58 闇の剣
杖の先端で輝く青い宝玉。
そこから発する光が収束し、姿を現したのは八本足の芦毛の軍馬。
体の要所に黒い装甲を纏ったS級召喚獣・スレイプニル。
その背中にディーナはひらりと飛び乗り、鞍上でグングニルを構える。
「スレイプニル……。レイ、あいつは速いぞ。召喚獣の中でも最速を誇ると言われているヤツだ」
「あれが、あの時呼び出そうとしてた召喚獣……」
牧場からの帰り道で戦った時、あの時は勝ちの目が見えなかった。
でも今は違う。
リンナが共に戦ってくれるのなら、玲衣は誰にも負ける気がしない。
「——敏捷強化」
ディーナが杖を掲げ、スレイプニルに力を与える。
彼女の力が注ぎ込まれ、芦毛の軍馬の全身が白光に包まれた。
「まずい! 敏捷強化!」
素早く力を集中し、玲衣に注ぎ込む。
一刻の猶予も無かった。
リンナが咄嗟にブーストを掛けなければ、その瞬間に勝負は決まっていただろう。
玲衣の体が白光に包まれてから一秒も経っていない。
しかし、その時既にグングニルの刃は彼女の首元に触れようとしていた。
「はやっ……!」
反射的に上体を逸らし、初撃をかわす。
後ろに倒れ込みながら、真横を駆け抜けるスレイプニルを見送る。
かの駿馬が最高速を出すまでにかかる歩数は、二歩。
八本の脚が、その安定感と脚力を増幅させている。
さらにディーナの敏捷強化。
今現在、彼女のスレイプニルよりも速い生物はこの世界に存在しない。
玲衣の背中が地面に着くより前、既に八足の軍馬は反転し、玲衣にむかって突進をかけて来ていた。
馬上のディーナがグングニルを振るい、衝撃波を二つ飛ばす。
前回苦しめられた自動追尾攻撃。
真っ直ぐに飛来するそれを、玲衣は光弾を生成し、迎撃する。
真空の斬撃は、放たれた光の弾とぶつかりあって対消滅。
しかし、その間にもスレイプニルは間近に迫っている。
玲衣は未だ空中、左手で地面に手を付き、その一本のみで体を跳ね上げる。
跳躍しつつ姿勢を制御、眼下を走り抜ける駿馬の馬上、ディーナに対して光の剣を振り抜いた。
ガギィィン!
神槍の柄で攻撃は受け止められる。
おそらくパワーにおいては今の玲衣の方が上。
しかし、この無茶な体勢での攻撃には力が乗りきらない。
そのまま弾き返され、玲衣はスレイプニルの背後に着地する。
また反転して突進を仕掛けてくる、そう判断し、すぐに背後を振り向くが。
「え」
目の前には、静止して四本の後ろ脚を蹴り上げんとする敵の姿。
最速を生み出す脚力による強烈無比な後ろ蹴りが、玲衣に叩きこまれた。
「がはっ! あぐぅっ……」
弾き出されたピンボールのように、猛烈な勢いで吹き飛ばされる。
急加速、急停止、緩急を自在に操るスレイプニル。
素の能力だけではない、ディーナの与える絶大な身体能力強化が、それを可能にしていた。
胴体に食らった衝撃で、肺の空気が押し出される。
意識が遠のくが、ここで気を失ったらもう二度と覚めない、もう二度とリンナに会えない。
歯を食いしばって体勢を立て直し、両足で草地に着地した。
「ほう、堪えたか。褒めてやろう」
「別に、ゴホッ、あんたに褒められても嬉しくないよ……っ」
静止したスレイプニルの馬上、ゆっくりと愛馬を反転させ、ディーナはこちらに向き直る。
この一連の攻防、リンナは目で追うのがやっと。
時間にして十秒も経っていない。
「速すぎる、これがスレイプニル……。光の剣にブーストを上乗せしたレイでも追いつけないなんて。それに——」
何よりも脅威なのは、ディーナ本人だ。
武装召師である彼女自身には、敏捷強化は掛かっていない。
グングニルの与える身体能力強化のみで、彼女はこの攻防に参加しているのだ。
「姉さん、やっぱり半端じゃない。でも……、私には切り札がある」
懐で冷気を放つそれを、リンナは静かに取り出した。
今、杖からひび割れた宝玉を取り外せば、玲衣に掛けられたブーストも光の剣も消えてしまう。
しかし、今彼女はもう一本の杖を持っている。
「休む暇は与えん、いくぞ」
再びの突進。
瞬時に最高速に達し、真っ直ぐに突っ込んでくるスレイプニル。
直進してくる相手に対して、玲衣は光の剣を構える。
タイミングを合わせ、間合いのギリギリ外に差しかかる瞬間で振り抜く。
空振りに終わるかに見えた斬撃、しかし光の刀身は切っ先を伸ばし、その間合いを広げる。
攻撃を焦ったと油断させての奇襲を狙った攻撃。
しかし、読まれた。
「跳んだ!?」
薙ぎ払った切っ先を飛び越え、スレイプニルは玲衣の頭上を通過する。
彼女の直上、ディーナはグングニルを振るい、斬撃を二つ飛ばす。
それを弾き飛ばしつつ、着地する八足の軍馬を目で追う。
しかし、その馬上に彼女の姿は無い。
すぐに目を真上に戻す。
グングニルを脳天に突き立てるべく、彼女は落下攻撃を仕掛けて来た。
迎撃は間に合わない。
横っ跳びでその攻撃をかわす。
地面に深々と突き刺さる神槍。
それを引き抜くまでの僅かな隙を突き、玲衣は斬りかかる。
先ほどとは違う、鋭い踏み込みの斬撃。
「貰った!」
勝負を決めるはずの一撃は、ディーナには届かなかった。
真横からのスレイプニルの突進。
全速力の体当たりを受けて、玲衣の体は吹き飛ばされる。
「あうッ……!」
受け身を取り、すぐに起き上がる。
ディーナは神槍を引き抜くと、悠々と愛馬に騎乗した。
「リンちゃん、ごめん。隙が見当たらないよ」
「いいんだ、後は私に任せてくれ。切り札はまだ、ここにある!」
一歩進み出るリンナ。
彼女の握る双杖の片側には、蒼白の宝玉がはめ込まれている。
「なんだと、その宝玉は……。どこでそれを手に入れた、リンナ!」
それを目にしたディーナの顔色が変わった。
明らかに動揺した口調でリンナを問い詰める。
「その反応、これが何かを知ってるみたいだな、姉さん」
「まさかお前に先を越されてしまっていたとはな……」
歯噛みするディーナの口ぶり、彼女は神狼の宝玉を求めてこの地を訪れたのだろうか。
だが、そんな詮索は後回しだ。
リンナは意識を集中させ、宝玉を通して呼びかけた。
「神狼よ、今こそ力を貸してくれ! 召喚!!」
宣言し、杖を振るう。
しかし、その場には何の変化も起こらない。
「リ、リンちゃん!?」
「あ、あれ、なんで呼べないんだ……。召喚! 召喚!」
何度試しても、結果は同じだった。
ディーナの口から失笑が漏れる。
「フッ、リンナ。どうやら三神獣を従える資格は、お前には無かったようだな」
「そんなバカな……。確かに私はこれを託されて……」
予期せぬ事態にリンナはうろたえる。
そんな彼女をよそに、馬上で神槍を構え、ディーナは猛攻を再開した。
「そろそろ終わりにするぞ、召喚獣ッ!」
「まずい! リンちゃん、集中して!」
「え——」
玲衣が声をかけるが、もう遅かった。
リンナの動揺は、玲衣に対する力の供給を途絶えさせる。
彼女の体を包む白光は消え失せ、かろうじて着いていけたスピードが、目で追えない程の速度に変わる。
目前に迫っているであろう刃。
死を間近に感じた時、玲衣の胸中に浮かぶものは後悔でも無念さでもない。
——どうして私が殺されなきゃいけないんだ。
理由もわからずに、あまりにも理不尽すぎる。
そもそもどうしてコイツは私とリンちゃんの邪魔をするんだ。
死ねばいいのに、憎い、憎い、憎い、殺してやる、殺してやる。
——そうか、殺せばいいんだ。
「その首、貰っ——」
ガギィィィィン!
「何ッ!?」
首を確実に刈り取るはずだった刃は、しかし弾かれた。
今までに無い力と速さで振るわれたその刃。
それは、光の剣などではなかった。
禍々しい黒炎が渦巻く、黒い刃。
闇を凝縮したようなその剣は、殺意と憎悪が結集したものなのか。
「な、なんだこれは……。聖剣では、ないのか!?」
「殺してやる、殺してやる、殺してやる」
殺気を剥き出しにし、虫けらでも見るかのような冷たい目を向ける玲衣。
うわ言のように同じ言葉を繰り返し、黒い剣を構える。
「レ、レイ……?」
まるで別人、突然の豹変にリンナは言葉を失う。
自分のミスを悔やむよりも、その衝撃に頭が真っ白になる。
思い出すのはヘレイナとの戦い。
あの時の異変を、リンナは気のせいだと自分に言い聞かせてきた。
だが、これは——。
地を蹴り、玲衣は猛スピードでディーナに迫る。
力任せに掴みかかり、馬上から彼女を引きずり落とした。
そのまま地面に投げつけ、心臓目がけて刃を突き立てようとする。
横に転がって回避したディーナ。
主を救うべく、スレイプニルは玲衣に突進を仕掛けるが、彼女はそれを見もせず裏拳で殴り飛ばした。
吹き飛び、転倒するスレイプニル。
それには全く興味を示さず、玲衣は黒刃を振り上げる。
「一体なんなんだ、この力は……」
聖剣の力を越える何かがあるとでもいうのか。
しかし、ディーナに考える余裕は存在しない。
玲衣は異常な力を発揮し、的確にディーナの急所を狙い続ける。
重い一撃を受け止めるたび、彼女の腕はビリビリと痺れを感じた。
「まずい、このままでは……」
度重なる猛攻に、腕に力が入らない。
とうとうディーナに限界が訪れた。
グングニルのガードが崩され、体が開く。
晒した隙を逃す手は無い。
憎むべき敵を真っ二つにするために、玲衣は剣を高く振り上げる。
「駄目だ、レイッ!!」
兇刃を振り下ろさんとしたその時、リンナは玲衣に飛びついた。
後ろから彼女を抱きしめ、必死に訴える。
「駄目だ、そんな事をしたら、レイがいなくなってしまう……。私の大好きなレイが、どこかに行ってしまう。お願いだ、私のところに戻ってきてくれ! 元のレイに戻ってくれ!!」
「殺し……、て……やる……」
「駄目なのか、私の言葉も、届かないのか……?」
「どけ、リンナ。ケガをする前に下がれ」
「嫌だ、どかない。レイは私の大切な人なんだ。自分の命よりも大切なんだ。たとえ殺されたって、どいてやるもんか!」
「……好きにしろ。そいつを鎮められるというのなら、やってみるがいい。その方が私も都合がいい」
構えた槍を引き、うずくまったスレイプニルの側へ向かうディーナ。
それを追いかけようとする玲衣を、リンナは必死に引きとめる。
「逃がさない……、殺す、殺す……」
「レイ、私がわからないのか!? くそっ、どうしたら……」
ふと目が向いたのは、ずっと握りしめたままの木の杖、その先端に輝くひび割れた宝玉。
この力が光の剣と同じなら、宝玉を杖から外せば消えるはずだ。
「頼む、これで消えてくれ!」
杖の先端で輝きを放つそれを、力いっぱい取り外す。
淡い光が消え、同時に玲衣の右手から闇の剣は消滅した。
彼女の目にも、理性の光が戻っていく。
「あ、あれ? 私、どうして……」
「レイ、正気に戻ったのか!?」
「え、リンちゃん? なんで私に抱きついてるの!? って、そうだ、ディーナは……!」
この間にスレイプニルを立たせ、足に異常が無い事を確認したディーナ。
彼女は既に愛馬に騎乗し、神槍を前に構えている。
「本当に正気を取り戻させたか。あの力を使ったままの方が、勝機はあったと思うがな」
「あの力ってなんのこと!?」
「覚えてない……のか。それは後で説明する、とにかく今は光の剣を出すぞ!」
「……でも、悔しいけどアイツの言う通りだよ、リンちゃん。私達二人の力を合わせても、厳しいと思う」
「確かにそうだけど、でもやるしかない。二人の力を合わせて……。——合わせる? 二つを、合わせる……。そうか!」
玲衣の言葉に、リンナは閃く。
二つを合わせればいい、最初はそうやって出て来たじゃないか。
「礼を言うよ、レイ」
「え、何? ダジャレ?」
「ふふっ、ほんとにいつものレイに戻ったんだな」
クスリと笑うと、リンナは彼女の前に出てディーナと対峙する。
「なんのつもりだ。下がれ、リンナ」
「姉さん、さっき神狼は私の力が足りずに呼べなかったと言ったな。本当にそうか、今見せてやる」
双杖のもう片方、何もセットされてない器に、聖剣の宝玉をはめ込む。
本来この杖は何の意味も持たないはず、宝玉を全く同時に使う必要がある時以外は。
そう、この杖は神狼を呼ぶ、そのための杖。
「リンナ・ゲルスニールが命ずる。悠久の時を越え、今ここに顕現せよ。古の伝説に記されし三神獣が一つ——」
蒼白の宝玉とひび割れた宝玉。
二つが共鳴し、光を放ちはじめる。
冷気が迸り、空気中の水分が凍結してリンナの周囲で渦を巻く。
杖を高々と掲げ、リンナはその名を呼んだ。
「来い! 氷牙の神狼——フェンリル!!」




