70 月明かりの下で重なり合う少女たちの想い
「まさかこのお店の無料券が当たるなんてね。ビックリだったよ」
「ん、初めてのデートで来た店か。懐かしいな」
クジ引きの会場で二人が当てたのは四等、街の中心地にほど近い場所にあるカフェのケーキ無料券。
スイーツで有名な王都でも有数の有名店であり、偶然にも以前訪れた場所だ。
時刻は夕闇が迫ろうかという黄昏時。
彼女達は向かい合って席に座り、食事を終えてケーキを楽しんでいる。
先ほど夕飯としてリンナが食べた特製チキンステーキパスタ。
パスタの上にチキンステーキが鎮座し、豪快にトマトソースをぶっかけた一皿のインパクトを、玲衣はしばらく忘れられないだろう。
「リンちゃんのそれ、美味しそうだね」
リンナの前に置かれたフルーツタルト。
生地の上に色とりどりの果物が置かれ、視覚的にも楽しめる。
もちろん味は一級品だ。
「ん? 一口食べるか?」
「えっと、もしかして食べさせてくれる……?」
固めの生地を一口大に切り取ると、蜜柑を一切れ添える。
それをフォークの上へ乗せると、期待に胸躍らせる玲衣の前に差し出した。
「いいぞ、ほら。あーん」
「リンちゃんにあーんして貰えるなんて。えへへ、あー……、んむ」
頬張った途端、口の中に広がるクリームの甘さと生地の香ばしさ。
一口噛めば、柑橘類の爽やかな酸味が弾ける。
何よりも、リンナが食べさせてくれたのだ。
普通に食べるより何倍も美味しく感じているに違いない。
「んー、凄く美味しい。リンちゃんに食べさせて貰ったからかな」
「私もレイのケーキ食べたいな。食べさせてくれるか?」
「うん、お返ししてあげるね」
玲衣のケーキはオーソドックスなイチゴのショート。
一口分切り取ってフォークに刺し、リンナの前へ。
「はい、あーん」
「あー……、んむっ」
シンプルな分、店の実力が出るのだろう。
その生クリームは非常に濃厚、それでいてくどさは全く感じない。
ふわふわのスポンジと絡み合い、後味もさっぱりとしている。
「ん、おいしい。やっぱりこの店のスイーツは一級品だ」
「……私が食べさせてあげたのは関係ないんだ」
「え、いや、そんなことは……」
「ふふっ、冗談。それにしても、全然恥ずかしがらなかったね」
「まあ、この席は周りからは見えないようになってるしな。ほっぺにキスはちょっと勇気要るけど」
「キス……」
その単語を聞いて、思わずリンナの唇を見てしまう。
あの小さなピンク色の唇に、今すぐ口づけしたい。
そう思ったことは、これまで一度や二度じゃない。
今だってそう思ってる、けど。
彼女の言葉を待つと決めた以上、いつまでも待ち続ける。
——とは言っても、そろそろ限界かも。
「どうかしたか? もしかして口元にクリーム付いてた?」
「なんでもないよ、リンちゃん。何も付いてないから大丈夫」
「そっか、レイは付いてるよ」
「え、どこ!? クリーム付けたまま街中なんて歩けないよ!」
「ここだよ。ぺろっ」
玲衣の唇のすぐ脇、生クリームの付いた部分をリンナはぺろりと舐め取る。
「ひゃっ! いきなり何するの!?」
「いつかのアイスクリームのお返し」
あの時とは逆、真っ赤になった玲衣にリンナは微笑む。
「もう、絶対仕返ししてやるんだから……」
そう言いながらも、口元が緩むのを玲衣は止められなかった。
店を出た二人は石畳の大通りを寄り添って歩く。
繋いだ手をチラリと見た玲衣は、その繋ぎ方を少し変えてみた。
指を一本一本絡ませる、恋人繋ぎ。
「えへへ。リンちゃん、この繋ぎ方の名前、知ってる?」
「……ん。知ってる、けど」
少し頬を染めつつ、ギュッと握り返してくるリンナ。
太陽は地平線に姿を消し、僅かに西の空が赤く色付いている時刻。
二人が歩く大通りは、未だ昼間のように大勢の人が行き交っている。
店や屋台から聞こえる客を呼び込む声。
道行く人の会話や笑い声。
そんな喧騒の中、リンナは静かに口を開く。
「レイ、少し静かなところにいかないか? 住宅街の高台とかさ」
「いいけど、歩き疲れちゃった? それとも……」
玲衣の心臓の鼓動が高鳴る。
この状況で静かな場所に行きたい、二人きりになりたいという事は。
「伝えたい言葉があるんだ」
「……いいよ、いこっか」
指を絡めたまま、二人は歩いていく。
その間に交わす言葉はとりとめもない日常会話。
それでもこれから起きることを意識してしまい、どこかぎこちない。
人で溢れ返る中心街を抜け、日常の匂いが色濃い住宅街を通り、人もまばらな坂を上って高台へ。
「つ、着いたね」
「ん。けど、思ったより人がいるな……」
王都を一望できる人気スポットでもあるこの場所、観光客やカップルの姿がちらほら見える。
人目を避けてこの場所へ来たのだが、あてが外れてしまったようだ。
「別の場所に行こう。ここだと誰かに聞かれそうだし」
「そんなに慌てなくてもいいんじゃないかな。それに、少し疲れちゃった。少しここでゆっくりしていこうよ」
「ん、レイがそう言うなら」
空いてるベンチに腰を下ろし、二人肩を寄せ合って寄り添う。
繋いだ手、絡めた指はそのままに。
「風、気持ちいいな」
「そうだね。前に来た時も思ったけど、本当にいい風」
遮る物が何もない高台は、草原を吹き抜ける風が直接届く数少ない場所。
歩き通してか、あるいは別の要因か、火照った体を心地よく冷ましてくれる。
玲衣は隣に寄り添うリンナに顔を寄せると頬擦りを始めた。
「わっと。レイ? いきなり何を……」
「あったかい。ホントにリンちゃんなんだね。本物のリンちゃん、ちゃんと私の隣にいるんだ」
頬に感じる彼女の温もり。
二度と会えないとすら思った最愛の人が、今こんなにも近くにいる。
胸に広がるのは、これ以上ない幸せと安心感。
「ん、レイも暖かいよ。本当に、レイなんだな」
世界の壁を越えて出会った、かけがえの無い相手。
互いの存在を確かめあうように、二人はお互いの体温を感じ合う。
「……今までの私たちの関係って、なんて言うんだろうな」
ふと感じた疑問。
これからの関係、その呼び方はよく知っている。
では、これまでの関係はなんだったのか。
友達と呼ぶには濃密過ぎて、相棒と呼ぶにも距離感が近すぎる。
今日これから別れを告げる、あやふやな関係。
それを卒業する前に、リンナはなんとなく知っておきたかった。
「うーん……。なんだろうね。私も考えたことあるんだけどさ、どの呼び方もしっくり来ないんだよね」
「レイにもわかんないのか」
「うん、でもいいじゃん。大事なのはこれからの関係だから」
恋人繋ぎのまま、手をにぎにぎしながら玲衣ははにかむ。
リンナは強く握り返すと、勢い良くベンチから立ち上がった。
「さ、家に帰ろう。私達の帰る場所に」
手を繋ぎながら、座ったままの彼女に振り向く。
軽く手を引くと、玲衣も釣られて立ち上がった。
リンナはそのまま、彼女の手の甲に軽く口づけする。
「ふふっ、それが最後のエスコート?」
「ん、どうかな。ちゃんと出来てたか?」
「心配ないよ、楽しいデートだったから」
「そっか、良かった」
お互いに笑顔を向け合うと、二人は家路につく。
通いなれた路地を進む中でも、心臓の高鳴りは止まらない。
きっとこれから、二人の関係は大きく変わるから。
☆☆
すでに陽は落ち、祭りの喧騒も過ぎ去った。
夜の街を優しく照らす月明かりと満天の星空を窓から眺めながら、玲衣とリンナは寄り添って座っている。
フォルクルーム203号室、この場所こそが玲衣の帰る場所。
そして、玲衣の居場所は肩を寄せ合う彼女の隣。
「月が綺麗だね、リンちゃん」
「ん、そうだな」
やっぱりこの言い回しは通じないか、苦笑しつつも頬を擦り寄せる。
くすぐったそうに身じろぎするリンナは、意を決して口を開いた。
「レイ。言わなきゃいけないこと、伝えなきゃいけないことがあるんだ。聞いてくれるか?」
「……うん」
「まずは謝らせてくれ。私が召喚獣の刷り込みについてちゃんと説明していれば、レイにあんな思いをさせずに済んだんだ。全部私の責任だ」
「そんなことないよ、あの時の私はなんかおかしかったし」
「確かに幻笛の精神弱化が掛けられてはいたけど、それでも……」
「ならなおさらだよ。それにね、元の世界に戻ってわかったんだ。私の本当の気持ち」
隣に座る少女の深い青の瞳を玲衣はじっと見つめる。
「元の世界に戻ってリンちゃんの召喚獣じゃなくなってもね、私の気持ちは全然変わらなかったんだ。リンちゃんへの気持ちはこれっぽっちも変わらなかったの」
このまま全てを伝えてしまいたい。
でも、リンナが伝えたいことがまだ残っているから。
もうずいぶん待ったのだから、ほんの少しの時間くらい待つ内には入らない。
「伝えたいこと、まだあるんだよね。……いつでもいいよ、リンちゃん」
「ん。じゃあ、言うからな」
リンナは玲衣の隣から、真正面に移動する。
緊張した面持ちで、二人は向かいあった。
「レイ、出会ってから二か月ちょっとだけど、色々あったよな。私さ、その間にレイ無しじゃ生きていけなくなっちゃったみたいなんだ」
「うん。私も」
「だからずっと一緒にいて欲しいって言うか……。その、私のために毎日ご飯を作って欲しい……じゃなくて」
「ふふっ、ご飯ならもう毎日作ってるじゃん」
「あぅっ……。だから……、えっと……。あーもう! 上手い言葉が出てこないからストレートに言うぞ!」
薄暗い部屋の中でもわかるほどに顔を赤くしながらも、リンナは身を乗り出す。
意を決して一息に言葉を吐き出した。
「レイ、好きだ! 愛してる! 私の恋人になってくれ!」
ギュッと目をつぶりながら、リンナは小さく震える。
もしも、万が一断られたら、そんな可能性は無いと信じていても、返事が返ってくるまでの間が怖かった。
「リンちゃん、ちょっとだけ顔上げて」
「えっ?」
言われるままに顔を上げると、玲衣の顔がすぐ目の前まで来ている。
そして——。
「んっ……」
「んむっ……」
重なり合う唇。
月明かりの下、二人の少女は口づけを交わす。
「はぁっ……。えへへ、しちゃった」
「レイ、いきなり過ぎだ……」
玲衣は顔を離して照れくさそうに笑う。
薄暗くてよく見えないが、お互い耳まで赤くなっていそうだ。
「いきなりじゃないよ。ずっとずぅっと我慢してたんだからね」
「まったく……。その、今のが返事で、いいのか?」
「うん。私達、恋人同士だよ」
恋人同士。
その響きにお互いの胸が高鳴る。
告白の時、これ以上のドキドキなんて無いと思ったのに。
「レイ、今度は私から、いいか?」
「許可なんて無くても、いつでも奪っちゃっていいから。ね?」
小首を傾げる玲衣の仕草に、もう限界だった。
リンナは顔を寄せ、一気に唇を奪う。
「んむっ……。ふっ……、んっ……」
「ん、ふぁっ……、ん……」
唇を何度も重ね、離すたびに見つめ合う。
胸のドキドキは、治まるどころかどんどん強くなる。
愛しさが次から次に溢れてきて、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「ぷぁっ……。リンちゃん、私……変なの……。んっ……、もっとリンちゃんを感じたくて……」
「んむっ……。はぁ……、私も……。レイ、いいよな……」
「うん、リンちゃんになら、何されてもいいから……」
床の上に倒れ込む玲衣と、覆いかぶさるリンナ。
二人の少女の影が重なり合う。
ここから先は二人だけの秘密、覗くのは野暮だろう。
月の光はただ、薄暗い部屋を淡く照らしていた。




