22 牧場の夜
加香谷玲衣は戸惑っていた。
ライアという少女がリンナと親しげにする様を見ていると、心の中に今まで感じたことの無いモヤモヤが生まれる。
「はい、リンナちゃん、あーん♪」
一体これは何だというのか。
友達が自分を差し置いて他の友達と仲よくしている事に疎外感を感じている?
試しにシフルが知らない女の子と遊んでいる様子を思い浮かべてみる。
シフルも自分にとってかけがえのない友達だ。
しかし思い浮かべた光景に微笑ましさは感じても、黒い感情は湧いてこない。
そもそも自分のリンナへの感情は友情と言い表していいのだろうか。
「はいはい、あーん」
友達という言葉が、どうにも腑に落ちない。
では一体何ならしっくりくるのか。
親友?
パートナー?
召喚師と召喚獣?
「どう? ライア特製鶏肉団子の味は」
そのどれもが当てはまらない気がする。
ならば一体この感情の名前は何なのか。
「おいしいよ。料理の腕、ずいぶん上がったな」
そして目の前で繰り広げられるこのふざけた光景は何なのか。
玲衣は手に持ったスプーンをへし折らないよう、細心の注意を払う。
ここはナディス牧場の居住棟。
クレセントベアの出没時刻は、日が沈み夜も更ける頃。
現在の時刻は夕暮れ時。
よって夕食をごちそうになっているのだが。
「でしょでしょ、これでいつでもリンナちゃんのお嫁さんになれるねっ」
「だからその話は……」
食事を開始してからずっとこの調子だ。
ライアはリンナの横にべったりと張り付き、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
玲衣はリンナの正面に座り、この光景を見せつけられ続けている。
「リンナちゃん、次はこれ。あーん♪」
「もういいって、自分で食べるから。レイも何か言ってやって……レイ?」
玲衣に目を向けたリンナはギョッとする。
彼女はまるで能面が張り付いたような笑顔でこちらを凝視していた。
いつも表情豊かな玲衣だが、こんな顔を今まで見たことがない。
「リンちゃん、早く食べ終わって作戦練ろう」
「そ、そうだな、うん」
全く抑揚の無い声で返される。
リンナは急いで食事を平らげようとするが。
「もう、照れなくてもいいのに。ほらほら、あーん」
「リンちゃん、早く、食べよう」
針のむしろとはこのことか。
勘弁してくれと、リンナは心の中で悲鳴を上げた。
「……えー、それではまず確認から」
食後だというのに、リンナは疲れ切っている。
地獄のような食事が終わり、時刻は夜八時を回ったところ。
クレセントベア討伐の作戦会議が始まった。
「出没する時間帯は十時から十一時ごろ。ライア、間違いないか」
「うん、いつもそのぐらいに現れるよ」
家畜達が騒ぎ出すため、出現はすぐにわかる。
その後に響き渡る家畜の断末魔も、彼女の耳に残って離れない。
「出現したらまずは敵の確認だ。クレセントベアじゃなかった場合作戦は練り直し。当たりだった場合はレイ、頼む」
「うん、スパッと殺っちゃうね」
なんだか物騒な響きに聞こえたが、多分気のせいだろう。
続いてリンナは、具体的な作戦を説明していく。
「クレセントベアは、力も速さもかなりのものだ。レイなら大丈夫だとは思うが、念のため真正面からは当たらない方がいい」
「ならどうするの? 罠でも仕掛けるとか」
恐らくそれは無理だろう。
リンナは首を横に振り、答える。
「ヤツは生きた獲物しか襲わない。肉を使った罠には引っかからないだろう。落とし穴や虎バサミは家畜達が引っかかるだけだろうし、これも駄目だ」
「つまり罠は使えないってことか」
「よって作戦は不意打ちだ。まず私がレイに筋力強化を掛ける。レイは気配を殺して素早く近づき、一撃で仕留める」
一息つくと、リンナは玲衣の顔をじっと見る。
この作戦の成功は玲衣にかかっている。
それに、敵に集中できないと彼女自身も危険だ。
「この作戦で行こうと思う。やれるか、レイ」
「大丈夫。私に任せて」
玲衣の返事は自信に満ち、しかし過信は無い。
これならB級召喚獣程度に遅れを取ることはないだろう。
「ねぇ、あの子召喚獣だっていうけど、クマと戦ったりして本当に平気なの?」
玲衣に聞こえないよう、リンナに耳打ちするライア。
リンナは迷いなくはっきりと答える。
「もちろんだ、レイは強い。今までだってずっと助けられてきたんだ」
玲衣を見つめるリンナの瞳。
彼女への絶対的な信頼が、ライアにも見て取れる。
「ふーん、そうなんだ……」
リンナにこんな目をさせるとは、ライアも少し、玲衣に興味が湧いた。
十時を過ぎた頃、家畜達がにわかに騒がしくなる。
どうやら件の召喚獣が現れたようだ。
「来たみたいだ。行くぞ、レイ」
「うん!」
腰に差した剣を確かめるように撫で、玲衣は立ち上がる。
リンナも杖にひび割れた宝玉をはめ、準備は万端だ。
「ライアはここで待っていてくれ」
「私も一緒に行くよ。かわいい家畜達を散々食い散らかした奴だもん。やっつけるのを見届けないと」
「いいけど……、危ない目に合っても知らないぞ」
居住棟の扉を静かに開け、まず玲衣が辺りの様子を窺う。
この周辺に召喚獣がいない事を確認すると、後ろの二人に手で合図を送る。
三人は音を殺しながら慎重に足を運び、家畜が放牧されている柵の中を注視した。
「……いた」
リンナがその姿を確認する。
月明かりに照らされる、二つの太い足で大地を踏みしめる黒い巨体。
直立で六メートルに届くその獣は、筋骨隆々の巨大な熊だ。
黒の毛皮に全身が覆われ、胸には白い三日月模様。
口からダラダラと涎を垂らし、獰猛な唸り声を上げる。
「間違いない、クレセントベアだ」
「あいつが家畜達を……、許せない!」
リンナの推測は当たった。
ライアが恨み節たっぷりに呟く。
あとは作戦通りに動くだけだ。
リンナは意識を集中し、力の流れを玲衣に送り込む。
「筋力強化!」
赤い光が玲衣の体を包み込んだ。
「ん……、凄い。全身から力が溢れてくるのを感じる」
玲衣は拳をグッと握ると、リンナの目をじっと見つめる。
リンナが頷くと、玲衣はその場を駆けだした。
出来るだけ音を殺して、柵を飛び越える。
姿勢を低く保って、獲物を探す飢えた熊に向かっていく。
赤く光る一筋の光が、夜の闇を駆け抜ける。
敵の接近にクレセントベアは感づいた。
ならばもうスピードをセーブする必要は無い。
敵が迎撃態勢を取るよりも早く、全速力で。
「グルォォッ!」
不意を突かれた熊が苦し紛れに腕を振りかぶる。
だがこんな大振りの一撃、いくら威力が高かろうが簡単に軌道は読める。
ヒルデの言っていた事が、今ならよくわかる。
体勢を少し低くしただけで、その一撃は頭の上で空を切った。
そして、それはすなわち玲衣がクレセントベアの懐に飛び込んだということ。
「喰らえッ」
右の掌を握りしめ、それまでの加速と全体重を乗せた拳が熊の腹に突き刺さる。
骨が砕け、内臓が破裂するクレセントベア。
吐血し、くの字にうずくまろうとする巨体の腕を、玲衣は両手で掴む。
そのまま反動をつけ、一本背負いで投げ飛ばす。
背中から叩きつけられ仰向けに倒れた敵を前に、玲衣は素早く抜刀。
無防備な首に切っ先を突き立てた。
「グギャァォッ……」
断末魔の声を上げ、黒い巨体はその動きを止める。
剣を引き抜いた後、玲衣はしばらく構えていたが、クレセントベアはピクリとも動かない。
完全に絶命したと確認すると、ようやく緊張を解いた。
「おーい、やったよー!!」
大きく腕を振り、二人に合図を送る玲衣。
リンナはふぅ、と息を吐くと、筋力強化を解除した。
「ライア、これで依頼は完了だ。……ライア?」
ライアの様子がおかしい。
玲衣の方をじっと見つめたまま微動だにしない。
「ライア? どうした? 刺激が強すぎたか?」
この戦闘は彼女にはショックが大きすぎたか。
リンナがそう考えていると、
「レイお姉さま……素敵」
「は?」
うっとりとした口調でライアが呟いた。
☆☆
「レイお姉さま、お疲れでしょう? お背中をお流ししますわ」
「えぇっと、あはは……」
「一緒に風呂!? 駄目だ! それは絶対駄目だ!」
どうしてこうなったのか。
玲衣は今、左右からリンナとライアに手を引っ張られている。
「あら、リンナちゃんはレイお姉さまと一緒に住んでるんでしょ? だったらいつも一緒に入ってるよね。ここは私に譲って……」
「一緒に入ったことなんて無いけど……、とにかくそれだけは絶対にダメーッ!」
自分を挟んで火花を散らすリンナとライア。
玲衣はさっきまでのリンナの苦労を思い知るのだった。




