加筆修正版 エピソードⅡ 迷宮への挑戦
エピソードⅡ 迷宮への挑戦
次の日、僕はいつになく心が弾むのを感じながらベッドから起きた。
やっぱり、仲間たちと迷宮に行くことは僕にとっても楽しみだったのだ。迷宮での冒険は目的を抜きにしても、心躍るものがあるからな。
これで本当に天空石を見つけることができたら言うことはないんだけど。ま、そう簡単にはいかないだろう。
何にせよ、僕もリーダーとして、みんなには自分の力をしっかりと見せないと。
僕は窓から降り注ぐ夏の日差しで肌がジリジリと焼けるのを感じながら、どんな時だろうと忘れることのなかった日課をこなすために神殿に行こうとする。
もちろん、愚直な僕のために毎日、欠かさずに作られる母さんの朝食を食べて。
そして、神殿に辿り着いた僕がパーティーを結成したことをフリックに教えると、フリックは「まっ、死なない程度に頑張れよ」と言って笑った。
その言葉を受け、僕はフリックを含めた色んな人たちの鼻を明かしたくなる。
もっとも、それには様々な困難を乗り越えなきゃならないと思うし、迷宮のモンスターなんかに負けてはいられないな。
その後、僕は魔方陣の上に乗り、転移できないことを確認すると、今度はバード博士の家に向かう。
天空石の発見を一番、待ち望んでいるのはバード博士なのだ。
だからこそ、天空石を探し出すためのパーティーが結成できたことはきちんと伝えておかないと。
そして、僕がバード博士の家にやって来ると、博士も「上手くパーティーを結成できて良かったな。まあ、誠実な君ならみんなをちゃんと引っ張っていけるだろう」と持ち上げるように言ってくれた。
これには僕も誇らしくなったし、バード博士の期待にも応えたくなった。
最後に僕はパーティーのみんなと待ち合わせをしているギルドの酒場にやって来る。
それから、昨日と同じ五番テーブルについてアップルジュースを飲みながらしばらく待つと、一人も欠けることなくみんなやって来た。
そんな、みんなの顔には緊張感はあっても恐怖心はない。
それを見た僕は思ったよりも良いパーティーを結成できたなと嬉しくなった。
「みんな来てくれてありがとう。これから、仕事を引き受けるんだけど、何か質問でもあるかな?」
僕はみんなの視線が自分に集まるのを感じながら言った。
「迷宮に絡んだ仕事なんですよね。迷宮に入ったことのない私でもこなせるものなのでしょうか?」
ミリィはやはり不安を隠しきれないようだった。
「最初だし、難しい仕事を引き受けるつもりはないよ。だから、そんなに怖がらなくても大丈夫だから」
ただ、戦わなくて済むような仕事を引き受けるつもりはない。それではみんなの実力を確かめるという意味がなくなってしまうからな。
「そうですか」
ミリィに自信を与えるのも僕の役目かもしれないな。
「でも、それなりの相手とは戦いたいところよね。じゃなきゃ、私の実力を見せられないじゃない」
戦いに対する意欲を見せるように言ったのはセレスだ。
「そうだな。俺も迷宮のモンスターと戦ったことはないし、思う存分、腕試しをしてみたいっていう気持ちはあるな」
ロッシュも揚々とした戦意を覗かせる。
セレスもロッシュもなまじ腕に覚えがあるせいか、随分と好戦的だった。そのせいで足下を掬われるようなことにならなきゃ良いけど。
とにかく、ミリィには二人の爪の垢は煎じて飲ませてあげたいな。
「そういうことなら、私とどっちが剣の腕が立つか勝負してみる、王子様?」
セレスはロッシュの心を煽るように言った。
「別に良いぜ。迷宮に入ったら、まずはお前と戦ってやるよ。ただし、俺は相手が女でも手加減をしてやるつもりはないからな」
ロッシュも受けて立つように言った。
「面白いじゃない。そこまで言うなら、口先だけの男じゃないってところを見せて貰うわよ」
セレスは益々、楽しそうな顔をした。それを受け、僕はこめかみの辺りに皺を寄せながら、声を張り上げる。
「ちょっと待ってよ、二人とも。僕たちは仮にも仲間なんだから、お互いを傷つけるようなことはやっちゃ駄目だ」
僕がリーダーだし、仲間内で戦うようなことを許すわけにはいかない。
その心はちゃんと汲み取ってくれたのか、二人とも僕の言葉を聞いて、矛を収めるような顔をした。
「そうだな。俺としたことが安い挑発に乗っちまったし、危うく男としての器の小ささを見せるところだったぜ。以後は気を付けるよ」
ロッシュは自戒するように言った。
「あたしも、ちょっと調子に乗り過ぎちゃったみたい。こんなことだから、騎士の連中からも粗忽だなんて言われるのかもしれないわね」
セレスも嘆息すると、俯いてしまった。
「私はリーダーである君の裁量に任せる」
二人の遣り取りを見ても平然としていたレイナードは、一応、言葉の上では僕を立ててくれた。
それから、僕たち五人は酒場を出ると、ギルドの広間にある掲示板に行く。
そこで、貼り出されている紙を眺めながら話し合うと、受付でリザードマン・ロードを討伐する仕事を請け負った。
リザードマン・ロードは迷宮の三階の東側のフロアーを住処にしている。そして、人を襲う時は十匹以上のリザードマンたちを引き連れて来るらしい。
なので、力のない冒険者にとって、リザードマン・ロードは相当な脅威となっているようだ。僕もリザードマンは何匹か倒したことがある。
でも、たいして強くなかったので、四人も仲間がいればリザードマン・ロードも難なく倒せるだろうと判断したのだ。
それから、僕たちは王都の町の北側にある迷宮への入り口の前に来る。そこはちょっとした広場のようになっていて、何人もの冒険者たちが屯していた。
僕たちは石畳の地面に取り付けられた三メートルを超える大きな鋼鉄の扉の前にまでやって来る。
そこには槍を持った兵士たちが警備をしていた。この扉と彼らがいるからこそ、モンスターも簡単には迷宮からは出てこれないのだ。
僕たちは揃って兵士に許可証を見せる。
すると、兵士たちはレバーを操作して、鋼鉄の扉をあけた。その先には地下へと続く階段が見えている。
ちなみに迷宮は古代の遺跡でもあるので光石が取り付けられている。だから、ちゃんと明かりは確保されているのだ。
光石の中には数千年も光りを発し続ける物もあるからな。特に古代の時代に使われていた光石は上質な物が多い。
ただ、迷宮を照らす光石の光りはそれほど強いものではない。なので、闇に隠されている部分もけっこうあるのだ。
僕たちは互いに顔を見合わせると、ぞろぞろと階段を下りていく。
すると、そこは横幅の広い通路になっていた。
綺麗な石の壁の表面は如何なる技術によって加工された物なのか、ちょっと想像が付かなかった。
改めて思うけど、古代人の技術力は凄いと思う。
さすがサンクナートと共にあの天空都市を作り上げただけのことはある。その技術が今の時代にまで伝わらなかったのは、ちょっと残念だけど。
僕は通路の奥を覆っている薄闇を凝視する。濃密とまでは言わないが、それでも死の気配は嫌でも漂ってくる。
実際に迷宮で命を落としている冒険者も多いし、仲間を危険に晒さないためにも、僕自身、慎重な行動を心懸けないと。
「みんな、ここからはモンスターが出て来るから気を引き締めなよ。いくら、浅い階のあまり手強くないモンスターでも油断は禁物だからね」
僕は地図を片手に歩を進めながら、みんなにそう言い聞かせた。
迷宮の地図は広く出回っているので、お金を出せば誰でも買うことができる。ただし、地図に記されている道のりは二十三階までだった。
それより先は本当に手探りで進まなきゃならなくなる。
「分かっています。私もモンスターと戦ったことはありませんが、みなさんの足手まといにならないように頑張ります」
弓を手にし、背中に矢筒を括り付けたミリィは歩きながら意気込むように言った。
「あたしは浅い階のモンスターなら何匹も仕留めたことがあるから、恐れる必要はどこにもないわね」
騎士のように剣と盾を手にしているセレスは豪胆さを見せつける。
「俺は旅の途中でドレイクを打ち倒したこともあるんだぜ。だから、これから退治しに行くリザードマン・ロードも敵じゃないさ」
いかにも値の張りそうな装飾過多な剣を手にしているロッシュも恐れは感じていないようだった。
「私も問題なく戦えるとは思っている」
レイナードは長さを自由に変えられるという、先端に水晶が取り付けられた杖を手にしながら、言葉少なめに言った。
「そうか。なら、僕もみんなの心配はしないからね」
僕はみんなの頼もしい言葉を聞き、やれると確信していた。
「ええ。自分の命は自分で守る。幾らパーティーを組んでるからって、他人の力を宛てにしているようじゃ、命を落とすだけよ」
そう言って、セレスは剣の柄をギュッと握りしめる。
「私は皆さんの力を頼りたいと思ってしまいましたが、やはり、それでは駄目なんでしょうか?」
ミリィが弱さを感じさせるように言った。
「別に良いだろ。他の奴の力を頼って戦うのも、一つのスタンスだ。何でもかんでも自分の力でやり遂げようと思っている奴は得てして足下を掬われるのさ」
ロッシュは涼やかな笑みを浮かべながら、前髪をサラッと払う。
「もしかして、それってあたしのことを言っているわけ?」
食ってかかったのはセレスだ。
「さあな。いずれにせよ、お前は肩に力が入りすぎているぞ。信じられるのは自分の力だけっていう心持ちは改めた方が良いんじゃないのか?」
ロッシュは火に油を注ぐような言い方をする。
「大きなお世話。あたしは王子様のあんたのような育ちの良さはないのよ。だから、最後に物を言うのは自分の力だって、常に思い知らされてきたんだから」
男社会に足を踏み入れようとしたセレスの人生は挫折の連続だったんだろうな。その苦い体験が固い鎧となってセレスの心を覆い尽くしているのかもしれない。
「そうかい。ま、今はこうしてパーティーを組んでるんだから、協調性は失わないようにしようぜ。じゃないと、仲間がいる意味がなくなるだろ?」
ロッシュはセレスの盾を手の甲で叩いた。
「分かったわ」
ロッシュの正論にセレスも怒りを収める。
「でも、こうしていると何だか楽しいですね。私、アカデミーでは友達があまりいなかったので、仲間っていう言葉には憧れてました」
ミリィは微笑ましそうな顔をする。友達があまりいなかった原因は、やっぱりこの国の宰相の娘だからだろうか。
僕も勇者フィルックスの子孫という肩書きのせいで、周りの人間から距離を置かれたことがあるし。
「分かる気がするね。僕も学校を卒業してからは、学生時代の友達とは全く会わなくなったから、ちょっと寂しさを感じてたよ」
僕はパッタリと会わなくなってしまった友達の顔を思い出した。ま、その代わり、フリックやバード博士とは頻繁に顔を合わせるようになったけど。
「俺もずっと一人旅を続けてきたから、やっぱり、人恋しさはあったな」
ロッシュは美青年だし、女の子との付き合いならいくらでもできると思うけど。
「あたしも前は友達がいたんだけど、あたしが必死になって騎士になろうとしたら、みんな離れていったわ」
セレスは複雑そうな顔をする。
「世知辛いな」
ロッシュは口の端を吊り上げながら言った。
「まったくよ。たぶん、みんなあたしのことが見苦しく思えたんでしょうね。でも、是が非でも騎士になってやろうと思っていたあたしに、周りのことを気にする余裕はなかったわ」
女性の地位を向上させようとする動きは、この国ではあまりないからな。
これから先、セレスのような女の子がたくさん現れるようになれば、風向きも変わってくるかもしれないけど。
「見苦しいなんてことはないと思いますよ。私、セレスさんを初めて見た時、とっても美しくて格好良い人だなって思いましたし」
ミリィが少し強い口調で言った。
「そう言ってくれると嬉しいわね」
セレスは綻んだような顔をした。
「ですから、もっと自分に自信を持ってください。セレスさんのような女の人が奮闘すれば、騎士団の体質も変わるかもしれませんし」
ミリィの言葉にセレスは照れ臭そうに首を掻いた。
「ま、セレスが美しいっていう点については俺も同感だけどな。これでおしとやかにハープでも弾いていたら、彼女にしたいとか思っていたかもしれないし」
ロッシュが冗談めかして言うと、セレスはムッとした顔をした。
そして、僕たちがそんな遣り取りをしながら歩いていると、一番、後ろにいたレイナードが声を上げる。
「モンスターの気配が近づいてきたし、お喋りは止めた方が良い」
レイナードは沈黙を破るように言った。
すると、通路の奥から武器を手にしたリザードマンたちが現れる。
その数、ちょうど五匹。
みんなの力を確かめる相手としては格好の敵だろう。
「さてと、相手はたいしたことないリザードマンだけど、甘く見たら駄目だよ。戦いなんてものは、ほんの僅かな気の緩みが死に繋がるから」
僕がそう言うと、みんなも臨戦態勢を取る。
それを見たリザードマンたちは一斉に僕たちへと襲いかかってきた。その血に餓えた目を見れば話し合う余地などないことが分かるだろう。
僕は怒濤の如き勢いで押し寄せてくるリザードマンたちを見て剣を握る手に力を込める。敵を前にした僕の目に弱々しい光りはなかったはずだ。
自らの感覚が研ぎ澄まされていくのを感じながら僕は大きく息を吸い込む。それから、大剣を振り上げてきたリザードマンを迎え撃とうとする。
光石の光りを受けた刃の煌めきは斜めから僕を切り裂こうと迫った。だが、たいたスピードではない。
僕は動き回れる範囲が少ない通路での戦いということも考慮して、避けることなくリザードマンの斬撃を真っ向から受け止めて見せる。
その際、金属の擦れ合う甲高い音が通路に鳴り響く。それから、ギリギリと鍔迫り合いが続いた。
このリザードマンの腕力は、たいしたことないな。せっかくの大剣もあまり使いこなせていないし。
僕は力負けせずにすぐさまリザードマンの大剣を弾き返すと、反撃とばかりに袈裟懸けに斬りかかった。
その綺麗な弧を描いた斬撃はリザードマンの肩から胸までを一気に切り裂いた。
たちまち血を吹き上がらせたリザードマンも崩れ落ちる。それから、ピクピクと小刻みに体を痙攣させた。
モンスターと言えども殺してしまうのは、あまり良い気分ではないが、そんな甘いことは言っていられない。
僕の肩には自分だけでなく仲間の命もかかっているからな。
だからこそ、できる限り仲間の身の安全も守らなければならない。それがリーダーとしての責務と言える。
とにかく、ここ最近は迷宮に潜っていなかったし、モンスターとも戦っていなかったが、腕の方は錆び付いていなかったようだ。
でも、自分の力を過信してはいけない。一瞬の判断ミスが死を招くのが戦いだからな。
一方、弓を構えていたミリィは、屹立したような姿勢で目映い光りに包まれた矢を放とうとする。
恐らく矢には聖なる力が込められているのだろう。ミリィは神聖魔法の使い手だからな。
「我が身に宿った聖なる力を受けなさい!邪悪なモンスターたちよ」
ミリィがそう宣言するように言うと、彼女の放った矢はリザードマン額に寸分の狂いもなく突き刺さる。
その瞬間、ストンという小気味よい音も鳴った。それから、鏃が脳にまで達したのか、そのリザードマンは糸が切れたように倒れた。
しかも、倒れたリザードマンの額の傷からはうっすらとした煙が上っている。
おそらく、聖なる力によるものだろう。それが、普通の矢、以上のダメージをリザードマンに与えたらしい。
何にせよ、ミリィの弓の腕前は見事としか言いようがないな。
競技などで使うただの的ならともかく、動き回るリザードマンの額に矢を正確に命中させたのだから。
「たいした腕前じゃないの、ミリィ。よーし、あたしも久しぶりに楽しませて貰うわよ。殺されたい奴はどんどんあたしにかかってきなさい!」
ミリィを見ていたセレスも触発されたようにリザードマンへと肉薄する。対するリザードマンの方も攻撃力のありそうな斧を振り下ろしてきた。
セレスはそんな斧の一撃を丈夫な盾でガッチリと受け止めると、すかさず反撃するように剣で斬りかかった。
セレスと相対していたリザードマンは首を切断されて絶命する。
そんなセレスの太刀筋に歪みはなかった。
日常的に剣の腕を磨いてきたことは、容易に見て取れる。モンスターとの戦い方も一朝一夕に身につけられるようなものじゃない。
この戦いぶりなら、今までのセレスの自信の程も頷けるというものだった。
そして、ロッシュはと言うと、いつの間にか自分の方に向かってきたリザードマンを斬り伏せていた。
ロッシュの剣はリザードマンの血で赤く染まっている。
「欠伸が出るほど弱い奴らだな。迷宮にいるようなモンスターなら少しは歯ごたえがありそうだと期待していたんだが」
ロッシュはがっかりしたように言うと、剣を振ってこびりついた血を落とそうとする。
僕がロッシュから目を離したのはほんの僅かな間だったが、その間にリザードマンを血溜まりに沈めたというのか。
やはり、ロッシュもかなりの実力者と言えるだろう。
そして、残ったリザードマンは勝てないと踏んだのか、その場から一目散に逃走を図ろうとした。
が、あと少しで逃げ切れると思われた背中にどこからともなく火球が飛来する。それから、火球の直撃を受けたリザードマンは炎に包み込まれた。
何とか炎を消そうとゴロゴロと床を転がるリザードマンだったが、動けば動くほど炎は絡みつく。
そして、すぐにリザードマンは動かなくなる。だが、炎はそのまま貪り食うようにしてリザードマンの体を焼き尽くした。
その際、吐き気を催すような嫌な匂いも漂ってきたが、距離は離れていたので僕も我慢できた。
「何て恐ろしい炎なんだ…」
そう言うと、僕は杖を翳しているレイナードを見る。
はっきりとは目にできなかったが、火球を放ったのはレイナードだろう。
杖の先端の水晶は光り輝いていたし、いつまでも変わらぬ勢いで燃え続ける炎には特別な力が込められているようにも感じられた。
どうやら、レイナードも並々ならぬ力があるみたいだな。
いずれにせよ、僕たちの力なら、浅い階で出て来るリザードマンなど敵にはならないと言うことが証明された。
僕も仲間を募集して良かったと、改めて思う。
「やっぱり、リザードマンじゃ、僕たちの相手にはならなかったね。僕もみんなの強さは拝見させて貰ったよ」
僕はほっとしたような顔で笑った。
「私、本当は怖くてたまらなかったんですけど、しっかりと戦えて良かったです。でも、死んでしまったリザードマンはちょっと可哀想でしたね」
ミリィは胸に手を当てながら言った。
「あたしはリザードマンと戦ったのは初めてじゃなかったから、特に感じるものはなかったわね。ミリィと違って、あたしはモンスターなんかに心を砕いたりはしないし」
セレスは構えていた盾を下ろしながら言った。
「俺も何だか物足りなかったな。ま、相手が弱すぎたってことだ。もっとも、一人で戦っていたら、それなりに苦戦したかもしれないが」
そう言って、ロッシュは余裕を感じさせるような顔をする。
「私の力の一端を見て貰えたのなら僥倖だ。このまま先に進めば、もっと凄い魔法を見せる機会もあるだろう」
レイナードは戦いの高揚感とは無縁なのか、顔色一つ変えずに言った。
それから、僕たちは再び迷宮の通路を歩き続ける。だが、モンスターは出て来ないし、他の冒険者とも会わなかった。
今日の迷宮は静かだな。
そんなことを考えていると、いきなり八匹の小鬼の顔をしたゴブリンが出てきた。背丈が小さいゴブリンはナイフや尖った骨などを武器として持っている。
雑魚と言ってしまえばそれまでだが、数が多いので油断はできない。
「今度はゴブリンだね。みんなが良ければだけど、このゴブリンたちの相手は一人でしてみない?」
みんなの実力をもっと知りたいと思った僕はそう提案した。
「一人で戦うんですか?私はちょっと遠慮したいですけど」
ミリィは青い顔をする。
「そいつは面白そうだな。俺の実力を見せつけるには、八匹のゴブリンはちょうど良い相手かもしれない」
ロッシュはニヤリと笑う。
「あたしも構わないわよ。むしろ、通路の中での戦いなら一人の方が動きやすいし、どう転んでも負けるような相手じゃないわ」
セレスは臆することなく言った。
が、そんな僕たちに向かって、レイナードが静かではあるが確かな重みのある声を発した。
「血気に逸る君たちの気持ちは分かるが、ここは私に任せてくれないか?」
レイナードの言葉に、僕は意外なものを感じていた。
「レイナードさんが戦ってくれるんですか?」
僕は薄ら寒いものを感じながら尋ねる。
「すぐに終わらせる。君たちも、その闘志はリザードマン・ロードとの戦いまで取っておいて欲しい」
レイナードは言葉に反応するかのように杖の水晶の輝きが増した。それを受け、みんなかまわないと言った顔をする。
「そういうことなら、ここはレイナードさんにお任せしますし、是非とも凄い魔法を見せてください」
僕の言葉に不平を言う者はやはりいなかった。
「分かった」
そう言うと、レイナードはコブリンの群れの方に向かって、ゆっくりと歩いて行く。その足取りは微塵の恐れも感じさせない。
とはいえ、レイナードの顔は自信に満ち溢れているというわけではなかった。あくまで蝋人形のような、何の感情も窺えない顔をしている。
それを受け、コブリンも武器を手にレイナードを取り囲んだ。
小柄な体ゆえに、素早く小回りの効いた動きができるのが、ゴブリンの強みだ。なので、集団で取り囲まれると面倒なことになる。
ゴブリンたちはジリジリとレイナードとの間合いを詰める。一斉に襲いかかれるようなタイミングを見計らっているようだ。
が、対するレイナードは動かない。
隙だらけのように見えて、実は全く隙がない。そんな不思議な空気をレイナードは発している。
それから、ゴブリンたちは痺れを切らしたように四方八方からレイナードに攻撃を浴びせようとする。
さすがにこの数の攻撃を避けるのは僕でも無理だ。
本来なら、こういう状況に陥る前に手早く片付けないといけない敵だからな。
が、そう思った瞬間、レイナードの体から地獄の底から呼び出したような黒い光りが迸った。僕の肌も電気にでも触れたかのようにビリビリと震える。
それから、凄まじいエネルギーが嵐のように荒れ狂う。まるで目に見えないはずの空間が引き裂かれているかのようだ。
僕も瞼を開けているのがやっとだったし、もし、今のレイナードに近づいたりしたら確実に命はないだろう。
そして、そんな鮮烈とも言える光りは周囲にいたコブリンたちを一匹、残らずゴミ屑のように吹き飛ばし、猛烈な勢いで壁に叩きつけた。
これには僕も驚きのあまり、目を瞬かせる。ミリィやセレスも呆気に取られたような顔をしているし。
一方、ゴブリンたちは黒焦げになっていて体からプスプスとした煙を立ち上らせている。中には体がバラバラに弾け飛んでいるゴブリンもいた。
何か恐ろしいエネルギーがゴブリンたちに襲いかかったのは間違いない。
とにかく、全てのゴブリンが死んでいるのは、離れたところから見ていた僕でもはっきりと分かった。
「す、凄い。こんなに強力な魔法は、アカデミーの魔法学科にいた私でも見たことがありません」
そう声を漏らしたのはミリィだった。
「なんていう力なの。あたしも魔法の力はあまり見たことがないんだけど、いくらなんでも、これは…」
気丈なセレスも途中から声を失った。
「さすが魔導師か。そんじょそこらの魔法使いとは一味も二味も違うってわけだな。俺の国の王宮でも召し抱えたいくらいだぜ」
ロッシュは気圧されたわけでもなく、楽しげに笑う。
「たいした魔法でしたね。でも、これだけの力があるのなら仲間なんていらないはずじゃ?」
僕は沸き上がってきた疑問を率直に口にする。
「そうでもない。この世にはまだまだ恐ろしい敵がたくさんいる。君たちはその事実を知らないだけだ。それに、こんな魔法は何度も使えるものではない」
レイナードはやはり無感情に言った。
「そうですか」
僕はレイナードは人には言えない何か大きなものを背負っているのかもしれないと思いながら、また歩き始める。
その間、僕たちの間に会話はなかった。
みんなレイナードの凄い魔法を見て畏怖の念のようなものを感じていたのかもしれない。
だが、そんなレイナードも僕たちの力を必要としている。しかも、レイナードは天空石が迷宮の中にあることを知っていた。
もしかしたら、天空石を手に入れるためには、何かとんでもない敵と戦わなければならないのかもしれない。
そんなことを考えながら通路を進み、階段を二回ほど下りると、僕は地下三階のフロアーの東側へと足を向ける。
すると、そこには何とも立て付けの悪そうな扉があった。
僕もこんな扉を見るのは初めてだった。それから、僕たちが扉を開けると、そこは広い部屋になっていた。
部屋の中には武器や防具などが乱雑に置かれているし、まるで盗賊のアジトのような雰囲気を漂わせている。
おそらく武器や防具は冒険者たちから奪った物だろう。だから、地上の店で見たことがある武器や防具が幾つもあるのだ。
その上、壁には人間や動物のものと思われる白骨が標本のように括り付けられている。どう見ても良い趣味をしているとは言えない。
そして、そんな部屋にはたくさんのリザードマンたちが腰を落ち着けていた。
中には骨の付いた肉に齧り付いていたり、お椀を手にして何かを飲んでいるリザードマンもいた。
だが、僕たちを見るとリザードマンたちはすぐさま弾かれたように近くの武器に飛びつく。
それから、各々の武器を手にすると、鎧を身につけたリザードマンを守るように武器を構える。
ちなみに鎧を身につけたリザードマンは普通のリザードマンより一回り大きかった。
おそらく、あれがリザードマン・ロードなのだろう。何というか凶暴なリザードマンたちを束ねられるような貫禄がある。
僕たちは全部で十二匹もいたリザードマンと、その親玉であるリザードマン・ロードと睨み合いながら対峙する。
「お前たちを退治させて貰うぞ。死にたくない奴は、今の内にさっさと逃げろ」
僕がそう言うと、場を支配していた緊迫感が極限まで高まる。そして、リザードマンたちが雪崩を打つようにして襲いかかってきた。
こうして僕たちは入り乱れるようにして戦うことになる。
僕は慌てずにしっかりと腰を据えて剣を構える。
これほどの数のモンスターを一度に相手にしたことはないので、僕も神経を張り詰めざるを得ない。
すると、目の前まで躙り寄ってきたリザードマンが槍で僕を突き刺そうとしてきた。一応、間合いは取れているが、いささか素直すぎる動きだな。
洗練さがまるで感じられない。
そんなことを思っていると、鋭い槍の穂先が僕の腹を抉ろうと迫る。が、僕はその直線的な攻撃を横に身を捌いて避けると、器用に槍の柄を切断した。
それから、流れるような動きで接近すると、僕は槍を手にしたリザードマンの喉の辺りを切り裂く。
そのリザードマンは喉を掻き毟るようにして倒れた。
あの世でもっと槍の扱い方を練習するんだなと言いたいところだ。
「次はどいつだ!」
僕がそう叫ぶと、今度は横からメイスのような打撃系の武器で僕を力任せに殴りつけようとするリザードマンが現れる。
だが、その動きは稚拙だし、メイスの扱いにも慣れていないようだった。どうやら、このリザードマンは適当に近くの武器を選んで、戦いに臨んだクチだな。
やはり付け焼き刃の攻撃しか繰り出せない雑魚か。
僕は迫り来る骨が砕けそうな一撃を避けると、強烈な振り下ろしをそのリザードマンの頭にお見舞いする。
結果、メイスを手にしたリザードマンは頭を断ち割られて前のめりに倒れた。その頭からはどろりとした気持ちの悪い脳漿が流れ出てくる。
僕もムワッと押し寄せてきた血臭に顔をしかめた。
そして、僕がリザードマンならこの数でも恐れるほどのものではないなと思っていると、どこからともなく飛翔音が聞こえて来る。
なので、反射的に剣の刀身を胸の辺りにまで持ち上げていた。
すると、僕の剣の刀身に矢が命中した。
危うく体に矢が突き刺さるところだった。しかも、どこからともなく飛来した矢は正確に僕の心臓を狙っていたのだ。
リザードマンはただ武器を振り回すしか能がないと思ってたが、少々、見くびりすぎていたようだ。
僕が冷や冷やしていると、クロスボウを手にしていたリザードマンが再び僕に矢を放とうとしてくる。
が、クロスボウは連射には不向きな武器だし、その扱いにも慣れていないのか矢を継ぐのも遅い。
とはいえ、さすがの僕も遠距離からの攻撃には対抗する術がない。間合いを詰めようにも、他のリザードマンが壁となって立ちはだかっているし。
とにかく、クロスボウを扱うリザードマンは早急に仕留めなければ。最初の一撃を防げたのは運が良かったにすぎないからな。
僕は邪魔なリザードマンたちを蹴散らそうと剣を片手に走り出そうとする。
すると、焦る僕の視線の先で、クロスボウを手にしたリザードマンの腕に光に包まれた矢が突き刺さる。
その拍子にリザードマンはクロスボウを落としてしまった。しかも、間髪入れずに次の矢が光りの尾を引かせながら飛来する。
その矢はクロスボウを持っていたリザードマンの眉間に突き刺さった。そのリザードマンはグラッとよろめいて倒れる。
もちろん、僕に助け船を出すように矢を放ったのはミリィだ。これにはナイスフォローと言いたくなる。
「セレスさん、ロッシュさん、私が弓の援護をしますから、その隙に畳みかけてください」
その言葉通り、ミリィはセレスやロッシュと交戦しているリザードマンたちにも連続して矢を放つ。
すると、達人の域にも達しているような狙いの正確さで、矢は武器を手にするリザードマンたちの腕に突き刺さった。
「ありがとう、ミリィ。さあ、ここからはあたしの見せ場よ。あんたたちに恨みはないけど、この剣の錆にさせて貰うわ」
そう喜々とした顔で言うと、セレスは動きの鈍った手負いのリザードマンたちに攻撃を仕掛ける。
まずは曲刀を手にしたリザードマンの胴を、烈風を纏った一撃で真っ二つにした。倒れたリザードマンの腹からはグロテスクな内臓が飛び出す。
だが、セレスがそれに怯む様子はない。
続けて、セレスは三つ叉の槍を突き出してきたリザードマンの頭も鮮やかに跳ね飛ばして見せる。
その頭は放物線を描くようにして、床に落ちた。その一連の動きにはまるで迷いがない。
「こんな生温い攻撃じゃ、あたしは仕留められないわよ。それとも、あたしが女だと思って舐めてかかってきてるのかしら?」
セレスは嘲弄するように言いながら言葉を続ける。
「だとしたら、あの世で後悔させてやるわよ」
セレスは剛毅に笑った。
僕でさえ、モンスターを殺す際には躊躇いを感じてしまうと言うのに、セレスにはそれが全く見られない。
これが騎士を目指す少女の凄絶な覚悟か。普通の人間が持つ、甘い感情とは袂を分かっているみたいだな。
そんなセレスの戦い振りを見て、僕も思わず心が痺れた。
「セレスの奴もたいしたもんだな。さてと、あいつにばっかり良い格好はさせられないし、俺もそろそろ本気を出して戦うことにするか」
そう言うと、ロッシュも磨き抜かれたような動きで飛来した鎖つきの鉄球を避ける。それから、その鎖の部分を撫で斬った。
すると、棘つきの鉄球は手下に戦いを任せたままでいるリザードマン・ロードの方に飛来する。
それを目にし、リザードマン・ロードも咄嗟に首を傾けて鉄球を避ける。が、鉄球の棘はその頬を掠めた。
リザードマン・ロードの頬から血の糸が垂れる。
ロッシュの奴、まさか狙ってこれをやったのか。だとしたら、その剣技には恐れ入る。
それから、ロッシュは瞬時に間合いを詰めると、鉄球を飛ばしてきたリザードマンの心臓を剣で串刺しにする。
そのリザードマンは蛙が潰れたような声を上げて倒れた。
更に、ロッシュはかぎ爪を振り上げながら背後から忍び寄っていたリザードマンも、クルリと体を回転させた横なぎの一撃で切り裂く。
かぎ爪を振り下ろしきれなかったリザードマンは心臓のある左胸をかっさばかれて倒れた。ロッシュもセレスに負けていない。
「おいおい、もっと気合いを入れてかかってきてくれよ。こんな面白味のない戦いじゃ、汗すら掻けないぜ」
ロッシュの言葉もただの強がりではない。
一方、レイナードはメラメラと燃える火球を次々と命中させて、リザードマンたちを炎で焼き殺そうとする。
まるで生き物のような炎に包まれた三匹のリザードマンたちは、もがき苦しみながら炭化していった。
しかも、肉の焼けるような臭いは僕の鼻も突いたし、思わず吐き気も込み上げてきた。
モンスターの肉が食料になるのは知っているけど、リザードマンの肉だけは絶対に食べたくないな。
「さすがだね、みんな。まさか、ここまで戦えるとは思ってなかったし、僕も負けてはいられないな」
みんなの戦いぶりに感化された僕も、残り二体となったリザードマンに果敢に攻撃を仕掛けようとする。
僕は二本の肉厚なナイフを手にしたリザードマンの攻撃を舞い踊るようにしてかわすと、その胸板を鋭い斬撃で切り裂く。
と、同時に僕の剣は翻るような軌道を見せて、再びリザードマンの胸を今度はもっと深く切り裂いた。
これは所謂、十字切りという技だ。僕が得意としている技でもある。
そして、十字切りを食らったリザードマンはナイフをポロリと落として崩れ落ちた。
それを見ていた最後のリザードマンは、柄の長い斧、ハルバードを乱暴に振り回して僕を近寄らせないようにする。
その顔は人間の僕でも分かるくらい必死だし、ハルバードの扱い方もなかなかのものだった。さすが、最後まで残っていたリザードマンだけのことはある。
だが、僕は相対しているリザードマンの動きを的確に読むと、巧みに体を移動させてハルバードの刃を潜り抜ける。
そして、そのリザードマンの懐にするりと入り込んだ。これにはリザードマンの表情も面白いくらい引き攣る。
何にせよ、ハルバードを引き戻す暇は与えない。
それから、吸い込まれるようにして迫る銀光が、ハルバードの刃を空振りさせたリザードマンの首をあっさりと攫っていく。
一瞬、頭部だけになったリザードマンの目が見えたが、その目は自分が死んだことに対する驚きに彩られていた。
とにかく、これで残すはリザードマン・ロードだけになったな。
「残るはお前だけだ。お前に殺された冒険者たちのカタキは取らせて貰うぞ」
僕は決然とした声で言った。
対するリザードマン・ロードは手下たちが、掠り傷一つ僕たちに負わせられることなく全員、打ち倒されたのを見て、ワナワナと肩を震わせる。
その顔には怒りと恐怖の感情が入り交じっていた。
もし、手下のリザードマンたちに加勢していたら、こんな風に追い込まれることはなかっただろし、戦況ももう少し違う物になっていたはずだ。
自分が戦うことにはならないだろうという楽観とも言える見積もりが、この結果を招いた。ま、高みの見物をしていたツケはこれから支払うことになるだろう。
それから、リザードマン・ロードは雄叫びのような声を発すると、一際、大きな大剣で僕に斬りかかってきた。
確かに、腕力だけはあるリザードマン・ロードらしい早くて力の乗った斬撃ではあるが、剣が描く軌跡は単純そのものだ。
なので、避けるのは難しくない。
僕はリザードマン・ロードの剣を危なげなく避けると、助けに入ろうとしたセレスとロッシュを、手を振って押し留める。
「こいつの相手は僕一人で良いよ。僕もパーティーのリーダーとして、みんなには良いところを見せたいからね」
そう言うと、僕はどこか茶目っ気のある顔で笑った。
「しょうがないわね。その代わり、リザードマン・ロードは完膚なきまでに叩きのめしてやりなさいよ」
セレスは興を削がれたように言ったし、僕も獲物を横取りしてしまったようで少し悪い気がした。
「ああ。美味しいところは譲ってやったんだから、それなりの戦いは見せて貰うぜ。ま、リーダーらしく最後はビシッと決めてくれよな」
ロッシュの言葉に僕も胸が熱くなったし、みんなの期待に恥じない戦いはするつもりだ。
そして、セレスとロッシュの二人はリザードマン・ロードに突きつけていた剣の切っ先を下ろす。
そんな二人の視線に込められていたのは僕に対する確かな信頼だ。
そして、僕が鷹のように鋭い目を向けると、その相手であるリザードマン・ロードは激昂したような叫び声を上げて、大剣で斬りかかってくる。
が、僕はまるで戦いを楽しむかのように華麗にステップを刻んで、リザードマン・ロードの大剣を避け続けた。
僕の軽やかな動きは破れかぶれなリザードマン・ロードを翻弄する。その間も、当たれば一撃必殺のはずの大剣は何度も空を切った。
それを受け、リザードマン・ロードの顔から幾筋もの汗が滴り落ちる。力押しの攻撃が通じる相手ではないと悟ったのだろう。
だが、他に戦う術を知らないリザードマン・ロードは大剣による攻撃を続けるしか道はなかった。
すると、リザードマン・ロードの動きも鈍くなってくる。重量のある大剣を振るっているだけにスタミナも切れ易い。
なので、リザードマン・ロードも剣を握る手を止めて、肩で息をし始める。だが、僕の呼吸はまるで乱れていなかった。
「もう終わりなのか?言っておくが、賞金が賭けられているお前を生かしておくつもりはないぞ」
僕がそう突き放したように言うと、リザードマン・ロードは攻撃が当たらない苛立ちをぶつけるように剣を振り下ろしてきた。
それに対し、僕は頭に血が上り、完全に冷静さを失ったリザードマン・ロードの一撃を敢えて紙一重のところで避ける。
と、同時にカウンター気味に銀影を見せる斬撃を繰り出していた。
その一撃はリザードマン・ロードの金属でできた鎧を火花を散らせながら切り裂き、胸に大きな裂傷を付ける。
一瞬、リザードマン・ロードの体がふらついた。
だが、リザードマン・ロードは歯を噛み締めると、胸の痛みを無視するかのように、大きな動作で剣を振り上げた。
最後の悪足掻きだな。
それに対し、僕は痛烈とも言える斬撃を放ち、鎧に守られていないリザードマン・ロードの首をいとも容易く切断する。
その瞬間、鮮血が迸った。
それから、首がなくなったリザードマン・ロードの体は大の字になってバタッと倒れた。頭もボールのように床を転がっている。
完全に勝負あったな。
僕はシーンと静まり返った部屋に立ち尽くす。そして、少しだけ荒くなっていた息を調えると、みんなに向かって笑いかけた。
「よし。リザードマン・ロードは倒せたし、ギルドに戻ろう。報酬を貰ったら、ギルドの酒場でパーティーを結成した記念の宴会でもしたいし」
僕の言葉にレイナードを除いたみんなは嬉しそうな顔をする。
「そりゃ良いな。俺も思う存分、酒が飲みたいし」
ロッシュは喜々とした声で言った。
「ロッシュはお酒が飲めるような年齢じゃないんじゃないの?自警団の団長の娘として未成年の飲酒を見過ごすことはできないわよ」
セレスはそう釘を刺す。
「お堅い奴だな。こういう時は思いっきり羽目を外すもんだぜ。それにワインくらいなら、お前でも飲めるんじゃないのか?」
ロッシュの挑発するような言葉にセレスも薄く笑う。
「かもしれないわね。でも、あたしは騎士になるんだから、僅かな犯罪歴でも付けるわけにはいかないのよ。だからお酒は駄目」
セレスも誘惑を振り払うように言った。
「私はアップルパイが食べたいですね。ギルドの酒場のアップルパイは意外と美味しいって、アカデミーにいた時、聞きました」
ミリィは柔らかな笑みを浮かべながら言った。
「私もワインなら飲みたいところだな」
レイナードの言葉には少しだけ人間臭さのようなものが含まれていた。
僕たちは迷宮から無事にギルドの建物へと帰って来ていた。
リザードマン・ロードを退治した報酬は三十万シェケルなので、酒場で飲み食いするのに問題はない。
僕は受付のカウンターで報酬を貰うと、みんなと一緒にギルドの酒場へと向かった。そこでみんなと初顔合わせをした五番テーブルに着く。
すると、みんな自分の食べたい物を遠慮することなく注文した。そして、料理が運ばれて来ると、レイナードを除いたみんなは目を輝かせる。
僕はパーティーを代表するように、口を開く。
「みんな、遠慮せずに、どんどん食べてよ。注文したい料理があれば、いくらでも言って良いからね」
貰った報酬は僕だけのお金ではないからな。
この宴会で使ったお金はたいした額じゃないし、残りお金の使い道はよく話し合わなければならないだろう。
「ありがとよ。にしても、旨そうなステーキだな。やっぱり、体を動かした後は肉を食わないと。じゃなきゃ、力が付かないぜ」
ロッシュは分厚いステーキを前にして舌なめずりをした。
「私は太りたくないですし、食も細い方ですから、食べるのはほどほどにしておきます」
ミリィは殊勝に言うとコーンスープに口を付ける。
「でも、育ち盛りなんだからいっぱい食った方が良いぞ、ミリィ。じゃないと、セレスみたいに胸が大きくならないぜ」
ロッシュは肉汁の滴るステーキを頬張りながら言った。
「あたしの胸を引き合いに出さないでよ、ロッシュ。あたしは胸の大きさなんて、気にしたことはないんだから」
セレスはとろけるチーズがかかった厚切りのパンに齧り付いた。
「そりゃ女らしさに欠けるってもんだぞ」
ロッシュが混ぜ返す。
「余計なお世話よ」
セレスもムキになって言い返す。
「なら、私もステーキを注文して良いですか?これからも冒険者として活躍していきたいですし、それには丈夫な体が必要ですから」
ミリィは自分の胸を見下ろしながら、そう言った。
やっぱり、普通の女の子は胸の大きさを気にしてしまうみたいだな。そんな女の子の心は僕には計りがたい。
「その意気だ」
ロッシュはニカッ笑った。
「僕も格好良くなるために、あと三センチは身長を伸ばしたいからね。だから、スペアリブも四つは食べさせて貰うよ」
そう言って、僕は骨ごとスペアリブの肉を丸かじりする。体を動かした後の食事はいつもより美味しく感じられる。
ロッシュじゃないけど、肉が旨いとこれほど思えた日もないな。
「みんな、元気が良いな。私も見習いたいところだ」
そこで初めてレイナードが笑みを浮かべた。
これには、みんなが目を丸くする。なので、僕は場の空気を盛り上げようと、レイナードに向かって質問をぶつける。
「そういえば、レイナードさんはどこで魔法を習ったんですか?迷宮でも凄い魔法を使っていましたけど」
僕はアカデミーの人間というわけでもなさそうだが、と思いながら言った。
「それは聞かないで欲しい」
レイナードは目を伏せた。これには軽はずみな質問をしてしまった僕も何だか申し訳ない気持ちになる。
「分かりました。でも、出身国なんかも教えては貰えないんですか?」
僕は駄目と分かりつつも尋ねる。
「天空都市、と言ったら君たちは笑うかな?」
レイナードは血のような色をしたワインを口に含むと、苦笑しながら言った。
「本当なんですか?」
僕はぎょっしたような顔をする。他のみんなも料理を食べる手をピタリと止めた。
「いや、冗談だ。とにかく、私のことはあまり聞かないで欲しい。こちらとしても苦しい嘘は吐きたくないからな」
レイナードは今まで見せていたような無表情に戻ると、そう言った。
「そうですか」
ほんの僅かでも期待した僕が愚かだった。
まあ、レイナードのことは詮索しないと仲間に入れる時にも言ったからな。これ以上の追求はパーティーの溝を作らないためにも止めておこう。
「そんなことよりも、これからの方針を決めようぜ。俺たちは天空石を見つけるためにパーティーを組んだんだから、ただ金だけを稼いでるわけにもいかないだろ」
ロッシュが話を仕切り直すように言った。
「そうだね。でも、今のところは僕も天空石は迷宮の中にあるということくらいしか知らないからな」
僕はぼやくように言った。
「それじゃあ、探しようがないじゃないか」
そう言うと、ロッシュはステーキにフォークを突き刺す。それから、あんぐりと開けた口にステーキを放り込んだ。
「うーん」
僕は腕を組みながら、思案した。それから、ジュースを喉に流し込むと、芯の通った目で口を開く。
「やっぱり、迷宮の最深部まで行く必要があるかもね。他に心当たりはないし」
そう言いつつも、僕はみんなをバード博士に引き合わせれば何か分かるかもしれないと思っていた。
「でも、そこには魔界のゲートがあるって聞いてるわよ。モンスターもそのゲートを通って迷宮に現れるって言うし」
セレスの言った通り、迷宮の最深部には魔界のゲートがある。そこからモンスターたちが際限なく現れるのだ。
それは過去にいた冒険者によって確認されている。
もっとも、魔界がどんな場所なのかは分からない。ただ、邪神ゼラムナートの支配する場所だとは言われている。
が、それ以外はあの天空都市と同じくらい全くの謎なのだ。
だが、その謎の部分が冒険者たちを惹き付けて止まないのもまた事実だ。
「だけど他に探すような場所は…」
僕が口籠もると、思いも寄らない奴が現れる。
「おい、お前ら。随分と羽振りが良さそうだし、おいらにも酒を飲ませてくれよ」
テーブルの上に乗ったのは小鳥と見間違わんばかりの小さな羽の生えた蛇だった。
蛇は優美に羽を広げていて、その体は黄金色に輝いていた。まるで、金塊を溶かして鋳像したかのような美しさだ。
そして、そんな蛇がタヌキのようににんまりと笑っている。まるで人間のように表情が豊かだ。
「何ですか、この羽の生えた蛇は?」
ミリィが目をパチクリした。
「こいつはサンクナートだよ。いつもギルドの酒場で、客の料理をたかっている意地汚い蛇さ」
僕は忌々しそうに言った。
前にもサンクナートからはしつこく「酒を奢ってくれ」って、何度もせがまれたんだよな。その時は僕もあまりのしつこさに折れてしまったけど。
「あんまりな言い草だな」
サンクナートは口を尖らせて見せた。
「だって本当のことだろ。お前がかつてこの世界を治めていた善神、サンクナートだなんて誰も信じやしないよ。同姓同名の別人さ」
僕は頭から決めつけるように言った。
その言葉通り、こいつは自分のことを善神サンクナートだと豪語している。もちろん、そんな言葉に取り合う者はいない。
「でも、羽の生えた蛇は伝説上の生き物とされてるんですよ。なら、サンクナートだというのも本当の話なんじゃないんですか?」
ミリィの言葉には一理ある。
本来なら地を這うことしかできない蛇が、大空を飛び回れるのは伝説の中だけだ。そして、それは紛れもない事実だった。
僕もサンクナート以外の羽の生えた蛇は見たことがないし。だけど、それは飲んだくれのこいつを信じる理由にはならない。
たぶん、酒場に出入りしている他の冒険者たちも同じだろう。
何せ、凄い力は一つも見せてくれない奴だからな。もちろん、その言動も神としての威厳は欠片もない。
僕も前に一縷の期待を込めて天空都市の様子を見てきてくれと頼んだら、サンクナートはあんなに高いところまで飛ぶのは疲れるから嫌だと言ったし。
本当の神様なら、その程度のことは簡単にできるはずだ。
しかも、僕が天空都市がどんな場所なのかを聞いても、知ったか振った顔をするだけで何も教えてくれないし。
これでは、実は何も知らないんじゃないかと疑われても仕方がない。
「そうは言っても、こいつは何の力も見せてくれないし、いつも酒場のカウンターで酔い潰れて寝ているだけだから、とてもそうは思えないよ」
僕は食い下がった。
「最近の若い奴らは、信じる者は救われるっていう言葉を知らないみたいだな」
サンクナートは嘲笑するように言うと、言葉を続ける。
「とにかく、酒を奢ってくれたら、天空石が迷宮にあることを突き止めたお前たちに良いことを教えてやるぞ」
サンクナートはそう切り出した。
それを聞いた僕も、なぜそんなことまで知っているんだと訝る。
もしかして、天空石が迷宮にあることを記した僕の貼り紙を見たからだろうか。変な奴が現れないように、あの紙はとっとと剥がした方が良かったかもしれない。
「本当なの?」
僕は信じてはいけないと思いつつも、そう尋ねていた。
「おいらは、嘘は吐かない。肝心な部分を話さないことはあるけどな」
サンクナートの調子の良い言葉に僕もげんなりする。
「では、教えてくれませんか、サンクナート様」
そう物腰を低くして頼んだのはなぜかレイナードだった。その顔に微かに浮かんでいる感情は恐怖だろうか。
「お前は…。まあ良いだろう」
レイナードを見るサンクナートの瞳が刃のように鋭くなったのを僕も見逃さなかった。それから、僕は好きなだけワインを飲んで良いと言う。
すると、サンクナートはボトルごと注文してあったワインをラッパ飲みする。これには僕たちも呆れるしかなかった。
「ほら、ワインは飲ませてやったんだから、さっさとその良いこととやらを教えろよ。もちろん、天空石に関係したことだぞ」
ワインを飲み干し、大きなゲップをしたサンクナートに僕は詰問する。
「なら、迷宮の十階にいる邪竜ジャハナッグを倒してこい。そしたら、天空石に一歩、近づくことができるぞ」
サンクナートの言葉に僕は背筋が寒くなった。
「冗談じゃない。邪竜ジャハナッグは恐ろしい力を持ったドラゴンなんだぞ。しかも、闇の魔術も使えるし、死者をゾンビにすることだってできる」
ドラゴンもまた長い間、伝説上の生き物とされてきた。が、その認識を覆すようにドラゴンのジャハナッグは迷宮に現れたのだ。
なので、ジャハナッグがいたとされる魔界にはドラゴンも存在しているのかもしれない。
だが、ジャハナッグは本当のドラゴンではなく、ドラゴンの姿に変身できるだけの魔界の悪魔だという者もいる。
いずれにせよ、ジャハナッグ以外のドラゴンはこの世界には存在しなかった。
そして、そんなジャハナッグの首には、とんでもなく高額な報酬が掛けられている。
そのせいで、数多くの冒険者が血眼になってジャハナッグを討伐しようとしたのだが、みな生きては帰ってこなかった。
しかも、その冒険者たちはジャハナッグの使う闇の魔術によってゾンビにされ、今も迷宮を彷徨い続けている。
そんな奴と戦ったら、僕たちもゾンビにされかねない。
「でも、ジャハナッグは何もない部屋から動かないし、こちらから手を出さなければ、冒険者に危害を加えるようなことはしないって言われているわ」
そう口を出したのはセレスだ。もっとも、迷宮を徘徊するゾンビは冒険者たちを頻繁に襲っているけど。
「その通りだ。でも、天空石を手に入れたければ、どうしてもジャハナッグを倒す必要があるんだよ」
サンクナートはそう言い張った。
「そんな話、信じられるか」
僕は吐き捨てるように言った。
「なら、どうするつもりなんだ。天空石に関しては、迷宮にあるということ以外、何も分からないんだろ?」
サンクナートはこちらの弱みを突くように挑発して見せる。
「そうだけど」
僕は逡巡した。
「だったら、ジャハナッグを倒さなきゃならない理由を教えてくれないかしら?そこまで言うからには何かあるんでしょ?」
セレスはあくまで平静を装いながら尋ねる。
「それは今の段階じゃ口にできないな」
サンクナートは惚けた顔をして言葉を続ける。
「さっきも言っただろ、おいらは肝心な部分は話さないことがあるって。でも、嘘も吐かないから、ジャハナッグを倒せば天空石のありかも分かるというのは事実さ」
サンクナートの言葉にセレスも眉根を寄せる。
「確かに何千年も生きてきたとされるドラゴンなら、天空石の在りかも知ってるかもしれないわね。この蛇の言うことを真に受けるのは癪だけど、試してみる価値はあるかも」
セレスは納得したように言った。
「なら、かなり危険だけどジャハナッグの討伐に賭けてみるしかないか」
僕はいきなり舞い込んできた手がかりに困惑しつつも、それしか方法はないと思いながら言った。
エピソードⅢに続く。