23 神の槍
「レイお姉さま、もう行ってしまわれるのですか? 寂しいです……」
「うん、近くに来ることがあったら、また寄らせてもらうね」
ナディス牧場の長い長い夜が明けた。
もうこの牧場に、夜毎断末魔が響くことはないだろう。
役目を終えた玲衣とリンナは、当然王都に戻り、ギルドに報告することとなる。
「リンナちゃんも、体に気を付けてね。今回は本当にありがとう」
「ん、私は依頼を受けてそれを全うしただけだから」
「せめてなにかお礼をさせて。何がいいかな……。そうだ! ちょっと待っててね」
少し考えた後何かに思い当ったのか、ライアは居住棟の中へと走っていく。
「リンちゃん、何かくれるみたいだけど……どうする? ギルドの報酬のお金って依頼主が出してるんだよね。その上で貰っちゃっていいのかな」
「……まぁ、受け取らない方が失礼って事もあるし、ありがたく貰っておこう」
「うん、リンちゃんがそう言うなら」
やがて居住棟の扉が勢い良く開き、ライアが飛び出してきた。
「おまたせ! はいこれ、感謝の気持ちだよ。受け取って」
「え!? これって……。いいのか、こんな物」
ライアが差し出したのは黄色の宝玉。
B級召喚獣が登録されている物だ。
店で買うとなるとかなり値が張る。
今回の報奨金と同じくらいの相場だろう。
「うちの牧場で育てた召喚獣なんだ。出荷用の商品なんだけど、知らない誰かに使われるよりリンナちゃんに使って欲しいから」
「ライア……、ありがとう。使わせて貰うよ」
黄色く輝く宝玉を受け取ると、意識を集中し、召喚獣の情報を読み取る。
防御特化のB級召喚獣・シールドフライ。
堅牢な防御力と高い機動力を併せ持つ、補助型の召喚獣。
リンナは頷くと、黒マントの内ポケットにしまい込む。
「……さて、それじゃあ私たちはそろそろ行くよ」
「また会おうね、ライアちゃん」
「はい! 今度会ったら三人で結婚しましょう!」
「いや、無理だろ三人は」
☆☆
牧場を後にして三十分程。
王都までの道のりは残り半分といったところ。
空は曇り、草原を吹き抜ける風もどこか湿っている。
「なんだか凄い子だったね……リンちゃん」
しみじみとした口調の玲衣。
彼女にとってクレセントベアよりも、ライアの方がずっと強敵だった。
「あいつは昔からあんな感じだったな……。まあ、変わってないみたいで良かったよ」
クスリと笑うリンナを見て、玲衣はまた少しモヤモヤした。
リンナにはこの世界で生きてきた過去があって、そこに当然自分はいない。
当たり前の事だが、なんだか悔しかった。
「それにしても女の子同士で結婚なんて出来ないのに、リンちゃんの言った事本気にするなんて」
「……何言ってんだ? 出来るだろ、結婚」
「……え?」
突然何を言い出すのかと言わんばかりに怪訝な表情を浮かべるリンナ。
彼女の反応が冗談ではない事を物語っている。
「出来るの……?」
「むしろなんで出来ないと思ったんだ」
寝耳に水である。
そもそも地球にも同性婚が出来る国は沢山あるが、玲衣の中の常識は日本の常識。
まさかヴァルフラントがそうだとは夢にも思わなかった。
「そっか……。出来るんだ……えへへ」
思わずリンナと自分の結婚式を思い浮かべ、頬が緩む。
だが、そんな甘い妄想に自らツッコミを入れる間もなく、
「……ッ!!」
玲衣の全身を凄まじいプレッシャー、殺気が突き抜けた。
「……リンちゃん、ストップ」
「どうしたんだ、レイ」
足を止めた玲衣が睨み据える先、約二十メートル前方。
黒いローブを身にまとい、フードを目深に被った女性が立っている。
その全身から迸る殺気は、明らかにこちらに向いている。
リンナにも分かった。
目の前の人物は、圧倒的な力の持ち主だ。
おそらくヒルデに匹敵、あるいは凌駕するほどの。
「挨拶しにきたって雰囲気じゃないよね……。あなた、誰!?」
喉が渇く。
生唾を飲み込み、玲衣は精一杯の声で呼びかける。
「……召喚」
黒ローブの人物は緑の宝玉を取り出し、呟く。
光の奔流が、やがて槍を形作った。
美しい白銀の柄は光を受けて輝き、細かな装飾が施された見事な穂先。
その槍がただの召喚武器ではないことは、玲衣にもすぐに分かる。
「武装召師だ。あんな武器は見たことも無い。気を付けろ、レイ」
「うん、分かってる。行ってくるね、リンちゃん」
腰の剣を抜き、両手で握りしめる。
この剣で果たして勝てるのか、そんな考えは頭の隅に追いやる。
やらなければ、間違いなくやられる。
「やる気満々って感じだね。答えて! なんで私達を狙うの!」
ピクリと女性の肩が動く。
フードからプラチナブロンドの髪がわずかに覗いた。
「私達? 違うな」
女性の姿がぶれたと思った瞬間、彼女は既に玲衣の目前で槍を振りかぶっていた。
生存本能が咄嗟に体を動かし、鋭い一撃をなんとか剣で受け止める。
金属同士がぶつかり合う、甲高い音が響いた。
「私の狙いはお前だ、召喚獣。ここで消えてもらう」
「狙いが私……? 一体どういう……」
鍔迫り合いを続けながら、襲撃者に玲衣は問う。
目の前の人物はリンナの命を狙っている召喚師ではないのか。
目深に被ったフードの奥から殺意を込めて睨みつける深い青の瞳。
ここまでの敵意を向けられる心当たりは、当然玲衣には無い。
「ここで死ぬお前に、説明する意味があると思うか」
「それは……ごもっとも! リンちゃん!!」
玲衣の背後、既にリンナは杖を構え、意識を集中していた。
体にため込んだ力は万全、玲衣に向けて送り込む。
「あぁ、準備は出来てる! 筋力強化ッ!!」
赤い光が玲衣の体を包み込む。
力が溢れ、鍔迫り合いの拮抗が崩れた。
「だりゃああぁぁぁぁぁぁっ!」
槍を押し返し、敵の体勢が崩れる。
この隙を逃さず、一気に決める!
「……ほう、部分強化。成長したな」
最短の距離で、最高の力で振り抜く一撃。
しかし、体勢を崩していたはずの彼女は既に遥か後方に離脱、斬撃は空を切る。
「くっ、速い……!」
「どうした、あの力は使わないのか。出し惜しみしていると死ぬぞ」
十メートル程離れた場所で、彼女は無造作に一回、槍を振るう。
その行動に何の意味があるのか、剣を構え警戒する玲衣。
次の瞬間、それは既に玲衣の目の前まで迫っていた。
高速で飛来する真空の斬撃。
視認すら困難なこの攻撃を、全力で体を傾けなんとか回避しようとする。
「あぐぅッ!」
しかし、かわし切れない。
斬撃は脇腹を浅く掠め、鮮血が吹き出す。
「レイッ!!」
「平気……、かすり傷だよ、まだ戦えるから……っ」
痛みに耐え、前方の敵を睨み据える玲衣。
だが、敵は何もしてこない。
玲衣がダメージを受け、攻め込むチャンスだというのに。
胸騒ぎを覚えたリンナは、玲衣の背後を注視する。
「あれは……!!」
回避したはずの飛ぶ斬撃。
それは大きく弧を描き、背後から玲衣を両断しようと迫っている。
「まずい! 防御強化ッ!!」
とっさに放ったブーストは、玲衣の体を青い光で包み込む。
直後、リンナの体を襲う凄まじい疲労感。
溜めも力加減も無しに使った反動だ。
「リンちゃん!? あぅッ!!」
背中に走る衝撃。
玲衣の背後に着弾し消滅した斬撃は、防御強化の効果によって薄皮一枚斬るだけに終わる。
「ハァ……ハァ……、レイ、あの斬撃は飛ぶだけじゃない、当たるまで、追尾してくるんだ……っ」
「リンちゃん、ありがとう! でも無理はしないでね!」
リンナは全身から力が抜け、今にも倒れそうだ。
膝を付き、肩で息をする。
だがここで意識を失うわけにはいかない。
歯を食いしばり、耐える。
「リンナ、やめておけ。お前がそこまで体を張る必要は無い」
「黙れッ! 私を馴れ馴れしく呼ぶな!!」
怒りを込めたリンナの叫び。
女性はフッ、と鼻で笑い、言葉を返す。
「馴れ馴れしく呼ぶな、か。私もずいぶん嫌われたものだな」
「何を言って……」
「私の声を忘れたか? この髪の色も」
その言葉にリンナの動きがピタリと止まる。
今までの極限状態では気付けなかったが、その声、髪の色。
落ちついて思い起こせば、全てが懐かしく、ずっと探し求めていたもので。
「……ま、まさか、嘘……だろ」
「リンちゃん? どうしたの? 一体あいつと何が……」
黒ローブの女性はおもむろにフードを脱ぎ払った。
風になびくプラチナブロンドの長髪、深い青の瞳。
リンナの目が驚愕に染まる。
何か言おうとしても、言葉が喉から出てこない。
「召喚獣、特別に名乗ってやる」
脇腹を押さえ、睨みつける玲衣に、彼女は自らの名を明かす。
「我が名はディーナ・ゲルスニール。七傑武装が一つ、神槍・グングニルに選ばれし者だ」




