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63 落陽

 背中を向け合って眠る、そんな日が来るとは夢にも思わなかった。

 玲衣の受けたショックの大きさは、リンナの予想を遥かに越えていた。

 昨日の出来事以来、玲衣はリンナと最低限の会話しか交わしていない。

 二人で一つ一つ積み上げて来た絆はこんなにも脆いものだったのか。

 リンナはそう思わずにはいられなかった。

 実際、幻笛による精神の弱体化を受けなければ、玲衣はこの事実を受け止められただろう。

 あの男の術が彼女の心を弱くしている事を、リンナは知る由も無い。


「……レイ、明日は建国祭だな」

「そう、だね」

「その、一緒に回るって約束は——」

「ごめん、出かけるね」


 玲衣はリンナの顔を見る事が出来なかった。

 彼女に裏切られた、などとは思っていない。

 ただただ、合わせる顔が無い。

 彼女への想いを本物だと信じる事が出来ない自分自身が、ひたすらに腹立たしかった。

 体でも動かせば気も紛れるだろう、そう考え、剣を取ってヒルデの元へ向かおうとする。

 立てかけてある剣を持った瞬間、彼女は違和感を覚えた。

 ズシリと腕に感じる重み。

 普段ならば、鳥の羽のように軽く感じるはず。


「……重い?」

「どうしたんだ、何かあったのか?」

「何でもない、行ってくるね」


 こんな時でも心配して、優しく声を掛けてくれるリンナ。

 嬉しさと自分への情けなさで泣きそうになってしまう。

 素っ気ない返事を返す事に、また胸が痛んだ。




 ☆ ☆




「さて、手合わせはあの時以来か。あれからどれだけ強くなったか、見せてもらうぞ」

「お願いします、ヒルデさん!」


 刃を抜いた剣を持ち、二人は対峙する。

 騎士団詰め所の訓練場は、再びの二人の対決に大いに沸いていた。


「さあ、いつでもかかって来い」


 十メートルの間隔を開け、向かい合う。

 ヒルデの構えに、相変わらず隙は見当たらない。

 隙が無いならこじ開ければいい。

 強敵との戦い方も、今の玲衣は熟知している。


「行きます!」


 一足跳びで間合いに飛び込む、そのつもりで地面を蹴る。

 しかし、玲衣が進めた距離はせいぜい二メートル程度。

 彼女自身も、一体何が起こったかわからなかった。

 思わずその場で立ち止まってしまう。


「あ、あれ? どうしたのかな……」

「む、どうしたレイ殿。小石にでもけっつまずいたか」

「いえ、そういうわけでは……。仕切り直し、お願いできますか」

「うむ。いつでも良いぞ」


 再び両手で剣を構える玲衣。

 今度は失敗しない、思いっきり大地を蹴る。

 が、結果は同じ。

 やむを得ず、そのままヒルデに走り寄る。


「……遅いな。何かの作戦か?」


 思わずヒルデがそう呟いてしまう程だった。

 常人とほぼ変わらないスピード。

 もしかすると突然加速をかけるフェイントかもしれない。

 油断はせず、じっと防御の構えを取る。


「てやっ!」


 両手で握った剣を、玲衣は振り下ろした。

 その剣速に、普段のキレや迫力は見る影もない。

 ヒルデの防御を渾身の乱打で崩すはずが、初撃で弾き返され、逆に体勢を崩す。

 自分の間合いで晒した多大な隙を彼女が逃すはずもない。

 鋭い薙ぎが玲衣の手から剣を弾き飛ばし、あっさりと勝負はついた。

 あまりにも予想外な結果に、ギャラリーの騎士たちはざわめく。


「あ、あれ? 何これ。どうしてこんな……」

「……うーむ。レイ殿、どうやら今日は調子が悪いようだな。また後日、手合わせ願えるか?」

「は、はい……」


 にこやかに握手を求めるヒルデに応じる。

 あまりにも想定外な結果に、玲衣は首を傾げた。


「えと、じゃあ帰りますね。今の私じゃお邪魔になりそうなので……」


 足早にその場を立ち去る彼女に、いつもの快活さは見当たらない。

 顎に手を当て、ヒルデは訝しがる。

 そんな彼女に見物していたシズクが歩み寄り、声を掛けた。


「ヒルデ、レイの様子、明らかにおかしい。強さもそうだし、元気も無い」

「そうだな。一体何があったのか。後で様子を見に行ってみるか」



 帰路につく玲衣は、自分の中に浮かんだある疑惑を確かめようとしていた。

 目の前に建つ二階建ての家。

 この程度の高さならば、屋根の上に容易く飛び乗れるはずだ。


「せー……のっ!」


 全身をバネにして、全力で跳躍。

 体がふわりと浮きあがり、そして、石畳に着地する。

 結果は一メートル程浮き上がっただけに終わった。

 彼女の中で、疑惑は確信に変わる。


「やっぱり。私の身体能力強化エンハンス、凄く弱くなってるんだ……」




 ☆   ☆




 静かにドアを開け、「ただいま」と一言。

 リンナは甲斐甲斐しく玲衣を玄関まで迎えに出た。


「おかえり、レイ。ずいぶん早かったな。何かあったのか?」

「うん、ちょっとね……」


 剣を壁に立て掛け、腰を下ろす。

 訪れる気まずい沈黙、やがて玲衣はゆっくりと口を開く。


「あのね……、召喚獣の身体能力強化エンハンスが急に弱くなるって、よくあるケースなの?」

身体能力強化エンハンスが? そんなの聞いた事ないけど……。なにがあったか話してくれるか?」

「……実は、私の身体能力、普通の人間とそれほど変わらなくなってるの」

「ほ、本当なのか……?」


 思わず身を乗り出す。

 そのような事例を、今までリンナが耳にした事はない。

 加齢や病などで召喚師の能力が衰え、緩やかに下がっていく場合はある。

 だが、昨日の今日で玲衣の絶大な身体能力強化エンハンスが一般人程度にまで落ちるなどあり得ない。

 リンナの問いかけに玲衣は小さく頷く。


「手合わせしてもらおうと思って、ヒルデさんの所に行ってきたの。相手してもらったんだけど、手も足も出なかった」

「それは……、調子が悪かっただけじゃ……」

「それだけじゃない。剣が凄く重く感じるし、ジャンプだって一メートルくらいしか跳べないの」


 信じがたい話だった。

 日増しに強くなっていった玲衣。

 リンナと過ごした時間に比例して、天井知らずに力を増していたのに。

 たった一日で、初めて会った時よりも力を落としてしまった。


「私、もう駄目みたい……。こんなんじゃ、リンちゃんの召喚獣失格だよ……」

「そんなことは……」

「だって、信じられないんだもん! リンちゃんを好きだって気持ちが、自分で信じられないの……。信じたいのに、どうして……。こんな力じゃ、こんな気持ちじゃ、リンちゃんを守れないよ……」


 肩を震わせる玲衣を、リンナはこれ以上放っておく事が出来なかった。

 小さな体で彼女を力いっぱい抱きしめる。


「いいんだ。レイが私を守れないのなら、私がレイを守る。自分の気持ちが信じられないのならそれでもいい。その代わり、私の気持ちだけは信じてくれ。私の気持ちが本物だって事だけは、胸を張って言えるから」

「リンちゃん……」


 リンナの温もりに包まれ、玲衣はそのまま身を任せたくなる。

 彼女自身も辛いだろうことは想像に難くない。

 それを少しも表に出さず、優しい言葉を掛けてくれる。

 玲衣の心の氷はゆっくりと溶かされて——いかなかった。

 彼女の弱った心がそれを許さない。

 その恋心は偽物だ、洗脳で植え付けられた物だ、そう何度も訴える。

 その度に胸がズキズキと痛む。

 リンナの気持ちも考えず自分の事ばかり考えてしまう、そんな自分がますます嫌いになる。

 負の感情が頭の中を駆け巡り、玲衣はリンナから体を離した。


「駄目だよ……。やっぱり私、リンちゃんの隣にいる資格なんて無いよ……」

「レイ、どうしてそんな……」

「今のリンちゃんなら高位の召喚獣だって簡単に操れるよね、守ってくれる人だって、ヒルデさんにシズクさん、シフルちゃんにルトちゃん、こんなにいる。戦えなくなった私なんている意味ないよ」

「たとえ戦えなくても、私はレイがそばにいてくれるだけでいいんだ!」

「そんなの……、私が耐えられない!」


 心が痛む。

 胸をどれだけ強く押さえても、その痛みが消えることはない。

 ポロポロと涙を零しながら、玲衣は声を荒げる。


「もうどうしたらいいのかわかんない! 胸が痛いよ! 苦しいよ! こんなことなら——」



「こんなことならいっそ、元の世界に帰りたいよ!!」



 玲衣の心が悲鳴を上げる。

 いっそ消えてしまいたかった。

 どこかへ逃げだしてしまいたかった。

 その言葉を発した瞬間、彼女の体を淡い光が包む。


「あ、あれ? リンちゃん、これって……?」

「これは……。嘘だろ、送喚の光……」


 足の先から粒子に変わり、玲衣は消えていく。

 リンナは必死に手を伸ばすが、既に彼女に触れる事は叶わない。


「待ってくれ! 行くな! まだ伝えてない言葉があるんだ! 一緒にやりたいことだって沢山……」

「わ、私が、あんなこと言ったから……?」


 必死に抱きとめようとしても空しくすり抜けるだけ。


「約束しただろ、明日の建国祭一緒に回るって! レイ!!」

「リンちゃ——————」


 もう声も届かない。

 指先が、胴体が、粒子となって解けていく。

 そして、頭の先までが消え去り、彼女の姿はもうどこにもない。

 玲衣は完全に、この世界からいなくなった。


「う、うそだ。こんなのって……」


 呼吸が荒くなる、指先に痺れを感じる。

 落ちつけ、そう自分に言い聞かせ、冷静であるよう努める。

 頭を働かせ、すぐに行き着いた簡単な方法。

 また召喚すればいいだけじゃないか。


「そうだ、また喚べばいいだけ。簡単じゃないか。焦る必要なんて……」


 震える手で聖剣の宝玉を杖に取り付ける。

 完全に光を失い、なんの力も感じない宝玉。

 最悪の可能性から必死に目を逸らし、リンナは杖を掲げる。


「——召喚」


 なにも起こらない。


「……召喚!」


 なにも起こらない。


「……召喚ッ!!」


 なにも起こらない。


「しょうか……、しょう……」


 リンナの手から杖が落ちる。

 認めたくない。

 それを認めてしまえば、自分が自分でなくなってしまいそうな気がした。


「うそだ……。うそ……、レイ……」


 召喚出来ない。

 それはつまり、もう二度と——彼女には会えない。

 頭の中の冷静な部分で、リンナはそれを認識してしまう。


「あ……、ああっ……、うぁぁぁっ……」


 喉の奥から出るのは、言葉にならない声。

 青い瞳からとめどなく流れる涙。


「うああ゛あ゛ああぁぁぁぁっ、ああぁっ、あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」


 もう彼女はこの世界のどこにもいない。

 リンナはただ、声を上げて泣いた。

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