04 ありがとう
「見えたぞ、あれが王都ヴァルフだ」
「うわぁ、すっごぉ!」
馬車の窓から身を乗り出した玲衣は、目を輝かせた。
高台に建てられた真っ白な王城が日の光を受けて輝き、その膝元には広大な街が広がっている。
ヴァルフラント王国は、四方を豊かな自然に囲まれた王政国家だ。
各地に小さな町が散らばり、国の中心に鎮座するのが王都ヴァルフ。
数多くの召喚師と召喚獣が共に生き、それを支える多くの人々と暮らしている。
感動に打ち震える玲衣を尻目に、リンナは荷物をごそごそとかき回し、目当ての物を見つけたようだ。
「王都に着いたらまずここを訪ねろって、母さんがこれを渡してくれた」
リンナが荷物の中から取り出したのは、一枚のメモ。
玲衣は窓の外から視線を移すと、内容に目を通す。
そこにはフォルクルームという物件の名前と、その住所が書いてあった。
「これって何の住所?」
「母さんの友人で貸し部屋をやってる人がいて、格安で一部屋貸してくれるって。手紙で母さんが頼んでくれた」
メモを懐にしまうと、玲衣と一緒にリンナも窓の外を見る。
王都ヴァルフ、田舎から出たことのないリンナもやっぱりワクワクしていた。
玲衣の手前、極力表には出さなかったが。
☆☆
「ありがとうございましたっ!」
「お世話になりました」
「いいってことよ、じゃあな嬢ちゃんたち」
ここは王都東口。
東の草原地帯へと続く玄関口である。
多くの馬車が客を待ち、あるいは草原に続く道へと発っていく。
馬車の御者に別れを告げ、二人は王都へと降り立った。
「さあ、大冒険の始まりだよリンちゃん!」
広い王都の入り口に立ち、玲衣のテンションはかなり高い。
そんな彼女をスルーしつつ、リンナは大荷物の中からズルズルと大きめの紙を取り出す。
「何それ? なんでも入ってるんだね、リンちゃんのカバン」
「王都の地図だ。これさえあれば絶対迷わない。準備万端、抜かりなし」
ドヤ顔で地図を広げると、メモの住所と照らし合わせる。
「この住所は、今いる王都東口からすぐの住宅街だな。だいたい……この辺りか」
住所の地点を指さし、リンナは堂々立ち上がる。
そして、ズンズンと迷いの無い足取りで街の中へと歩きだした。
「行くぞレイ、私についてこい」
「頼もしい! 凄く頼もしいよリンちゃん!」
こうして玲衣は自信満々のリンナについていき、そして……。
「えーっと……ここがさっきのところ……いや違うか、あれ……」
「大丈夫? 私が代わろうか?」
迷った。
「うぅ……どうなってるんだこの街。どこもかしこも建物だらけじゃないか……」
地図とにらめっこを続けていたリンナだったが、とうとう折れたようだ。
がっくりと肩を落とし、玲衣に地図とメモを渡す。
入り組んだ石造りの路地に、同じようなデザインのレンガ造りの住宅。
都会に出た事のないリンナが迷うのも無理はないだろう。
「えっと、今ここだね。だから二本目の路地を右に行って、次を左に、と」
地図を片手に玲衣はすいすいと進んでいく。
不安げにその後に続くリンナ。
二人は程なくして目的の住所に到達する。
そこは二階建ての建物で、玲衣がよく知る自分のアパートと似たような造りだった。
「着いたよ、リンちゃん。ここが目的の集合住宅だよね」
「こ、こんなにすんなりと行けるものなのか……」
リンナは管理人の部屋の前に行き、ドアを軽く二回ノックする。
「リンナ・ゲルスニールです。管理人さんはいらっしゃいますか」
程なくして、恰幅のいい中年女性がドアを開けた。
「あらあらリンナちゃんね。はるばるようこそ、ジーナから話は聞いているわ。長旅ごくろうさま」
穏やかな顔に優しそうな笑みを浮かべ、旅の苦労をねぎらう大家さん。
リンナの故郷について会話していたようだが、しばらくして隣の少女に気づく。
「あら、あなたは? リンちゃんのお友達かしら」
「玲衣っていいます。リンちゃんに召かっもごご」
リンナは慌てて玲衣の口を押さえると、早口で大家さんに弁明する。
「友達です! 友達! 途中でばったり会っちゃって、ここで一緒にやっかいになろうかと」
「あらあらそうなの。一緒に住もうなんて仲がいいのねぇ」
なんとかごまかせた。
リンナはホッと一息ついて、玲衣の口から手を離す。
「なんでごまかすのさ」
「人間を召喚するだなんて聞いたこともない。言っても信じないだろうし、変な心配掛けちゃうかもだろ」
「あ、そっか、ごめん」
二人が小声でそんなやり取りをしている間に、大家さんは管理人室から部屋の鍵を持ってきていた。
「さあ、二人とも。部屋はこっちだよ」
外側に付けられた階段を上がって二階に向かう大家さんの後を、二人は付いていく。
203と書かれたドアの前で彼女は止まった。
「さあ、ここだよ。家具も用意してあるからねぇ」
ドアの鍵がガチャリと音を立てて開き、二人は中へと案内される。
居間と寝室が一緒になっており、キッチンも完備。
トイレはもちろん浴室まで付いている。
これはなかなかの物件なのではないだろうか。
「こんないい部屋、本当にいいんですか?」
「大丈夫だよ、これくらい。ジーナの娘さんを預かるんだからねぇ。」
彼女は二人に部屋の鍵を渡すと、最後にこう言った。
「でもごめんねぇ、リンナちゃんの一人暮らしだと思ってたから、一人用のベッドしか用意してないんだよ」
それじゃぁ、とドアを閉め大家さんは部屋を出ていった。
興味津々といった感じで、玲衣は部屋のあちこちを見て回る。
居間兼寝室にはシングルベッドと大きめの木製テーブル。
テーブルにはこれまた木製の椅子が四つ備え付けられている。
大きな鏡台もあり、ここで身だしなみを整えられそうだ。
他に目立った物は衣装タンスくらいだろうか。
キッチンには調理器具も一通り揃えられている。
玲衣が一通り見て回ると、リンナは複雑な表情でベッドを見つめている事に気づく。
「どうしたの? リンちゃん」
「いや……」
——こいつと一緒に寝るのか、しかもかなり密着して。
一人でのびのびと寝たい。
そもそもこいつの寝相は大丈夫なのか。
様々な思いが、彼女の中を駆け巡った。
気がつけば、もう日が暮れようとしている。
部屋に備え付けてある食糧庫に入っていた食材で、玲衣は料理を始めた。
「レイ、料理できたんだ」
「一人で暮らしてたからね。全部一人でやらないといけなかったから、自然と身に付いたの」
まな板に乗せた野菜を、トントンと小気味よい音を立て、切っていく。
「一人? お父さんやお母さんは?」
「私が小さい頃に事故で……、ね」
「あ……ごめん」
まずい事を聞いてしまったか、と後悔するリンナに、玲衣は笑って見せる。
「大丈夫、気にしてないよ。それよりリンちゃんは料理出来る?」
気まずい空気になる前に話題を切り換える玲衣。
だが、リンナはさらに気まずそうな表情で、視線をあさっての方向にそらす。
「ま、まあ……そこそこ?」
「あっ……、そうなんだ」
彼女の態度に玲衣は何かを察する。
そして、料理当番は自分がやろうと心に決めたのだった。
玲衣の作った料理が食卓に並ぶ。
鶏のような肉を使った香草焼きに、牛のような肉を野菜と一緒に煮たシチュー。
恐らくお米であろう穀物を炊いた物に、瑞々しいサラダ。
「おおぉぉぉぉぉ!」
目の前に並ぶごちそうに、リンナは目を輝かせた。
玲衣はもちろんこの世界の食材の事を何も知らない。
だが持ち前の料理の腕は、そのハンデを吹き飛ばしたようである。
「私の味付けが口に合うかわからないけど、どうぞ召し上がれ」
「ではさっそく、いただきます。あむっ……うま! レイ凄い!!」
彼女の味付けは、リンナの胃袋をガッチリとつかんだようである。
一方の玲衣も、誰かに料理を食べてもらうというのは初めての体験であり。
こんな楽しい食事はいつ以来だっただろうか。
おいしそうに頬張るリンナを見ながら、自然と笑みがこぼれた。
「ごちそうさま、とっても美味しかった。私の母さんより料理上手かも」
「リンちゃんのお母さん……。ね、リンちゃんはお姉さんを探してるんだよね」
「うん。さっきも言ったが、姉を探して故郷を出てきた」
「そっか、お母さん達と離れて寂しくない?」
わずかに考えを巡らせた後、リンナは答える。
「寂しくないと言えば嘘になるけど、姉さんの事が気になるしな」
「お姉さんのこと、大好きなんだね」
頬杖をついて微笑む玲衣に、リンナは少し恥ずかしそうに返す。
「そう、だな。姉さんは私の誇りであり目標。越えるべき大きな壁というか……」
「見つかるといいね」
リンナはコクリと頷き、どこにいるかも判らない姉に想いを馳せた。
洗い物を終えた玲衣は、ワクワクしていた。
友達と一緒に入浴するというイベントは、彼女にとって未知のものである。
期待に胸を膨らませ、リンナに尋ねる。
「ねぇねぇ、リンちゃん。一緒にお風呂入らない?」
「いや、二人は狭いだろ。絶対」
「あぅ、そっかー。残念」
この部屋のシャワールームはかなり狭い。
浴槽も二人で入る事は困難な大きさだ。
玲衣の提案は却下され、結局一人ずつ別々に入浴することとなった。
入浴を終え、パジャマに着替えてベッドでダラダラしていたリンナ。
そこに、バスタオルを巻いただけの玲衣が困り顔で進み出てきた。
「あはは……。えっと、私、服があれしかないんだった」
召喚された際に着ていた学校の制服。
ドラゴンとの戦いで転げ回り走りまわり、しっかりと汚れている。
着の身着のまま、これ一着しか彼女の服はないのだ。
「どうしようもないだろ、あの服着て寝るしか。明日街に買いに行こう」
寝巻に身を包んだリンナは、さっさとベッドに潜ってしまう。
「リンちゃんいっぱい荷物もってたでしょ。パジャマ一着くらい貸してよー」
「仕方ないな……」
ベッドから起き、荷物の中をゴソゴソと探るリンナ。
やがて寝巻を一式取り出し、玲衣に渡す。
「はい、これ着て」
「ありがとう、リンちゃん!」
お礼を告げて着替え始めた玲衣だったが、上着のボタンを留める際、なにやら苦しそうに呻く。
「うぅ、さ、寝よっか……」
玲衣が着たパジャマは、全体的にパツンパツンである。
特に胸のあたりのボタンは、今にも弾け飛びそうだ。
言い知れぬ敗北感に襲われるリンナだった。
「レイ、まだ起きてるか?」
消灯してしばらく経ったころ、リンナが話しかける。
二人は小さなシングルベッドで、向かいあう形で寝ている。
「ん、起きてるよ」
「ごめんな、突然こんな変なことに巻き込んで、危険な目にあわせて」
うつむき、申し訳なさそうにおずおずと話を切り出すリンナ。
無関係な彼女を巻き込み、命の危機に晒してしまった。
しかも元いた場所に帰す事も出来ないのだ。
償っても償いきれない、罪悪感が彼女の心を苛む。
玲衣はそんなリンナの頭を撫で、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「謝らないで。私、リンちゃんに感謝してるんだから」
「感謝?」
「うん。私、ずっと一人だった。家に帰っても誰もいなくて、学校にも友達いなくて、遊ぶ時間もなくて。何のために生きてるんだろうって考えた事も、一度や二度じゃない。だから今日一日、リンちゃんといて凄く凄く楽しかったの」
怖い目にもあったけど、今日一日が今まで生きてきて一番楽しかった。
生きてて良かった、そう思わせてくれた少女に精いっぱいの感謝をこめて。
華奢なリンナの体を抱きしめ、青い瞳をまっすぐに見つめて、玲衣は微笑んだ。
「だから……ありがとう。こうしてリンちゃんと出会えて、私、凄くうれしい」
吐息がかかりそうな距離に、リンナの心臓がドキリと跳ねる。
なぜだかわからないが、顔と体が熱くなる。
早鐘のような心臓の鼓動を気づかれないか、リンナは少し焦った。
「リンちゃんが気に病む必要なんてないんだよ。それじゃあ、おやすみ」
「……ん、おやすみ」
玲衣はリンナを抱きしめ、リンナは玲衣の腕の中で、目を閉じる。
お互いの温もりを感じながら、二人の長い一日は終わった。