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60 五年ぶりの再会

「……勝った、のか。姉さんに」


 ディーナはスレイプニルを送喚し、そして負けを認めた。

 リンナの緊張が一気に解け、大きく息を吐く。

 気力を削って維持していたフェンリルの召喚を、彼女は解除した。

 氷の檻は溶け去り、神狼は蒼白の粒子に変わっていく。

 青い光の粒は、そのまま宝玉の中に吸い込まれていった。

 リンナはその送喚に奇妙な感覚を覚える。

 元いた場所に戻ったのではなく、魔力そのものに戻ったかのような。


「そう身構えるな、召喚獣。いや、レイ・カガヤ。私にはもう、お前をどうこうする気は無い」

「……あんたが騙し討ちをするような人間じゃないのはわかってる。でも、いきなりそんな事を言い出して、はいそうですかってわけにはいかない。突然どんな心境の変化なの?」


 切っ先を向けたまま、玲衣は問い掛ける。


「突然じゃないさ。あの時お前に言われた言葉、リンナにあんな顔をさせて、だったか。あれは効いたよ。リンナのため、そう思ってこの道を選んだつもりだったが、私よりもお前のほうがずっとあの子の事を想っていた。それだけのことだ」

「……」


 玲衣はゆっくりと構えを解き、光の剣を虚空に還した。

 草地の中に転がる神槍の宝玉を、ディーナは拾い上げる。

 グングニルの宝玉を懐に納めると、彼女はフードを目深に被った。

 そのまま二人に背を向け、その場から立ち去っていく。

 その背中が今生の別れを告げているような気がして、リンナは呼び止めた。


「待ってくれ、姉さん!」


 妹の声に彼女は足を止め、そちらを振り返った。

 その目元はフードに隠れて窺い知ることは出来ないが、以前の殺気や威圧感は欠片も感じられない。


「結局、何も言わずに行ってしまうのか? 私は今まで姉さんが何をしてたのかも、どうしてレイを狙ったのかも知らない。なんで突然いなくなったんだ、なんで今まで連絡も寄越さなかったんだ。他にも聞きたい事が沢山あり過ぎて……」

「済まない、私には何も言えないんだ。ただ一つ言えるのは——これは、『呪い』だ」

「呪いって……。姉さんは呪いを掛けられてるってのか? 一体誰がそんな——」


 そこまで口にして、リンナは思い当る。

 呪いなんて物を掛けられそうなのは一人しかいない。

 今はどこかに行方を眩ましている敵、ヘレイナ。


「私なりのやり方で今までそいつに抗ってきたが、妹を悲しませるような方法は間違っていたのかもな。これからは違う道を探ってみることにするよ」


 リンナへ歩み寄り、軽く微笑むと、ディーナは妹の頭を軽く撫でる。

 遠い昔、憧れた優しい姉の姿。

 それは、ずっと探し求めた最愛の姉との、五年ぶりに果たした本当の再会。


「リンナ、結局その口調は変わってないんだな。私の喋りを真似るのは似合わないからやめろと言ったのに」

「だって……、姉さんは私の憧れだから……。形だけでも真似したかったんだ」

「そのブカブカの黒マントも、私の黒いローブの真似か?」

「そうだよ……! 全部姉さんに、姉さんの遠い背中に追いつきたくて、私は……」


 涙を堪えて震える小さな肩を軽くポン、と叩く。


「もう私の真似なんかじゃないさ。お前はお前としてここまで歩み、そして——私を越えたんだ」


 そう言うと彼女は背を向け、今度は玲衣へと視線を移す。


「お前はこの先、想像を絶する存在と相対する事になるだろう。そうなった場合、おそらく妹を守れるのはお前だけだ。頼めるか」

「そんなの、頼まれるまでもないよ。今までだってずっとそうしてきたんだから」

「フッ、そうだな。愚問だった。さて、私はそろそろ失礼するよ。これ以上居座って、スレイプニルに蹴り殺されたくはないからな」


 今度こそ二人に背を向けるディーナ。

 立ち去る背中にリンナは手を伸ばしかけ、思いとどまる。


「……姉さん、また会えるよな」

「——ああ」


 少しの間の後。

 彼女は振りかえらず、足を止めずにそう答える。

 嫌な胸騒ぎから目を逸らし、その言葉をリンナは信じた。

 小さくなっていく背中をじっと見送る。

 その姿が見えなくなるまで、彼女はその場を動かなかった。



 湖面を走る風が汗に濡れた体を心地よく包む。

 その場所は町と湖とを一望できる小さな草原。

 戦いを終えた二人の少女は、二人で腰を下ろして湖を眺める。

 重ねた手を握り合い、肩を寄せ合って寄り添いながら。


「風が気持ちいいね、ほんと良い景色。高台からだと向こう岸がうっすらと見えるんだね」

「そうだな。アムス湖は広いから。このくらいまで登ってこなきゃ見えないくらい」

「シフルちゃんならこの高さでもあっという間だよね。ふーちゃんに乗せてもらってさ」

「……何も聞かないんだな」


 取りとめのない話を続ける玲衣に、リンナは尋ねる。


「へ、何を? リンちゃんが昔はどんな口調で喋ってたのか、とか?」

「いや、それはっ……! 聞かないでくれ、頼むから……」


 顔を赤くして慌てるリンナ。

 昔の喋りはそんなに消し去りたい過去なのだろうか。

 ふう、と息を吐くと、玲衣の肩にこてんと寄り掛かる。


「……レイ、ありがとう」

「いいんだよ、今は。難しい話なんて後回しで。それよりそろそろお昼だよね、リンちゃんはお腹空いてない?」

「ん、もうそんな時間か。レイは何が食べたい? 私としてはやっぱり肉なんだけど」

「野菜も食べないと駄目だよ。バランス良く栄養摂らないと大きくなれないんだから」

「そ、それは……。いいんだよ、もう色々と諦めてるし」

「私は大きくなって欲しいけどな。身長の高くなったリンちゃんに壁ドンとかされてみたい」

「ふふっ、なんだそれ」


 ディーナと別れて以来、どこか暗かったリンナの顔。

 ようやく笑顔を浮かべた彼女に玲衣は微笑み、腰を上げた。


「さて、そろそろ町に戻ろう。リンちゃん、立てる?」

「ん、なんとか」


 差し伸べた手をリンナは取り、立ち上がった。

 しかし、玲衣の手が離れると足下がふら付き、よろめいてしまう。

 慌ててリンナの腰を抱き止める玲衣。

 やはり神狼召喚の疲労は抜けきっていない。


「ご、ごめん。やっぱり一人じゃ歩けそうもない。それなりに休憩したし、大丈夫だと思ったんだけど」

「謝る事じゃないよ、リンちゃん頑張ったんだもん。よし、ここは私に任せて」


 リンナの小さな体をひょいっと持ち上げ、両手で支える。

 初めて出会った時以来の、お姫様だっこである。


「ちょっ、まさかこのまま町の中を!? やめてくれ、恥ずかしさで死んでしまうぅっ!」



 リングヴィの中心街は、昼時とあって大勢の観光客や住人でごった返している。

 多くの飲食店が並ぶ大通りの人ごみの中を、玲衣は堂々と歩く。

 リンナをお姫様だっこしながら。


「恥ずかしすぎるぅ……。いっそ殺してくれぇ……」

「あはは、恥ずかしがるリンちゃんって最近見てなかったから、なんだか安心する」

「そんな安心無くっていいからぁ……」


 耳まで真っ赤にして玲衣の肩に顔を埋める。

 出来るだけ顔を見られたくない彼女の必死の努力である。

 玲衣と二人きりの場合や近しい知り合いの前でなら照れは無くなってきたが、不特定多数の前でこれはさすがに堪えるようだ。


「おやおや、バカップルが見せつけてるのです」

「ふー」

「んぇ、ばかっぷるってなに?」

「おっと、ルトちゃんはこんな言葉覚えなくてもいいのですよ」


 ビクッとリンナの肩が飛び跳ねる。

 よりによってこの状況で出くわしてしまうとは。

 声のした方を振り向けば、当然居るのはニヤニヤしたシフルとキョトンとしたルトだ。


「シフルちゃん、ルトちゃん。私達はこれからお昼だけど、二人はもう食べた?」

「まだなのです。いい感じのお店が無いか物色していたところ、アツアツのカップルと出くわしたところなのですよ」


 口元に手を当てながら、むふふ笑いをリンナに浴びせかける。

 最近からかえなかった分を一気に晴らそうとでもいうのか。


「レ、レイ、もういいから、もう下ろしてくれ……」

「なんだか久しぶりな気がするのです、耳まで真っ赤なリンナおねーさんは。安心感さえ覚えるのです」

「だよね、やっぱりリンちゃんはこうでなくっちゃ」

「ルト、頼むぅ、ミョルニルで私の頭をカチ割って……」

「えー、そんなグロいのやだよー」


 とうとう頭の上から湯気が立ち上りそうな程に赤くなってしまった。

 シフルはこれ以上は追撃せず、真面目な表情に変わる。


「で、一体何があったのです? リンナおねーさんがこうまで疲弊するなんて」

「それなんだけど、今は聞かないでくれると嬉しいかな。後で必ず話すから、お願い」

「……わかったのです。では、お腹を満たしにいくとしますか」




 ☆☆




 夜の帳が下り、アムス湖は闇に沈む。

 四人が宿泊する旅館の一室、遊び疲れたシフルとルトは同じベッドで寄り添って静かに寝息を立てている。

 もうひとつの使われているベッドの中、リンナは妙な寝苦しさに目を覚ました。

 目を開くと、目の前に玲衣の姿は無い。

 寝ぼけ眼でゆっくりと体を起こすと、窓辺の椅子に腰かけた玲衣が外の景色をぼんやりと眺めていた。


「眠れないのか?」

「あ、リンちゃん。ごめん、起こしちゃった? 私は少し考え事してたんだ」


 玲衣の座る椅子の後ろに移動し、リンナは背後から彼女を抱きしめる。

 そのまま頬に口づけすると、玲衣はくすぐったそうに身をよじった。


「何を考えてたんだ? 昼間の、事か」

「……うん。あの戦いの途中、少しの間だけ記憶が無いの。あの時に何があったのかなって」

「聞いてくれればよかったのに。気を使ってくれるのは嬉しいけど、私も同じようにレイが心配なんだ」

「……ありがとう、リンちゃん」


 体の前面に回されたリンナの手を握る。

 彼女の温もりに、玲衣の不安はいくらか和らいだ。


「教えてもらっても、いい?」

「ショックな内容かもしれないけど、いいか」

「うん、私は平気だよ。こうやってリンちゃんに抱きしめて貰っていれば」

「わかった。……あの時のレイは、まるで別人みたいだった。突然光の剣が黒くなって、禍々しい炎を纏ったんだ。どうしてあんな事になったのかはわからないんだけど」

「禍々しい、黒い炎……」


 覚えはある。

 あの時頭の中を支配した、憎悪、怒り、憎しみ。

 それが聖剣の隣に眠る何か、触れてはいけないようなものに手を伸ばさせた。


「黒い炎、闇の剣とでも言おうか、あれの力は凄まじいものだった。放っておけばレイは確実に——姉さんを殺してた」

「——ッ!」

「頼む、あんなレイは見たくないんだ。もう二度と、あんな力は使わないでくれ」


 回した手に力を込め、リンナは玲衣を抱き寄せる。

 あのままでは、彼女は玲衣ではなくなってしまっていた。


「……大丈夫だよ、リンちゃんを悲しませるような力なら、私はいらない」


 その力がどんなに強大でも、彼女にこんな悲しい顔をさせるのなら、そんなものはこっちから願い下げだ。

 椅子から立ち上がり、リンナと向かいあう。

 不安に押し潰れそうな彼女の頬を撫で、目と目で見つめ合った。

 その唇に吸い寄せられるように、お互いが顔を近づけ——唇が触れあう寸前で止める。


「っ……さ、寝ようか。明日は王都に出発だよ。朝も早いんだから」

「……そうだな」


 今はまだ、その時ではない。

 待つと言った以上、玲衣は彼女の言葉を待たなければいけない。

 そしてリンナにも、まだその資格は無いのだから。


「おやすみ、リンちゃん」

「おやすみ、レイ」


 一緒のベッドに入り、寄り添って目を瞑る。

 お互いの温もりがもたらす安心感に、二人はすぐに夢の中へと落ちていった。

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