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悪女と蜥蜴  作者: 黒井雛
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枯れ逝く蓮

「……それなのに、どうして……」


「分かっていたが……それでも、信じていたかった」


そう言って蜥蜴は自嘲するように顔を歪めた。


「どうしようもない、ならば……逆らおうと思っても、意志に反して、体が勝手に動いてしまうなら……信じた方が、楽だった……従いさえすれば、いつか呪いが解けると……いつの日にか、きっと救われるのだと……そう思えば、望まぬ行為も、受け入れられた……王家に従うことが、意味があることだと、受け入れられた……」


蜥蜴は愛蘭が思っていたように、愚かではなかった。

愚かな思考に縋ることで、精神を保とうとしていただけだった。


解く術も分からぬ、果てなき呪い。

異形の化け物に変えられて、その姿故に誰からも愛されることもなく、命令されるがままに人を殺め続ける地獄の日々。

そこに、差し出された一縷の希望。

蜥蜴は、どんな胡散臭い言葉だと思っていても、それに従わずにはいられなかったのだろう。生きる糧にせずにはいられなかったのだろう。

そうしなければ、絶望に飲み込まれてしまうから。


「だけど……もう、いい……もう、永遠に呪いが解けなくても、俺は構わない……」


何も言えずにいる愛蘭の体を、蜥蜴は抱きしめた。壊れものでも抱くような、優しい優しい包容だった。


「救いは、もう、あるから……呪われた、人殺しの俺でも、愛蘭は、受け入れてくれたから……なら、もう他は、要らない……愛蘭さえいれば、俺は、他に、何も要らない……」


(ーーああ、やっぱり、翠は私がまもなく処刑されることを知らないのだ)


蜥蜴があまりに躊躇いなく愛蘭に傾倒するから、そうではないかと薄々思っていた。知らないからこそ、失う恐怖を抱くことなく平気で距離を縮められるのだと。

そしてその考えは間違えてなかった。ーー蜥蜴が真実を知っていたら、こんな風に満ち足りた表情を愛蘭に向けられる筈がないのだから。


蜥蜴は、愛蘭が処刑されることを知らない。

だけど、愛蘭はその真実を蜥蜴に知らせることはできなかった。


蜥蜴が、あまりに幸福そうに愛蘭を抱くから。


愛蘭と共にいられることを、信じて疑わないから。


絶望の末に与えられた、新たな希望。

結末が決まっていたとしても、それを自らの手で奪い取ることは愛蘭にはできなかったのだ。


(本当は私も、ずっと一緒にいたい……生きて、翠の隣で共に歳を重ねたい)


本当は、今日、愛蘭は全てを打ち明けるつもりでいた。

自分が犯した罪も、その結果待ち受ける処刑のことも、全て余すことなく蜥蜴に打ち明けるーーそれは、愛蘭にとって、とても恐ろしいことだ。

牢獄に入る前とは異なり、今の愛蘭には、罪の無い女を一人殺しかけた自身の罪がどれほどのものか理解できる。

皇太子は勿論、その女のことを愛する者は他にもいただろう。

そんな女の命を奪うことの意味を、以前の愛蘭には理解できなかった。愛するものを殺されかけた皇太子の怒りを、愛蘭には分からなかった。


だけど今の愛蘭には分かるーー蜥蜴を愛した、今の愛蘭なら。

もし、第三者に蜥蜴が害されたら…その様を想像するだけで、愛蘭は胸が引き裂かれそうになる。怒りと悲しみが自然と溢れ出て来る。

蜥蜴を傷つけた相手を、愛蘭はきっと心の底から憎み、許さないだろう。

それと同じ想いを、愛蘭は皇太子に味わわせたのだ。

彼が愛蘭を処刑しようとしていることは、当然といえば当然なのかもしれない。


真実を告げれば、蜥蜴は愛蘭を軽蔑するかもしれない。


軽蔑し、今までのことが嘘のように、冷たくなるかもしれない。


愛する蜥蜴から、背を向けられることは、愛蘭には耐え難いことだ。


それでも。それでも、告げなくてはいけないと、そう思った。

嘘で塗り固めた姿ではない、真実の姿を見せなければ、蜥蜴に対して真っ直ぐに向き直らなければいけないと、そう思った。

蜥蜴の前では、ありのままの自分でいたかった。


そして、真実を知ってなお、蜥蜴が愛蘭を受け入れてくれるならば。


それでも、愛蘭と共にいることを望んでくれるのならば。


共に逃げて欲しいと……そして共に生きて欲しいと口にするつもりだった。

蜥蜴と生きたいのだと、そう伝えるつもりだった。


(だけど、翠の手を借りて脱獄できたとしても……外の世界で翠と共に生きられないのなら、なにも意味がない)


蜥蜴は主である王家の人間以外はとても太刀打ち出来ないような強大な力を持っている。

蜥蜴の手助けがあれば、途中で王家の人間に見つかりさえしなければ、脱獄はきっと容易に成功するだろう。

だけど愛蘭が脱獄したら……蜥蜴は、どうなる?

一日以上王家から離れられない呪いをかけられた蜥蜴は?


(私が逃げたら……残された翠はきっと手酷い罰を受けることになる……)


蜥蜴は自らのことを不死だと言っていた。どんな目に遭っても死ぬことはないと。

でもだからと言って、痛覚がないわけではないのだ。


愛蘭は、知っている。


愛蘭の元を訪ねた蜥蜴が、時折体の一部を庇うようにしていることを。


庇う部分をうっかりどこかにぶつける度、痛みを耐えるかのように顔を歪めているのを。


今にして思えば、あれは昼間の仕事でできた傷を庇っていたのだろう。

特別な力を持っていて、不死でも、傷つけられれば怪我を負うし、痛みがあれば辛い。

死なないだけで、それは普通の人間とは変わらないだろう。


愛蘭を逃がした蜥蜴を、皇太子がそう易々と許すとは思えない。

死なないからこそなお、皇太子は一切の加減なく蜥蜴を嬲るだろう。

愛蘭は、自分のせいで、蜥蜴が傷つけられるのは嫌だった。


それに、愛蘭自身もーー蜥蜴を失った後、一人で生きていける自信がなかった。


知らなければ、平気だった。


愛なんて感情を知らなければ、愛蘭なただ生きることだけに必死になれた。


誰かを踏みにじる罪悪感も、愛する者を失う恐怖も、愛する者が傷つけられる怒りと悲しみも、知らなかったからこそ、今までは生きてこられた。


だけど、知ってしまった今は、もうあの頃には戻れない。


(こんな結末ならいっそ、愛なんて、いっそ知らない方がよかった)


愛を自覚することを、恐れていた。――きっと、こうなると思っていたから。

愛を知ってしまえば、失えないものが出来れば、人は弱くなることを本能的に知っていたから。

愛蘭が一人で生きる為には、愛なんて枷でしかなかった。


「……愛蘭……俺は、お前が、とても好きだ……」


だけど湧き上がる絶望感からそう思う一方で、今こうして蜥蜴に抱き締められていることに、蜥蜴が自分を愛してくれていることに、幸福を感じていることも事実で。

知らなければ良かったと思う反面、胸に広がる温かいものを手放したくもなくて。


「……私も貴方が大好きよ、翠」


蜥蜴の背に手を回しながら、思う。

今、この瞬間が永遠になればいいと。

このまま時が止まってしまえばいいのに、とただ切望することしか、愛蘭にはできなかった。




蜥蜴から貰った蓮の花は、水につけていても、それでも日に日にしぼみ色褪せて行く。

まるで愛蘭に、残された時間の少なさを突きつけるかのように。


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