42 逆鱗
背中に突き刺さる五発の光弾。
直撃を受けたヘレイナは、ゆっくりと落下——しなかった。
「っはあぁぁ〜。危ない危ない」
満面の笑みを浮かべ、恍惚とした表情でヘレイナは唇を舐める。
顔は紅潮し、なにやら興奮すらしていそうだ。
「なんで!? 直撃したはずなのに……!」
「念のため、背中に氷のシールドを張らせてもらっていたの。それにしても危ないわね、あんなの当たったら死んじゃうわ」
まるで小さな子供に注意するような口調で、人差し指を立てるヘレイナ。
一体この女はどこに本心があるのか、何を考えているのか。
玲衣にもリンナにも全く掴めない。
「当然でしょ、そのつもりでやってるんだから」
「悲しいわ、そんなに嫌われてるのね」
足裏の風を炸裂させ、ヘレイナは玲衣の間合いへ飛び込む。
氷の槍による一撃は軽く防ぐものの、反撃を繰り出す前に敵は間合いの外へと飛んでいく。
空中を自在に飛びまわるヘレイナとの近接戦闘は、どこから攻撃が来るか読みにくい。
三次元的な攻撃に、地力の差は少なからず埋められていた。
「ほらほら、どうしたの? 私を潰すんじゃなかったのかしら」
頭上から突き出される槍をかわしても、上を見た時にはもういない。
背後からの刺突を体を傾けてかわし、槍を脇に挟み込んで叩き折る。
しかし、次の瞬間にはヘレイナは新たな槍を生成。
空気中に水分がある限り、その武器は無尽蔵だ。
「なんとかして本体を捉えなきゃ……。リンちゃん、ブーストを——」
リンナの方に目を向けた玲衣は、驚愕に目を見開く。
彼女の頭上数メートル、雷雲が一つ、急激な速度で成長していたのだ。
「リンちゃん!」
「あらあら気付いちゃった。残念」
「くっ、間に合え!」
一刻の猶予も無い。
腰の剣を引き抜き、リンナの頭上へ全力で投げる。
「レイ? どうした……、上!?」
頭上を見上げるリンナ。
その真上で雷雲から撃ち出される電光。
それが彼女に届く前に、玲衣の剣が空中で雷を受け止めた。
電気を帯びたまま、剣はなだらかな斜面に突き刺さる。
「お見事! 拍手でも送りたいわね」
「ッ! ヘレイナァァァァァッ!!」
それは、生まれて初めて他人に抱いた感情。
嫌悪や憎悪すら超えた——殺意。
彼女の最も大切な存在への攻撃。
それが玲衣の逆鱗に触れた。
躊躇無く首を狙った斬撃を回避し、ヘレイナは上空高く逃れる。
「あらあら、怒らせちゃったみたい」
命を落としかけた。
その事を少し遅れて理解する。
リンナの心臓は動悸を速め、背中に嫌な汗が流れる。
だが、今やるべきは玲衣のサポート。
彼女の言いかけた言葉通り、落ち着いて精神を集中させ、彼女に力を送り込む。
「敏捷強化! レイ、そいつをブチのめせ!」
白い光を体に纏い、玲衣は上空へ飛び上がる。
その場にいた誰もが、リンナはもちろん、ヒルデやシズクすらも、消えたと錯覚する程の速度で。
コンマ数秒でヘレイナの真正面に到達し、その首を落とすため、光の剣を握り込む。
「ッ! これは……!」
ヘレイナの顔に初めて浮かぶ焦りの色。
次の瞬間、振るわれた刃が斬り飛ばしたそれが、宙を舞う。
「かわされた……」
首を斬り落とすはずだった刃が切断したのは、ヘレイナの左腕。
やがてそれは、ドサリと音を立てて赤茶色の土の上に落下した。
「レイ、ヘレイナはどこだ!」
上空を見上げるリンナの視界に写っているのは、玲衣の姿だけ。
ヘレイナは、切断された左腕を残して忽然と姿を消していた。
着地した玲衣は、右手の聖剣の力を送り返す。
もう周囲のどこにも敵の気配は無かった。
「逃げられたみたい。いつもみたいに瞬間移動でいなくなった」
静かな口調で淡々と答える。
普段とはあまりに違う彼女の様子に、思わずリンナは走り寄った。
「レイ、私は無事だ。レイが守ってくれたから、だから」
「うん。リンちゃん、本当に無事で良かった」
目の前のリンナの頭を撫で、玲衣は微笑む。
いつも通りの優しい笑顔。
それでも、リンナの心はどこか落ち着かなかった。
「さ、ヒルデさん達があっちで待ってるよ。行こう?」
「……ん、ヒルデさんをゆっくり休ませたいし、行こうか」
なんだか彼女が遠くに行ってしまうような気がして、リンナは強く強く手を繋いだ。
☆☆
ヒンダル火山の裾野に広がる森の中。
切断された左腕の傷口を押さえつつ、覚束ない足取りでヘレイナは歩く。
咄嗟の瞬間移動が無ければ、確実に首を飛ばされていた。
「ちょっと遊びすぎちゃったかしら……」
あまりに速すぎる剣速に、左腕を持っていかれてしまった。
遊びの代償としては、高く付き過ぎてしまったか。
それでも、命があるだけマシというもの。
死ぬわけにはいかないのだ。
レーヴァテインが完全に覚醒するその時までは。
「なんにせよ、しばらくはお休みね……。一応あの三人にも連絡しておこうかしら。あら?」
ふらふらと歩く彼女の腕から滴る血。
その臭いは森の奥に潜む、鼻の利く猛獣を呼び寄せた。
木々の合間から姿を現した縦縞の巨体。
A級召喚獣キラータイガーが、ヘレイナの前に立ちはだかる。
「あらあら、手頃な獲物を見つけたって所かしら? でもね……」
手負いの獲物を組み易しと見たか、鋭い牙を覗かせて飛びかかるキラータイガー。
ヘレイナが右手をかざすと、その頭部が暗黒の球体に包まれた。
その途端に動きを止め、叫びを上げる事も無く体が痙攣を始める。
闇が消えると、そこにあったはずの頭部は跡型も無く消滅していた。
「喧嘩を売る相手を間違えてるわよ」
綺麗な切断面から大量の血が噴き出し、残った胴体が崩れ落ちる。
「はあ、猫ごときにこの力を使わされるなんて。やってくれるわね、レイちゃん。ますます気に入っちゃった」
一人呟くと、再び彼女はその場から姿を消した。
☆☆
夜の山道を歩く事はおすすめ出来たものではない。
一人では動けない怪我人がいるなら尚の事だ。
ヒンダス火山の中腹、玲衣達三人は焚き火を囲んで座っている。
すっかり日は沈み、辺りは夜の闇。
遠くに見える温泉街の明かりだけが、眩しく輝いている。
「それにしても驚いた。あのヘレイナと戦ってかすり傷一つ負わないなんて」
シズクにとっても驚きだった。
ヘレイナはあのメンバーの中でも一、二を争う強さのはず。
それをああも易々と撃退して見せるとは。
「私達は強いから。二人揃えば誰にも負けないよ。ね、リンちゃん」
「ん、まあ、そうなのかな」
リンナの隣で楽しげに笑う玲衣。
見る限り、いつも通りの彼女。
さっきの胸騒ぎは杞憂だったのか。
そうであってほしいと、リンナは願う。
「私の強さもまだまだだと思い知った。彼女にも勝てなかったし」
マットの上で寝息を立てるヒルデに、シズクは視線を送る。
二刀同時の反動は大きく、体力を使い果たした彼女は早々に眠りに就いた。
「シズクさん、七英刃の事、詳しく教えてくれますか?」
「七英刃? なにそれ」
キョトンとした顔で聞き返すシズク。
その名前が発表された前回の集会に、彼女は欠席していた。
そのため、その呼び名の事を知らないのだ。
「あれ、この呼び方知らないのか。ヘレイナ達の事だ。残りのメンバーの名前と武器、容姿や能力とか」
「わかった。と言っても、ヘレイナと有名人のディーナ以外の名前は知らない」
「え、どういう事?」
「私たちはそれぞれの七傑武装の名前で呼び合ってた。本当の名前は分からない」
「そうだったんだ……」
「残りの七傑武装は、雷鎚ミョルニルと、幻笛ギャラルホルン。ミョルニルの使い手はまだ小さな少女。ギャラルホルンの使い手は嫌な感じの男」
「ミョルニルに、ギャラルホルンか」
使い手の名前は分からなかったが、簡単な容姿が分かっただけでも儲けものだろう。
それよりも重要なのは、どんな力を持っているか。
その特殊能力が判明すれば、こちらは断然有利になる。
今までの口ぶりからして望み薄だが、リンナは一応聞いてみる。
「その能力は分かるか?」
「そこまでは知らない。ごめんなさい、あまり役に立てなくて」
「いや、十分だ。ありがとう」
「じゃあそろそろ寝よっか。リンちゃん、一緒に寝よ」
「……ん。じゃあシズクさん、おやすみ」
「うん、私はしばらく番をしてから休む」
寝床の用意をする玲衣の顔をリンナはじっと見つめる。
鼻歌を歌いながら寝袋を広げる、普段通りの明るくて元気な彼女の姿。
あれは見間違いだったのだろうか。
ヘレイナに向けたこれ以上無い冷たい目。
そして、光の剣が一瞬纏ったように見えた、禍々しい黒い炎。
「ん? どうしたの、リンちゃん」
じっと見つめるリンナの視線が気になったのか。
見つめ返すその眼差しは、やはりいつも通りの玲衣のもの。
「なんでもない。さ、休もう」
きっと何かの見間違いだ。
そう結論付け、リンナは寝袋に包まり、玲衣の隣に寄り添った。




