14 雷鳴の山へ
「ぬぅ……、えい! 敏捷強化!」
「……うーん、何も変わんないや」
「送り込む力が全然足りていないのです。怖がっていてはだめなのです」
部分強化の訓練は、召喚獣さえいれば場所を選ばない。
今リンナが特訓を行っているのは馬車の客席である。
三人を乗せた馬車は既に草原地帯をぬけ、周りの景色は岩肌が目立ってきている。
進行方向には雄大なニザベル山脈の大連峰。
これから彼女たちはふもとの町で準備を整え、明日雷鳴の山に挑む。
「はあぁぁぁっ……全っ然駄目だぁ……」
大きなため息を吐きだし、背もたれに寄りかかるリンナ。
かれこれ二時間は特訓を続けているだろうか。
その間、玲衣の身体能力になんの変化も起きてはいない。
倒れた時の事が頭をよぎり、どうしても力を加減してしまう。
「ちょっと休憩しよ? あまり根を詰め過ぎても逆効果だと思うし、ね」
「そうなのです。休むことも大事なのです」
「……ん、じゃあちょっと休む。レイ、膝貸して」
リンナは気だるげに横に倒れると、ポフっと音をたてて玲衣の膝に頭を乗せる。
しばらく頭を撫でていると、静かに寝息を立てはじめた。
玲衣が向かいの座席に目をやると、シフルはふーちゃんに干し肉の欠片を与えている。
くちばしだけをせわしなく動かして食べていく姿を見て、玲衣はシフルに話を振る。
「ふーちゃんってお肉大好きだよね。肉食なのかな」
「なのです。食物連鎖の頂点、天空の王者なのですよ」
「……てんくうの、おうじゃ」
シフルの頭の上に目をやると、食事を終えたふーちゃんは相変わらず眠そうな目でどこを見ているのかわからない。
丸くて小さな体には、王者の風格はまるで見て取れなかった。
「ふーちゃんって一体……」
「そんなことよりも、シフルはとっても気になっているのですよ」
「ん、何かな」
リンナの頭を撫でていたはずの手は、いつの間にか髪をもふもふしていた。
もはや無意識の行動なのだろう。
「レイおねーさんはリンナおねーさんのこと好きなのです?」
「うん、大好きだよ」
一切の迷いなく、即答して見せる玲衣。
シフルの質問の意図をよく理解していないようだ。
「これは……無自覚というやつなのでしょうか……。リンナおねーさんは恐らくもう自覚が芽生えつつあるはず。ならば時間の問題か……」
「えっと……、シフルちゃん?」
突然小声でなにやら呟き始めた目の前の少女に、困惑しきりの玲衣であった。
☆☆
シンブの町。
ニザベル山脈の山々に挑む登山家や召喚師たちの拠点となる町だ。
この町で登山のための物資をそろえ、人々は冒険へと旅立つ。
山頂からの絶景を求めて、あるいは強力な召喚獣を手に入れるために。
玲衣たちはここで一泊し、山登りの準備を整えた。
そして今、朝焼けの中、壮大な峰々と対峙している。
「さあ、あたっく開始なのです!」
トレッキングポールを標的に向け、シフルは闘志を漲らせる。
彼女が指す先には、山頂が雷雲に覆い隠された山がそびえる。
今回の目的地である雷鳴の山だ。
目的となるボルトリザードは、主に中腹の森林地帯に生息するB級召喚獣だ。
雷雲に包まれた山頂付近は、落雷が絶え間なく降り注ぎ、高い樹木は育たない。
そのため、雷をものともしない強大な召喚獣のねぐらとなっている。
「ワクワクしてきたね、リンちゃん!」
「……ん、そうだな」
やる気満々の玲衣に対し、リンナはどことなく元気がない。
結局あれからも部分強化が成功したことは一度もなかった。
その事がリンナの心に重くのしかかっている。
「駄目なのですよ! もっと元気を出さなければ、山に呑まれるのです」
「凄いはりきってるね、山登り好きなの?」
「ふーちゃんを高いところで飛ばすために、時々登っているのです」
登山帽にトレッキングポール、長袖長ズボンにリュックを背負った登山スタイルで胸を張るシフル。
ふーちゃんは登山帽の上に陣取っている。
依然元気の無いリンナを見て、シフルは何か思いついたようだ。
ニヤニヤと笑いながら、からかうような口調でとんでもない提案をする。
「リンナおねーさん、レイおねーさんがキスすれば元気になるんじゃないですか?」
「ちょっ! 何言って……!?」
「シフル!?」
顔を真っ赤にして慌てふためく二人から逃げるように、笑いながら山への道を進み始めるシフル。
「アハハっ、元気でたみたいですね。それでは行くのです」
玲衣の頭の中は熱に浮かされ、大混乱に陥った。
リンナと唇を重ねる自分をうっかり想像してしまったのだ。
頭を左右に振って考えを振り払うと、チラリと隣にいるリンナに視線を送る。
色素の薄い長い髪、透き通るような白い肌、そして柔らかそうなピンク色の唇。
もっとも、いつもは白い肌は今、赤く染まっているが。
ぼんやりと見とれていると、リンナと視線が合ってしまう。
二人は照れくさそうに目をそらすと、
「……いこっか」
「……うん」
どちらからともなく手を繋ぎ、歩き始めた。
山の天気は変わりやすい。
こと雷鳴の山に至っては、それが顕著だ。
入山して一時間ほど、快晴だった空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうになっていた。
シフルは登山道を軽々と登っていき、その少し後ろを玲衣とリンナが続く。
「天気悪くなってきたね、今にも降ってきそう」
「山頂にはずっと雷雲がかかってるしな」
遠い山頂からの雷鳴が、時おり響く。
彼女たちが進むのはまだ山の麓。
鬱蒼と木々が生い茂る森林地帯だ。
ボルトリザードの生息地までは、かなりの距離がある。
「リンちゃん、疲れてない? 歩きっぱなしだけど」
「まだ平気。田舎暮らしだったし、歩くのは慣れてる」
「そうだった……ね……」
リンナの方を向いた玲衣は、自分の肩の上でなにかが蠢いているのを視界の端に捉えた。
細長く、無数に生えた足を動かしながら体をくねらせるそれが、玲衣の目線とかちあう。
「ぃぃいやあああああああああああぁぁぁ!!! ムカデえええぇぇぇぇぇ!!!」
辺りに響き渡る玲衣の絶叫。
都会生まれ都会育ちの彼女にとって、三十センチはあろうかというムカデは刺激が強すぎた。
「おおう、びっくりした。なんだムカデか。ほい」
リンナは玲衣の肩に乗ったムカデをひょいとつまみ上げ、茂みに放り捨てる。
「はぁ、はぁ……。リ、リンちゃんありがとう……」
「どういたしまして、あれくらいで大げさだな。私のいた町じゃあんなのいくらでもいたぞ」
「わ、私、田舎暮らし無理そう……」
「どうしたのです?」
玲衣の悲鳴を聞きつけ、先行していたシフルが引き返してくる。
「大したことじゃないよ。レイの肩にムカデが乗ってただけ」
「大したことだよ〜……」
まだバクバクと音を立てている胸を押さえながら、玲衣は小さく抗議した。
登山開始から三時間。
木々の密度が少し薄くなり、岩肌が露出しはじめる。
山の中腹、そろそろボルトリザードの生息域だ。
「さあ、この辺りで獲物を探すですよ」
登山道を歩いていては、野生の生物に会う事は困難である。
ここからは人間のための登山道を外れ、道なき道を行かねばならない。
「戻ってくる場所、ちゃんとわかるかな」
当然懸念すべきは遭難だ。
何も目印がない山の中を進む事になるのだから。
「心配ないのです。いざというときはふーちゃんが空から探してくれるのです」
「ふー」
任せとけ、と言わんばかりにシフルの頭の上で鳴き声を上げるふーちゃん。
本当にこの子を頼りにしていいのか、少し不安になる玲衣だった。




