。もう少しで見えそうな気がするんだけど」
「最初はA級召喚獣一体、次は二体、そして七英刃が一人ずつ、か。なんだか順番に強くなってるみたいだよね」
彼女の漏らした言葉に、リンナは閃く。
順番に強くなった召喚獣、一人ずつ襲ってきた敵、その間自分たちの間に何が起こっていったか。
「——聖剣。聖剣の力を鍛える。ヘレイナの目的がそれだとしたら」
「え、どういうこと?」
「最初に私を襲った時、レイが召喚されて、初めて光の剣——聖剣の力を発現させた。あの襲撃の目的はきっとそれだったんだ」
「私の召喚も、ヘレイナの計画通りだって言うの?」
「レイの召喚自体はどうかわからないけど、聖剣の力を呼び醒ますという目的自体は達成してる」
深く考え込む。
一定のリズムで打ち寄せる波の音が、彼女の集中力を高める一助となる。
「そしてヘレイナは次々と私達に敵をぶつけ、私達はそのたびに力を高めて撃退していった。全てはヤツの計画通りに。レイ、ヨルムンガンドとの戦いの後、ヤツが現れたんだよな。何か言ってなかったか?」
「えーっと、確か……。計画は至って順調、ヘイムズのせいで台無しになるところだったけど結果的には最高の働きをしてくれた。……こんな感じ」
「なるほど、レーヴァテインの完全な覚醒すらもヘレイナの計画の内ってところだろうか」
「あとなんか、黄昏の第二幕? とか言ってたような」
「ん、なんだそれ?」
「リンちゃんにわかんないなら、私にわかるわけないよ!」
「まぁ何にせよ、ロクでもないことなんだろうな」
もはや玲衣の頭はパンク寸前。
両手で頭を抱えて唸りはじめてしまった。
「あーもう、わけわかんない! 私達を強くしてヘレイナになんの得があるっていうの!?」
「ん、まあ飽くまでこれは状況を元にした私の推理だから。もしかしたら全然見当はずれかもしんないし」
「でもつじつまは合ってるように思えるし、私のリンちゃんが見当はずれなこと言うはずないもん」
なおも頭を抱え続ける玲衣。
彼女の腰にリンナは手を回し、優しく抱きしめた。
抱きしめた、というよりは抱きついた感じだが。
「ごめんな、レイ。せっかくの旅行中なのにこんな話聞かせてさ」
「リンちゃん……。謝んなくていいよ。私が聞きたくて聞いたんだしさ」
玲衣もリンナの体に腕を回し、抱きしめ返す。
そのまま見つめ合うと、二人は夜の浜辺で唇を重ねる。
「んっ……ぷぁっ……。さ、そろそろ戻ろう。こんなところにいたら湯冷めしちゃう。旅行中に風邪なんか引いたらもったいないよ」
「そうだな、少し冷えてきた。レイと抱き合ってたらあったかいんだけど」
「えへへ。もう少しこのままで、いる?」
「ん、続きはベッドの中でしよう。……あ! 変な意味じゃないぞ! 第一シフルたちがいるのにそんなの出来ないし……」
試着室や夕方の浜辺でのからかいがまだ尾を引いているのか、慌てて弁明するリンナ。
そんな彼女の頭を優しく撫でると、リンナは安心したように目を細める。
「慌てなくてもわかってるよ。いこっ、リンちゃん」
「……ん」
手を繋ぐと、二人は宿へと戻っていく。
夜の砂浜に二人分の足跡を残して。
☆☆
「二人とも、もう寝てるかな……」
カギを開け、部屋の中をそっと覗く。
まだ明かりが点いていて、話声も聞こえてくる。
どうやら二人とも起きているようだ。
「起きてるみたいだな。シフル、ルト、戻ったぞ」
「おぉ、二人ともお帰りなさいなのです。むふふ、逢瀬は楽しんできましたか?」
「逢瀬って、お前ホントに十歳か?」
「どこからどう見ても純粋無垢な十歳の幼女なのですよ」
「垢だらけで真っ黒だろ」
「酷いのですっ! 初めて会った時の初々しいリンナおねーさんはどこに行ったのですか!」
「忘れた」
「緊張のあまり裏返った声でっ、ぷくくっ、十歳のシフルに敬語をッ、ぷすぷすっ」
「忘れた」
早速掛け合いを始める二人。
余程仲が良いのだろうか、玲衣は少し複雑な気分になる。
ルトという恋人が出来たシフルに対して嫉妬するのは無意味だとわかっていても、なんだかモヤモヤしてしまう。
「んんぅぅぅぅっ、シフルっ、リンナが帰ってきた途端にボクを放ったらかしにしないで!」
嫉妬を爆発させたのはルトの方だ。
リンナとじゃれ合うシフルを自分の方に抱き寄せ、ほっぺを膨らませている。
「あぁ、ルトちゃんを放っておいた訳ではないのですよ。寂しい思いをさせてしまって申し訳ないのです」
「謝るよりもちゃんとボクをかまって!」
「よしよし」
短いサラサラの銀髪を撫でると、ルトはシフルに頬を擦り寄せる。
「気持ちぃ、もっとやって……。ふわぁ〜」
「ふわぁ〜ぁ。うぅん、もう眠いのです。ルトちゃんも眠そうですね」
「んぅ、シフルに撫でられてたら眠くなっちゃった……」
二人揃って大あくびをしたあと。ルトは眠たそうに目をこする。
シフルはふーちゃんをバスケットにタオルを敷いた寝床に入れると、ルトを連れてベッドの上に移動した。
「明日も一日遊ばなければならないのです。シフル達は早めに寝るのですよ。お二人もお楽しみは程々にするのですよ」
「なにもしないからね。別になにかしたりしないから。お休み」
「んぅぅ、おやしゅみ……」
ルトはもう半分夢の中。
シフルと一緒にベッドに入って布団をかけられると、すぐに寝息を立てはじめた。
「寝付きがよくてかわいいのです。シフルも……ねむ……んにゃ……」
二人の少女は寄り添い合い、揃って眠りに着く。
その様子を微笑ましく見守ると、玲衣もベッドに入る。
「おいで、リンちゃん。体温め合お?」
「ん、なんか言い方が……」
なんだかいやらしい、とは心の中だけに留める。
脳内ピンク色とは絶対に思われたくない。
部屋の明かりを最小限の照明だけに落として、玲衣と同じベッドへ。
潜りこんだ途端、彼女の熱烈なハグが出迎える。
「いらっしゃい。んー、リンちゃんあったかい」
「わぷっ、レイも柔らかくて、ふわふわで……」
ベッドの中で密着し、お互いの匂いと温もりに包まれながらじっと見つめ合う。
「ね、リンちゃん、キス……しよ」
「レイ……っ、ちゅっ」
「んっ……ちゅっ、んむ……っ」
唇を合わせるだけのライトなキス。
それだけでも十分に幸せを感じられる。
それに、もっと深いキスをしたらもう歯止めが効かなくなってしまう。
何度も唇を重ね、二人のささやかな睦み事は続いた。
「ちゅっ……、んちゅ……ぷぁっ」
「はぁっ、リンちゃん、大好き。愛してるのっ……んぅ……」
「んぁ……私も、好きだ、愛してる、レイっ、ちゅっ、んむ……ぷはっ」
「ぷぁっ。はぁ、はぁ……。だめ、これ以上は眠れなくなっちゃいそう。ここまでにしよっか」
「……ん、そうだな」
「えへへ、リンちゃんの髪の毛もふもふっ」
リンナの頭に鼻を寄せ、手で触れて、その匂いと感触を楽しむ玲衣。
その結果、自動的にリンナの顔は玲衣の胸に埋まる。
「むぐっ、苦しい……」
「そんなこと言って、嬉しそうな顔してるよ?」
「そ、それはそうだろ。柔らかいし、いい匂いするし、なんか落ち着く……」
「私も、リンちゃんの髪触ってると落ち着くの。ふぁぁ……眠くなってきちゃった……」
「寝てもいいぞ。落ち着くなら髪触ったままでいいから」
「ありがと……、リンちゃん。おやすみ……」
「おやすみ、レイ」
それっきり会話は途切れる。
しばらくすると、リンナの頭の上から静かな寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃったか。それにしても……」
一人の時間が出来ると、やはりヘレイナの計画が引っかかる。
聖剣を覚醒させることによって、ヘレイナにどんなメリットが生じるのか。
まるで見当もつかない不気味さ。
姉のディーナならば何かを知っているのだろうか。
彼女は今、どこで何をしているのか。
様々な考えを巡らせながらも、玲衣の温もりと睡魔には勝てず、やがてリンナも寝息を立てはじめた。




