53 シフル、大人の階段を登る
切り分けられたケーキをフォークで掬う。
隣には、口を開けてスタンバイしているルト。
シフルが彼女の口の中へケーキを運ぶと、パクリと食いついた。
「どうですか、ルトちゃん」
「んーっ! すごくおいしいっ。ふわふわしてて甘いね、コレ」
「それは良かったのです。ほら、もう一口いくですよー。あーん」
「あー! んむっ」
ウエディングケーキの試食コーナーで、シフルとルトは和やかな時を過ごす。
シフルの頭の上に陣取るふーちゃんは肉食のため、ケーキには全く興味がない。
「むぐむぐむぐ……」
「はふぅ、和むのですぅ」
せわしなく咀嚼するルトを、シフルは暖かく見守る。
そんな彼女の後方から、玲衣とリンナが疲れ果てた様子で歩いて来た。
二人の手は元通りしっかり繋がれている。
「あれ、二人とも。もう抱き合ってないのですね」
「勘弁してくれぇ……」
「あはは……」
シフルの言葉に、玲衣は照れくさそうに頬を掻く。
リンナは先ほど再起動を果たしたばかりだ。
「ちょっと周りの雰囲気に流されちゃったかなって。キラキラしてて、なんだかロマンティックだよね」
彼女達のいる結婚式場は、王都の中心街に建っている。
ブライダルフェアの開催中とあってか、内装にも気合が入っているようだ。
薄ピンク色の壁はよく磨かれ、天井近くに飾り付けられた大量の電飾の光を反射させてその輝きを際立たせる。
これだけの量の電力を賄っているのだ。
舞台裏のC級召喚師と電気召喚獣達はさぞ大変な事だろう。
彼らの苦労によってこの煌びやかな空間が作り出されている事を、忘れてはならない——閑話休題。
「では、そろそろメインイベントなのです。ウエディングドレスの試着に行くですよー」
「え、もうなのか? まだ来たばっかりだと思うんだけど」
「あぁ、リンちゃんは固まってたからね……」
「ボク達はその間にたっぷりとケーキをいただいたよ」
「いっぱい食べるルトちゃんが好きなのです」
「てへへ、ボクもシフル好きー」
シフルに抱きつき、二人は熱烈なハグを交わす。
なんだか大変甘い匂いが漂ってくる気がする。
「……ん、早く行こう。ここは甘ったるくて胸焼けしそうだ」
「あれ? リンちゃんケーキ嫌いだったっけ。今日のパーティで作ろうと思ったんだけど」
「レイの作るケーキは別だよ。いくらでも食べられる」
「リンちゃん……。えへへ、腕によりをかけて作るねっ」
「ん、楽しみにしてる」
手をつないだまま、二人は向かい合い、見つめ合い、そして微笑み合う。
「あぁ、甘ったるいのです。胸焼けしそうなのです」
「んぇ? ボク、ケーキ食べさせすぎちゃった?」
「そうじゃないのですよ。さて、そろそろ行きましょうか」
☆☆
物凄い歩きにくさだ。
転ばないように気を付けつつ、リンナはそっと試着部屋を出る。
他の三人が入って行った部屋のドアは閉ざされたまま、周囲に見知った顔はいない。
なんだか落ち着かなくて、辺りをソワソワと見回す。
その内に隣の部屋のドアが開き、純白のドレスに身を包んだ玲衣が姿を見せた。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
普段サイドテールに結っている髪が肩まで下ろされ、憂いを帯びたような表情が艶めかしさを漂わす。
ゆっくりと進み出た彼女は、リンナに目を向けると一転目を輝かせた。
「うおわあぁぁ、リンちゃんかわいい! すっごいかわいいよ!」
「あ、ありがと……」
いつも通りの玲衣だ。
色気も艶やかさもどこかへ吹っ飛んで行った。
「ホントに似合ってる。素敵だよ、すっごく」
普段結っているツインテールの髪を解き、腰まで伸ばしたサラサラのロングヘアが純白に映える。
身長の小ささが気にならない、見事なリンナの花嫁姿だった。
「なんだかいつもよりも背が高く見えるし。ドレス効果かな」
「ううぇっ!? そ、そうかな、気のせいじゃないか、うん」
足先まで隠れた長いスカートの下。
彼女が歩きにくそうにしてたのは、そこに隠れたシークレットブーツのせいだ。
決して見栄を張ったのではない。
彼女の体に合う大人用のドレスが、無かっただけなのだ。
ルトとさほど変わらない自分の身長を、リンナは呪った。
「お待たせしたのですよー。おや、ルトちゃんはまだですか」
次に姿を現したシフル。
ミニスカート仕様の子供用ウエディングドレスを着ての登場だ。
危うくあれを着せられそうになったリンナの係員への必死の訴えは、ここでは語るまい。
ふーちゃんは試着部屋の中で待機中である。
「わぁ、シフルちゃん可愛いね。元気な感じが凄く似合ってる」
「ん、まあいいんじゃないか」
「ふっふーん、もっと褒めるがいいのですよ」
胸を張ってドヤ顔をするシフル。
リンナは、なんだか彼女がルトに似てきた気がした。
さて、そのルトだが。
彼女の入った部屋の扉が静かに開いた。
普段ならばそのまま飛び出してシフルに飛びつくところだが、うつむいたまま静かに進み出てくる。
「わぁ……」
「ル、ルト……なのか?」
「ルトちゃん……。凄く綺麗なのです」
ルトが身に纏っているのは、子供用のドレスではない。
足下まで伸びた純白のスカート。
同じく純白のドレスに引き絞ったウエスト。
二の腕までを覆う白いグローブ。
どこに出しても恥ずかしくない立派な花嫁衣装。
それを身に付けているルトも、銀の髪が白い衣装とベストマッチしている。
普段の彼女からは考えられない憂いを帯びた表情も、どこか清楚な雰囲気を醸し出す。
「シフルぅ……。これ、凄く動きにくいよぉ。なんか凄く底が厚い靴履かされたし……」
「いやいや、これ以上無いくらい似合ってるですよ。ルトちゃんは世界一の花嫁さんなのです」
「んぇ、ホント? 似合ってる?」
「似合ってるなんてもんじゃないですよ。今すぐ式を挙げたいくらいなのです」
「よくわかんないけど、シフルが喜んでくれるならいっか。えへへ」
シフルの前で笑顔を見せるルト。
ふと、その視線が壁に貼り出されたポスターへと向く。
多くの人に祝福されながら口づけを交わす男女の姿。
結婚式の案内ポスターだ。
「ねえ、シフル。あれってなにやってるの?」
「あれって……、おおっと。あれはその……、キス、なのです」
彼女の質問にはなんでも答えてあげたいシフル。
今回の質問にも、苦心しつつ答えて見せた、はずだった。
「キスってなに? シフルがおでこにしてくれるヤツとは違うの?」
「ええっと……、それはその……」
まさかの追加攻撃。
思わず玲衣とリンナに視線で助けを求めるが。
「がんばって、シフルちゃん」
「お前の役目だろ。なんとかしてみせろ」
「は、薄情な友達を持ったのですぅ……」
恨み節を呟いても仕方がない。
さて、純真な彼女に一体なんと説明すれば良いものか。
散々頭を悩ませた末、シフルは口を開く。
「シフルがルトちゃんのおでこにするのもキスなのですよ。相手に大好きって気持ちを伝えるための行動なのです」
「そうなんだ。じゃあなんであの人たちは口同士でしてるの」
「それはですね……。えーっと、そう。世界で一番好きな相手に大好きな気持ちを伝える時に、口と口でするのですよ」
何とか乗り切った。
彼女はそう思っただろう、だが。
「なるほど。じゃあシフルっ」
「えっ、んむっ!?」
「わあっ!」
「おぉ、やった……」
シフルの言う通り、ルトは伝えたのだ。
世界で一番大好きな相手に、大好きだという気持ちを。
シフルの唇は今、ルトの唇と重なっている。
柔らかな唇と唇が触れ合う感触、視界いっぱいに映るルトの顔。
息をすればいいのか止めればいいのか。
それすらもわからず、シフルはされるがまま。
二人の少女の熱いキスシーンを、玲衣とリンナはただただ見守った。
「ん〜〜、ぷはっ。えへへ、つたわったかな、ボクの気持ち」
「つ、伝わった、のですよ」
これ以上無いくらい真っ赤になりながらも、ルトの笑顔を見れば何だって許せてしまう。
惚れた方の負け、という言葉の意味を噛み締めるシフル。
思わぬ形でのファーストキスだった。
「す、凄いものを見ちゃったね、リンちゃん」
「ああ、そうだな。シフルに追いついたと思ったけど、また先に行かれてしまった」
「え、何の話?」
「何でもない。シフル、いつか追いついて見せるから、な」
荒い息を付いてキスの余韻に浸る少女の背中を、リンナは静かに見守った。
☆☆
式場を後にした四人。
時刻は正午を回った頃、夕方までには時間がある。
パーティの準備をするにしても、まだまだ余裕はあるだろう。
「それじゃあ二人とも、夕方にまたお会いしましょう」
「レイ、リンナ、またねー」
「ふーっ」
「うん、お腹を減らしてきてね、待ってるからー」
大きく手を振るシフルとルト。
玲衣とリンナの二人と別れると、手を繋いで走って行った。
「さてと、まだまだ時間はあるけどどうする? 食材の買い置きは余裕あるし……」
「ん、どこかに遊びに行こうか。適当にぶらつきながらさ」
「そうだね、じゃあいこっか……って、あれ? あの二人って」
リンナと手を繋いで歩き出そうとした玲衣は、人ごみの中に顔見知りを見つける。
「ヒルデさん、シズクさん!」
「ん? おお、レイ殿にリンナ殿か」
「偶然。びっくりした」
「シズクさんはあんまりびっくりしてるようには見えないけどな」
二人に気付き、彼女達はこちらへとやってきた。
シズクの服装は白いブラウスに黒のロングスカート。
ヒルデはシャツに短パンというラフな格好。
どう見ても見廻りではない。
「もしかして、今日ってオフなんですか?」
「ああ、そうだ。だから鍛錬でもしようかと思っていたんだが……」
「もう我慢の限界。ヒルデの普段着、あまりにも酷すぎる」
「普段着って、あぁ……。そうですね、これは酷い」
シズクの言葉を受けて改めてヒルデの格好を見る。
その途端、玲衣はシズクの気持ちを理解した。
下はよれよれの短パン、上はどどめ色のTシャツ。
胸元に白い文字で大きく書いてある『山男魂』とは一体なんなのか。
「服など動きやすければなんでもいいだろうと思うのだが」
「駄目。今日はヒルデの服を買うの」
「シズクさん、私にも手伝わせて下さい!」
「レイ……。わかった、一緒に頑張ろう」
「はいっ!」
使命感に燃え上がる二人。
こうして、ヒルデ改造計画が幕を開けるのだった。




