38 剛剣・グラム
アスラは一人、部屋でのんびりとくつろいでいた。
事件の事後処理、押収した証拠の整理や手配も終わり、明日には王都ヴァルフへ帰還する予定だ。
アジトへの突入からしばらくは様子のおかしかったヒルデ。
そんな彼女の事をアスラは心配していたが、すぐにいつもの調子を取り戻し、のほほんと温泉巡りの毎日を過ごしている。
彼女とは同室だが、いつも温泉に出掛けていて部屋にいる方が稀な程だ。
一人でいる方が気が楽なタイプのアスラは、外の景色を眺めつつ鼻歌を歌っていた。
いつも通りなら、ヒルデが帰ってくるのはもっと後のはずだ。
「アスラ、今戻った」
「うひゃああっ」
突然カギが開く音がして、ドアが勢いよく開け放たれた。
完全な不意打ちを受けたアスラは、思わず椅子から飛び上がる。
「す、すまない。驚かせてしまったか」
「いえっ、お、お早いお帰りですねっ」
小刻みに震えながら返事を返すアスラ。
ヒルデは自分の荷物の置場所に行くと、中から鎧とバンムルクの宝玉を取り出す。
その荷物は、明日の早朝王都へと送られる予定だったものだが。
「どうしたんですか? そんなもの取り出して」
「皆と一緒には帰れなくなった。大切な用事が出来たんでな」
「大切な用事? それって一体……」
「——あいつを、シズクを連れて帰る」
ヒルデの口から飛び出した名前。
アスラは、思わず椅子から転げ落ちる。
「ぶへぇっ! だ、団長、シズクさん、見つけたんですか!?」
「ああ。明日、私が必ず連れ戻す」
鎧とバンムルクの宝玉を取り出した後も、ヒルデは荷物を探り続けている。
「あの、団長。一体何を探して……」
「明日、必ず必要になる物だ。……あった、これだ」
かすかに熱を持った、緑色の宝玉。
それを荷物の中から取り出すと、バッグの口を閉める。
「アスラ、お前は皆を連れて先に帰っておいてくれ。私は一日遅れで帰る。あいつと一緒にな」
「……戦うんですね。あの人と」
静かに頷くヒルデ。
アスラは心配気な表情を浮かべた。
修行時代、ヒルデはシズクに大きく負け越している。
その事を間近で見てきた彼女はよく知っているのだ。
「あの……、負けませんよね。必ずあの人と一緒に帰ってきますよね」
「ハッハッハ、当然だ! 必ず勝つ。だからそんな顔をするな」
ポンポンと軽くアスラの頭を叩くと、ヒルデはカギを持って部屋を出ていく。
「私はまた温泉巡りに行ってくるよ。今から気張っていても仕方ないからな」
ドアを閉めて廊下に出たヒルデは、ひんやりとした冷気を放つ宝玉と、ほのかな熱を持つ宝玉を交互に見つめ、懐へしまう。
「多少無理をしてでも、勝ってみせるさ」
一人小さく呟くと、廊下を歩いていった。
☆☆
翌日の昼過ぎ、昼食をとった騎士団の五人はヒルデを残してフィーヤの町を後にする。
町はずれの馬車乗り場で、ヒルデは王都に帰る部下たちを見送りに来ていた。
「団長、必ず無事に戻って欲しいであります」
「団長!」
「ダンチョー!」
「大丈夫だ。安心して待っていてくれ」
口々にエールをおくる団員達に、笑顔を見せるヒルデ。
最後に、神妙な顔のアスラに目を向ける。
「団長。信じてますから」
「ああ、必ずシズクと二人で帰ってくるよ」
ペコリと一礼すると、アスラは他の三人と共に馬車へ乗りこむ。
ゆっくりと動き出した馬車は、次第に遠ざかり、やがて見えなくなった。
馬車が見えなくなるまで見送っていたヒルデは、ゆっくりと息を吐くと、眼前にそびえるヒンダス火山を見上げる。
必ずシズクを連れ戻す。
固い決意と共に中腹を睨むと、玲衣とリンナの待つ宿へと戻っていった。
宿の前では、既に二人が準備を終えて待っていた。
戻ってきたヒルデに、玲衣は声を掛ける。
「ヒルデさん、見送りは済んだんですか?」
「ああ。そちらも準備は万端といったところか」
「はい。戦うのはヒルデさんだけど、決闘を受けたのは私達だし、それに……」
「ヘレイナが何をしてくるか、分かったものじゃないしな」
シズクは信用できても、ヘレイナは絶対に信用できない。
あの女は間違いなく、一対一の決闘に泥を塗るような事を平気でする。
「ふむ。そのヘレイナという女、よっぽど二人の怒りを買っているようだな」
「今度会ったらブッ飛ばします」
「そうだな。いい加減ムカついてる」
「ハッハッハ、これは頼もしい。では行こうか」
ヒルデを先頭に、三人は約束の場所へと向かい歩き始めた。
☆☆
空が茜色に染まる頃。
ヒンダル火山の中腹、赤茶けた地面がむき出しになった広い平地。
右手にはなだらかな傾斜、左手には切り立った崖、その下には見渡す限りの森が広がる。
この場所で風に長いポニーテールの黒髪をなびかせ、静かに佇む一人の女性。
目を瞑り、集中力を高めていた彼女は、他者の気配を感じると静かに目を開ける。
「約束通り来たこと、まずは感謝する。でも、呼んでいない人間まで来てるけど」
シズクの前に現れた人間は三人。
内二人は、決闘を申し込んだ玲衣とリンナ。
そしてもう一人は。
「久しぶりだな、シズク」
「……貴女達、一体どういうつもり」
ヒルデの挨拶は無視し、二人を睨みつける。
「お願いがあるの。私達との決闘、ヒルデさんにやらせてあげたい」
「昔何があったのか、ヒルデさんから聞いた。私からも頼む。ヒルデさんと戦ってあげてくれ」
二人の説得に、シズルは表情一つ変えない。
全く耳を貸さないといった態度だ。
「何をバカなことを。私が決闘を申し込んだのは貴女達。今さら相手を変えるなんて」
「お願い、ヒルデさんはずっとあなたの事を想ってる。あなただってきっと——」
「くどい。私の相手は貴女達二人。早く構えて」
「でも……!」
「レイ殿」
ヒルデは玲衣の前に一歩出ると、彼女に向けて首を横に振る。
そして、シズクへと向き直った。
「ではこうしたらどうだ。私、ヒルデ・フリードは、今からお前に決闘を申し込む。日時は今、場所はここだ」
ポーカーフェイスを崩さないシズクの顔を見て、ニヤリと笑う。
「どうだ? お前は私に挑まれた決闘に勝った後、改めて約束を果たせばいい。これなら決闘の相手を変える事にはならんだろう」
「はぁ……、屁理屈を。いい、そこまで言うなら相手をする。でも、貴女は絶対に私には勝てない」
ヒルデの説得に折れたのか、それとも面倒くさくなったのか。
軽くため息をつくと、シズクは懐から緑の宝玉を取り出した。
「どうかな。四年間鍛錬を積んできたのは私も同じだ。昔のようにいくとは思わない方がいい」
ヒルデも懐から、冷気を放つ緑色の宝玉を取り出す。
四年前の彼女には無様な敗北を喫してばかりだった。
だが、この戦いだけは、なんとしても。
「召喚、バンムルク!」
緑の光が輝き、ヒルデの右手に出現する青い刀身。
渦巻く冷気、氷の魔剣がその姿を現した。
「ふうん、それなりの召喚武器を持っている。でも、私のグラムに比べれば、なまくら同然」
シズクが右手に握りしめた宝玉。
それが光を放つと同時に、凄まじいプレッシャーが迸る。
「くっ、これは……!」
まるで暴風雨の中に立っているように錯覚するヒルデ。
これが剛剣の力の僅かな一欠片だとでもいうのか。
「召喚。来て、グラム」
シズクが小さく呟いた瞬間、紫色の光が溢れだし、シズクの右手に剣を形作っていく。
ヒルデの遥か後ろ、戦いの邪魔にならないように離れていた玲衣とリンナにも、その剣が放つ凄まじいプレッシャーが伝わる。
「うっ、なんだこれ! こんなに離れているのに、この重圧……」
「リンちゃん、辛かったらもっと離れようか」
「いや、ここで見届けるよ。あの人の戦いを」
「そっか、分かった。……負けないで、ヒルデさん」
シズクの右手に集中した光が弾け、紫色に輝く剣が姿を現す。
玲衣が知る日本刀のような細身の刀身に、グングニルと同じく美しい装飾が施されている。
そして何よりも、その刀身から迸る圧倒的な力。
対峙しているだけで、ヒルデの頬を汗が伝う。
「それが、剛剣・グラムか。七傑武装には特殊な能力があると聞く。正々堂々を謳うなら、教えてはくれないか」
駄目で元々、少しでも揺さぶりをかけられれば。
そう思い、質問を投げつけたヒルデだったが。
「特殊能力? グラムにそんなものは無い。属性も宿ってはいない」
「何!? それでは身体能力強化を与える以外、普通の剣と変わらないではないか!」
本当に答えた事も驚きだが、その回答内容はもっと驚きであった。
七傑武装の一つにも関わらず、何の能力も属性も持っていないとは。
「だからって見くびらないで。この剣の身体能力強化は、聖剣・レーヴァテインに次ぐ。油断していると、あっという間にあの世に行くよ」
「……なるほど。シンプルだが強力。最も厄介かもしれんな」
元々のシズクの実力に加え、凄まじいまでの身体能力強化。
限りなく勝ち目は薄いが、勝算が無い訳ではない。
懐に収まった熱を持った宝玉を一撫ですると、ヒルデはバンムルクを両手で握りしめた。
「ではいくぞ、シズク!」
「来なさい。先手は譲ってあげる」
両手でグラムを持ち、体の前に構えるシズク。
一部の隙も見せない相手に、ヒルデは果敢に走り込んでいく。
夕日の中、決闘の幕が切って落とされた。




