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71 一夜明けて

 穏やかな朝の空気の中、お腹を空かしたリンナはテーブルにスタンバイする。

 彼女の前に並ぶメニューは、しっとりとしたフレンチトーストに、目玉焼きが添えられたプレート。

 じっくりと煮詰められたポタージュスープに、ベーコンチップが散りばめられたサラダ。

 このサラダは肉が好きなリンナでも食べやすいように、ドレッシングにベーコンの風味を色濃く出している。

 温かいスープは上がりきらない体温を温めてくれ、フレンチトーストの甘みが寝起きの脳に染みわたる。


「はぁ〜、レイの作る料理、やっぱり最高だぁ〜」


 幸せそうに朝食を平らげていくリンナを眺めながら、玲衣も同じ食事をとる。

 彼女と出会う以前は、自分の作った料理を美味しいと感じた事などなかったものだが。

 リンナの顔を見ながらリンナと同じ料理を食べる。

 たったそれだけで、どんなものよりも美味しく感じるのだから不思議だ。


「えへへっ、毎日作って欲しいって言われちゃったからね。はりきっちゃった」

「あ、あれは思わず変な事口走っちゃったんだ。忘れてくれ」


 リンナとしてはあんな失敗告白は今すぐ忘れて欲しかった。

 

「忘れないよ」

「……レイ?」


 意外にも真剣な表情で、玲衣は言葉を返す。


「昨夜起こった出来事は、どれも私の宝物だから。大切な思い出だもん、絶対忘れない」

「……そっか、そうだよな。私がそうなんだから、レイもそうだよな。ごめん、忘れろだなんて」

「謝んなくてもいいよ。それに、ふふっ、おかしなことを言いだしたリンちゃん、すっごく可愛かったし」

「なぁっ、やっぱり忘れろぉ!」



 そんなやり取りのあった朝食後。

 恋人同士の穏やかな時間を過ごせると、リンナは思っていたのだが。


「いやはや、済まないな。急に来てしまって」

「いいんですよ、いつ来ていただいても。今回は迷惑かけちゃったし。お茶どうぞ」

「うむ、お構いなく」

「熱いお茶……。私はいいけどヒルデは冷たいほうが」

「えぇ、そうだったんですか!? ヒルデさんが猫舌だったなんて……」

「お、おいシズク。そんなことバラすな……」


 突然部屋を訪れたヒルデ、ちゃっかりシズクも付いてきている。

 二人には心配をかけた手前、玲衣としてはしっかりお礼をしておきたい。


「あの、今回は本当にご迷惑を……」

「そんなに気にしなくてもいい。二人には大きな借りがあるからな。これぐらいは何てことないさ」

「本当、凄く感謝してるから」

「シズクさん……。じゃあこれで、貸し借りはなしってことでっ。あとなんでリンちゃんを膝の上に乗せてるんですかどうして髪をもふもふしてるんですか今すぐリンちゃんから離れて下さい今すぐにその手を離して下さい今すぐに早く」

「わ、わかった……」


 もふもふ分が足りないシズクはリンナのツインテールをもふもふしていたのだが、それは絶対に侵してはいけないタブーだったようだ。

 シズクの膝の上から離脱したリンナは、そろそろ玲衣の闇から目を逸らし続けることが困難になってきた。


「どうやらいつも通り、もう心配は無いようだな」


 うんうん、と頷くヒルデだが、その横でシズクの目がギラリと光る。


「違う、いつも通りじゃない。おそらく二人は昨日から、恋人同士の間柄……」

「えぇっ、なんで!?」

「どうしてわかったんだ!?」


 普段通りにしていたはず、うっかりキスしたりベタベタしたりなんて事も無かった。

 にも関わらず見抜かれてしまい、二人は激しくうろたえる。


「む、この反応は、シズクの言った事は当たっているようだな。これは目出度い、ハッハッハッハ」

「私の目は誤魔化せない……」


 彼女の鋭い洞察眼は、ベランダにたなびく大きな洗濯物を見逃さなかった。


「ベッドのシーツ、洗濯して干してある」

「あ、あれは、えーっと、そう! ちょっとジュースをこぼしちゃって、ね、リンちゃん」

「そ、そうそう、レイのジュース。あと私のもちょっとだけもがっむぐぅ」


 それ以上危険な発言が飛び出す前に、玲衣はリンナの口を押さえつけた。

 一連のやり取りを、ヒルデは不思議そうに眺める。


「シズク、なぜベッドのシーツが干してあるくらいでわかるんだ?」

「女の勘……、とだけ言っておく。みなまで言うまい。あとリンナ、こっち来てちょっと耳貸して」

「え、私?」


 ちょいちょい、と手招きするシズク。

 嫌な予感がしつつも彼女の側に行くと、耳元で小さく囁かれた。


「今度からはバスタオル敷くといい」

「…………」


 最低過ぎるアドバイスを受け、無言で離れる。

 そんな親指をグッと立てられても困る。


「あぁ……、シズクさんってこんな人だったのか。頭痛くなってきた……」

「えっと……、何言われたか知らないけど、大丈夫?」


 隣に戻って来たリンナの頭を、玲衣はよしよししてあげる。

 思わず頭を擦り寄せて甘えたくなるが、来客中なので我慢。


「さて、では私達はそろそろ失礼すると——」

「ぐっどなにゅーすなのですよー!」


 バーン!

 けたたましく開いた玄関扉、新たな来客は二人の幼い少女だ。

 我が物顔でずかずかと入って来たシフルとルト、シフルの頭の上には当然ふーちゃん。


「喜んで下さい、なんとなんと……、あれ、団長さんにシズクおねーさん。来てたのですか」

「シフル、おじゃましますって言わないとダメだよ?」

「おっと、そうですね。改めてお邪魔しますなのですよ」

「ふーっ」


 二人が腰を下ろした時には、既にふーちゃんはシズクにさらわれていた。

 彼女のあの動きを目で追えたのは、この場では玲衣だけである。


「いらっしゃい、もふもふ」

「おや、いつの間にすちーるされたのですか」

「シフルちゃん、ルトちゃん、今日はどうしたの?」

「グッドニュースって、何かあったのか」

「むふふ、聞いて驚くなかれですよ」


 肩から下げたポーチの中から、シフルは何か紙切れを取り出す。

 それをドヤ顔でテーブルに叩きつけた。


「エルギ海リゾート二泊三日ペア宿泊券なのです! 昨日のお祭りのクジ引きで一等が当たったのですよー!」

「当てたのはボクだよ! えっへん、えらいでしょ!」

「……自慢しに来ただけか?」


 見せびらかしに来ただけならば、さっさと帰って二人きりにさせて欲しい。

 シフルに対して割と容赦の無いリンナは、心からそう思った。


「失礼ですね、そんな無駄なことをしに来るほどシフル達は暇じゃないのです」

「ふむ、察するに保護者同伴という形でないと宿に受け入れて貰えない、といったところか」

「さすがは騎士団長さん、話がわかるのです」


 十四歳までの子供だけでは、宿泊施設には受け入れて貰えない。

 召喚師の仕事としてならばギルドカードを見せれば済む事だが、プライベートに置いてはこの手は使えない。

 ギルドに関わらない事柄では、職権乱用になってしまう。


「あれ、でもそれならシフルちゃんの両親と行けばいいだけじゃ……」

「それがそうも行かないのですよ。このチケットの日付の日、ちょうど温泉旅行の予定が入っているのです」

「そうなんだよ! このままじゃせっかくボクが当てたチケットがムダになっちゃうの!」

「頼れるのは二人しかいないのです! というか断る理由は無いですよね。タダですよ? 海への旅行がタダなのですよ?」


 必死に売り込んで来る二人だが、もとより断る理由は無い。

 玲衣とリンナは目を合わせると、二人同時に頷いた。


「いいよ。一緒に行こっか」

「ほ、ホントですか!? やったのです、助かったのです!」

「よかったー! これでボクたち、海に行けるんだー!」


 抱き合って喜ぶシフルとルト。

 そこまで喜んでくれて何よりだが、問題が一つ。


「レイ、水着なんて持ってるか? 私は無いけど」

「え? ……確かに、そんなのが必要な場面なんて無かったから」

「問題無いのです! なんと、レンタル水着がタダで借りられちゃう特典付きなのですよ!」

「すごいねシフル! お得だね!」

「お前ら必死すぎないか?」


 とにかくこれで水着についても解決したようだ。

 これで全ての問題は解消された、はずだった。


「私は……? 私達は行けないの……?」

「シズク、仕方が無いだろう。これはペアチケットなのだから」


 口を開いたのはシズク。

 一緒に海に行きたくて仕方がない、そんな空気を全身から放つ。


「嫌だ、ついていく。有給使ってでも、自腹切ってでもついていく。ヒルデも一緒に来て。これは確定事項、有無は言わせない」

「む、むう、それは……。私たちが二人一緒に長期休暇、いいのだろうか。アスラに怒られはしないだろうか」

「いいから行くの。答えは“はい”だけ。いい?」

「……はい」


 どうやら六人で行くことが決まったようだ。

 押し切られてしまったヒルデは、これからアスラになんと説明すればいいのかと頭を悩ませる。


「予定よりも賑やかになりましたが、これで無事に海への道が開かれたのです」


 無事目的を達成したシフルは、大満足の笑顔を浮かべる。

 どうしても海に行きたかったというよりは、ルトの当てた旅行券を無駄にしたくなかったというのが本音だ。


「リンナおねーさん、もしかしたら旅先で良い雰囲気になってそのまま、なんてあり得るかもしれません。頑張ってくださいね」


 ポン、と肩を叩いてきたシフルを、リンナは鼻で笑う。


「お前こそ頑張れよ、シフル。私に追いつけるように、な」

「な、なんですと!? まさか……」

「そのまさかだ。どうやら私の勝ちみたいだな」

「く、悔しいのです! ヘタレのリンナおねーさんに先を越されるとは!」


 拳で床を叩いて悔しがるシフル。

 そこまでなのか、冗談や軽口の類ではなかったのか。

 リンナは複雑な気分で見守る。

 どうやらシフルは本気で競っていたつもりだったらしい。


「これで赤面しながら必死に言い訳をするリンナおねーさんともおさらばなのですね。悲しいのです」

「シフル、それは違う」

「シズクおねーさん、どういうことなのです?」

「あれを見て」


 彼女がスッと指さしたものは、ベランダで風にたなびくベッドシーツ。

 しばらくそれを見つめていたシフルは、何かを理解してニヤリとほくそ笑む。


「ちょっ、シズクさん何を……」

「むっふっふ、そうなのですか。なるほどなるほど。それで、どっちが下なのです?」


 ここぞとばかりにリンナに絡んでくるシフル。

 しかし、この質問によって大ダメージを受けるのは彼女ではない。


「シフルちゃん、やめてぇ……」


 顔を真っ赤にして縮こまってしまったのは、玲衣の方である。

 この反応はシフルにとって予想外。

 思わず二人の顔を交互に見比べてしまう。


「え、本当に? レイおねーさんが下なのです?」

「やめてってばぁっ!!」

「意外なのです。まさかなのです。なるほど、神狼の使い手だけあって狼さんだったのですか」

「上手いこと言ったつもりか」


 ドヤ顔を決めるシフルの両頬をリンナは思いっきり引っ張った。

 この会話にルトは全くついていけていない。


「さ、さて。今度こそ私達は帰るとするよ。二人とも、邪魔したな。ほら、行くぞシズク」

「あぁっ! またねもふもふ……」


 これ以上シズクが場をひっかき回す前に、ヒルデは彼女を連れていく。

 ふーちゃんを名残惜しそうに手放し、シズクはヒルデに引っ張られていった。


「さ、さよなら……。うぅ、もうやだ……」

「よしよし、元気出してくれ、レイ」


 耳まで赤くなった顔を両手で押さえてうずくまる玲衣。

 リンナはそんな彼女の頭を撫でて慰める。


「それではシフル達も失礼するのです。あとは二人でごゆるりと。むふふ」

「ねえ、シフル。さっきから全然なに言ってるかわかんないんだけど」

「今はまだ、わからなくていいのですよ。ルトちゃんはシフルみたいに汚れてはいけないのです」

「むぅ、シフルのケチ〜」

「ま、またね……、シフルちゃん、ルトちゃん……」


 シフル達も部屋を後にして、ようやく二人きりの時間が訪れた。

 玲衣はこの有様になってしまっているが。


「うぅ、もうお嫁に行けない……」

「なに言ってるんだ、レイは私の嫁だろ」

「えっ? ……えっと、それってプロポーズ?」


 ゆっくりと顔を上げた玲衣の顔はやはり赤いが、先ほどまでとは違う照れのようだ。

 どこか嬉しそうに目を泳がせる玲衣。

 リンナはそんな彼女の唇を不意に奪う。


「んぅっ!」

「ちゅっ……はぁっ。私は最初からそのつもりなんだけど。レイは私以外と結婚なんてする気なのか?」

「そんな訳ないよ! でも、はっきりとそう言われると……。なんだろう、顔がにやけちゃう」


 リンナとの結婚。

 改めて意識すると、どうしても顔がゆるんでしまう。


「やっと笑ってくれた。照れてるレイも可愛いけど、やっぱり笑った顔が一番だ」

「えへへ、リンちゃん大好き」

「私も……。んっ……」

「はむっ……ちゅ……」


 再び唇を重ね合わせる。

 何度キスをしても、胸の高鳴りは治まらない。

 顔を離して至近距離で見つめ合う。

 お互いの紅潮した顔と潤んだ瞳。

 まっすぐに見つめるリンナの視線に、玲衣は恥ずかしげに目を逸らす。


「リンちゃん、これ以上はダメだよ。まだ午前中だよ?」

「大丈夫、キスするだけ。それだけだから」

「……うん。なら、いいよ。んむっ、はぁっ……」


 ぎゅっと手を握り合い、指を絡め合い、何度も口づけを交わす。

 二人だけの甘い時間がゆっくりと過ぎて——。

 バーン!

 けたたましく開いた玄関扉、シフルは堂々と部屋に入って来た。


「んんーっ!?」

「いやはや、チケットをうっかり忘れ……て……」


 リビングに足を踏み入れたシフルは、がっつりキスの真っ最中な二人とはち合わせる。


「あ、あはは……、ごゆっくりなのですっ!」


 ささっとテーブルの上のチケットを取ると、彼女はそそくさと出て行った。


「……カギ、これからはちゃんと閉めるようにしよう」

「そうだね、リンちゃん。戸締まりは大事だね……」

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