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48 亀裂

 ルトの今まで生きてきた人生において、この一か月間が最も幸せな時間だった。

 シフルの側で、彼女とその家族と一緒に過ごす、暖かくて優しい時間。

 これまで一人で生きてきた少女にとって、それは何物にも代えがたいものだった。

 こんな時間がずっと続いて欲しい、彼女はそう願ったのだろう。

 あるいは、これからもずっとこんな日々が続くものだと思っていたのかもしれない。

 いずれにしても、シフルのその一言は彼女のそんな淡い思いを打ち砕くには十分だった。


「ルトちゃん、もう一人でもやっていけそうですね」


 ——とうとう読み書きをマスターした。

 いっぱいシフルに褒めて貰えると思って頑張った。

 努力の成果を認めて欲しくて、自信満々で披露した。


「シフル? 何言ってるの?」


 ——その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

 そんなに嬉しそうな顔で、彼女は何を言っているのか。

 まったく理解できなかった。


「何って、これでルトちゃんは召喚師ギルドに入れるのですよ。一人で生きていける力をルトちゃんはもう十分身に付けたのです。だから——」


 ——やめて、聞きたくない。


「少し寂しいですけど、ルトちゃんと一緒の暮らしも終わりなのです。あっ、勿論これまで通り仲良く……」

「嫌だ……」

「えっ?」


 それはシフルにとって意外な反応だった。

 大目標の達成に、一緒になって大喜びしてくれるものだと思っていた。


 ルトがこの家に来て一か月。

 彼女が必死に努力を続けていたのは、必死に読み書きを頭に叩き込んだのは、早く召喚師になりたかったから。

 シフルはそう考えていたのだが、実際はそうではなかった。

 シフルに褒められるのが嬉しい、それだけが頑張れた理由、彼女のモチベーションの全てだったのだ。

 だから彼女は、努力の果てに待つものがシフルと離れ離れの日々だとは夢にも思わなかった。


「なんで? なんでそんな事言うの? ボク必死に頑張ったんだよ。それなのに……」

「どうしたのですか、ルトちゃん。召喚師になれるのですよ? そしたらもうあんな暮らしは——」

「シフルはボクの事嫌いになったの!?」

「そんな訳ないじゃないですか!」

「だったら何でボクの事追い出そうとするのさ!」

「追い出そうだなんて……、シフルはただ、ルトちゃんが喜ぶと思って」

「喜ぶ訳ないじゃん! なんでそんな事もわかんないの! シフルのバカ!!」

「馬鹿って……! もう知らないのです! ルトちゃんなんか嫌いなのです!!」


 そこまで口走ってシフルは我に帰る。

 頭に血が上って心にも無い事を言ってしまった。

 シフルの言葉を聞いて、ルトの表情が凍りつく。

 次第にその目尻に溜まっていく涙。

 激しい後悔に苛まれ、シフルの胸がズキズキと痛む。

 早く何か言わなくては、焦りと混乱で言葉を上手く紡ぎだせない。


「あ……違っ、今のは……」

「〜〜ッ! もういいよ!!」


 乱暴にドアを開け放ち、ルトはシフルの部屋を飛び出して行く。

 やがて玄関のドアが同じように開けられた音、続いて石畳を走る靴音が遠ざかっていく。

 一人部屋に取り残されたシフル。

 頭が真っ白になるというのは、今のような事を言うのだろう。

 何も考えられず、ただルトの悲しみに満ちた顔だけが脳裏に繰り返し浮かぶ。



「ふーっ……」

「ふーちゃん……」


 しばし呆然としていたシフルだったが、相棒の声で我に帰る。

 そうだ、こんな所で座り込んでいる場合ではない。

 早く追いかけて彼女を抱きしめてあげなくては、あんな顔をさせてしまった事を謝らなくては。


「そうですね、探しに行くですよ。そしてちゃんと謝って、大好きだって伝えるのです」

「ふー!」


 寝床からふーちゃんを抱き上げて頭に乗せると、杖を手に取って部屋の外へと飛び出す。

 階段を駆け下りて一階の玄関へ、急いで靴を履くとドアを開け放つ。

 家の前の通りを見回すが、ルトの姿はどこにもない。


「遠くに行っちゃったみたいですね。ふーちゃん、空から探すですよ」

「ふー」


 杖に宝玉をセットして祈りを捧げると、ふーちゃんは緑の巨鳥へと姿を変える。

 シフルはその背中に飛び乗り、フレズベルクは大空へと舞い上がった。




 ☆☆




 リンナに寄せられた依頼は、本日も楽勝だった。

 数時間で終わってしまうため、複数の依頼を同時に請け負う事も少なくない。

 かれこれ一か月はこんな調子だが、おかげでリンナの実績は凄まじい速度で積み上げられていく。


「もうすぐA級召喚師なんだよね。さすが私のリンちゃん! スピード出世だよ」

「レイが頑張ってくれてるおかげだよ。簡単にやっつけてくれるから、私はほとんど見てるだけだし」

「私が安心して戦えるのは、リンちゃんが色々標的の特徴とかを教えてくれるからだよ。リンちゃんは凄いって事、私はよく知ってるから」

「……ん、まあ素直に受け取っておくよ」


 依頼の報告を終えた二人は、ギルドを後にして通りを手を繋いで歩いている。

 もう王都にきてそれなりの時間が経つが、二人の手はギュッと握られたままだ。

 そろそろ「道に迷うから」というリンナの言い分が苦しくなってきそうな頃だが、あえて玲衣はそれを口にしない。

 手を繋ぐ事を赤面しながらねだってくるリンナがとても可愛いのもあるが、彼女自身も手を繋ぎたいのだ。


「まだ日も高いし、どこか寄ってく? 報酬金はたっぷりあるしね」

「正直溜まり過ぎだと思ってる……。ん? あれってルトじゃないか」


 リンナが指さす先、雑踏の中を俯きながら走るルトの姿。

 時々通行人にぶつかっているが、彼女は気にも留めていない。


「ホントだ。何かあったのかな、あの様子だと」

「だな、明らかに様子が変だ。放っておくわけにもいかないな。おーい、ルトーっ!」


 リンナの声に反応したのか、ルトは足を止めてこちらを見る。

 そして、覚束ない足取りで二人の方へと近づいてきた。

 間近で見る彼女の顔には、涙の跡がはっきりと見て取れる。


「ルトちゃん、何かあったの? シフルちゃんは一緒じゃないの?」


 努めて優しく、玲衣は言葉をかける。

 しかし、彼女は何も反応しない。

 虚ろな目で玲衣の顔を呆然と見上げるだけだ。


 ルトは今、深い喪失感のただ中にあった。

 裏表が無く素直過ぎる彼女は、シフルの言葉を額面通りに受け取ってしまったのだ。

 シフルに嫌われてしまった。

 初めて出来た大切な存在からの拒絶は、彼女にとってあまりにもショッキングな出来事であった。

 同時にその事は、元通りの一人きりで生きていく日々への逆戻りを意味する。


 力が無くては生きていけない、誰にも頼れない孤独な日常。

 以前の彼女なら何も思わなかっただろう。

 今は違う。

 他者の温もりを知り、誰かに頼る事を知ってしまった彼女には、今の力のまま一人で生きていく自身は無かった。

 もっと強い力が無ければ、例えば三神獣のような。


「……そういえば——」

「え? ルトちゃん?」


 すっかり忘れていた事を思い出す。

 今目の前にいるこの二人を倒せば、世界蛇の宝玉が貰える。

 それだけの力を手に入れれば、きっと誰にも頼らずに一人で生きていける。


「そうだよ。ボクは最初から一人だったんだ」

「ルト、一体何があったんだ? シフルと喧嘩でもしたのか?」

「ねえ、二人とも。ちょっとボクについてきてよ」


 そう言うと、ルトは背を向けて歩き出す。

 顔を見合わせる玲衣とリンナ。

 結局何があったのかはまだ聞き出せない。

 それどころか会話にも応じてくれない。


「どうしよう、リンちゃん。ついてく?」

「明らかに様子がおかしい。一人には出来ないだろ」

「そうだね。ルトちゃん、どこに行くの?」


 足早に進むルトは、やはり玲衣の言葉には応じない。

 小さな彼女の背中が、今日はさらに小さく見える。

 それに、今まで彼女に出会った時は、いつも隣にシフルもいた。

 今、彼女の姿はどこにも見えない。


「それにしてもシフルちゃん、どうしたんだろう。いつもルトちゃんと一緒なのに」

「あいつがあんなになるって事は、シフルと何かあったんだろうな」

「心配だね、二人とも」


 二人を後ろに引き連れて、ルトはどんどん進んでいく。

 中央の繁華街を後にし、住宅街を抜けて、王都東口へ。

 そこも抜けると、とうとう草原地帯にまで出てしまった。



「ねえルトちゃん、どこまで行くの? もう王都から出ちゃったよ」

「……ここらへんでいっか。街からは十分離れたし、何かあっても騎士団が飛んでくる事は無さそうだから」

「ルト? 何を言って——」


 ずっと背を向けていたルトが、二人へと向き直る。

 そして、懐から取り出したのは緑の宝玉。


「二人共、悪いけどやっつけちゃうね」

「緑の宝玉!? まさか……。レイ、気をつけろ!」

「え、リンちゃん!? 気をつけろって……。ルトちゃんも何を言ってるの!?」


 状況が飲み込めない玲衣に対し、リンナは素早く聖剣の宝玉を杖にセットする。

 あの宝玉はただの武器宝玉では無い。

 その事を、彼女に備わった召喚師としての力が瞬時に見抜いた。

 ルトが自らの宝玉に力を込めると、それは電撃を纏い、鎚の形へと変化していく。


「来いッ! 雷鎚・ミョルニル!!」


 鳴り響く轟音、辺りを包む稲光。

 まるで目の前に雷が落ちたと錯覚するかのような衝撃。

 体中を震わせるような空気の振動が収まると、少女の手元に巨大なハンマーが出現していた。

 華美な装飾が施された柄はかなり短いが、それでも小柄なルトには両手で持てる長さだ。

 武骨なヘッドは柄に反して巨大、まさに鉄塊と呼ぶに相応しい。

 使い手の少女よりも大きなそれは、ともすれば遠近感がおかしくなりそうな程だ。


「雷鎚って……、七傑武装セブンアームズ!?」


 玲衣はシズクの言葉を思い返す。

 雷鎚の使い手はまだ幼い少女だと。

 その事は常に頭に留めておいていたが、シフルと仲睦まじいルトは最初から警戒対象には無かった。

 彼女との楽しげな様子も、演技とはとても思えないものだった。


「敵……だったのか?」


 リンナの呟きに、ルトは僅かに肩を震わせる。


「……そうだよ。みんな敵だ、みんなみんなみんな! ボクの敵だぁぁッ!!」


 叫びと共に、ルトはミョルニルを振りかぶる。

 そして、全力で地面に叩きつけた。

 ズガアァァァァン!!

 周囲二十メートルの地面がクレーター状に陥没し、玲衣はバランスを崩す。

 その規格外の力に、リンナは驚嘆する。


「なんてパワーだ! あの雷鎚、力の身体能力強化エンハンスだけならグラム以上か……!」


 足元に唐突に発生した斜面を滑る玲衣に、打ち下ろされた雷鎚からドーム状に広がる電撃の壁が迫る。


「レイ、早く避けろ!」

「体勢が整わなくて、それに、蟻地獄みたいに滑るの!」


 玲衣の足元は、すり鉢状に砂が流れていく。

 体勢が悪く、さらに踏ん張りも効かない。

 回避は不可能。

 そう判断したリンナは、素早く次の手を打つ。

 集中力を高め、力を練り上げて玲衣に送り込む。

 この一連の流れのスピードは、リンナ自身も驚くほど速くなっていた。


防御強化シールドブーストッ! ちょっと痛いけど我慢しろ!」

「ありがと、リンちゃん! くっ……」


 青い光を体に纏い、玲衣は電撃のカーテンに突っ込む。

 全身を灼く電流に顔をしかめるが、ブーストの効果によって致命傷にはならない。

 そのままクレーターの底まで滑り降り、玲衣はルトと対峙した。

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