62 幻笛・ギャラルホルン
A級召喚獣ともなれば、人里に現れて被害をもたらすケースはごく稀だ。
毎日そのような依頼が舞い込んでくるはずもない。
今日のリンナの依頼はB級召喚獣の捕獲。
正確には今日も、だろうか。
手のひらの上で黄色い宝玉を転がしながら、リンナは釈然としない思いを抱いた。
「なんだかB級の頃とあんまり変わらないな」
「仕方ないよ、A級召喚獣が現れるなんて稀だって言うし」
いつもと同じ王都への帰り道。
リンナと玲衣は二人並んで帰路を歩く。
A級の捕獲・討伐でなければ、S級昇格の条件の一つを満たす事は出来ない。
それが今のリンナの悩みの種だった。
もう一つ、使用する召喚獣の格・種類といった面では、今のリンナの右に出る者はいないだろう。
なにせ最強の七傑武装である聖剣レーヴァテインに、三神獣が一つ、神狼フェンリルだ。
かの伝説に記された英雄、暁の召喚師と全く同じだというのだから。
S級昇格の際の審査でこの事が判明すれば、とんでもない騒ぎになりかねない。
「まあ、頭ではわかってるんだ。たとえB級召喚獣でも、そいつが現れて困ってる人がいたら助けるのが私の役目だってことはさ」
「そうそう、リンちゃんが頑張ってるのは私が一番わかってるから」
玲衣に頭を撫でられ、リンナは目を細める。
彼女に褒められるだけで、萎えかけたやる気が体に満ち溢れてくるのだから不思議だ。
「それよりも明後日はいよいよ建国祭だね! えへへ、楽しみだな。リンちゃんとのお祭りデート」
「デート、か。ん、レイをエスコート出来るように頑張るよ」
「エスコートかー。素敵だけど、迷子になっちゃったりしない?」
「もう王都に住んで長いし、さすがに迷わないよ。ふふっ、でもレイと一緒なら迷ってもいいかもな」
「……ほんと、ずるい」
赤くなってしまった顔を見られるのが恥ずかしくて、玲衣は顔を背けてしまう。
横向きになった彼女の顔、その頬を目がけて背伸びをし、リンナはそこにキスをした。
「ひゃっ!? もう、リンちゃん!!」
「この間のお返し。お姫様だっこ、凄く恥ずかしかったんだからな」
「むぅ、その内すっごく恥ずかしがらせてやる……」
「楽しみにしてるよ、レイ」
頬を膨らませ、玲衣は悔しがる。
リンちゃんってこんなキャラだったっけ、と。
二人だけの状態で以前のように慌てる事は、もうなさそうだ。
さておき、建国祭を二日後に控え、街では着々と準備が進んでいる。
立ち並ぶ商店は色とりどりの風船や飾り付けで彩られ、道端では屋台の骨組みが組み立てられている。
王都で商売をする者にとって、この時期は一番の書き入れ時だ。
東口と西口の馬車乗り場はひっきりなしに馬車が出入りし、商人により搬入された物資が山積み。
王都周辺に点在する町や村からも観光客が大勢集まり、王都中の宿屋がキャパを越えようという有様だ。
「おっと、また馬車が通るな。轢かれないよう気をつけないと」
「この街道狭いよね。もうちょっと広げられないのかな」
二人で道の端に寄ると、その真横を馬車が王都へ向けて通っていく。
道幅は馬車二台がかろうじてすれ違える程度だ。
「徒歩で向かってる人も多いみたいだしな」
再び歩き出した二人。
普段誰も通らないようなこの道も、今日はちらほらと人影が見える。
そんな中、木陰から一人の男が声を掛けてきた。
「すみません。僕は王都へと向かう旅行者なのですが、道はこちらで合ってますでしょうか」
にこやかな笑顔を浮かべ、道を尋ねる青年。
地図を広げ、玲衣をちょいちょいと手招きする。
「はい、この道をまっすぐ行けば王都に……」
玲衣が青年の方に気を取られた瞬間、上空から彼女に襲いかかる風の刃。
「レイ、上だ!」
「ッ!」
横っ跳びで奇襲を回避した玲衣は、すぐさま腰の剣を抜く。
睨み据えた先、青年の傍らに緑の翼竜が降り立った。
A級召喚獣・ゲイルワイバーン。
風の魔力を操る飛竜の一種。
「惜しい惜しい。あと少し反応が遅ければ大金星だったんだがねぇ」
深い青の髪を撫でつけながら、青年はぼやく。
その手の中に笛が握られている事に、リンナは既に気付いている。
「お前、幻笛ギャラルホルンの使い手だな」
「おやおや、もう見破ったのかい? ……そうか、裏切り者が二人もいるからな。僕の情報もある程度は持っているか」
忌々しげに吐き捨てると、彼は恭しくお辞儀をして見せる。
「改めまして自己紹介を。僕はヘイムズ・ダルトリー。知っての通り、幻笛ギャラルホルンに選ばれし者だ」
右手に持った笛を、ひらひらと動かしながらそう名乗った。
まるで見せびらかすような素振り、それにこの態度はヘレイナを彷彿とさせるものがある。
「あんたは何の目的で私達を狙うの!」
これまで戦った相手は、皆信念を、戦うための確固たる目的を持っていた。
戦わずともわかり合えれば、そう思い玲衣は問いかける。
「目的ィ? そんなの決まってるじゃないか。聖剣の力を手に入れるためさ。最強の力を手に入れれば、皆が僕を崇める、褒め称える。それって最高に素敵だろう?」
「……それだけ? たったそれだけなの?」
「それだけって、他に何があるって言うんだい?」
鬱陶しそうに聞き返すヘイムズに、玲衣は鋼鉄の剣の切っ先を向ける。
リンナは無言で杖に聖剣の宝玉をセットした。
「よーくわかった。あんたはぶちのめしてもいい奴だってことが」
「敏捷強化。レイ、サクッと片付けて昼飯にしよう」
玲衣の体を白光が包み、リンナから流れこんだ力が彼女の速度を飛躍的に上昇させる。
ギャラルホルンの能力は未知数だが、召喚獣で奇襲を仕掛けた以上、戦闘能力はほぼゼロだろう。
加えて敵は、所詮A級召喚獣だ。
いくら身体能力強化を受けていても、玲衣の敵ではない。
「随分と余裕だねぇ。吠え面かいても知らないよ」
杖を取り出すと、ヘイムズはゲイルワイバーンに敏捷強化を使用。
そして、装飾の施された横笛を咥え、その音色を奏で始めた。
一撃で勝負を決めるため、玲衣は強く地を蹴ると一瞬で飛竜の目前に到達。
その首を斬り落とすために剣を薙いだ、のだが。
「うそっ!?」
リンナは驚きの声を上げる。
致命の一撃だったはずの玲衣の剣よりも早く、ゲイルワイバーンは空中へと飛び立ったのだ。
「リンちゃん、コイツほんとにA級召喚獣なの!? こんな速さ、S級でもなければ……」
「間違いなくA級だ。おそらくタネはあいつの持つ……」
「幻笛……、ってことか」
ヘイムズが吹き鳴らすギャラルホルンの音色は、何故だか妙に耳にこびり付く。
だが、今はそんな事を気にしている時ではない。
空中に飛び上がった飛竜は、猛然と地上の玲衣に突撃を掛ける。
真空の刃を射出しつつ、口を大きく開いて風の魔力を喉奥に溜め込む。
そして牽制の風刃を弾く玲衣目がけ、渦巻く風のブレスを吐き出した。
「ここだ! リンちゃん、お願い!」
「ああ、防御強化!」
玲衣の体を包む光が白から青に変わる。
鉄壁の防御力に任せ、吐き出されるブレスの中に飛び込んだ。
たとえ強化を受けていても、A級の攻撃力ではこの青い光の鎧は貫通できない。
渦巻く風を突っ切り、玲衣は再びゲイルワイバーンに迫る。
「今度こそっ!」
振り抜く一閃。
それは違わず飛竜の首を捉え、その翼を地に堕とした。
ドサリと音を立てて落下する首と胴体。
少し遅れて玲衣は軽やかに着地する。
「さて、次はどうするの」
「ふふふ、中々やるじゃないか。A級程度じゃ聖剣の片鱗すら見せてくれないか」
A級の反動に少々汗を滲ませながらも、ヘイムズは予想通りといった雰囲気だ。
「今日はほんの挨拶程度さ。これで君たちの実力は推し測れた。あわよくば弱点を探れれば、と思ったが難しいようだ。それにしても……」
足下に転がってきたゲイルワイバーンの首を、彼は踏み付けた。
罵倒を浴びせながら、何度も何度も蹴り続ける。
「この役立たずがっ! せめて奴らの弱点をっ! 探り当ててから死ねッ! このっ! 屑がっ!」
靴が血で汚れる事もいとわず、罵り続けるヘイムズ。
その眼前に迫る白刃に気付くと、バック宙で身軽にかわす。
彼の蛮行に、玲衣は怒りを露わにした。
「何やってるの! 自分のために命を懸けてくれた召喚獣相手に! そのワイバーンとあんたにだって、多少の絆はあったはずでしょ!?」
「きずなぁ!? 何を言っているんだ。コイツとは初対面……。あぁ、そうか。知らないのか」
コイツはいい事を聞いた。
そう呟き、口元を歪めるヘイムズ。
上手くすればこの二人のコンビネーションは無茶苦茶だ。
「知らないのなら教えてやるよ。召喚獣はなぁ……」
「——ッ! 駄目だ、レイ! そいつを黙らせろ!!」
「え? リンちゃん、急にどうしたの?」
突然声を荒げたリンナに、玲衣はそちらを向くばかり。
短い時間の中でリンナは考えを巡らせる。
フェンリルを召喚するか……、いや、間に合わない。
自分で殴りかかろうにも、相手は幻笛の身体能力強化を受けている。
「とにかく耳を貸すな! そいつの言う事には——」
「召喚獣は召喚された際、洗脳を受けるのさ。命に代えても主を守るようになぁ」
「え——せん、のう……?」
「そうさ、お前だって例外じゃない。そいつとの絆ぁ? そんな物は真っ赤な偽物さ。しかもそいつ、その事を今まで黙ってたんだろ? アーッハハハ、コイツは傑作だ!」
「きっ……さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
怒りに我を忘れ、リンナは杖で殴りかかる。
当然ヘイムズはそれを回避、新たな飛竜を召喚すると、それに乗って上空へ舞い上がった。
「降りて来い! 殺してやるッ!!」
「すっかりお怒りだねぇ。さて、別れ際に一曲披露させてもらおう」
地上の二人を見下ろし、彼はギャラルホルンの音色を奏で始める。
幻笛の能力は身体能力の増強、および精神力の弱体化。
今回使う能力は後者、標的は茫然自失としている玲衣だ。
曲を吹き、術を掛け終えた彼は素早く飛び去っていった。
「逃げられた……。レイ、大丈夫か? あんな奴の言う事なんて——」
「……本当なの?」
玲衣は静かに口を開く。
困惑と悲しみがない交ぜになった、そんな表情で。
強く唇を噛むリンナ。
この事実だけは、絶対に自分の口から伝えなければならなかった。
先延ばしにし続けた、その結果がこれか。
「アイツの言葉が丸ごと本当って訳じゃない! 最初に抱く好意にも度合いがあって、洗脳なんて極端な物でも無いんだ!」
「じゃあ! なんで黙ってたの……? この事だったんだね。リンちゃんが私に気持ちを伝えられなかった理由って」
「私を信じてくれ! 今まで二人で作って来たものは、こんなことで壊れるようなものなのか……?」
「私だって、信じたいよ……。この気持ちが本物だって信じたいのに……」
絞り出すような声。
彼女は膝から崩れ落ち、大粒の涙を流す。
「わからないの……、自分の気持ちがほんとに本物なのか。わからないよ……」
胸の奥がズキズキと痛む。
玲衣の耳に焼き付いて離れない幻笛の音色。
それは確実に、彼女の心を蝕んでいた。




