54 今の精一杯で
王都中心街の大型服飾店。
その試着室のカーテンが開くと、玲衣とシズクは感嘆の声を漏らした。
姿を現した金髪の美女が身に纏うのは、そこかしこにフリルがあしらわれた淡いクリーム色の服。
胸元と腰の両サイドにリボンが付けられ、フリフリのスカートとハイソックスが絶対領域を作り出している。
頭にはやはりフリルのカチューシャ。
これは絶対に外せないという玲衣の要望だ。
「おおぉぉぉぉぉっ! 素晴らしいです、ヒルデさん! バッチリ似合ってます」
「レイを連れて来てよかった。こんなヒルデの姿を見られるなんて、もう、もう……っ」
「喜んで貰えるのは嬉しいのだが、これは……。ど、どうも落ち着かないな」
スカートを押さえ、僅かに頬を赤らめてもじもじするヒルデ。
リンナに助けを求めようとするが、辺りには見当たらない。
巻き添えで着せ替え人形にされるのを避けるため、店内のどこかへ逃げたのだろう。
「さ、ヒルデ。次はこれ」
「このウサギのぬいぐるみも一緒にお願いします」
「な、なんでウサギなんだ」
次の着替え一式を押しつけられ、ヒルデは再び試着室の中へと姿を消した。
ゴソゴソと布の擦れる音が聞こえ、しばらくするとシャッと音を立ててカーテンが開く。
「シズク、レイ殿、いくらなんでもこれは……」
「すごい、レイ、これすごい」
「シズクさんが凄いしか言えなくなってる。でもこれは……、最高ですね」
ヒルデが着させられた服は、水色と白のエプロンドレス。
頭にはウサギの耳にも見える大きなリボンを結び、胸元にウサギのぬいぐるみを両手で抱えている。
真っ赤になってぬいぐるみに顔を埋めるヒルデ。
もはや彼女の恥ずかしさは限界点を超えていた。
「も、もう勘弁してくれぇ……」
「まだですよ、ヒルデさん。着て欲しい服はまだまだあります」
「逃がさない。もっと可愛いヒルデを堪能するんだから」
大量の服を抱えて迫りくる玲衣とシズク。
彼女の公開処刑はまだまだ終わらない。
☆☆
大量の服が入った袋を両手に下げ、大満足のシズク。
対照的に、ヒルデは物凄く疲れた顔をしている。
彼女が今身につけているのは、先ほど購入したYシャツとロングスカート。
シズクと玲衣の監修の元、ヒルデが自分で選んだ服だ。
山男魂Tシャツは永久に封印される事が決定した。
「ありがとう、レイ。おかげで貴重な体験が出来た」
「いえいえ、私も楽しかったですし」
「な、なあシズク。それ、本当に私が着るのか?」
恐る恐る、ヒルデは確認を取る。
袋の中に詰まった服の数々。
あんな格好で街を歩いた瞬間、今まで積み上げて来たヒルデのイメージは崩壊するだろう。
そうなれば、もう二度と街の中を歩くことはできない。
「当然。服は着るためにあるもの。でも、あんな可愛いヒルデ誰にも見せたくない。これは、悩む……」
「そ、そうだろう。だからほら、せめて二人だけの時に着るとか……」
「なるほど。ヒルデが恥ずかしがりながらも私の為だけに……。うん、そうしよう」
ホッと胸を撫で下ろすヒルデ。
だが、果たしてこれは本当に助かったのだろうか。
「でも、本当にもっと服には気を使って欲しい。あんな格好してたら、せっかくの美人が台無し」
「うむ、心に留めておこう。だがな、あまり動きにくい格好をしていると、いざという時にお前を守れないだろう」
「ヒルデ……。大丈夫、ヒルデが私を守れなくても、私がヒルデを守るから」
二人が見つめ合っている隙に、リンナはこっそりと玲衣の隣に戻って来た。
「では二人とも、邪魔したな。ゆっくり休日を楽しんでくれ」
「レイ、また一緒に服を選ぼう。今度はリンナの服を……」
「ひぃっ!?」
シズクの視線がゆっくりとリンナに向く。
彼女ほどの達人である。
当然、一連のリンナの動きも把握済みだ。
「はいっ! それじゃあシズクさん、ヒルデさん、バイバー……イじゃないや、忘れるところだった」
「ん? ああ、そうだったな。最初はこの二人も誘う予定だったっけ」
手を振って二人を見送ろうとした玲衣は、パーティの事を思い出す。
リンナもすっかりその事を忘れていたようだ。
「私達を誘うとは、一体なんの話だ?」
「実は今日、リンちゃんがA級召喚師に昇級したんです」
「おお、それはめでたい事だな! とうとうA級召喚師か」
「それでですね、昇級のお祝いにパーティをやろうと思うんですけどお二人もどうかなって。シフルちゃんとルトちゃんはもう誘ってあります」
「パーティか、それはいい。ぜひ参加させてもらおう。シズクもいいか?」
「シフルが来る、つまりはもふもふも来る……。行く、絶対行く」
「時間は今日の夕方、場所は私達の家です。待ってますね」
「わかった。それではまた夕方に」
「もふもふ……」
大量の服と共に立ち去って行く二人。
時刻は午後二時ごろ。
そろそろパーティの準備に取り掛かるべき時間だろう。
「さて、準備もあるしそろそろ帰ろうか」
「ん、帰ろう。それにしても色々あったな……」
「シフルちゃんたちがキスしちゃったのはビックリだったね……」
そうする事が自然であるかのように手を繋ぎ、二人は帰路につく。
これからケーキ作りに料理の拵え、やる事は山とある。
料理の腕が壊滅的なリンナにそれを手伝う事は出来ないが。
☆☆
テーブルの上に所狭しと並ぶ料理の数々。
その中央には玲衣が焼き上げたケーキ。
店に置いても全く恥ずかしくない見事な出来栄えだ。
「さて、こんなものかな。ごめんね、リンちゃん。飾り付けまで作る余裕無くって」
「レイが謝る必要なんてないよ。私が、料理出来れば……、全部レイに押しつけなくても……」
リンナは料理が出来ない。
すなわち、彼女の手先はかなり不器用だ。
作ろうとした飾り付けは、ぐちゃぐちゃの紙屑となり果てていた。
「落ち込まないで。今日の主役はリンちゃんなんだから、ね」
へこんでしまったリンナを優しく抱きしめ、頭をなでなでする。
その途端にマイナスの感情は霧散していく。
我ながら単純だと自嘲しつつも、玲衣の背中にそっと手を回した。
その時、玄関のドアノブが回り、扉が勢い良く開け放たれる。
「レイ、リンナー! ルト様が来てやったぞー!」
「ああ、ノックしてから開けないと駄目なのですよ。もしかしたらお楽しみ中かも……」
「あ……」
リンナとシフル、二人の目が合う。
その途端、シフルは大変申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、リンナおねーさん。お楽しみのところを……」
「違うから。お前の考えてるような事じゃないから」
「ねぇねぇレイ、なにこのごちそう! 全部食べていいの?」
「えと、ヒルデさん達が来るまで待ってね……」
テーブルの上を興味津々で眺めるルトに、玲衣は応対する。
当然リンナと抱き合ったままで。
「と、とりあえず離れよっか」
「うう、なんてタイミングの悪さなんだ……」
体を離した二人は、なんだか気まずい空気になってしまう。
玲衣といい雰囲気になる度に、なんらかのハプニングが起こる気がする。
彼女との仲が中々進展しないのは、自分のせいではないのではないか。
そんな被害妄想が、リンナの中に生まれつつあった。
「おお、皆来ているようだな。リンナ殿、レイ殿、お邪魔させてもらう」
開け放たれたままの玄関をくぐり、ヒルデとシズクが来訪した。
静かにドアを閉めると、シズクは早速シフルの元へと向かう。
「もふもふ、もう来てた。シフル、撫でていい?」
「どうぞなのですよー」
頭の上のふーちゃんを抱き上げ、シズクに渡した。
これ以降、ふーちゃんはひたすらもふもふされ続ける事となる。
「コホン。さて、それでは今から私のA級昇級記念パーティを——」
「リンナおねーさん、この部屋シングルベッドが一つしかないのです。それなりにお金持ってるはずなのにどういう事なのですか? むふふ」
「そ、それは……」
パーティの音頭を取ろうとしたリンナは、シフルのツッコミにたじろぐ。
ヒルデ達が来てから、という条件が満たされたため、既にルトは山羊のステーキにかぶりついていた。
シズクは飲み物を飲みながら、膝の上のふーちゃんを堪能している。
こうしてグダグダな空気の中、パーティは開始されたのだった。
「レイ、この味付けどうやったの? 教えてほしい」
「これはちょっと複雑なので、後でレシピ渡しますね」
「助かる。レイ、料理すごいね」
シズクも料理の腕には覚えがあった。
だが、玲衣の腕前はその上を行っていたようだ。
彼女の料理を実際に食べると、思わず唸らされる。
「うむ、確かに。レイ殿の料理は実に美味い。これなら毎日でも食べたいくらいだ。ハッハッハ」
「ヒルデさん、シズクさんが凄い顔で見てます」
「ん、どうした? 腹でも痛いのか」
「……ヒルデのバカ」
そんなやり取りを眺めて、シフルはため息をつく。
「駄目ですね、騎士団長さんは。乙女心がわかってないのです」
「いや、あの人も女の人だぞ」
「女性ならば無条件で持っているという訳ではないのですよ。——おっぱいと一緒なのです」
悲しげな目で、遠くを見つめるシフル。
リンナは不思議そうに彼女に尋ねる。
「お前はまだまだこれからだろ? 私なんてもう伸びしろすら……」
言ってる内に悲しくなってきた。
母も姉もそこそこあるというのに、そもそも二人とも身長も低くないのに。
「シフルには将来性は無いのです。だからルトちゃんに全てを託すのですよ」
肉料理をかっ食らうルトを愛おしげに眺める。
彼女はその視線に気付き、小首を傾げた。
「どうしたの? シフルも食べる?」
「はい、あーんして欲しいのです」
「いいよ、ほら。あーん」
食べさせ合いを始めた二人からそっと目を逸らし、リンナは玲衣を目で探す。
しかし、シズクと話していた彼女の姿は見当たらない。
トイレにでも行ったのだろうか、と部屋を軽く見回すと、ベランダに続く窓が開いている。
そこへ向かい、ベランダに顔を出すと、中からは死角となる場所に玲衣はいた。
手すりに体を預け、外の景色を眺めている。
「どうしたんだ、レイ。そんなところで」
「あ、リンちゃん。今日の主役がこんなとこにいちゃ駄目だよ」
玲衣の隣に立ち、リンナも王都の夜景を眺める。
「何かあったのか? それとも賑やかなのが苦手とか」
「そういう訳じゃないの。ただ、なんだか心の中にモヤモヤがあるんだ」
静かにそう口にした彼女の横顔は、今にもここから消えてしまいそうに見えた。
リンナの胸が、何かに締めつけられたような感覚を覚える。
「不安なのか? 大丈夫だろ。今は皆もいるんだし、私達だって強くなってる。ヘレイナだって手も足も出なかったじゃないか」
「そういうのじゃないんだけどね。なんだか胸が苦しくて」
部屋の中から聞こえてくる喧騒。
それがまるで別世界のように思える。
今、この世界には玲衣とリンナの二人だけ。
「——どうしたら、そのモヤモヤは消えるんだ?」
彼女が不安を抱いているなら、それをなんとかしてやりたい。
恋焦がれる少女の苦しみを、少しでも和らげたい。
「え? ……そうだね。リンちゃんが私の事、どう思ってるか。それがわかれば、消えてくれるかな」
「私の……気持ち?」
「うん。私ね、自分がリンちゃんの事どう思ってるのか、まだはっきりしてないの。リンちゃんの気持ちがわかれば、このモヤモヤも消えてくれるかなって」
玲衣の事をどう思っているか。
そんなものは決まっている。
でも、それを今の彼女に押し付けていいのか。
第一、まだあの事も——召喚獣の刷り込みの事も言えてないのに。
でも、ここで何も出来なければ、きっと後悔する。
だから。
「わかった。レイ、こっち向いて」
「ん? こう?」
向かい合った玲衣の顔は少し高い位置にある。
リンナは軽く背伸びして、玲衣に顔を寄せた。
——ちゅっ。
リンナの唇が触れたのは、玲衣の頬。
今はこれでいい。
今はまだ、その資格が無いと思うから。
だからこれが、精一杯のリンナの気持ち。
「どう、だ? 伝わったか?」
「リンちゃん……。うん、凄く伝わってきたよ」
玲衣の顔に浮かぶ笑顔。
この笑顔こそ、リンナが最も見ていたいもの。
不思議と照れは無かった。
穏やかな気持ちで、二人は静かに見つめ合う。
「あれ、二人が居ないよ」
「そろそろケーキを取り分けたいのに、どこ行ったのでしょうね」
部屋の中から聞こえる声。
二人は顔を見合わせて微笑みあい、喧騒の中へと戻っていった。
——今までわからなかったんだ。
私のリンちゃんへの感情が、恋なのか友情なのか。
でも、今はっきりとわかったよ。
私はリンちゃんの事が————。




