中編
5.
〈穏やかに時が過ぎる 自然豊かなまち たんぽぽ市〉は、リサが以前住んでいた商業都市とは違い、なにもかもがこじんまりとしている。
ラスアラスからの手紙を受け取る条件が、この街に移り住むことだった。
しかし、彼がどこに住んでいるのかをリサは教えられていない。そして、彼を探さないこと・物語の件以外でことばを交わさない、という約束にもなっている。
リサからの手紙は、出版社を経由して小説家へ届くようになっている。
こうして毎日、リサへ手紙が届くようになった。
内容は1行程度の物語。差出人のところには何も書かれていない。
例えばある日の内容は、
『うさぎとカメが競争をして、うさぎがあっさり勝ちました。 おわり』
リサにはこれで、じゅうぶんだった。
6.
近所の定食屋で働き出したリサは、持ち前の明るさで周りにもとけこんでいった。
店主も優しく、まかないも美味しいので仕事に励むことができた。
夜に帰ってくるリサから、いい匂いが漂ってくる。
スカーレットは彼女の行き先に興味津々。
思い切ったネズミはリサの通勤バッグに潜み、探検に出かけた。
5月の町並みは風も爽やかで、料理以外の素敵な香りに溢れている。
アーケードの可愛らしい旗飾り。薬局のカエル人形、肉屋の揚げたてコロッケ、八百屋から聞こえる威勢のいい呼び声。花壇のパンジー。ちいさな公園のブランコやグミの木。小鳥のさえずり。子どもの笑い声。
スカーレットの目が輝いた。
帰宅したネズミは大喜びで話す。ヘイゼルも面白がり、2匹である計画を立てる。
猫は耳を貸さず、あくびをして丸まった。
数日後、日曜の早朝。
リサが寝ているのをいいことに、犬とネズミはこっそり家を出る。
目当ては公園、グミの茂み。
朱く実るグミは、いがらっぽくも甘酸っぱく、美味い。
犬とネズミは小鳥に負けずパクついていく。
「おや?おもしろい人間がいるよ」
ヘイゼルが振り向く。
視線の先には人間がひとり、ぼーっと立っていた。
「何が面白いの?」
首をかしげるスカーレット。
「儂の勘は当たる。あいつはおもしろい」
そいつはどうやら、葉についた朝露を見ている様だ。
一体なにが面白いのか?犬とネズミもそれを覗こうと、男の前へ。
「わっ」
急に現れた大きな犬に驚く男。そして、その頭上にいるネズミを凝視した。
赤いポシェットのネズミ、が。
「俺、疲れてるのかな……オハラが見える」
しゃがみこんだ男の頬を、ヘイゼルが舐める。相手は苦笑いしながら犬を撫で返し、小ネズミをちょい、と触る。
スカーレットは彼の指と握手をした。
ふいに男が俯くので、犬とネズミは心配そうに見守った。
7.
「蛍祭りですか」
リサは定食屋の主人と祭りのポスターを眺める。
「清流でやるんだ。結構楽しめるぞ。屋台も出るし」
「いいですね」
その夜。
リサは自宅でラスアラスの手紙を読む。
側で犬と猫が寝ている。
ネズミはバスケットの中。
彼女は、いきものたちの寝息と時計の秒針に耳を傾ける。
星座の本を手にしたリサは窓を開け、夜空を眺める。
手紙の物語に書いてあった金星を探してみる。そうして、長いこと天を見つめる。
そうしてみると星々の運行がわかってきた。少しずつ。
都会の明るい夜空しか知らないリサからしたら、それは新鮮な体験だ。
星の名をひとつずつ調べ、朝まで過ごし、仕事へ行った。
リサは物心ついた頃から眠ったことがない。
眠れないのだ。
眠れないからといって具合が悪いわけでもない。
しかし、家族や周りが心配するので毎晩きちんと布団に入り、寝たふりをして生きてきた。
眠れないことは苦しくなかったが、そのことを誰にも言えず理解してもらえないことが、子どものリサには辛くなってきた。
その頃、『いらないこ』という物語を読んだ。
主人公の少年は孤独で、飼い犬ヘイゼルだけが友達だった。
リサはその子に共感した。ひとりじゃない気がした。うれしかった。
成長したリサは念願の一人暮らしをはじめ、友達のヘイゼルを迎えた。
仕事もきちんとした。猫のミルマも家族に加わり、暮らしには喜びが増えていった。
しかし、その中で彼女は『いらないこ』の著者・ラスアラスへ手紙を書いた。
読んでもらえるとは思ってなかったが、自分自身のことを精一杯書いた。
だから彼からの返事が届いた時、リサは飛び上がるほど喜んだ。
8.
蛍祭りの夜。
リサはリードを付けたヘイゼルを連れて歩く。
小ネズミはリサのワンピースのポケットから賑やかな会場を眺める。
りんご飴やわらび餅、焼きそばなどの屋台が並び、オレンジ色の灯りの中で人々の笑い声が響く。
「蛍はどっちに行ったらいいのかしら?」
数秒間だがリサが案内図に気をとられる内に、ヘイゼルがいなくなってしまった。
「ヘイゼル!」
リサは慌てた。大人しい犬だか、人が大勢いる場所だ。
彼女はオハラと一緒に迷子を探すことにした。
犬の名を呼ぶ内、聞き慣れた犬の鳴き声が。
その方向へ駆けていくと、焼き鳥屋の前にヘイゼルはいた。
そして、ひとりの男から焼き鳥をもらって食べていた。
みんながみんな「あ」と口にした。
「〈おもしろい人〉だ」とスカーレット。
「そう〈おもしろい人間〉だ」焼き鳥の味に目を細めるヘイゼル。
「なんーんだ。よかった」
2匹はリサと男を見る。
「すみません!うちの子が!もう」
見知らぬ男へ平謝りするリサ。
相手は気まずそうに応じる。
「いいえ、こちらこそ……犬にしょっぱい物を……欲しがるものですから、って。犬を放してはいけません」
「はい、すみませんでした。焼き鳥のお代」
「必要ありません」
困りながらも断る男へ、リサは深々とお辞儀をした。
その途端、ポケットから転がり落ちたスカーレット。
「あっ!」
みんなが再び声を上げた。
「あいたたた」チチウと鳴き、腰をさする赤いポシェットの小ネズミ。それに絶句する男。
「ごめんオハラ!あ、すみません。この子はうちの子で……失礼しました」ネズミを抱き、顔を真っ赤にして立ち去ろうとするリサ。
「待って」
男がリサを呼び止めた。「蛍を見た?」
「いいえ……」
「じゃあ行こう。おいで、ヘイゼル」
男は犬のリードをとるとスタスタ歩き出す。
リサは困惑しながらも、後を追った。
蛍の会場へは、竹灯篭の道を辿る。
賑やかながらも、照明が減る。
「足元、大丈夫?」
「はい……」人混みの中、ついていく。男がリサの手を取る。
「迷子にならないようにね」
屈託なく笑う男。少しびっくりしたリサだが、ヘイゼルも尾をふっている。彼に従うことにした。
9.
蛍の清流。小さな青白い光が数多舞う、その眺めに息を飲む。
「ここには数百匹の蛍がいる。これだけの数が生息する場所はなかなかないよ」
「ほんとに、きれい……光も。星みたいに瞬くんですね」
「星もよく見える」
「はい、うちからも眺めます」
「山奥に行くとそんなもんじゃない。もっとすごい。天の川も」
「そうなんですか」ため息をこぼすリサ。
「ど田舎だからね」
「でも、いいと思います」
「そう?」
「はい。越してきたばかりなんですが、来てよかったです」
「そうか」
男はそれだけ答えると、黙って蛍を眺め出した。
リサも習い、淡い光を楽しんだ。今度はヘイゼルもおとなしく座っている。
ポケットからスカーレットも蛍を見つめる。
こんなに素敵な場所があるなんて。スカーレットは嬉しかった。
リサがはたと気がついた時、男は既にいなくなっていた。
(つづく)