57 遭遇
湖畔の宿の一室にて、大きな窓辺に腰掛けるシフル。
夕日にキラキラと輝くアムス湖の湖面を頭に乗せたふーちゃんと共に眺めている。
「はふぅ、良い景色なのです」
「ふーっ」
部屋の中に目を移すと、ベッドにぐったりと倒れ伏すルトの姿。
宝玉百匹登録チャレンジによって、精根尽き果てたようだ。
「お疲れ様なのです、ルトちゃん。これでB級召喚師ですね」
「そうだねぇ……」
いつも溌剌とした彼女だが、今回は返事にも元気がない。
よほど単純作業が堪えたのだろう。
「それにしても遅いですね、あの二人。誰も来ない山の中でイイ事でもしてるんでしょうか」
「なぁに、イイことってぇ……」
「ルトちゃんにはまだ早いのです。もう少し大きくなったら一緒にイチから手取り腰取り勉強しましょうね、ぬふふ」
「うぇ〜、勉強やだぁ……」
「大丈夫ですよ、この勉強は楽しいモノですから」
「そうなの? じゃあ頑張るね……」
そんな会話をしつつシフルが邪まな笑みを浮かべていると、部屋の鍵がガチャリと開く。
扉を開けて部屋へと入って来たのは当然玲衣とリンナ。
「戻ったよ、二人とも。あぁ、ルトちゃんまだ駄目なんだ」
「おぉ、二人とも、無事お戻りですか。ところで……」
シフルは早速リンナをからかいにいく。
「リンナおねーさん、一体二人きりでナニをしていたのです? もしやしっぽりと……」
「実はこれを手に入れてきたんだ」
リンナが懐から取り出した蒼白の宝玉。
その只ならぬ雰囲気、シフルにも一目でそれが途轍もない代物だと理解できた。
ニヤニヤしていた彼女の顔が一瞬で真顔に変わる。
「それは一体——」
「三神獣の一つ、神狼の宝玉だ」
「しっ……」
思わず絶句する。
世界蛇の宝玉があったという話は既に聞いていたが、実際にその一つを目の当たりにするとは思いもしなかった。
しかも何でもない事のように懐から取り出してくるなど。
「んぇ、……しんろー? ——マジ!? 神狼って、見せて見せて!!」
「あっ、元気になった」
うつ伏せに寝そべっていたルトだったが、一連の会話を聞きつけると飛び起きた。
リンナの手の上、ほんのりと冷気を放つ宝玉を前に目を輝かせる。
「うわ、すっごい! ねーねー、ちょっとでいいから触らせて」
「別にいいけど」
「ほんと? やったー! うわっつめたっ! うぅ、氷みたい……」
人差し指で突っついてみたルトは、その冷たさにすぐ指を引っ込める。
「遺跡の中をあんなに冷やしてたくらいだもんね。リンちゃんは冷たくないの?」
「ん、不思議なんだけど。冷たく感じたりはしないんだ。普通の宝玉と同じ感じ」
「そうなんだ。それがあると部屋が寒くなったりとかは……しないよね」
「どうなんだろうな、多分大丈夫だと思うけど、もしかしたら……」
冗談めかして答えながら、懐に宝玉を仕舞う。
もしも部屋の中が南極体験ルームみたいな事になったら、恐ろしい想像に玲衣は震えた。
「それにしても、なんというか。落ち着いた感じですね、リンナおねーさん。余裕が出たといいましょうか、からかい甲斐が無いのです」
「それはまあ。な、レイ」
「うん。私は焦らないよ。ずっと待ってるから」
「な、なんなのですか、この空気は……」
☆☆
四人部屋にはベッドは当然四つある。
しかしながら、この四人部屋のベッドは二つしか使わなかった。
カーテン越しに朝日が差し込み、リンナは目を覚ます。
目の前には玲衣の寝顔。
彼女の匂いと温もりが、リンナにとって何よりも安らぎをもたらす。
寝顔を眺めている内に、やがて玲衣も目を覚ました。
「うん……、リンちゃん、おはよう」
「おはよう、レイ。——ん……」
朝の挨拶を交わし、リンナは玲衣に顔を寄せる。
ちゅっ、と音を立て、彼女の頬に唇を落とす。
玲衣の頬に触れる柔らかな感触。
あの夜以来、頬へのキスは彼女達の日課となっていた。
「えへへ、リンちゃん。好き、だよ」
「ん、私も。——さて、今日は観光だな」
「そうだね。シフルちゃん達は、まだ寝てるか」
好き。
その意味をあえて二人はぼかす。
お互いに両想いだという事はわかりきっている。
しかし、リンナがあの事を明かせない限り、二人はここより先に進めない。
リンナにまだ、それを明かす決心は付かなかった。
「起こしちゃ悪いし、静かに着替えようね」
「ん、こいつらこうして見るとただの子供なのにな」
ベッドの中で寄り添い合い、静かに寝息を立てる二人の少女と一羽の鳥。
この寝顔を見ただけでは、彼女達が類稀な才能を持つ天才少女とは誰も思うまい。
「ところで大丈夫みたいだね、神狼の宝玉。起きた時に部屋が凍りついてたらどうしようかと思ったけど」
割と本気で心配していたようだ。
そんな危険なものではないと感じていたリンナとしては、冗談のつもりだったのだが。
「そうなったらもっとくっついて寝ないと、な」
「あぅ、もうリンちゃん!!」
クスリと笑いながらのその言葉に、顔を赤くする玲衣。
両手をバタつかせながら、思わず叫んでしまう。
「……シフルちゃんも言ってたけど、ほんと感じ変わったね」
「そうかな。ていうかレイ、声大きい」
「あ……」
しまった、というような顔でシフル達のベッドに目をやる。
案の定二人はもぞもぞと動き出し、寝ぼけ眼で起き上った。
「んん、もう朝ですか。ふわぁぁ〜」
「シフルぅ、ボクまだ眠い……」
「ごめんね、二人とも。騒がしくしちゃって」
「んぇ、なんでレイがウチにいるの……」
謝罪する玲衣をぼんやりと眺め、ルトは再びベッドに沈んだ。
「また寝ちゃった……」
「実はルトちゃん、寝起きが弱いのですよ。そこもまた可愛いのです」
☆☆
時刻は午前九時を過ぎたころ。
宿から出た四人の少女は二組に分かれる。
「じゃあまた後でね、シフルちゃん、ルトちゃん」
「はい、レイおねーさん達も楽しんで来てくださいねー」
手を振って別れる玲衣とシフル。
観光は四人で行くのではなく、それぞれのパートナーと回る事に決まったのだった。
シフルとルトは手を繋いで湖の方へ走って行く。
ふーちゃんはシフルの全力疾走にも全く動じず不動の構えだ。
「さて、私達はどこへ行こうか」
「そうだね。リンちゃんが行きたいところ、かな」
「んん、難しいな。とりあえず大通りに出てから考えようか」
玲衣とリンナも手を繋ぎ、人が行き交う大通りへと歩いていく。
観光地として栄えるリングヴィの町は、多くの商店が軒を連ねている。
目立つのは土産物屋か。
未確認召喚獣アムッシーなるもののぬいぐるみやタペストリーが並んでいる。
「アムッシーだって。こっちにもそんなのいるんだ」
「こっちにも?」
「私の世界にも似たようなのがいてね、なんちゃらっシー」
「どこも似たような感じなんだな」
思わず苦笑いする玲衣。
リンナは鼻をくすぐる香ばしい匂いに反応する。
見れば屋台でこんがりと焼き上がった肉が売っているではないか。
「肉……じゅるり」
「あはは、リンちゃん肉食だもんね。それにしてもさっき朝ごはん食べたばっかりなんだけど」
「肉は別腹だ、いくらでも入る。レイ、ちょっと買ってくる」
「うん、ここで待ってるから」
足早に屋台へと向かうリンナを見送ると、手持無沙汰になった玲衣は辺りをぼんやりと眺める。
流れていく人ごみ、こんな遠くに顔見知りがいるはずもなく————。
「——ッ!」
いた。
正面から歩いてきた黒いフードを目深に被った女性。
玲衣の真横をすり抜け、鋭い視線と殺気を向けて去っていく。
その威圧感はあの時と幾分も変わりはない。
「レイ、おまたせ。むぐむぐ……」
猛烈な勢いで肉を平らげていくリンナ。
串を残してあっという間に彼女の胃に納まる。
「むぐむぐ、ごくん……。どうしたんだ。一体何があった?」
後ろを振り向いたまま固まっている玲衣の様子に只ならぬものを感じ、リンナは尋ねる。
彼女はゆっくりとリンナに振り向き、答えた。
「いたの、ディーナ・ゲルスニールが。あの人が今、そこを通っていった」
「姉さんが!? 本当か、見間違いじゃないんだな!」
「間違いないよ、あっちの方へ歩いていった」
通りの先、町の外れへと至る道。
今、人ごみで彼女の姿を見る事はできない。
「追いかけよう、レイ」
「多分戦いになるよ、いいんだね」
「覚悟は出来てる。行こう」
玲衣とリンナはディーナを追い、彼女が消えた細い山道の前へと走っていく。
坂の上を見上げるが、彼女の姿は見えない。
しかし、きっとこの先にいる。
二人は顔を合わせて頷くと、しっかりと手を繋いで一歩を踏み出した。
山道を抜けると、高台となっている草原へと出る。
町と湖を一望できる展望台のような場所だろう。
幸いにして今この場所に、観光客は一人もいなかった。
——そう、観光客は。
「よく追いかけてきたな。怖気づいて逃げ出すものかと思っていたが」
フードを脱ぎ去り、プラチナブロンドの長髪を風に靡かせる。
黒いローブを身に纏ったS級召喚師、ディーナ・ゲルスニール。
緑の宝玉を握りしめ、彼女は二人に相対した。
「……姉さん。私、A級召喚師になったんだ。姉さんと同じS級も、もう夢じゃない」
「そうか。だが、手放しでは喜べないな」
「うん、わかってる。何故姉さんは、私を召喚師にしたくなかったんだ?」
「それは言えない。言えない理由がある。ただ一つ言える事は——」
彼女の祈りと共に迸る緑の光。
宝玉は槍へとその姿を変え、ディーナは神槍・グングニルの穂先を玲衣へと向ける。
「私はこいつを殺す、それだけだ」
「またそれ? 殺されるんなら理由ぐらい教えて欲しいものだけどさ」
「あの時の続きだ、召喚獣。今度も横槍が入るなどとは思うな」
「上等、いくよ! リンちゃん!」
「ああ、今日こそ姉さんを……ディーナ・ゲルスニールを越えてやる!」
リンナは使いなれた木の杖を取り出し、ひび割れた宝玉をはめ込む。
玲衣も左手でペンダントを握りしめ、祈りを込める。
二つの光が玲衣の右手に結集し、半透明の光の剣が生み出された。
「なるほど、最初から全力という訳か。いいだろう、こちらも全力で行かせてもらう」
懐から杖を取り出すディーナ。
その先端には既に青い宝玉がはめ込まれている。
「姉さんのS級召喚獣か……」
「リンちゃん、どんなヤツか知ってる?」
「すまない、姉さんは召喚師の事については何も話さなかった。あの召喚獣もどんなものかはわからないんだ」
青い宝玉から光が溢れ、彼女の前に次第に何かを形作って行く。
「わざわざリンナに聞かずとも、今見せてやる。来い、我が愛馬——」
高く杖を掲げ、ディーナはその名を呼ぶ。
「召喚、スレイプニル!」




