52 赤いギルドカード
まだ人もまばらな、早朝の召喚師ギルド。
爽やかな朝の空気の中、リンナはいつものように依頼の達成報告を行っている。
本日達成した依頼は、討伐依頼が二つに捕獲依頼が一つ。
どれも昨日の内に請け負い、達成したものだ。
依頼の報告を受けたギルドは、その内容の査定を行う。
掛かった時間や達成度、周囲への被害の少なさ等を検証し、CからSまでの評価を下すのだ。
召喚師が昇級するためには、数多くの依頼でS判定を取らなければならない。
そのため、殆どの召喚師がA級には上がれないままB級で現役を終える。
そんな状況下で、近頃のリンナはこなす依頼全てでS判定を取っていた。
怒涛の勢いで実績を重ね続けた彼女は、もし今回の三つの依頼全てでS判定を取った場合。
「お待たせしました。リンナ・ゲルスニールさん、今回の依頼も全てS判定です」
「ええっと、それじゃあ……?」
なんだか現実感が無い。
夢の中にいるような、地に足の付かない感覚の中にリンナはいる。
受付嬢はにこやかな笑顔を浮かべつつ、真新しいギルドカードを手渡した。
「おめでとうございます。あなたは今日からA級召喚師です」
そのギルドカードの色は、鮮やかな赤色。
これを持つに至る召喚師は、百人に一人と言われている。
それを受け取ったリンナは、上の空といった様子でUターン。
そのままその場を後にしようとして、受付嬢に呼び止められる。
「あのー、報酬金をお忘れですよ?」
「あひゃっ! そ、そうだった。えっと、貰っていきます……」
金貨の入った革袋三つを受け取り、今度こそカウンターを後にする。
数歩歩いて辺りを見回すと、テーブル席で落ち着かない様子の玲衣と目が合った。
「リンちゃーーーーん!」
すぐさま立ち上がって抱きつきに来る彼女を、リンナはヒラリとかわした。
「うわっとと、避けるなんてひどいよー。っと、それよりも、報告終わったんだね。どうだった?」
「……ん、これ、なんだけど」
赤いギルドカードを見せる。
そこに記されたA級召喚師の文字。
玲衣は目を輝かせて、今度こそリンナを熱く抱きしめた。
「凄い、凄いよリンちゃん! とうとうA級召喚師だよ!!」
「わぷっ、苦しいって! ……本当にA級になったのか? 私」
彼女の胸の中で、リンナの中にようやく実感が湧いてくる。
「そうだよ、A級だよ、凄い事なんだよ!」
「……そっか。A級召喚師なんだ。本当になれたんだな」
その事を改めて自覚しても、不思議とリンナの心は落ち着いた。
目の前の玲衣が過剰に大はしゃぎしているからというのもある。
だが、B級の依頼を難なくこなせていた段階で、彼女は心のどこかで確信していたのだろう。
A級に上がることが、決して夢物語では無いという事を。
「そうだ、お祝いしなきゃ! リンちゃんA級昇格記念パーティ開こう!」
「パ、パーティ!? いや、大げさな……」
リンナはこんな事を言うが、決して大げさではない。
A級昇格というのは本来なら故郷に凱旋し、街を上げてのお祭りとなる程の大事件だ。
それは、彼女の基準がディーナであるが故の感覚のズレだった。
そう、リンナにとって飽くまでA級召喚師は通過点。
目標は姉の待つ遥かな頂き、S級召喚師なのだから。
「大げさなんかじゃないよ! よし、ヒルデさんとシズクさん、シフルちゃんにルトちゃんも呼んでパーティね。けってーい!」
「決定事項なんだな。まあ、別にいいけど」
お祝いをするにしても、リンナはたった一人、玲衣に祝ってさえ貰えればそれで良かったのだが。
「あ、でもヒルデさん達は騎士団の仕事があるよね。じゃあシフルちゃん達だけかぁ」
「やる気満々だな。ところでそろそろ解放してくれ」
ずっと抱きしめられたままで、ひたすら周りの注目を集めている状況だ。
いつもの事とはいえ、やっぱり恥ずかしい物は恥ずかしい。
玲衣は慌ててリンナをハグから解放した。
「ご、ごめんね。苦しかった?」
「いや、気持ちよか——ゲフンゲフン! さ、早速二人に声を掛けに行こう」
「う、うん。そうだね……?」
うっかり漏れそうになった本音を必死に誤魔化し、リンナは彼女の手を引く。
挙動不審なその様子に、玲衣は小首を傾げるのだった。
☆☆
ここは王都の高級住宅街。
高位の召喚師はほとんどがこの場所に居を構えている。
玲衣とリンナがやって来たのは、そんな中の一軒。
豪華な玄関口に立ったリンナは、ドアノッカーで二回扉を叩く。
しばらく待つと、バタバタとした足音の後に扉が開き、頭に鳥を乗せた少女が姿を現した。
彼女、シフルはA級召喚師。
つまり、今日からリンナと同格という事になる。
「おや、リンナおねーさんにレイおねーさん。遊びに来たのですか?」
「いや、今日はお誘いに来たんだ」
「そうなの。リンちゃんがなんと! A級召喚師に昇級したんだ!」
「おおぅ……ッ! とうとう追いつかれましたか……」
「喜んでくれないんだな、お前」
苦虫を噛み潰したような顔をされて、さすがのリンナもほんの少しだけショックを受ける。
そんな彼女の背後、銀髪の少女がひょっこりと顔を出す。
「あ、レイとリンナだ。ちょっと聞こえたんだけど、おさそいって何?」
「ルトちゃん、おはよう。実は今日の夕方にリンちゃんのA級昇格記念パーティを開こうと思うんだけど、二人ともどうかな」
「んぅ、でも今日はあそこに行く予定なんだよね、シフル」
「夕方からだから、全然大丈夫なのですよ」
「そっか、ならボク行く! シフルも行くよね」
「そうですね、お呼ばれしたからには全力でいくですよ」
残念そうにしたかと思えば、シフルの一言で満面の笑顔に変わる。
コロコロと変化するルトの表情に、玲衣の顔も自然と緩んだ。
「じゃあ二人とも、夕方に家に来てね。場所は前に教えたっけ」
「当然、バッチリ覚えてるですよ。二人の愛の巣にお邪魔させていただくとします。むふふ」
「愛の巣て。ところで二人とも、今日はどこに行くんだ?」
「結婚式場なのですよ」
「そうか、結婚式じょ……結婚式!? お前らもう結婚するのか!?」
あまりにもさらりとした返事に軽く流してしまいそうになったリンナは、意外すぎる答えに思わず聞き返す。
なお全くの余談ではあるが、義理の姉妹ならば結婚は可能である。
「いやいや、シフルは十歳なのですよ。ルトちゃんも十二歳ですし、まだまだ結婚なんて先の話なのです」
「そ、そうだよな。あーびっくりした」
「それにもうってなんですか。シフル達はまだそんな関係じゃないですよ」
「まだ、なんだな」
「まだ、です。ヘタレの誰かさんよりは早くそうなるとは思いますが」
「ん? それって誰のことだ?」
不思議そうに小首を傾げるリンナ。
シフルの言う誰かさんに、彼女はまるで心当たりが無い。
「あ、自覚無かったんですね、ならいいのです」
生温かい目を向けてくるシフルに、リンナの疑問はますます深まった。
「シフルちゃん達、誰かの結婚式に出るの? 知り合いの人とか」
「違うよ、レイ。実はね、ブラ……ブラ……? 何だったっけ」
「ブライダルフェア、なのです」
言葉に詰まるルトにそっと助け船を出す。
「そう、それ! ブライダルフェア! それが今やってるんだって」
「結婚式場の下見が出来たり、ウエディングドレスを試着したり出来るのです」
「なるほど、ウエディングドレス……」
純白のドレスを纏ったリンナの姿を見る、またとない機会。
それに玲衣自身も、ウエディングドレスを着てみたい気持ちはある。
「私達もついていっていいかな」
「全然おっけーなのですよ。ルトちゃんもいいですか?」
「うん。シフルが一緒なら誰が来てもいいよ」
今のルトはシフルが一緒なら無条件でどこにでもついて行くだろう。
そんな彼女の気持ちを利用しているようで心苦しいが、何としてもシフルは見たかった。
ルトのウエディングドレス姿が見たかったのだ。
「リンちゃんも、いいよね」
「……ん、レイが行きたいなら、私は別に。特に興味は無いけどな」
嘘である。
リンナも玲衣の花嫁衣装を物凄く見てみたい。
しかしそれを口にすることが出来ないのだ。
先ほどと同じような生温かい視線がシフルから飛んで来ていた。
☆☆
結婚式場、そこは一生に一度、人によっては二度三度——の晴れ舞台の場所。
今日、この場所は多くのカップルで賑わっている。
男女のカップルもいれば、彼女達のような女子二人連れの姿もある。
厳密には彼女達はまだカップルではないが、まだ。
「凄い人だね、リンちゃん。迷わないようにしっかり手繋いでようね」
「そ、そうだな。絶対離すなよ。離したらもう二度と会えないぞ」
「い、いくらなんでも大げさだよ」
玲衣の手を力いっぱい両手で握りしめるリンナの姿。
小柄な体格もあって、実年齢よりも幼く見えてしまう。
そんな彼女に対し、玲衣は庇護欲を掻き立てられる。
「ね、手を繋ぐよりもさ。こうしたら絶対はぐれないと思わない?」
「え、何を……」
繋いだ手を解かれ、リンナは不安で一杯になった。
しかし、それも束の間。
後ろから玲衣にそっと抱きしめられる。
「こうしたらもう、離れようがない……よね」
「ん、凄く安心する……」
全身を包み込むような温もりと柔らかさ。
玲衣は愛おしげにリンナの後ろ頭を眺める。
そのうちに肩越しに顔を寄せ、間近でその顔を見つめる。
間近に感じる吐息に、リンナの背筋がゾクゾクした。
「リンちゃん……」
「レイ……」
見つめ合う二人。
次第にその距離が近づいていく。
周りの喧騒も気にならない程に、二人の世界へと落ちていく。
「……ん?」
無数の視線を感じ、ふと我に帰ったリンナ。
周囲を見回すと、周りに居るカップル達は全員二人に注目している。
傍から見れば、今の二人は完全に人目を気にせずイチャつくバカップルでしかない。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
言葉にならない悲鳴と共に、リンナの顔は一瞬で真っ赤になった。
「……あぅ」
同じく我に帰った玲衣。
リンナ程では無いにしても、彼女にも確実にダメージは入ったようだ。
「全く何をしているのですかね、あの二人は。大胆なのか奥手なのか」
「ねーねーシフル、あれはナニ?」
「あれはウエディングケーキなのです。試食出来るみたいですね。食べさせ合いっこするですよ」
「正しい食べ方、だね! いこっ」
硬直する二人を放置して、ルトとシフルは試食コーナーへと向かうのだった。




