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悪女と蜥蜴  作者: 黒井雛
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蜥蜴の仕事

 一度認めてしまえば、蜥蜴に対する想いは日を追うごとに愛蘭の中で膨らむ一方だった。


 ずっと、これを求めていた気がする。


 ずっと、こんな風な感情を与えてくれる相手を。


 そして、同じ感情が返せる相手を。


 蜥蜴の優しさは、愛情が篭った視線は、愛蘭の中の空白で欠けた部分に、まるで誂えたようにぴったりと嵌って、手放せないものなっていった。

 それが、処刑を待つまでの、限られた時間の幸福だとわかっているのに。


(生きたい……蜥蜴と、生きられたら、それはどんなに幸福だろう)


 死にたくないと、ずっと思ってきた。

 惨めで、誰にも必要とされない存在のまま、死にたくなかったから、人を蹴落としでも生き続けてきた。

 だけど、一方で、生きることは恐ろしいことでもあった。

 苦痛と恐怖に満ちた日々。誰も心を預ける相手を見つけられなかったから、そんなもの不要だと切り捨て、付き纏う孤独を見ないふりを続けていた。

 死ぬ恐怖と、生きる恐怖を天秤に掛けた時、いつだってその天秤は平行のまま傾くことはなく、それならば、どちらでも変わらないならば、生きる方がましだと、いつか誰もが羨む様な幸福を手に入れて惨めさから脱却してやるんだと、そう思って歯を食いしばって生きてきた。


 だからこそ、生きたいだなんて、思ったのは初めてだった。




「ねぇ、翠。貴方は、私とこうして食事をとる時以外は、一体どうやって過ごしているの?」


 愛蘭の問いかけの、蜥蜴は口元に運びかけた匙を置いて、表情を曇らせた。


「何も……愛蘭が、聞いて楽しいことは、何もしていない…」


「それでも、聞きたいの……翠、貴方のことを、もっと聞かせて欲しい」


 蜥蜴のことを、ただ、もっと知りたかった。

 蜥蜴は困ったような表情で、真っ直ぐに向けられる愛蘭の視線を避けるように、顔を背けた。


「……王の命令に従い、仕事で出かけている……」


「王様? 皇太子様ではなく?」


「ああ……俺の主は、皇太子ではなく、王だ……今回は、皇太子のたっての願いだったから、特例で看守を引き受けただけで、普段は王に従っている」


「そう……」


 普段以上に歯切れが悪い蜥蜴の口調が気になったが、それよりも自分が知らない蜥蜴のことを知りたい気持ちが勝った。


「仕事が無い時は? このお城にいるの?」


「ああ……大抵は、部屋に篭っている……外に出ても、人を不愉快にさせるだけだから」


「……そんなことないのに……」


「……そんなことを言うのは、愛蘭だけだ……」


 確かに、蜥蜴は醜い異形の化け物だ。

 だけど、その性根は子どものように純粋で優しい。一度話せば、誰でも分かる筈だ。

 何故それほどまでに、蜥蜴は自身のことを卑下するのだろう。

 何百年も生きていて、蜥蜴のことを受け入れてくれる存在は今までいなかったのだろうか。

 今ではすっかり蜥蜴を愛している愛蘭には、理解できなかった。


「……それで、王様に頼まれて、どんな仕事をしているの?」


 愛蘭がそう尋ねた瞬間、蜥蜴の目がぎょろりと動き、その眼光が鋭くなった。

 あまりにもその視線が鋭かった為、すっかり蜥蜴と過ごすことになれた愛蘭でも、思わずびくりと体を跳ねさせた。


「ご、ごめんなさい……聞き過ぎたわね……翠が話したくないのなら……」


「……いや、構わない……寧ろ、愛蘭は知っておいた方が、いいのかもしれない……」


 蜥蜴は目を伏せて、暫く何かを思い悩むように黙りこくったあと、蜥蜴は徐に口を開いた。


「俺は……王にとって、邪魔な存在を、密かに消している……」


「それって……」


「――人を、殺していると、そういうことだ」


 蜥蜴の口から出た言葉が、愛蘭には信じられなかった。


 この優しい蜥蜴が人を殺す?……想像が、つかない。


 だけど向けられる蜥蜴の目は真剣で、その言葉には一切の偽りがないのだということが分かった。

 蜥蜴は、自身の両手の甲を愛蘭に見せた。

 その手は緑色の鱗で覆われていたが、それを除いては爪が少々伸びすぎているが、それでも普通の人間と変わらないように見えた。


「……俺の爪は、普通の人間と同じに見えるが……どんな金属よりも固く、鋭い。……鉄の盾くらいなら、かんたんに貫けるほどに……」


「……っ‼」


「……歯は、もっと強固だ……俺の爪は、俺の歯でしか切れな……俺が噛みつけば、人の頭蓋骨くらい、すぐに潰せる」


 自嘲気味にそう言いながら、蜥蜴は再び目を伏せた。


「……俺の力は、普通の人より、ずっとずっと強い。……それ以外の身体能力だって、そうだ……そして俺は、どんな攻撃を受けても、けして死ぬことはない……」


「…………」


「俺以上に、人を殺す能力に長けた生き物はいない。……だからこそ、俺は王に命じられるまま、この手で、何百、何千もの命を奪ってきた……そうやって、今までずっと、生きてきたんだ……」


 そこで言葉を切って、蜥蜴は金色の瞳を愛蘭に向けた。


「……愛蘭……俺が、怖いと、そう思ったか?……」


 その目に、どうしようもない哀願の色が、嫌わないで欲しいという蜥蜴の願いが籠もっている気がして、愛蘭は即座に首を横に振った。


「怖いだなんて思わないわ……」


 怖くなぞ、ない。

 蜥蜴が数百年の生の間に、どれ程の命を奪ってこようが、愛蘭にとって彼が優しく愛おしい相手であることには変わりがないのだから。

 愛蘭に見せる蜥蜴の姿に、偽りはないのだろうから。

 それに愛蘭だって数が違うだけで、私利私欲の為に人を殺しかけた女だ。蜥蜴を詰る資格なんてない。


「怖いとは思わないけれど……疑問には、思ったわ」


 ただ一つ、理解できないのは。


「貴方はどうして、そこまでして王族に従うの?……呪いを解きたいから?」


 蜥蜴が王族に従う理由が、「王族に献身し続ければ、いつか呪いが解ける」といった最初の王の言葉にあるのだとしたら、違和感があった。

 この心優しい化け物が、いくら呪いを解く為だとしても、その為に人を殺し続ける道を選ぶだろうか。

 そもそも、王の言葉自体が本当かどうか怪しいというのに。

 愛蘭の問いに、蜥蜴は静かに首を横に振った。


「違う……従っているのとは、違う……ただ、逆らえない」


「逆らえない……?」


「ああ……意志に関係なく……命令されれば、体が勝手に動く……王の許可がなければ、俺は一日ですら、城を離れることはできない……何故だかは、わからないが……」


(それなら、やっぱり呪いを掛けたのは王族じゃないか。蜥蜴が最初に見た王こそが、呪いを掛けた張本人ではないか)


 抱いていた懸念がより信憑性を増して、愛蘭は泣きたくなった。

 そんな王族にだけ都合が良い呪いを掛ける人物が、他にいる筈がない。

 でも、だとしたら、あんまりな話だった。

 呪いに縛られたまま、蜥蜴は何百年も望まない人殺しを続けていたのに、呪いを掛けた本人はとっくの昔に亡くなっているだなんて。……それじゃあ、呪いは一体どうやって解けばいいのだ。

「王族に献身し続ければ、いつか呪いが解ける」そんな真偽が確かか分からない言葉に、縋るしか、ないじゃないか。


 ひどい。あんまりだ。

 一体蜥蜴が、何をしたというんだ。

 そんな呪いを受ける程の罪を、蜥蜴が犯したというのか。


「……そんな顔を、するな。愛蘭……」


 蜥蜴は微笑を浮かべながら、そっと愛蘭の髪を撫でた。

 常人よりも力が強い蜥蜴は、きっと力加減が難しいだろうに、それでも愛蘭は今まで一度も蜥蜴から触れられて痛みを感じたことはない。

 それだけ蜥蜴が、愛蘭を傷つけないように細心の注意を払ってくれているのだ。


「お前が、何を考えているかは、分かる……本当は、俺も分かっているんだ……誰が、呪いを掛けたかも……呪いを解く術が、ないかもしれないことも」


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