36 思わぬ邂逅
王都から馬車を乗りついで五日間。
玲衣とリンナは温泉の町フィーヤへと到着した。
「おぉ、人がいっぱいだね、リンちゃん。それに立ち込めるこの臭い」
「うぅ、鼻が曲がるぅ。なんだこの卵が腐ったような臭いはぁ!」
「硫黄の臭いだね。温泉って感じがするなー」
「なんでレイは平気なんだ……」
鼻を押さえるリンナに対し、玲衣はせわしなく辺りを見回す。
多くの旅館や店が立ち並ぶ通りを、大勢の観光客が行き交う。
道は王都と同じく綺麗な石畳で舗装されており、さすがは観光地といったところ。
まだ日は高く、町をあちこち見て回る時間はたっぷりとある。
「さあ、リンちゃん。まずはどこから回ろうか……、大丈夫?」
リンナの方へ目を向けると、彼女は鼻を押さえてうずくまっている。
心配して声をかける玲衣だったが。
「大丈夫……。このぐらいなんてことない。それにこんな事もあろうかと」
リンナは背負っていた荷物をゴソゴソとかき回し、マスクを取り出した。
それを装着すると、堂々と立ち上がる。
「これで平気だ。やっぱり準備はするものだな」
「リンちゃん、一体どれだけの事を想定してるんだろ」
彼女の大荷物、本当にあらゆる事態に対処できるのではないか。
「さて、それじゃあいこっか」
「ん。……えと、レイ?」
歩き出そうとした玲衣は、リンナに控えめに呼びとめられる。
「ん? 何かな」
「その……、この町、人が多いから、もしかしたら、その……」
顔を紅潮させて手をプラプラさせるその様子に、何となく察しがついた。
広げた手のひらを差し出し、玲衣は微笑む。
「ふふっ、リンちゃん。手、繋ごっか」
「っ! し、仕方ないな。レイがそう言うなら」
差し出した手を、リンナはギュッと握る。
そのまま手を繋ぎ、二人並んで歩き出した。
人通りの少ない、山に程近い道を歩く二人。
立ち込める湯煙、噴きあがる間欠泉。
この場所はリンナには初めて見る景色ばかりだ。
目に写る新鮮な風景に、青い瞳を輝かせる。
「おわっ! レイ、なんかお湯がザバーって吹き出した! 何あれ!」
「あれは間欠泉だね。地下で暖まった水が地表に噴出してくるの」
玲衣はいつになくはしゃぐリンナの姿を見て、微笑ましく思い、愛おしく思う。
同時に、幼い頃両親に連れて行ってもらった温泉旅行を思い出す。
思えば色々な所に連れて行ってもらった。
自分は両親に愛されていたんだ、改めてそう実感した。
「おお! レイ、温泉卵だって。なにそれ、美味しそう!」
前方に見えた屋台に食欲を刺激されたリンナ。
玲衣の手を引いて先を急かす。
「ほら、行こう」
「リンちゃん、地面濡れてるから、急ぐと危ないよー。——ッ!」
手を引かれるまま歩きだそうとした玲衣は、突然背後に殺気を感じ取る。
空いた右手で腰の剣を抜き、上半身を半回転させて背後から迫る斬撃をとっさに受け止めた。
鍛えられた鋼鉄同士がぶつかり合う音が周囲に響く。
一瞬遅れてリンナも異変に気付く。
「ふぅん。中々やる」
「観光地だってのに、ずいぶんなご挨拶だね!」
「レイ!? 今の音は……。っ! 敵か!」
鍔迫り合いを嫌い、襲撃者は玲衣の力を利用して背後へ飛ぶ。
軽い身のこなしで一回転し、その女性は間合いの外へ着地した。
「町中で襲ってくるなんて、見境なしだね。あんた何者? って言っても大体想像はつくけど」
目の前に現れた敵。
長い黒髪をポニーテールでしばり、ヒルデのようなデザインの軽鎧を着けている。
ただしその色は、ヒルデの白銀とは違う赤黒い色。
手に持っている剣は、玲衣と同じ普通の市販品だ。
つまり今、彼女に身体能力強化は掛かっていない。
「今のは軽く力を試しただけ。町の中で戦おうとも、あんな不意打ちでやれるとも思ってない」
彼女は剣を収めると、自らの名を名乗る。
「私はシズク・レギンス。剛剣・グラムに選ばれた者」
「剛剣……! やっぱりヘレイナの仲間……」
「仲間? あの女を仲間だと思った事など一度も無い。そもそも仲間など私には不要」
シズクは表情一つ変えず、淡々と言葉を口にしていく。
彼女の身体から殺気は消え、剛剣を召喚する気配も無い。
「お前の目的も、私が持つ聖剣の宝玉なのか!?」
聖剣の宝玉をはめた杖を取り出し、臨戦態勢のリンナ。
いつでも玲衣のサポートに回れるよう備えつつ、質問を投げる。
「私の目的は誰よりも強くなる事、それだけ。聖剣になんて興味無い」
一向に戦う姿勢を見せないシズクに、玲衣は構えを解き、剣を鞘に収めた。
「レイ!? 敵が目の前にいるのに何を!」
「大丈夫。本当にこの人、ここで戦う気は無いみたい」
リンナと話すために後ろを向いても、隙を突くような気配は見せない。
この敵は一体何をしに来たのか。
「いい加減用件を話して。まさか挨拶にきたわけじゃないでしょ」
「当然。私は貴女達に、決闘を申し込みに来た」
「決闘!?」
彼女の口から飛び出した意外な言葉に、玲衣は思わず聞き返す。
「そう、決闘。万全の相手を真正面から正々堂々打ち負かす。それ以外の勝利に価値は無い」
「なるほど、そういうの嫌いじゃないよ。で、いつやるの? 私は今からでもいいけど」
シズクは二つ折りの紙を玲衣へと投げ渡す。
受け取った玲衣が広げると、それはヒンダス火山の地図であった。
目を引くのは中腹の辺りに書き込まれたバツ印。
「場所はその地図の通り、時間は明日の夕刻。万全の状態で来て。逃げたら承知しない」
「逃げないよ。その決闘、確かに受けたから」
玲衣の返答を聞くと、シズクは背を向けてゆっくりと去って行った。
「おい、レイ。いいのか、決闘なんて受けて。罠かもしれないんだぞ」
「あの人は大丈夫だと思う。なんていうか、空気でわかるんだ。卑怯な事をするようには見えなかった」
「けど……」
玲衣を心配そうに見つめるリンナ。
確かに彼女の懸念も、もっともなことだ。
シズクの事は信用できても、到底信用できない奴がいる。
「確かにヘレイナは何を仕掛けてくるか分からない。そこは気をつけないとね」
「分かってるならいいんだけど。でも、あの敵かなり強そうだった。大丈夫なのか?」
「絶対に勝てる、とはもちろん言い切れないけど、リンちゃんが側にいれば私は戦えるから。それよりも!」
いつの間にか離してしまっていた手を、もう一度しっかりと繋ぐ。
「明日の夕方まではまだまだ時間があるんだから。ほら、温泉卵でしょ。食べにいこうよ」
「レイ……、そうだな。今色々考えたって仕方ない。今は楽しまないとだよな」
☆☆
温泉街の一角、非常に大きな温泉宿の前に玲衣とリンナは立っている。
せっかくだから大きな宿がいいという玲衣の要望により、一番大きな宿を選んだのだが。
「レイ、本当にここにするのか? 私達、場違いじゃないか?」
「大丈夫だよ。お金だってたっぷりあるし」
堂々と中へと入っていく玲衣とは対照的に、なんだか申し訳なさそうなリンナ。
一階建てや二階建てがほとんどの中、この宿は四階建てである。
扉を抜けた先のエントランスも、やけに広いしなんだか色々と光っている。
こんなところに自分が客として入っていいものなのか。
王宮のお偉いさんや、騎士団のエリートが利用するような場所ではないのか。
葛藤するリンナを尻目に、玲衣はあっさりとチェックインを済ませた。
「リンちゃん、頭抱えて何してるの? 部屋に荷物置いたら早速温泉入ろうね」
部屋の鍵をプラプラさせながら玲衣はリンナを連れていく。
「お、温泉……! そ、そうだ! レイ、知ってるか。温泉ではタオルで体を隠すのがマナーなんだ」
「あ、そうだったんだ。私の世界ではそんな事なかったけど。教えてくれてありがとね」
ホッと息を吐くリンナ。
ちなみにこれは口から出まかせである。
道中の宿は幸運にも狭い風呂しかなかったが、今回はそうはいかない。
タオルを巻いてくれれば、リンナがのぼせることは無いはずだ。
部屋に到着した二人は荷物を置き、いよいよ温泉へと向かう。
「楽しみだね、リンちゃん。この世界の温泉はどんな感じなんだろう」
「……ん、楽しみ、ではあるな」
温泉に入るのはリンナも初めての事だ。
彼女も内心胸を躍らせていた。
高価そうな絨毯が敷かれた廊下を歩き、二人は浴場の前へと辿り着く。
「いよいよだね、準備はいい? のぼせないように気をつけてね」
「ん、今回は多分大丈夫。行こう、レイ」
二人が脱衣所へと一歩踏み出した時。
「おや、もしかしてレイ殿とリンナ殿では?」
「え? この声って……もしかして!?」
足を止め、声のした方を向く。
そこにいたのは、金髪の髪を肩まで下ろした女性。
シャツに短パンという非常にラフな格好ではあるものの、どこか凛とした雰囲気を纏った彼女は、間違いなく。
「ヒルデさん!?」
「なんでこんな所に! 極秘任務は!?」
「いやはや、どんな偶然だ。これは」
驚愕する二人に、困り顔で返すヒルデだった。




