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エピソードⅤ

 エピソードⅤ 救いへの道


 無事、ジャハナッグを退けた僕たちの乗る船、スカイ・シップは、ついに天空都市サンクリウムの真上まで来た。

 天空都市がある大地は雲よりも上に浮かんでいた。世界一高い山に登っても、雲をここまで眼下に置くことはできないだろう。

 そんな大地の大きさは地上の王都の数倍はある。大地と言うよりは島といった方が良いかもしれない。

 そして、天空都市の周りには、空の青が遙か彼方まで広がっている。天空都市を照らす太陽も心なしか大きく見えるようになった気がした。

 そして、船の上で立ち尽くす僕の視線の先には幻想的な白を基調とした都市があった。

 全体的に縦に長い建物が多いのが都市の特徴で、それらは天にも突き刺さんばかりのインパクトを誇っていた。

 その真ん中には殊更、神聖な雰囲気を強調する神殿もある。聳え立つ神殿の尖塔は、伝説に出て来る神鳥の宿り場を彷彿とさせる。

 そんな都市は全てにおいて綺麗で、また、地上の王都のような薄汚れを感じさせる部分は微塵もない。

 完璧な美しさを醸し出せるよう、建物の形や位置までが計算し尽くされているかのようだった。まるで、都市そのものが精緻に作られた一つの芸術品のようにも見える。

 いかなる建築士を集めたとしても、地上ではこのような都市を作り上げることはできなかっただろう。 

 まさしく、神が住むに相応しい天上の都市。例え翼の生えた天使がここにいたとしても、驚きはしない。

 選ばれた者だけが暮らせるユートピア、なんていう言葉も決して大袈裟ではないはずだ。

 そして、そのような外観を持つ天空都市には、確かに地上の王都にあった神殿の面影がある。やはり、天空都市も神殿もサンクナートやリバイン人によって作られた物なのだ。

 ここまで似かよった雰囲気を持っていれば、それも頷けるというものだ。 

 僕は大理石よりも美麗な表面を見せる白石によって作られている建物を見ながら、感無量といった顔をする。この景色を拝むことができただけでも生きていた価値はあった。

 もし、天空都市を空から見ることができたという偉業が世界に知れ渡ったら、僕たちの名前は歴史に残るだろうな。

 ここに来るまでに繰り広げてきた僕たちの冒険も伝記どころか神話のように永遠に語り継がれることだろう。

 そうなれば、僕も人間として勇者フィルックスを超えられるかもしれない。

 とはいえ、僕が天空都市に来たのは単なる観光や秘境、巡りではない。確固たる目的があって来たのだ。その初志を忘れてはいけない。


「素晴らしい!多くの人間に馬鹿にされながらも、天空都市に行くという夢を捨てずに良かった。この光景を見れば、頭の固いアカデミーの連中も私に対する評価を改めるはずだ」


 バード博士は声を張り上げると感激したように言った。


「これが天空都市か。月並みな言葉だが、想像していたよりもずっと凄いな。ここまでスケールが大きい都市を見たのは初めてだぜ」


 ロッシュは銀髪を風に靡かせながら、天空都市に目を馳せる。


「たぶん、都市としては世界で一番、大きいんじゃないかしら。さすが、善神として崇められていた頃のサンクナートが作っただけのことはあるわね」


 セレスは項の辺りに手を置きながら言った。


「文明も地上より、ずっと進んでいそうですね。しかも、こんな限られた広さしかない大地で、ずっと生活してこれたのも驚嘆すべきことですし」


 ミリィの言った通り、文明が進んでいるから、限られた土地の中でも自給自足ができるのかもしれない。


「でも、僕はこの大きな都市から、ルーミィを探し出せるかどうか、ちょっと不安だな。ま、ルーミィと会うまでは僕も地上に戻るつもりはないけど」


 僕は五年も経っているし、ルーミィの顔が分かるかなと不安になる。

 もしも、ルーミィが傍にいても気が付けないようなら、僕の思いも所詮はその程度だったと言うことだ。それは空しすぎる。


「いつ来ても変わらないな、ここは。結局のところ、おいらが支配しようと、ゼラムナートが支配しようと人間にとっては大差がなかったってことだ」


 サンクナートは宙に浮かびながら、皮肉げに口元を歪めるとボソリと呟く。


「まあ、いつの時代でも人間なんて現金で薄情な生き物だから、別に気にしないけどな」


 サンクナートは翼をフワッと広げると、首を竦めた。


「まさか、このような形で帰ってくるとはな…」


 レイナードは小声で言ったが、その言葉は僕の耳にもちゃんと届いていた。

 それを受け、僕の中にあったレイナードは地上の人間ではないのでは?という疑念も強くなる。


「で、これからどうする?特に問題がなければ、このままスカイ・シップを天空都市へと下ろすが」


 しっかりとした手つきで舵を握るバード博士の言葉には僕が答える。


「見つかりたくないですし、なるべく人目に付かないところに下ろしてください。天空都市にいる人たちにとって、僕たちは招かざる客なんですから」


 それは邪神ゼラムナートだけではなく、この都市にいる人間たちにとっても当て嵌まるはずだ。

 とにかく、ゼラムナートは僕たちが天空都市に侵入したことに気付いているのだろうか。


「それもそうだな。下手な動きを見せれば、天空都市にいる人間たちが全て敵になるとも限らない」


 バード博士は危惧を滲ませながら言葉を続ける。


「よし、そういうことなら、あの森の中に下ろすことしよう。あそこなら、そう簡単には見つかるまい」


 そう言うと、バード博士は舵を回して、船を大きく旋回させた。風を切る翼が、その角度をより鋭いものに変える。

 それから、バード博士は建物が途切れるようにしてなくなっている森へ船を向かわせる。そして、僕たちを乗せた船は鬱蒼と木が覆い茂る森へと静かに着陸した。

 少し心配だったけど、船の下りた場所の周りに人の気配はなかった。ここなら船を停めておいても大丈夫だろう。

 僕は船から下りると、みんなと共に町に行こうとする。ここからなら、町に辿り着くまでそう時間は掛かからないはずだ。

 すると、バード博士が思いも寄らない役目を買って出た。


「私はここに残ろう。船を誰かに奪われないためにも見張りは必要だし、君たちは私のことなど気にせず町を見物してくれ」


 バード博士はいつものように白衣の襟を正しながら言った。


「せっかく天空都市に来たのに、町を見ないって言うんですか?」


 僕はそれはないだろうと思い眉を顰める。


「そうは言っていない。ただ、ここから先は慎重に行動しなければならないということだ。君たちを必ず地上に送り届けるためにも、船から目を離すわけにはいかない」


 バード博士は躊躇うことなく言葉を続ける。


「それに私は自分が作り上げた船を、空に浮かばせられただけで満足だ。君たちには邪神との戦いも控えているかもしれないし、そうなったら私は足手まといだろう?」


 バード博士は理路的に言った。


「そんなこと言って、本当は戦うのが怖いだけなんじゃないんですか?だから、いつでも逃げれるようなところにいようとしているんじゃ」


 僕は胡乱な目でバード博士を見る。これにはバード博士も鼻白んだ。


「この私がそんな臆病者に見えるというのか。君とは長い付き合いだが、まだ私という人間を分かっていないようだな」


 バード博士は苦笑しながら、ポケットから懐中時計を取り出すと、時間を確認してから口を開く。


「まあ、それも良いだろう。とにかく、留守は私に任せたまえ。本当に安全が確保されたら、私も町には行く」


 バード博士は懐中時計のフタを閉めると、甲板に取り付けられた扉を開けて、船の床下とでも言うべき部分に入ってしまった。


「では頼みます」


 僕がそう言って頭を下げると、バード博士は扉から手だけを出して、グッと親指を突き立てて見せた。


                   ☆

 

 僕たちは森を抜けると、町の中にある路地に足を踏み入れる。

 そこには人が歩いていて、みんな白で統一された宗教的な雰囲気を漂わせる服を着ていた。真夏だというのに肌の露出も少ない。

 なので、普通の服を着ている僕たちは目立つし、じろじろと見られる。でも、人の数はまだ少ないので、そんなに警戒しなくても良いだろう。

 僕はそわそわしながら綺麗に舗装されている石畳の上を歩いた。やはり建物が高いせいか、どこか圧迫感を感じる。

 建物の高い窓からは、植木鉢のようなものが置かれ、人も顔を出していた。洗濯物などが干してあるのを見ると生活臭も感じる。

 まあ、横に広がる土地が少ない分、多くの人を住まわせるには建物を縦に伸ばすしかなかったのだろう。

 いずれにせよ、遠目から見る分には綺麗だったが、こうやって近くで見ると、何でもかんでも白一色というのは味気ないものを感じる。

 その上、僕たちの歩いている路地は道幅も狭いし、横手を見ても店のようなものはなかった。

 もし、これが地上の王都だったら、こういう路地にはバーの一軒でもあっても良さそうなものなんだけど。

 僕は猫一匹すらいない路地を抜けると、大通りにやって来る。

 洗練された雰囲気を漂わせる大通りには、人の数も多かった。通りにはたくさんの垢抜けたような店も建ち並んでいるし、やはり、活気がある。

 それでいて、文明の進み具合を物語るような未来的な部分も併せ持っていたし、さすがに大通りは全てが白一色というわけではなかった。

 もっとも、景観のようなものを崩さないような配慮は、そこかしこに感じられた。だからこそ、通りの先に見える荘厳かつ、巨大な神殿の雰囲気とも調和しているのだ。

 僕もお洒落なカフェテラスのある店を見た時は、コーヒーの一杯でも飲んでいこうかなと思ったし。

 天空都市の食べ物や飲み物の味には興味があるからな。

 ちなみに、通りには地上の王都のような武器屋や防具屋はどこにもなかった。ここでは武器を使った戦いもないと言うことか。

 この天空都市が平和を謳歌しているというのは間違いなさそうだな。

 僕は主に食べ物や、日用雑貨、工芸品が売られている大通りの店を心踊るような気持ちで眺めていく。

 工芸品の店には何とも美しい装飾品が数多く売られていて、天空都市、独自の文化の匂いを感じさせる。

 だが、見るべき物はそれだけで、あまり意外性のある物は売っていなかった。それは他の店でも同じだったので、ちょっと拍子抜けする。

 まあ、屋台や露天商がいないのは寂しいところだけど、だからこそ大通りも清潔感を保っていられるのだろう。馬車なども往来してないからな。

 とにかく、たくさんの人たちから視線を向けられると、僕も生きた心地がしなかった。こんなことでルーミィを探し出せるのだろうか。


「さてと、これからどうするんだ?町を隅々まで見物したいのは山々だが、そうなると危険も多くなる。それでなくても、武器まで手にしている俺たちの格好は人目を引くからな」


 ロッシュは美しさに磨きかが掛かった白石が地面に敷き詰められた広場に来ると、行き交う人々を一瞥する。

 僕たちの前を通り過ぎる人たちは、やはり不審がるような目をしていた。

 そんな広場の中央にある噴水には、羽の生えた蛇の銅像があった。大きさこそ違うが、あれはサンクナートと見て間違いない。

 サンクナートが天空都市で崇められていたのは本当だったか。

 とにかく、まるで今にも天に昇っていきそうな躍動感のある銅像だし、そこら辺は本当にファンタジーだな。

 酒場でいつも酔い潰れている現実のサンクナートを見たらこの都市の人たちはどう思うか。


「ええ。現在の天空都市が、邪神ゼラムナートのお膝元になっているということは忘れたらいけないと思うわ」


 セレスは重い盾を地面に付けると、肩をグルリと回す。


「やはり、今の私たちの力でも、邪神ゼラムナートには打ち勝てないんでしょうか。ゼラムナートを倒さない限り、いつかは大洪水で地上は滅ぼされてしまいますし」


 ミリィは空を突き抜けるような尖塔のある神殿に視線を向ける。サンクナートが言うにはゼラムナートはあの神殿の中にいるらしい。

 ゼラムナートから発せられる強い魔力が、それを証明しているので間違いないという。


「そうね。ここまで来たんなら、ゼラムナートもついでに倒したいわよね。じゃなきゃ、一生、大洪水に怯えて生きていかなきゃならなくなるから」


 セレスも大洪水で世界が滅びると分かっていては、騎士を目指すこともできなくなるかもしれない。


「確かに今、地上を救えるのは僕たちだけかもしれない。その現実から逃げたら、結局、ビクビクしながら生きるしかないのかも」


 僕は重い荷を背負わされているようなものを感じながら言った。


「俺はそんな人生はまっぴらご免だな。別に正義のヒーローを気取るつもりはないが、やっぱり、地上で暮らすみんなのためにも大洪水は食い止めたいぜ」


 ロッシュの肩には自分の国にいる全ての人間の命が掛かっているのかもしれない。


「気が合うわね、ロッシュ。ま、このまま天空都市に隠れて住み続けるっていう手もあるけど、そんな卑怯なことはあたしにはできそうにないわ」


 セレスには普通の人間にはない自負と誇りがあるからな。例え、騎士になれなくても、それが失われることはないと思う。


「同感だ」


 ロッシュもニカッと白い歯を見せて笑う。


「そうですよ。邪神ゼラムナートはどこで目を光らせているか分かりませんし、私たちがいつまでも天空都市に留まるのは危険すぎます」


 ミリィも僕たちの意見に追従するように言ってから、薄気味悪そうな顔をする。どこかから、ゼラムナートに見られていると感じたのだろう。


「いずれにせよ、僕は何よりも先にルーミィを見つけ出したい。邪神ゼラムナートと戦うかどうかは、その後にならないと決められないな」


 あくまで、僕は世界のことより、妹を見つけることを優先にしたかった。それが五年と言う歳月によって積もった僕の思いの重さだから。


「おいらはお前たちの判断に任せる。ただ、大洪水が起きるまで、あまり時間がないと言うことだけは忘れないでくれ。後は悔いの残らないよう、好きにすれば良い」


 サンクナートも僕たちに責務のようなものを押しつけるつもりはないようだった。

 そして、レイナードはただ一人、影の差したような顔をして何も言葉を発しなかった。そんな彼の表情には天空都市に来れたことに対する喜びも興奮も見られない。

 ただ、何かにじっと耐えているような感情は窺えた。

 そして、そんな時だった。まるで全身に電流が駆け巡るような声が耳朶を打ったのだ。


「もしかして、お兄ちゃん?」


 そう戸惑うように声をかけてきたのは、買い物袋を手にした十四才くらいの栗色の髪をした女の子だった。

 身につけている服も他の人より少し露出が多かったが白を基調としたものだし、何とも清楚な雰囲気を漂わせていた。

 僕が誰だろうと思い女の子を見詰めると、その顔に僕の妹の顔が重なる。その瞬間、全身の肌がブワッと総毛だった。


「君は?」


 僕はワナワナと肩を震わせつつ、声を絞り出すようにして尋ねる。心の中では、まさか、まさかと呟きながら。


「私はルーミィだよ。もしかして、私の顔を忘れちゃったの、フィルお兄ちゃん?」


 ルーミィは何とも優しそうな顔で笑った。

 間違いない。目の前にいるのは本物のルーミィだ。それを受け、僕は思わず膝から力が抜けそうになった。

 はっきり言って、この時のショックは、僕にとって気絶でもしかねない程のものだったのだ。


「お、大きくなったね、ルーミィ。五年も顔会わせてなかったし、僕もすぐには気付けなかったよ」


 僕は唐突すぎる再会に、顔の表情を強張らせることしかできない。

 この日をずっと夢見てきたというのに、何でこんな反応しかできないんだ。自分がこんなに情けなく思えた時はないな。

 とにかく、無理にでも笑わなきゃ、と僕は思った。

 一方、ルーミィは僕の内心など知らずに、喜びに満ちた声を紡ぐ。


「そっか。もう五年も経つんだね。でも、私はお兄ちゃんの顔を忘れたことは片時もなかったよ。とにかく、こうして会えるなんて夢みたい」


 ルーミィは瞳を潤ませて言った。


「それは僕も同じだよ。とにかく、ルーミィが元気そうで良かった。あの日からずっと、僕はルーミィが天空都市でどうしているのか考えていた」


 それは誓って本当のことだ。


「長い間、心配してくれたんだね。ありがとう」


 ルーミィは目元にまで溢れた涙を拭うと言葉を続ける。


「私、この天空都市で小さな小料理屋を営んでいるの。だから、お兄ちゃんたちも私の店に来てよ。美味しい料理をご馳走するから」


 そう言って、ルーミィは広場からそれほど離れていない路地の一角にあった小さな店に僕たちを案内した。


                    ☆



 僕は白ではなく、茶色い木の質感を生かして作られたアットホームな感じの店内にあるテーブル席に着いていた。

 そこで、みんなとテーブルに置かれている料理を囲みながら話をしていたのだ。

 ちなみに小料理屋はルーミィが一人で切り盛りしているらしい。

 元々は身寄りのないルーミィを引き取ってくれた親切なお婆さんが経営していたらしいが、一年前に病気で他界したという。

 それからは、お婆さんに料理の腕を仕込まれたルーミィが厨房で腕を振るっている。

 そんなルーミィの作る料理はとっても美味しいし、今日のような定休日でなければ客もけっこう来るのだそうだ。

 僕はルーミィが一人で立派に生きているのを見て、ちょっとした感動を覚えた。

 僕なんて、働きもせずに好き勝手やって来たからな。母さんに今のルーミィの姿を見せたらきっと泣いて喜んでくれるに違いない。


「ふー、食った、食った。天空都市の料理もなかなか旨いじゃないか。いや、ルーミィの腕が良いからか」


 ロッシュは変わった動物の肉をたくさん胃に収めるとそう言った。


「ありがとうございます、ロッシュさん。でも、私、料理を作ることしか取り柄がないんです」


 ルーミィは頬に手を当てながら微笑する。その仕草を見て、ルーミィも大人に近づいたんだなと僕はしみじみと思った。


「そんな風に謙遜する必要はないわよ、ルーミィ。女の子が一番、憧れる取り柄はやっぱり料理が作れることだし」


 セレスもロッシュに負けないくらいたくさん食べた。


「セレスは剣を男勝りに振るうしか能がないからな。ルーミィの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだぜ」


 ロッシュの言葉にセレスは青筋を蠢かせる。


「言ったわね、ロッシュ。なら、あんたにはどういう取り柄があるって言うのよ?」


 セレスが噛み付くように尋ねた。


「俺は王子というステータスが既に取り柄だな。それに、俺の描く油絵はけっこう上手いんだぜ」


 ロッシュの取り柄は別段、意外なものではなかった。地位の高い人間が芸術に走るのは珍しいことではないからだ。


「なら、その油絵を今度、見せて貰いたいわね。もし、子供の悪戯書きみたいだったら、あたしも声を大にして馬鹿にしてやるわ」


 セレスは挑発するように笑った。


「良いだろう。王宮の壁に飾られているから、好きなだけ鑑賞すれば良いさ。心の広い俺は見物料を取ったりはしないからな」


 その話は一体、いつ実現するのやら。


「でも、本当に美味しいですよ、ルーミィさん。アカデミーの食堂で食べていた料理なんて目じゃないですし」


 ミリィは口元を丁寧にナプキンで拭きながら言った。彼女も普段よりは、多めに食べたので満足できたのだろう。


「そう言って貰えると自信が付きます」


 ルーミィは照れ笑いをした。


「良かったら、私にも料理を教えてくれませんか。実は私、料理を作ることが壊滅的に苦手なんです。味見して貰ったメイドも沫を吹いて倒れてしまったくらいですし」


 何となく、ミリィの欠点には納得している僕がいた。天は二物を与えぬとも言うし。


「分かりました。なら、ミリィさんには天空都市にしかないような料理の作り方を教えてあげますね」


 ルーミィは小恥ずかしそうな顔で言葉を続ける。


「やっぱり、もっと多くの地上の人に、天空都市の料理の美味しさを分かって貰いたいですから」


 ま、地上の料理だって負けないくらい美味しいんだけどね。でも、ルーミィは地上の人間に対して悪感情を抱いてないのだろうか。

 もしかしたら、サンクナートの語った天空都市の秘密を知っているのはほんの一握りの人間だけなのかもしれない。


「よろしくお願いします」


 ミリィはペコッと頭を下げた。


「おいらも食い過ぎで腹が苦しいぞ。だが、ビールはあと三杯は飲ませて貰うし、枝豆も追加だ!」


 そう言ったサンクナートは蛇の腹を風船のように膨らませている。こいつの太平ぶりは相変わらずだった。


「それで、お兄ちゃんはこれからどうするの?私は今の生活が気に入ってるし、地上に戻るつもりはないんだけど」


 ルーミィは口数の少ない僕に話しかけてきた。


「そっか」


 ルーミィはもう自分の道を見つけて歩いている。それを止める言葉は僕も持たない。


「ご免ね、お兄ちゃん。私のために色んな危険を冒して、ここまで来てくれたのに肝心の私が我が儘を言って」


 ルーミィは哀切とした表情で言った。


「別に構わないよ。なんて言うか、ルーミィの顔を見たら僕も吹っ切れた。これで心置きなく僕も自分の人生を歩むことができる」


 五年間、雨の日も風の日も続けてきた日課も、もう止めよう。僕も現実を見据えて、前に進まなきゃ。


「うん」


 ルーミィは晴れやかな顔で笑った。


「でも、母さんにはルーミィの元気な顔は見せたかったな。ま、借金を残して家を出て行った父さんはどうでも良いけど」


 何の便りも寄こさない父さんはどこかでのたれ死んでいるかもしれないな。


「お兄ちゃんも地上では苦労したみたいだね。もし、私が天空都市に行かなかったら、家族みんなで幸せになれたのかな?」


 ルーミィも少なからずの責任を自分に感じているようだった。


「それはもしもの話だし、あまり言わないでよ」


 仮定の話を口にし始めたらキリがないし、僕の五年間も無駄に思えてしまう。そう考えた僕は気を取り直すように口を開く。


「とにかく、また天空都市に来れるかどうかは分からないけど、僕たちもルーミィに迷惑を掛けない内に地上に帰るから」


 ルーミィを見たらゼラムナートと戦いたいと思えるような気分ではなくなってしまった。

 とはいえ、このままゼラムナートのやることを見過ごすつもりはない。いつか必ずケリは付ける。


「分かった。なら、お兄ちゃんたちも今日はこの店に泊まっていきなよ。この店は昔、宿屋もやっていたから、泊まれるような部屋はちゃんとあるし」


 一日くらいは天空都市に滞在しても良いよな。

 船に残っているバード博士には悪い気がするけど、自分で買って出た役目だし文句は言わないだろう。


「なら、その言葉に甘えさせて貰うよ」


 そう言うと、僕は不思議な味がするジュースを飲み干した。


                  ☆

 

 僕は中々、寝ることができずにベッドの上で天井を見詰めていた。だが、どうしても目が冴えてしまいまどろむことができない。

 なので、日付が変わった深夜だというのに夜風に当たろうと二階にある部屋を出る。

 それから、一階に下りると店の中にはまだ明かりが灯っていて、レイナードがサンクナートと共にテーブルに着いてワインを飲んでいた。

 二人とも酒を酌み交わしながら何やら話をしているようだった。

 僕は何を話しているんだろうと思い、二人のいるテーブルに近づいていく。


「こんな夜更けにお酒を飲んでいるんですか?」


 僕が近づいてくると、レイナードは昼間の時、以上に暗い顔をした。


「悪かったかな」


 レイナードはワインを血でも啜るように口にする。まるで自分の中に燻る思いも飲み下すように。


「いえ。でも、天空石を手に入れてから、ずっとレイナードさんの様子がおかしかったから、僕も心配していたんです」


 と、同時に何度も頭の中で反芻した疑念が頭を過ぎったのも事実だが。


「私にも色々と思うところがあった。だから、どうにも心が晴れなかったのだ」


 レイナードはまるで老人のように笑った。


「何か事情があるなら、話してくれませんか。あなたが何か重大なことを隠しているのは僕だけでなくみんなも気付いてますし」


 まあ、みんなもその思いを口にするようなことはなかった。僕も必要以上の詮索はしないと言ったし、みんなも暗黙のルールのようにそれを守っていたからな。


「それは分かっている」


 分かっていて、打ち明けることができなかったのか。


「なら」


 僕は心が急くように声を上げた。


「もう話して良いんじゃないのか?何を聞かされようと、今のこいつらならお前を頭ごなしに批難したりはしないと思うぞ」


 そう口を挟んだのは、眠そうな顔でとぐろを巻いていたサンクナートだった。


「そうですね。サンクナート様にも見抜かれてしまいましたし、これ以上、騙し続けるのは無理があるのかもしれません」


 レイナードは嗄れた声で言った。


「ああ」


 そう言葉を返すと、サンクナートはテーブルにあった緑の枝豆を皮ごと食べる。

 そして、レイナードの方もワインを口に含むと、諦観の念を滲ませながら自分が置かれている状況を語り始めた。


「私は本当は元々、天空都市にいた邪神ゼラムナートの僕だ。ゼラムナートによって不老不死の体を与えられ、何千年も生き続けてきた」


 レイナードは感情というものが欠落したような声で言った。


「かつて、この天空都市に住んでいた頃は大賢人ウルベリウスなどとも呼ばれ、人々から崇敬の念を集めていたからな」


 ウルベリウスは伝説にも登場する偉大な賢者だ。まさか、レイナードがそうだったとは。


「そんな人がどうして地上に?」


 そこら辺は腑に落ちなかった。


「目的は天空石の破壊だ。ゼラムナートからその命を受け、私は地上に下りると気が遠くなるような年月を掛けて天空石を探し続けた」


 おそらく、十年や二十年の話ではないだろう。


「だから、本当に天空石を見つけた時は、私も君たちを殺して天空石を破壊しなければならなかったんだ」


 その言葉を聞いて、僕も背中から冷たい汗が流れるのを感じた。


「そうですか…」


 一歩、間違えば僕たちはレイナードに殺されていたわけだな。天空石を手に入れた後のレイナードの苦悩に満ちた顔も今なら、理解できる。


「前にも言った通り、この天空都市に地上の人間が入り込むのをゼラムナートは許したりはしないからな」


 でも、そんな動きはここに来てからも感じ取れなかった。


「なら、どうして僕たちはこうして、のんびりと天空都市にいられるんですか」


 不思議と言えば不思議だ。


「ゼラムナートは、この私が君たちを自分の前に連れて来ると信じ込んでいるんだ。だから敢えて動かない」


 それだけレイナードはゼラムナートから信を置かれていると言うことか。


「ここに来てからも、私とゼラムナートは思念で、連絡を取り合っていたからな。そうでなければ君たちはとっくに捕まっていた」


 僕たちの動きは全てゼラムナートに筒抜けになっていたということか。


「なるほど」


 僕もようやくレイナードの不可解な言動を理解することができだ。


「私は君たちをゼラムナートの元に連れて行かなければならない。できることなら、抵抗せずに来て貰いたいが」


 僕たち全員を相手にする力がレイナードにはあるということか。


「分かりました。なら、僕たちは自らゼラムナートのところに赴きます。そして、ゼラムナートを打ち倒して世界が大洪水で滅ぼされるのを防いで見せます」


 そういうことなら、僕もゼラムナートと戦うのを先延ばしにしたりはしない。


「では、私も君たちがゼラムナートと戦う際には力を貸そう。君たちのような人間を守りたいという気持ちはあるし」


 レイナードは薄く目を瞑ること言葉を続ける。


「どうやら、私もサンクナート様と同じように、地上で長く生きすぎてしまったようだ」


 レイナードはそう言って笑うと、静かに燃える青い火のような決意を瞳に宿しながら口を開く。


「だからこそ、ゼラムナートと決別するためにも君たちと共に奴を倒す。人間だけでなく、地上に存在する全ての生命のためにも、やはり、大洪水は起こさせるわけにはいかない」


 そう言い放ったレイナードの顔には微かな迷いもなかった。


                  ☆


 次の日、僕たちはみんな揃って、天空都市の中央にある神殿へと来ていた。

 天空都市の神殿は王都にある神殿を遥に上回る大きさを誇っている。しかも、神殿としての格の違いを見せつけるような壮観さもあった。

 柱なんて、千年も生えている神木を思わせる太さだし、そんな柱に支えられている神殿はどんな大地震が起きても崩れそうにない強固さを感じる。

 その上、外から見える壁には主に曲線を強調する芸術的なレリーフが刻まれていた。ここにも天空都市、独自の文化の匂いを嗅ぎ取れる。

 黄金に輝く鷲の像も何体もあったし、あちらこちらに見られる装飾には主に金が使われているようだった。

 神殿の魅力を引き立てる白と金のコントラストは見事だとしか言いようがない。

 これほどの建物は地上には絶対に存在しないと狭い世界しか知らない僕だって言い切ることができる。

 そして、そんな神殿の入り口の前に立っていると、僕も漂ってくる神聖な空気に押し潰されそうで慄然としてしまう。

 ここに邪神ゼラムナートがいるのかと思うと、武者震いもしたし。

 ちなみに昨日、レイナードから聞かされた事実はみんなにも包み隠さず教えてある。

 僕は胸に閉まっておこうと思ったのだが、何よりもレイナード自身がみんなに真実を知って貰うことを強く望んだのだ。

 だが、全てを知ってもレイナードに怒りをぶつける者は誰もいなかった。やはり、僕たちは仲間なんだなと絆のようなものを実感させられた。

 とにかく、みんなここまで来たら一緒にゼラムナートと戦うと言ってくれたし、もしゼラムナートを倒せれば地上は本当に救われるだろう。

 みんな、ゼラムナートとの戦いは、これから胸を張って生きていくためには避けて通れないものだと理解していた。


「みんな、覚悟は良いかな。たぶん、泣いても笑っても、これが僕たちパーティーの最後の戦いになると思う」


 それは単なる予感ではなく確信だった。


「そうだな。ま、ここまで来たら俺も腹を括るしかないし、必ずゼラムナートを倒して、後顧の憂いなく国に帰ってやるぜ」


 ロッシュは剣の鞘を手で叩いて笑った。それから、その横にいたセレスも穏和な笑みを浮かべると口を開く。


「不思議なものね。ただ騎士になりたいと思っていただけのあたしが、世界の命運を賭けた戦いに挑むことになるなんて。少し前なら想像もできなかったわ」


 セレスは感慨深そうに神殿を見上げながら言葉を続ける。


「でも、負けられない。守るべきものは自分の住んでいる王都の平和だけじゃないって分かったから」


 セレスは晴れ晴れとした顔で言った。


「私、ずっと自分の人生のことだけを考えて生きてきました。宰相の娘だと言うのに他の人の人生のことなんて、鑑みることもありませんでしたし」


 ミリィは忸怩たる思いを見せながら言葉を続ける。


「でも、自分の今までの豊かな暮らしは、たくさんの人たちの苦労の上に成り立っていたんですよね」


 ミリィは肩にかかる髪をサラッと払うと更に言い募る。


「であれば、今こそ、その人たちのために勇気を出して戦わなければ。それが、誰に強制されるわけでもなく、私が自らに課した使命です」


 ミリィの思いは僕にもひしひしと伝わってきた。

 すると、みんなの言葉に感化されたように、レイナードが今までにはなかったような熱を帯びた声を発する。


「君たちと会えて本当に良かった。もし、君たちと会えなかったら、私は地上に残された、ただ一つの希望まで打ち砕くところだった」


 レイナードはすっかり影が消えた顔で口を開く。


「今はただ君たちと共に戦に赴ける運命に感謝しよう」


 レイナードの声は青い空に溶け込みそうなほど澄んでいた。

 そして、最後にサンクナートが天を仰ぎつつ、神としての威厳を取り戻したような声で言葉を発する。


「確かに地上にいる人間には悪い奴も多い。でも、天空都市にいる人間以上に正しい心を持った人間もいることをおいらは地上での長い暮らしで知った」


 サンクナートは僕の方をちらっと一瞥する。


「だからこそ、おいらは大洪水を止める。そして、天空都市にいる人間だけでなく、全ての人間が平和に生きていけるような未来を作って見せる」


 サンクナートは善神としての矜恃を感じさせるように言った。

 まあ、大洪水を起こす装置を作ったのは他ならぬサンクナートだが、それを止めようとしているのもまたサンクナートなのだ。

 もし、サンクナートが協力してくれなかったら、僕たちは天空都市には来れなかったし。

 なので、サンクナートの地上、いや、世界全体を救いたいという強い気持ちは僕の心にも届いた。

 そして、ゼラムナートとの戦いにかける思いを口にした僕たちは、お互いの顔を見て笑うと、覚悟を決めたような力強い足取りで神殿に入ろうとする。

 すると、神殿の入り口を警備している槍を手にした兵士たちが近づいてくる。


「お待ちしておりました、大賢人ウルベリウス殿。ゼラムナート様からの報告は既に受けております」


 兵士たちはレイナードを見ると、恐縮したような顔をする。だが、反対に僕たちを見る目は冷ややかだった。


「ならば、速やかにゼラムナート様に会わせて貰おうか」


 レイナードが気迫の籠もった声で言うと、兵士たちは一礼してから、道を空けるようにして後ろへと下がる。


「分かりました。では、お通りください」


 兵士がそう慇懃に言うと、僕たちはぼやけて見えてしまうほど高い天井を持つ神殿の中に入っていく。

 大通りと同じくらいの広さがある神殿の通路には不思議なほど人の姿がない。静謐な空気を肺に吸い込んでいると、胸がバクバクする。

 聞こえるのは、鏡のような表面を見せる床を歩くコツコツとした足音と、自分の心臓の鼓動だけだ。

 とにかく、まるで今からこの神殿が激しい戦いの場になることを知っているかのような静けさだった。

 その上、足を踏み出す度に、心の底から震え上がりそうになるような強烈なプレッシャーも感じる。

 更に驚くべきことに、触ってもいないというのに剣の鞘がカタカタと震えるのだ。僕も不可視のエネルギーが神殿の奥から押し寄せてくるのを肌で感じ取る。

 そして、僕はこれが、かつて善神サンクナートと肩を並べていた神の存在感かと戦く。今までの敵とは格どころか次元そのものが違うのかもしれない。

 僕たちが何とか平静を保ちながら、神殿の通路を進んでいくと、ついに祭壇のある大広間に辿り着いた。

 が、広間には誰もおらず、祭壇の上には大きな黒い穴がぽっかりと空いていた。全てを飲み込むような黒い穴は、不気味、以外の何ものでもなかった。


「あれは?」


 僕は黒い穴を見詰めながら言った。


「あれは魔界へと繋がるゲートだ」


 サンクナートは苦々しく言うと、声を張り上げた。


「おい、ゼラムナート。この善神サンクナート様がわざわざこんなところまで足を運んで来てやったんだから、さっさと姿を見せやがれ!」


 サンクナートの一際、大きな声が広間に響き渡ると、黒い穴から何かがニュルリと這い出してきた。


「誰かと思ったら、サンクナートですか。相変わらず、あなたの品のない声は不愉快ですね」


 黒い穴から現れたのは、紫色の体をした体長が十メートルほどの大きな蛇だった。その背には禍々しい六枚の翼が生えている。

 宝石のような目も四つもあるし、どう見ても、正しい心を持った生き物とは思えない。よこしまという言葉が、これほど似合う蛇もいるまい。

 その上、尋常ではない存在感を放っているし、それと比べると、あのジャハナッグやヴァグナトスがまるで子供のように思えてしまうのだから恐ろしい。

 とにかく、こいつが邪神ゼラムナートか。どんな関係かは知らないが、サンクナートとは兄弟のように見えるな。


「久しぶりだな、ゼラムナート」


 サンクナートは胸を反らしながら言った。


「ええ。ですが、この天空都市の神としての立場を長年、放棄し続けたあなたが、今頃になって何をしに戻ってきたというのですか?」


 ゼラムナートはこめかみの辺りに皺を寄せた。やはり、サンクナートと同じように表情が豊かだ。


「おいらのいない隙に天空都市に入り込んだお前が、大洪水を起こし、地上を滅ぼそうとしていると聞いたんだよ」


 サンクナートの言葉にゼラムナートは目を怜悧に細める。


「私は単に、神としての威厳を保つ力を失ったと言って、あなたが放り出してしまった天空都市を代わりに支え続けてきただけです」


 ゼラムナートは心外だとでも言わんばかりの顔で口を開く。


「なのに、そんな私のやることを今になって止めに来たと?」


 ゼラムナートは心底、呆れたような顔をした。


「まあ、そういうことだ」


 サンクナートは何ともバツの悪そうな顔をした。

 一方、ゼラムナートと向き合っていた僕やみんなは、蛇に睨まれた蛙のように震えが止まらなかった。


「そう言われても、地上を滅ぼすようにと私に命じたのは、他ならぬあの創造神なのですよ。それを邪魔しようというのですか?」


 ゼラムナートは理解に苦しむといった顔をした。


「ああ」


 サンクナートは微妙な顔で頷いた。


「困りましたね。私も別に好きで地上を滅ぼそうとしているわけではありませんし、そんな理由であなたと戦いたくはないのですが」


 ゼラムナートは意外にも戦いには消極的だった。


「そう思うなら、とっとと魔界に帰れ」


 サンクナートは冷たくあしらうように言い放つ。


「それはできません。創造神はあなただけでなく、この私にも天空都市に住む人間の行く末を託したのですから」


 ゼラムナートは首を横に振ると、言葉を続ける。


「そして、その創造神が天空都市の人口がある程度まで増えたら、地上を大洪水で滅ぼすようにと言ったのです。ですから、私としては従うしか道はありません」


 創造神は本当にサンクナートやゼラムナートよりも偉大な存在みたいだな。さすが、リバインニウムの創り主か。

 もっとも、神話にはあまり出て来ないので、どんな性格なのかは全く分からないが。


「だが、創造神はもうかれこれ五千年以上もおいらたちの前に姿を見せていないんだぞ。そんな奴の言うことを律儀に聞いてやるつもりか?」


 サンクナートは炯々と目を輝かせる。


「はい。私にとっては五千年などたいした年月ではありませんから」


 ゼラムナートは道化染みた声で言うと、首を竦めて見せた。


「でも、地上にいたおいらにとっては長い年月だった。だからこそ、今なら地上の人間も天空都市の人間と共存することができると信じている」


 サンクナートの言葉には僕も応援したくなった。


「正気とは思えませんね。異世界の人間の血を引いた者たちの暴虐ぶりは、あなたも目にしたでしょうに」


 ゼラムナートは大息を吐く。

 異世界の人間というのはバード博士やサンクナートが言っていた強力な武器を持った軍団のことだな。


「だが、人は変わる。今いる地上の人間たちは滅ぼさなければならないほど、邪悪だとは思えないからな」


 サンクナートは僕たちの方をちらりと見てから言葉を続ける。


「地上の人間たちだって、地道に文化や文明を築き上げながら、成長しているんだ。きっと、純粋なリバイン人と手を携えられる時も来る」


 サンクナートはそう結論づけるように言った。


「どうやら、あなたは地上の人間と長くいすぎたようですね。でなければ、悪を決して許さなかった善神のあなたの口から、そのような世迷い言が出て来るはずがありませんし」


 ゼラムナートはあくまで聞き入れようとはしない。


「それともあなたが直接、戦ったという、敵対者の名を冠する悪魔に何か影響でもされましたか?」


 ゼラムナートは嘲弄するように言った。


「それはない。とにかく、お前の言った善神だからこそ、人間たちの明るい未来を口にできるんだよ」


 サンクナートはゼラムナートの言葉尻を掴むように言った。


「そうですね。まあ、私は邪神として崇められる立場を選んだ身ですし、人間の正しさについてあれこれ論じるのは畑違いも良いところですから、あまり偉そうなことは言えませんけど」


 ゼラムナートも自分の本分は弁えているようだった。


「そこまで分かっているなら、魔界に帰れよ」


 サンクナートは口を尖らせる。


「それはできません。もし、地上を救いたければ、無理やりにでも私を魔界に叩き帰すことですね。もっとも、今のあなたにそれができるとは思えませんが」


 そう言って、ゼラムナートは嘲笑する。


「なら、それをやってやるよ。もっとも、戦うのはおいらじゃなくて、地上を救いたいと願っているこいつらだけどな」


 サンクナートの言葉を受け、僕たちもゼラムナートに向かって鞘から抜き放った剣を突きつける。


「面白い。あの魔王ヴァグナトスを倒した勇者たちなら、相手にとって不足はないでしょう。もっとも、私はヴァグナトスのように甘くはありませんが」


 ゼラムナートは受けて立つように言ってから、思い出したように声を発する。


「それと、ウルベリウス。私に杖を向けたと言うことは、あなたまで私の敵に回るというのですか?私のおかげで不老不死の体を手に入れることができたというのに」


 ゼラムナートの声には明確な憤りがあった。


「はい。どれだけ生きようと、やはり私も人間です。そのしがらみは、どうにも捨てきれそうにありません」


 レイナードの苦渋に満ちた言葉を聞いたゼラムナートは失笑した。


「そうですか。まあ、それがあなたの選んだ道だと言うなら、良いでしょう」


 そう言って、ゼラムナートは笑みを掻き消すと、自らの目を剣呑に光らせながら凄んでくる。


「とにかく、この邪神ゼラムナートを前にしても戦う勇気が持てるというなら、全員、掛かって来ることですね」


 ゼラムナートから発せられる空気が、殺気へと変わる。


「ただし、私もあなたたちを生きて帰すつもりは毛頭ありませんよ!」


 ゼラムナートはもう話すことはないと言わんばかりに、六枚の羽を大きく広げた。その姿は天界から追い出された堕天使を彷彿とさせる。

 今までで、最も恐ろしい敵が目の前にいる。その事実に僕も怖じ気づきそうになったが、それでも心を奮い立たせて剣を構える。

 こうして、ついに地上の命運を賭けた戦いが始まった。

 ゼラムナートはフワリと宙に浮かぶと、高い天井に向かって、まるで水面を滑るようにして昇っていく。

 それから、ある程度の高さまで来ると、その動きを止めて、蛇の体をくねらせながら僕たちを睥睨してくる。

 僕はあんなに高いところにいられたら剣が届かないぞと焦る。

 すると、ミリィが自分の出番とばかりに弓を引いて矢を放った。が、矢はゼラムナートの皮膚に当たると、玩具のように弾かれてしまった。

 ゼラムナートの皮膚も、ドラゴンのジャハナッグ並みに強靱だと言うことか。

 それを受け、レイナードは杖を翳すと、その先端に太陽を思わせるような特大の炎の球を作り出した。

 その炎の球は全てを飲み込む勢いで飛来するとゼラムナートの体にぶつかり、周りある物をことごとく破壊し尽くすような爆発を引き起こす。

 たちまちゼラムナートの体も地獄という言葉すら生温い業火の中に消えた。

 が、その渦巻くような炎はすぐに見えない力によって強引に引き裂かれ、宙に散り散りになるようにして消失する。

 紅蓮の炎の中から現れたゼラムナートの体は球体の形をした光りの膜に包まれていた。

 おそらく、あのなだらかな表面を見せる光りの膜がバリアの役目を果たし、炎や爆発による衝撃を防いだのだろう。

 さすが邪神と言うべきか。人間の使う魔法がそう簡単に通じるような相手ではない。

 ゼラムナートは四つの目を爛々と光らせると、とっておきの悪戯を思いついたように笑い、顎をしゃくった。

 すると、いきなりゼラムナートの周りに、炎に包まれた岩が現れる。

 岩の大きさはまちまちだが、中にはレイナードの放った炎の球を超える大きさのものもあった。

 そして、夥しい数の岩はまるで隕石のように僕たちに向かって一斉に降り注いだ。これには僕も頬の筋肉を引き攣らせる。

 それから、岩は床に衝突すると敷き詰められた白石を抉り、僕たちのいる場所を蹂躙するようにして爆発する。

 その爆発の余波を受けた僕は吹き飛ばされてしまった。

 にしても、何という破壊力だ。属性的な攻撃である炎と、物理的な攻撃である岩が組み合わさったのだ。

 おかげで、人間の張るバリアなどでは防ぐことができないような、とんでもないパワーを秘めた攻撃になっている。

 僕は動かなくては死ぬだけだと思い、すぐに体勢を立て直すと目まぐるしく飛来する岩を避け続ける。

 もし、岩が自分の体に直撃したら命はない。だが、爆発によって生じる衝撃波は嵐のように僕の体を襲う。

 そして、全ての岩が降り注ぐと、辺りが静かになる。

 僕の周りには大きなクレーターのような穴が幾つもできていて、その中からは煙が立ち上っている。

 あの綺麗な白石の床がこんな風にメチャクチャになるなんて。でも、戦慄する僕を余所にみんなはかろうじて立っていた。

 ま、数々の戦いを共に潜り抜けてきたみんなだし、この程度の攻撃で死ぬようなタマじゃないか。


「ほう、これだけの威力を誇るメテオスォームを凌ぎきりましたか。なるほど、並みの魔法ではあなたたちを仕留めることはできないようですね」


 そう言って、僕たち全員が無事なのを確認したゼラムナートは今度は自分の目の前に激しくスパークする巨大な光りの球を作り出した。

 凄まじく、それでいて小細工のない純粋なエネルギーが込められている光りの球は、空間をまるで陽炎のように揺らめかせている。

 大きさも先ほどレイナードが放った炎の球の三倍はあるし、その威力は嫌でも想像することができた。

 あれが、床と激突して爆発したら、この広間も木っ端微塵に吹き飛ぶだろうし、どう避けようとも僕たちは間違いなく死ぬな。

 そう理解はしたが防ぐ手立てがないのもまた事実だった。

 すると、僕の体がいきなり重力のくびきから開放されたように宙へと浮かび上がった。

 これには僕も全身の毛穴がパックリ開いたようにぎょっとしたが、すぐにサンクナートが説明するような声を上げる。


「お前たちもゼラムナートのように宙に浮かべるようにした。これなら、ゼラムナートにも剣の一撃を食らわせられるはずだ」


 サンクナートの説明を受け、僕は自分の体に意識を集中させる。

 すると、僕は自由に宙を移動することができた。まるで、自分の手足を動かすのと同じような感覚で。

 さすが天空都市と、天空石を作り出した空を司る神か。人間を宙に浮かばせることくらい何でもないらしいな。


「でも、効果はあまり長続きしないから、ゼラムナートは早めに倒せよ」


 サンクナートの言葉を聞き、そんなことだろうと思ったよ、と僕は嘆息した。

 すると、ゼラムナートが光りの球をあろうことか僕に向かって放ってくる。狙われた僕は見えないはずの空気を蹴って、光りの球を飛び越えて見せる。

 そのまま光りの球は神殿の壁を突き破って、外にあった建物とぶつかり爆発する。

 すると、まるで数百メートルの範囲を爆砕するような光りが膨れ上がった。耳を劈くような爆音が轟く。

 僕は神殿に空いた大穴から、光りの球がぶつかった地点を見る。

 すると、そこにあった建物は跡形もなく全て吹き飛ばされていて、地面は石と砂だけになっていた。

 あれが神殿の床にぶつかっていたらと思うと、恐れで全身が粟立つのを感じる。

 だが、ゼラムナートは再び町の一角を吹き飛ばしたようなエネルギーが込められた光りの球を放とうとしていた。

 が、そうはさせまいとロッシュが剣を振り上げながら宙を蹴り上げて飛び立つ。それを見たゼラムナートはまだ十分な大きさになっていない光りの球を放った。

 だが、ロッシュはそれを泳ぐようにして避けると、後方で生じた爆発を自らの体を押し出す力として利用する。

 そして、残像すら見せる早さで迫ると、剣をゼラムナートの額に突き立てようとするが、ゼラムナートは柔軟性のある動きを見せて、その剣の一撃を避ける。

 だが、ゼラムナートの側面からはセレスも迫っていて、空に穴を穿つような一閃突きを放っていた。

 その瞬間、セレスはゼラムナートの繰り出した恐ろしい重量の乗った尻尾で薙ぎ払われる。

 反射的に盾でガードしたのは良いものの、和らげることのできない衝撃は、その体を大きく吹き飛ばす。

 それでもセレスは縦に伸びる壁に靴底を付けて激突を防ぐと、反発力を味方に付けるように足を撓らせて飛んだ。

 そして、再びゼラムナートに守りを捨て去ったような勢いで突きかかろうとする。

 ゼラムナートの死角から迫っていたロッシュも、霞むような早さを見せる斬撃でゼラムナートの首を切り落とそうとする。

 そんなゼラムナートの真正面からは僕も獅子奮迅ごとき気合いで振り下ろしをお見舞いしようとしていた。

 三方向からの攻撃が、絶対に避けられないタイミングでゼラムナートに襲いかかる。

 すると、ゼラムナートは翼の形を鞭のように変えて周囲の風を巻き込みながら回転した。

 螺旋を描くような翼が、ゼラムナートに攻撃を仕掛けようとしていた僕たち三人を吹き飛ばした。

 僕が壁に衝突せずに、宙に踏み止まれたのは奇跡に等しい。

 そして、僕たちの攻撃を無力化したゼラムナートは悠然と宙に佇む。すると、その顔に向かって、ミリィの放った光りの矢が彗星のように迫る。

 ゼラムナートは光りの矢を、首を少し傾けるだけで避けてしまった。だが、その頬を流れるような光りの粒子が掠める。

 ゼラムナートの皮膚がジューッと焦げた。

 それは、ほんの僅かではあるが僕たちの攻撃がゼラムナートに通じた瞬間でもあった。これにはゼラムナートも頬の傷に四つの目を寄せる。

 と、同時に、ゼラムナートの目の前の空間が歪曲する。すると、空間そのものが弾力性を見せるように動く。

 これはレイナードの魔法だ。

 そして、烈火のごときエネルギーを迸らせて歪んだ空間は爆発した。これには、僕もかまいたちのような風から顔を守りながら片目を瞑る。

 しかし、空間が爆発した場所にゼラムナートの姿はなかった。忽然とあの巨体が消えてなくなったのだ。

 それを受け、レイナードがハッとした顔で後ろを向くと、そこには傷だらけになっていたゼラムナートがいた。

 ゼラムナートは大木すらバキッとへし折れそうな尻尾の一撃を、レイナードに向かって繰り出した。

 その一撃をまともに食らったレイナードは紙屑のように吹き飛ばされて、壁に叩きつけられる。そして、口から血塊を吐き出した。


「私の与えた力で、私を倒せると思いましたか、ウルベリウス。まったく、大賢人ともあろう者が愚かな選択をするから、こういうことになるんですよ」


 ゼラムナートはそうせせら笑うように言った。それを聞き、サンクナートも横たわるレイナードの方を見ながら憎々しく口を開く。


「ゼラムナートの奴、空間を超えて移動したんだな。お前たちも背後に回り込まれないように気を付けろよ」


 サンクナートは僕たちに警告するように言った。

 それを聞き、僕はつまりゼラムナートはワープができるわけかと納得した。なら、あの爆発から逃れていきなりレイナードの真後ろに現れたのも頷ける。

 でも、レイナードの空間を歪ませる魔法は多少なりともゼラムナートにダメージを与えていたようだった。

 もっとも、ぐったりと倒れて浮いているレイナードのダメージはそれ以上だが。

 ゼラムナートはレイナードに止めを刺そうと、情け容赦なく光りの球を放とうとした。が、その光りの球にミリィの放った神速の光りの矢が飛び込んだ。

 すると、異物のようなエネルギーが混じり合った光りの球は、奇怪な形に歪んだかと思うとゼラムナートの前で大爆発する。

 目も眩むような光りを撒き散らせる爆発は、僕たちの視界を白煙で埋め尽くした。それから、爆発が収まると僕はゼラムナートがいた場所を凝視する。

 そこには煙以外、何もなかった。

 そして、ゼラムナートは爆発した地点とは全く別の場所に現れる。そんなゼラムナートの翼は二枚だけ千切れ飛んでいた。


「この私にここまでの傷を負わせるとは…。こうなったら、遊びは終わりです。ここから先は、全力であなたたちの相手をさせて貰いますよ」


 ゼラムナートがそう言い放つと、僕は自分の近くの空間が歪むのを目の端で捉えた。なので、すかさずその場所から離れると、すぐに空間が弾け飛んだ。

 ゼラムナートも空間に働きかける魔法が使えるわけか。ま、レイナードの主人のような存在だったのだから、それも当然か。

 そんなことを考えていると、また僕の近くの空間が歪んだ。それを受け、僕は少しでも大きく空間の歪みから離れようとする。

 すると、再び空間が弾け飛んで、荒れ狂うエネルギーの風が僕を打ち据えた。

 だが、そんな僕を助けるように、ロッシュがゼラムナートに向かって疾駆する。すると、ロッシュの前方の空間が軋むようにして大きく歪んだ。

 だが、無謀にもロッシュは逃げなかった。空間の歪みに自ら飛び込み、爆発するより先に前方へと突き進んでいたのだ。

 これには僕だけでなく、ゼラムナートも驚き入るような顔をする。

 そして、ロッシュは生きるか死ぬかの境目を見極めたような動きで、ゼラムナートとの間合いを一気に縮める。

 ゼラムナートも慌ててロッシュがいる場所の空間を歪ませようとするが間に合わない。

 ロッシュは訪れた絶好のチャンスを逃すことなく、疾風迅雷の如き早さで剣を突き立てようとする。

 その一撃は左側にあったゼラムナートの眼球の一つに突き刺さった。これにはゼラムナートもあまりの痛みに絶叫した。

 それから、ゼラムナートはロッシュを頭から引き剥がすと大きく口を開けて、ロッシュにかぶり付こうとする。

 が、忍び寄るようにして間合いを詰めていたセレスが、がら空きになっていたゼラムナートの胴を半ばまで切断した。

 その傷口からは大量の血が流れ出し、ゼラムナートもあんぐりと開けていた口を閉じて体を痙攣させる。

 そして、ゼラムナートはこのまま接近戦を続けるのは不利だと判断したのか、空間を超えて移動しようとする。

 ゼラムナートの大きな体が蜃気楼のような揺らめきの中に溶け込むと、掻き消えた。それから、次にゼラムナートが現れたのは神殿の天井、付近だった。

 ゼラムナートは僕たちと距離を取ることに成功すると、小さな光りの球を大量に自らの周囲に出現させる。

 そして、それを流れ星のように放ってきた。

 僕はとても避けられる数の攻撃ではないと血の気が引いたような顔をする。すると、ミリィが光りの矢を乱れ撃ちする。

 その狙いは神に入るような正確さを見せる。迫り来る光りの球が次々と迎撃されていき、その数を減らす。

 それを見た僕もミリィの攻撃だけに任せてはいられないと思い、右側と左側にいたロッシュとセレスに目配せをする。

 その目は僕に続けと言っていたし、それに呼応するように僕の剣の刀身が目映い光りに包まれる。

 これはヴァグナトスと戦っていた時に見せたミリィの力だな。僕は託された力に万感にも似た思いを感じる。

 そして、神風を巻き上げるような早さで、ゼラムナートのいる方へと飛翔した。光りの球は次々と飛来してきたが超絶したような動きを見せる僕に当たりはしなかった。

 ロッシュとセレスも縦横無尽に宙を動き、光りの球を避ける。

 それから、僕は無我夢中で光りの球の猛襲から抜け出ると、守るものが何もなくなったゼラムナートへと詰め寄ろうとする。

 ゼラムナートは咄嗟に僕の目の前の空間を歪ませようとする。

 すると、その歪みにミリィの放った光りの矢が割り込むようにしてぶち当たった。その瞬間、空間が暴発するように爆ぜる。

 と、同時に僕の体が光りの膜に包まれ、それは眼前にまで押し寄せていた荒々しいエネルギーから僕の身を守った。

 そう、間一髪のところでミリィが僕の体にバリアを張ってくれたのだ。しかも、今まで見せたバリアよりも遥に厚みを増している。

 おかげで、命を救われた。

 それから、僕は誰に指示されるわけでもなく、直感的にゼラムナートを倒すにはこのバリアの力を信じて、爆発の中に飛び込むしかないと悟った。

 ここで二の足を踏んでいては、ゼラムナートを仕留めるチャンスを失ってしまう。

 僕は決死の覚悟で爆発の中に飛び込むと、視界を覆うエネルギーの光りの中を突き進む。

 もし、バリアが破られたら僕の体なんて、空間の歪みから溢れ出している破壊エネルギーでバラバラの肉塊になってしまうだろう。でも、ここは信じるしかない。

 そう思った瞬間、僕の視界は急に開け、その体はゼラムナートの眼前に躍り出ていた。

 そして、僕はゼラムナートの左側に残っていた眼球に刃の煌めきと、その残映を見せる剣を突き立てる。

 気持ちの悪い手応えと共に、ゼラムナートの眼球から血が吹き上がった。それから、剣に宿った聖なる力が追い打ちをかけるように、眼球を焼く。

 これにはゼラムナートも痛みに悶え苦しんだが、すぐさま反撃に転じるように長い舌を出すと器用に僕の体を絡め取ろうとする。

 が、そうはさせまいと、セレスがゼラムナートの胴を非の打ち所がない太刀筋で真っ二つにする。

 その切断面からは血が滝のように流れ出し、痛みのせいで動きが鈍ったゼラムナートの伸ばした舌は僕の体をギリギリのところで逸れていた。

 一方、切り離されたゼラムナートの尻尾は、眼下にある床へと落ちて大きくバウンドする。それから別の生き物のようにビクビクと跳ね回った。

 が、ゼラムナートは衰えぬ覇気を見せながら咆哮を上げる。これだけのダメージを与えてもまだ倒せないのか。

 僕がそんな焦燥に駆られていると、遅れてゼラムナートの前に出たロッシュは右側に残っていた眼球を剛風を纏った斬撃で一度に切り裂いた。

 二つの眼球から、勢い良く飛沫が舞う。

 全ての目を潰され、完全に視界を奪われたゼラムナートは激しく体を暴れさせる。


「お、おのれ、こざかしい人間どもが!」


 満身創痍のゼラムナートは今までの丁寧な口調をかなぐり捨てて怒号を発した。すると、額に割れ目ができ、一際、大きな眼球が現れる。

 と、同時にゼラムナートの目から直線的な光が放たれた。

 その光線とでも言うべきものは邪魔者を蹴散らすようにロッシュとセレスに迫るが、闇雲な攻撃に当たる二人ではない。

 しかし、光線は様々な軌跡を描きながら放たれ、全てを切断するように壁をドロドロと溶解させる。

 それから、凄まじい熱量を放出する爆発を生じさせた。あれを食らったら、人間の体など一溜まりもない。

 そして、光線は電光石火の如きスピードで二人を圧倒しようとする。これには二人とも避けることに専念するしかなかった。

 ゼラムナートもたいした底力と言えるな。

 そうこうしている内にロッシュとセレスも間断なく発せられる光線を避けきれなくなり、肩や足に焼き傷を負ってしまった。

 このままでは二人がやられるのも時間の問題だ。

 だが、そんな死の淵に立たされるような危機に陥っていた二人だったが、僕と視線を交わすと示し合わせるように笑った。

 その笑みを見て、振り落とされずにゼラムナートの頭にしがみついていた僕も心が沸騰するようにカーッと熱くなる。

 ここでパーティーのリーダーである僕が活躍しなくてどうする。

 それから、僕は我を忘れたように光線を放つゼラムナートに止めを刺そうと、力を振り絞って額へとよじ登ろうとする。

 が、僕の動きに気付いたゼラムナートは暴威の如き勢いで頭を振った。が、僕もその動きに死ぬ気で抵抗する。

 今、ゼラムナートの頭から宙に投げ出されたら、至近距離から光線を食らってしまう。そうなれば命はない。

 僕は歯を食いしばるようにしてゼラムナートの額の上までよじ登ると、バランスを取るように仁王立ちする。

 それから、全ての思いを込めて剣を振り上げた。


「これで終わりだ、ゼラムナート!」


 僕はあらん限りの力でそう叫ぶと、ゼラムナートの額にある最後の眼球に剣を突き立てようとする。

 その瞬間、ゼラムナートの爬虫類染みた瞳孔が、クワッと大きく広げられた。

 そして、僕の振り下ろした剣は柔らかい手応えと共に、深々とゼラムナートの眼球に突き刺さった。

 その乾坤一擲とも言える一撃を加えた僕は、思わず会心の笑みを浮かべる。手応えから察するに、剣の切っ先は脳にまで達したはずだ。

 その証拠に、ゼラムナートは声にならない声を上げると、命の糸が切れたように急に力を失って、下へと落下していった。

 そして、床に激突し、その衝撃は神殿の広間を大きく震動させる。それから、広間は水を打ったような静けさに包まれた。

 ゼラムナートは仰向けに倒れたままピクリともしない。それを見て、僕は息を弾ませながら終わったと思った。

 すると、僕の体から、徐々に力が抜けていく。それに合わせるように、僕の体も床へと下りていった。

 どうやら、サンクナートが僕たちにかけた宙に浮かべる力が消えかけているらしい。

 もう少し、ゼラムナートを倒すのが遅かったら、負けていたのは僕たちの方だったかもしれないな。


「見事な戦いぶりだった。お前たちの戦いを見て、おいらも地上の人間には天空都市の人間にない可能性を感じたぞ」


 サンクナートが感服したように言った。すると、ゼラムナートの体が黒い塵となって崩れていく。

 そして、その塵は一つに集まり、サンクナートと同じくらいの小さな羽の生えた蛇になった。


「これで全てが終わったと思わないことですね。私を倒したところで、何も変わりはしませんよ。創造神も黙ってはいないはずですし」


 ゼラムナートは小さな体で、悔し紛れの台詞を吐いた。


「そこら辺は、おいらが神としての意地にかけて何とかして見せるさ。おいらだって地上にいた間に色々と考えたんだ」


 サンクナートが並々ならぬ自身を覗かせながら口の端を吊り上げる。


「言っておきますが、私はあなたのやることに協力したりはしませんよ。これほどの屈辱を味あわされたのですから」


 ゼラムナートは忌々しそうな顔で言葉を続ける。


「それにあなたの尻拭いをするのはもうたくさんです」


 ゼラムナートはピシャリと言った。


「分かってる。でも、お前とおいらは幾ら啀み合っていても兄弟だ。なら、いつかは手を取り合って、大きな敵と戦わなきゃならない日が来るさ」


 サンクナートは諭すように言った。


「ふん、愚かしい」


 そう悪態を吐くと、ゼラムナートは魔界へと繋がるゲートの中に入ってしまった。

 まあ、ゼラムナートも根っからの悪い奴というわけではなさそうだし、今回は見逃してやろう。

 それから、僕たちはしばし戦いに勝利した余韻に浸るように立ち尽くした後、互いの顔を見て清々しく笑った。

 が、その瞬間、僕の背筋がゾクゾクッとする。


「やっと、頭の固い邪神はこの世界を去ったか」


 ゼラムナートと入れ替わるように、今度は小さな蛇が背景から浮かび上がるようにして現れる。

 その色は樹木の葉を彷彿させるような緑色をしていた。

 そして、何の変哲もない緑の蛇は、真っ赤なリンゴに絡みついている。しかも、どこか得体の知れない雰囲気を漂わせながらリンゴと共に宙に浮いていた。


「お前は?」


 僕は肌がピキピキするのを感じながら尋ねる。

 蛇が絡みついているリンゴは何とも不思議な魅力を放っていた。手を伸ばして食べてみたいという誘惑にも似た気持ちが鎌首を擡げる。


「私はかつて、この世界を滅茶苦茶にしてしまった張本人、イビルナートだ…。とでも言えば、今のお前たちなら分かって貰えるだろう」


 蛇はあのゼラムナートよりも気味の悪い笑みを浮かべる。何なんだ、この奇妙な存在感は。


「まさか…」


 その言葉に僕は全身が発汗するのを感じる。

 異世界からやって来た軍団を動かしていたのはこいつか、と直感的に理解したのだ。


「セファルシオンから逃げ出した神が、こんな世界を創っていたのは私としても驚きだった」


 蛇、イビルナートはクックと笑う。


「だから、セファルシオンと同じように、この世界も破壊してやろうとしたのだが、そこにいるサンクナートに阻まれたよ」


 イビルナートの言葉に、サンクナートがブルッと震える。


「あのような敗北は私としても、屈辱的だったぞ」


 そう言いつつも、イビルナートの声に怒りはなかった。


「まあ、過ぎたことはこの際、どうでも良い。いずれにせよ、この世界にいる神々の力は巨大だが、私を生み出した唯一神には到底、適うまい」


 蛇はどこか嘆きを感じさせながら言葉を続ける。


「唯一神を倒せなければ、今度は大洪水を遥に上回るような終わりが、全ての世界に訪れることになるだろう」


 戦いはまだ終わってはいないと言わんばかりの言葉には僕も、冷やっとしたものを感じた。

 

「束の間の平和に酔いしれるのも良いが、そのことをゆめゆめ忘れなさるなよ」


 そう忠告するように言うと、蛇と何かを象徴するようなリンゴは背景に溶け込むようにして消えた。

 と、同時に言葉では表現しようのない空気も消失する。


「あいつはかつておいらが戦った敵対者の名を冠する悪魔だ。あの時とは違って、随分と小さな存在になってしまったみたいだが」


 サンクナートは目をパチパチと瞬かせさせながら言った。


「何者なの?」


 僕は新たな敵の登場かとも思ったので、疑心暗鬼になりながら尋ねた。


「分からん。ただ、昔はもっと恐ろしい奴だった。とにかく、今のあいつの力じゃ、とてもおいらの相手は務まらないし、変に怖がる必要もないだろ」


 サンクナートは虚空を見詰めながら言葉を続ける。


「ただ、大洪水を遥に上回るような終わりとかいうのは気になるけどな」


 サンクナートの言葉を聞き、ゼラムナートとの勝利に浮かれていた僕も一抹の不安を覚えた。



 エピソードFINALに続く。


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