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加筆修正版 エピソードⅣ 魔王との戦い

 エピソードⅣ 魔王との戦い


 長年、探し続けていた天空石の在りかが分かってから五日が経った。

 まるで唐突に突きつけられたような事実に対して、感慨のようなものはない。あるのは随分と遠回りなことをしてきたんだなという徒労感だけだ。

 でも、パーティーを結成した途端に事態が大きく動き始めたことに対しては運命を感じなくもない。

 運命なんてものが、この世にあることを信じていたわけではないが。

 いずれにせよ、僕たちの向かう先に何が待ち構えているのかは、神のみぞ知るというやつかもしれない。

 ちなみにこの五日間の間に、ギルドからジャハナッグを倒した報酬が三分の二だけ支払われた。

 つまり八百万シェケルだ。

 全額ではないとは言え、それでも普通に暮らしていたら絶対にお目に掛かることができない大金だった。

 ただ、それをみんなで山分けしたので、実際に僕が手にできたのは百六十万シェケルだが、大金には変わりない。

 百万シェケル以上あれば最高級の剣を一本、買ってもまだお釣りがくるし。

 僕も剣を買うかどうかはまだ決めてないが、これだけのお金の使い道は、後悔しないためにもよく考えなきゃならない。

 そういえば母さんが新しい花瓶を欲しいって言ってたな。プレゼントとして買ってあげれば喜んでくれるかもしれない。

 母さんも学校を卒業してからろくに働きもしない僕には不満を持っていただろうし、少なからず苦労も掛けてきたからな。

 親孝行なんていう言葉は嫌いだが、人間なんていつ死ぬか分からないし、できることはできる内にやっておかないと。

 あと、ジャハナッグを倒したという話は瞬く間に王都中に広まった。新聞にも僕たちのことが大きく載ったからな。

 おかげで、パーティーに加えてくれという冒険者がたくさん現れたし、ゾンビに仲間や友人を殺された人たちからも感謝された。

 ドラゴンスレイヤーなる大仰な言葉を使って僕たちを持ち上げる人もいたし。

 ただ、どこかボタンを掛け違えているような、熱狂ぶりを目の当たりにした僕は少しだけ怖くなってしまった。

 持ち上げるだけ持ち上げて、後になってからどん底に突き落とそうとする。そういう風に世間はできていると僕は思っていたからだ。

 ま、別に厭世家を気取るつもりはないけど。

 そして、そんな一躍、時の人になった僕たちではあるが、すぐには魔王ヴァグナトスを倒しには行かなかった。

 ドラゴンには立ち向かえても、神話に出て来るような魔王に戦いを挑む勇気はそう簡単には持てなかったからだ。

 なので、心を落ち着けるためにもしばらく日を置くことにした。

 朝になると僕は目を覚まして、いつもの日課をこなそうとする。すると、僕の枕の横には金色の蛇が丸くなって寝ていた。

 それを見て、僕も電気でも流れたようにベッドから立ち上がる。

「な、何でこんなところにいるんだよ、サンクナート!」

 全てにおいて黄金尽くしの体をしているサンクナートは窓からの朝日を浴びて、やはり黄金色に輝いていた。

 今のサンクナートを炎で溶かしたら、本当に金の塊になってしまうかもしれない。

「もう唐揚げは食えないぞ、ムニャ、ムニャ」

 サンクナートはまるで猫のようにお腹を見せて、寝転んでいた。

 その愛くるしい姿を見て、長年、ギルドの酒場のマスコット的な存在として可愛がられてきたのも分かる気がするなと僕は思った。

「ほら、起きろって。僕はこれから朝食を食べて出かけなきゃいけないし、蛇が嫌いな母さんに見つかったら家の外に放り出されるぞ」

 母さんは蛇に限らず、爬虫類が大の苦手なのだ。

「まったく、どこから入り込んできたんだか」

 僕が溜息を吐くと、サンクナートは目をゆっくりと開けて、頭を持ち上げた。

「あらま。お前を起こそうとしたはずなのに、逆においらの方が起こされちゃったか。こいつはおかしいや」

 サンクナートは道化染みた声で言って、笑った。

「くだらないダジャレのようなことを言ってるな。僕も目を覚ましたら、いきなりお前がいたからびっくりしたんだぞ」

 目に飛び込んできたのは幻想的とも言える黄金の輝きだったし、夢の続きでも見ているのかと思った。

「おいらも驚かすつもりはなかった。でも、あんまりにもベッドがフカフカしてるし、朝日も気持ち良かったから、つい眠たくなっちゃったんだ」

 サンクナートは軟体動物のように体を動かして、背中の羽に自分の目を擦りつけた。

「で、朝っぱらから何の用だ?」

 サンクナートが僕の家の場所を知っていたのは、ウチの家まで取材に来た新聞記者たちのせいだろうなと思いながら尋ねる。

「いつになっても、魔王ヴァグナトスを倒しに行こうとしないから、痺れを切らしたんだよ。だから、おいらが直々に来てやった」

「いつになってもって、たった五日間、ゆっくりしていただけじゃないか」

 僕の知る限りでは天空石の在りかは公にはなっていないし、一刻を争う理由は今のところどこにもない。

「時は金なり。物事が動き始めたら、迅速な行動を心懸けるようにしなきゃ駄目だろ。まったく、人間って奴は自分の寿命の短さが分かってないみたいだな」

 そういうサンクナートは誰にも分からないくらい昔から、ギルドの酒場にいたらしいが。

「でも、魔王ヴァグナトスと戦ったら、その短い寿命が一気にゼロになるかもしれないんだ。慎重にもなるだろ」

「そりゃそうだ」

 サンクナートは蛇の口を吊り上げた。

「とにかく、今日はみなんとギルドの酒場で待ち合わせをしてるし、その時にいつ魔王ヴァグナトスと戦うかは決めるよ」

 僕はみんな今頃、何をしているんだろうと思いながら言葉を続ける。

「まあ、僕の中に戦わないという選択肢はないけどな」

 それだけは間違えようのないことだった。

「分かった。なら、その時が来るまで、おいらもお前の傍を離れないからな。それを邪魔するような奴には善神サンクナート様の天罰が下るぞ」

 その言葉を聞き、僕は諦めにも似たような気持ちで、サンクナートを母さんがいるダイニングルームに連れて行くことにした。


 朝食を食べた後、僕はあまり注目を浴びないようにサンクナートをポケットに入れながら、ゆったりと流れる綿雲の下を歩く。

 サンクナートも僕と一緒に母さんの作った朝食を食べた。マーガリンをたっぷりと塗ったパンとベーコンを五枚も食べたのでお腹が一杯だと言う。

 母さんもサンクナートの大食ぶりには呆れた顔をしていた。

 ま、蛇が嫌いな母さんも、サンクナートに対しては概ね好印象を抱いていたし、やっぱり黄金色の体は人を魅了する力があるのかもしれない。

 僕は一段と暑くなった真夏のメイン通りを歩きながら神殿へと向かう。有名になったせいか、道を行く誰もが僕に視線を向けているような錯覚を覚えた。

 そして、今日も人の出入りが激しい神殿の魔方陣の前まで来ると、フリックが声をかけてくる。

「よっ、フィル。今日も暑いし、嫌になっちまうよな。一日中、立ちっぱなしの仕事をしているんだから、もう少し給料は増やして欲しいぜ」

 フリックは陽気な声で言った。

「でも、神殿騎士なんて誰にでもなれるような職業じゃないし、フリックも愚痴ばっかり零してないでもっと頑張りなよ」

 僕は据わったような目で言った。

「その通りだが、こんな仕事、真面目にやっている奴の方が珍しいさ。ったく、俺もお前みたいに冒険者になれば良かったぜ」

 そう言うと、フリックは武術家のように槍をクルクルと回転させて見せる。フリックも槍の腕はそれなりに立つらしいが。

「どうして?」

 ろくな言葉が返ってこないと思った。

「そうすれば、お前みたいにドラゴンを倒したヒーローにもなれたかもしれないだろ。俺も新聞でそのことを知った時は自分のことのように喜んだからな」

 フリックも僕がジャハナッグを倒したことはちゃんと知っている。

「僕の活躍を喜んでくれたのは嬉しいけど、冒険者ならヒーローになれるなんていう考えはいくらなんでも、安直すぎるよ」

 僕は口の端を歪めながら言葉を続ける。

「ドラゴンみたいな大物と戦えることはほとんどないし、普通に冒険者なんてやってたら毎日を食い繋ぐだけで精一杯さ」

 更に危険も伴うからな。

 いつ死んでもおかしくないような職業にしては、冒険者の実入りは少ない。むしろ、神殿騎士の方が誰もが憧れる職業と言えるだろう。

「それもそうだな。ま、決まった仕事をして、決まった給料を貰うっていうのは堅実で良いが、それも時々嫌になるのさ」

 フリックは抜けるように高い神殿の天井を見上げながら言葉を続ける。

「やっぱり若い内は刺激が欲しいぜ」

 フリックは気怠そうに肩を竦めた。

 それから、僕はフリックとの話を打ち切ると魔方陣の中に入り、天空都市に行けるかどうかを確かめる。

 だが、嫌になるほど反応がない。

 サンクナートはポケット中から、ニョキッと顔を出すとここから天空都市に行くのは諦めろと言った。

 せめて、天空都市に行ける基準くらいは教えて貰いたいところなのだが。ただ、サンクナートは前にも言った通り、肝心な部分は語ってくれない。

 僕は周囲にいる観光客たちの顔を一頻り眺めた後、神殿を出た。

 

 僕は汗みずくになりながらバード博士の家に向かう。

 それから、バード博士の家の庭の前まで来ると、相変わらず大きな船体を見せつけてくる船を眺める。

 子供に悪戯をされて黒焦げになった部分は綺麗に修復されていた。翼も新しい物に取り替えられていて、より先鋭的になった感じがする。

 この船が飛ぶところを見てみたいという思いは前よりも確実に強くなっていた。

「よく来た、フィル」

 入り口のドアから、顔を出したバード博士は目の下にクマを作っていた。でも、皺が目立つ顔には老人とは思えないほどの精気が漲っている。

 どう見ても、あと、二十年は死にそうになかった。

「今日もヨレヨレの白衣を着ていますね、バード博士」

 僕はコーヒーのシミのような物も付いた白衣を見る。

「ああ。新しい発明品を作ろうと、徹夜していたからな。白衣をクリーニングする暇もなかったのだよ」

 母さんに頼めば、バード博士の白衣も洗濯してくれるかもしれない。

 ただ、母さんはバード博士にはあまり良い印象を抱いてないから、渋い顔をするかもしれないが。

「新しい発明品ですか?」

 僕は眉根を寄せた。

「ああ。どうやったら、天空石を使わなくても、船を空に浮かべられるか試行錯誤していたのだ。まあ、作ろうとしていたのは動力というやつなのだが」

「動力?」

 聞いたことのない名前だ。

「そうだ。かつて、この世界に突如として空を飛ぶ船に乗ったたくさんの人間たちが出現した…、と古文書の新しく解読できた部分には記されていた」

「たくさん、ですか?」

 僕にはその光景が少し想像しづらかった。

「ああ。しかも、その人間たちは恐ろしい力を持っていて、その力を使いリバインニウムに住む人々を支配しようとしたと言う」

 そんな話は聞いたことがない。

「結果、多くの人々が殺されたが、それを見かねたこの世界の創造神はその圧倒的な力で、空を飛ぶ船を一つ残らず破壊し、それに乗っていた人間たちも断ち滅ぼしたと言う」

 創造神の話なら少しだけ聞いたことがあるな。あのサンクナートを直接、従えていたとも言うし。 

「古文書によると、彼らはリバインニウムとは違う世界にいる悪魔の手先らしい。動力とはその空を飛ぶ船に積まれていた物らしいな」

「へー」

 その動力は今も形として残っているのだろうか。

「ま、学識のない君にこんな説明をしても要領は得まい。とにかく、君の方は魔王ヴァグナトスと戦う決心は付いたのか?」

 バード博士の言葉に、僕も肩を力ませながら答える。

「もちろん、付いてますよ。ただ、戦うにしても、もう少し時間が欲しくて」

 僕も弱さは見せまいと言った顔をする。バード博士の期待は裏切りたくないからだ。

 ちなみにバード博士には僕が知り得た事実は全て伝えてある。もっとも、バード博士がそれによって浮かれたりすることはなかった。

 ただ、その情報から、何らかの真実を導き出そうと、深く考え込んではいた。研究者らしい綿密な心構えと言えるかもしれない。

「そうか。言っておくが、私のためだったら命を賭けてまで、天空石を取りに行く必要はないからな。君は私のただ一人の友人。その命は何物にも代えられん」

 そう言ってくれるのは嬉しいし、僕もバード博士との友情は日頃から大切にしている。

「そう言われても」

 ヴァグナトスと戦うのはバード博士のためだけではないからな。

「是が非でも天空都市に行きたいという気持ちは私も同じだからよく分かるが、それでも、そのために命を捨てるのは賢い選択とは言えないぞ」

「ですよね」

 死んでしまえばそれまでだ。

 だが、人間には命を捨てる覚悟で挑まなければならないこともある。その覚悟が、今、試されている気がした。

「だからこそ、私も新たな発明品に心血を注いでいるのだ。所詮は天空石も人の手によって生み出された代物」

 バード博士は顔に笑み刻みながら言葉を続ける。

「ならば、それに代わるような物も人の手で作り出せるはずだ」

 そういう考え方もあるか。まあ、天空石もサンクナートが人間に作らせた物だと聞いているからな。

 もし、僕のポケットの中にいるサンクナートがバード博士に必要な知識を授ければ、天空石も一から作り出せるかもしれない。

 たが、ヴァグナトスとの戦いを回避するようなことはサンクナートも許してはくれないだろう。

「ただ、大洪水は待ってはくれないだろうし、私もトシだからな。天空石がなければ生きている内に天空都市に行くのは無理かもしれん」

 バード博士は白衣のポケットから懐中時計を取り出す。そして、どこか思い馳せるように確実に時を刻み続ける盤面を見詰めた。

「僕は天空石を手に入れますよ。他ならぬ自分自身のために」

 僕がそう決然と言うと、博士はテーブルに置かれていた美味しそうなトマトとレタスのサンドウィッチを摘む。

 すると、僕のポケットからサンクナートが食べ物に吊られるように顔を出そうとする。が、博士との話が拗れると嫌なので、僕はサンクナートの頭を無理に押さえつけた。

「そうか。できることなら私も魔王ヴァグナトスとの戦いには赴きたいところなのだが、あいにくとこの身は武芸の類いには全く秀でていないのでな」

 バード博士は半眼で言葉を続ける。

「だから、結局、君の活躍に期待するしかないということだ。まあ、厳しい戦いになるだろうが君なら打ち勝って見せると信じている」

 バード博士はそう言って笑うと、僕にコーヒーと近くのパン屋で買ったというサンドウィッチを食べさせてくれた。

 

 僕は薄闇の舞うギルドの酒場に来た。

 すると、五番テーブルには既にみんなが席に着いて待っていた。

 ロッシュは鉄板のハンバーグを食べていたし、セレスはチキンとポテトのセットに手を伸ばしている。

 ミリィも美味しいと評判のアップルパイを口に運んでいて、レイナードも赤ワインのグラスを傾けていた。

 くつろいでいるところを見ると、かなり前から四人がここにいたのは明らかだった。

 約束の時間までには、まだ余裕があったし、そんなに全員、揃って顔を合わせるのが待ちきれなかったんだろうか。

 とにかく、五日ぶりの対面と言うこともあってか、僕も少し気まずいものを感じたが、席に着くとすぐに取り繕うような笑みを拵えて見せる。

「待たせたみたいだね」

 僕が椅子に座ると、すぐにウェイトレスが注文を聞きに来たので、無難にアップルジュースを頼んだ。

「いや、俺たちが早く来すぎていただけだから、気にするなよ。やっぱり、たくさん金が入ったから、旨い物を食わないとな」

 ロッシュは肉汁の滴るガーリック・ハンバーグを豪快に頬張りながら言った。

「別に食事に来たわけじゃないんだけど、あたしも何か食べてないと落ち着かなくて。でも、ここのポテトは悪くないわね」

 セレスはポテトを咥えながら笑う。

「私、お父様から、もう王宮にいなくて良いって言われてしまいました。自分の力で生きていく覚悟があるなら、好きにして構わないとも言われましたし」

 そう言うと、ミリィはしょんぼりした顔をする。見放されて、初めて親の有り難みが分かると言ったところか。

「私は天空石、以外の物に興味はない」

 レイナードは相も変わらず、言葉数が少なかった。

「それで魔王ヴァグナトスはいつ倒しに行こうか。サンクナートも痺れを切らして、わざわざ僕の家にまで押しかけてきたし」

 僕がそう言うと、サンクナートは僕のポケットから飛び出して、テーブルの上に乗った。そして、セレスのポテトをムシャムシャと食べ始める。

 セレスが顔をしかめても、サンクナートは悪びれる様子もなく、ジンジャーエールの入ったコップにまで首を突っ込んだ。

 何とも厚かましい奴だ。

「今日だ。お前が来る前に、みんなで話し合って決めた。これ以上、日を延ばすと気力に穴が空いちまいそうだからな」

 ロッシュの言葉には少しの躊躇いもなかった。

「そっか」

 気力と体力が共に充実しているというなら、僕も反対はしない。

「でも、あたしはやっぱり怖いのよね。ジャハナッグの時みたいに、危なくなったら逃げるということもできないと思うし」

 セレスの不安はもっともだ。

 とはいえ、僕も今度の戦いは逃げてはいけない戦いだと理解している。

 サンクナートの匂わせるような言葉が確かなら、天空都市には何か途轍もなく恐ろしい存在が待ち構えている。

 妹を見つけて、更に地上に連れて帰るというなら、その存在とも戦わなければならないかもしれない。

 なら、ここでヴァグナトスに負けているわけにはいかない。

「私も自分の力が魔王にも通じると思えるほどの自信はありません。だからこそ、今回の戦いには命を捨てる覚悟で臨みます」

 ミリィは謙虚さを交えた言葉で言った。

「私はただ全力を尽くすのみだ。だが、魔法の力だけでどうにかなる相手とは思えないし、君たちの力も頼らせて貰う」

 レイナードも慎重な姿勢を崩さなかった。

「よし、それだけの覚悟ができているなら、善は急げとも言うし迷宮に行くよ。ただし、生きて帰って来れる保証はないし、降りるなら今の内だからね」

 僕は恐れを勇気に変えるとみんなに向かってそう言った。

 

 僕たちは静けさに包まれた迷宮の中にいた。

 ヴァグナトスのいるところに辿り着くまでに命を落としたら馬鹿みたいなので、僕たちも油断せずに迷宮の通路を歩いて行く。

 だが、モンスターは全く現れなかった。それが返って、迷宮の不気味さを引き立てていたんだけど。

 一方、僕たちの間にもこれと言った会話はなかった。

 臆病風に吹かれたというわけでもないんだろうが、みんな何となく話す気にはなれなかったようだった。

 ただ、他の冒険者たちとは顔を合わせたので、彼らとは他愛のない世間話をした。

 そんな彼らが言うには、リザードマンたちを牛耳っていたリザードマン・ロードが倒され、ゾンビを動かしていたジャハナッグもいなくなったので、急に浅い階のモンスターの数が減ったらしい。

 まあ、どれだけモンスターの数を減らそうと、時が経てばバランスを取り戻すように再び迷宮のモンスターは一定の数まで増え続けるんだけど。

 それが迷宮の不思議な生態と言えた。

 僕はまるで迷宮そのものが深い眠りについているかのような空気を感じながら、ひたすら歩き続けた。

 そして、何の障害もなく地下十階のジャハナッグのいた部屋にまでやって来る。

「この部屋の封印はおいらじゃなきゃ解けないんだ。つまり、おいらの認めた人間だけが、天空石のある場所へと行くことができる」

 サンクナートはフワフワと宙に浮かびながら言った。

「前置きは良いからさっさと封印を解いてくれ。こっちは歩き疲れているんだ」

 僕は神経を尖らせながら言った。

「ムードを大切にしない奴だな。これから魔王と一戦交えることになるんだぜ。物語に出て来る勇者のように、格好良い台詞の一つでも口にできないのか?」

 サンクナートは僕の心を煽るように言った。

「できない。僕は勇者になるつもりなんてないし、天空都市に行けるのならどんな人間でも構わない」

 ただ、心置きなく妹と再会できるような人間でいたいとは思っている。

「ふーん。ま、そうは言っても、お前が自分の成すべき事を全て終えた暁には自他共に認める勇者になっているさ」

 サンクナートは確信を込めたように言うと言葉を続ける。

「あのフィルックスと一緒に戦った、おいらが保証する」

 そうだった。

 すっかり忘れていたけど、サンクナートは僕の祖先であるフィルックスと共に邪神ゼラムナートを打ち負かしたこともあるんだよな。

 なら、その目に狂いはないに違いないし、それが分かっていたからこそ、サンクナートも僕に天空石の在りかを教えたのかもしれない。

「そう思いたいところだけど、勇者になった自分はちょっとイメージできないな。でも、フィルックスの子孫に恥じない戦いはしたい」

 僕はギュッと握り拳を作った。

「その意気だ。では、これから封印を解くぞ」

 そう言い終えると、サンクナートの体が眩しく輝き始めた。それを見た僕も何が起こっても良いように身構える。

 すると、床に光り輝く魔方陣が浮かび上がる。それは天空都市へ転移できる魔方陣と酷似していた。

 やはり、どちらの魔方陣もサンクナートが作成した物と言うことか。

 そんなことを考えている間も、魔方陣の中の文字や記号は次々と浮かんでは消える。

 あいにくと、僕にはその文字や記号の意味は全く読み取れなかったが、レイナードは肩を微かに震わせながら、茫洋とした顔で目を見開いていた。

 そして、魔方陣から発せられる光りが大きく膨れあがったかと思うと、ガラガラという音を立てながら、スライドするようにして床が開いた。

 と、同時に身の毛もよだつようなプレッシャーが僕を襲う。

 それは鳥肌が立つなんていう生易しいものじゃなかった。この下には間違いなく、恐ろしい何かがいる。

 魔力の類いを感じ取る力を持たない僕でもはっきりとそれが分かるのだ。

 心の中にあったはずの燃え上がるような勇気も、たちまち蝋燭の火のように吹き消されてしまった。

「封印が解けたら、途端に凄まじい魔力が溢れ出してきましたね。正直、私は怖くてたまらないんですが」

 ミリィは冷え切ったような顔で言った。

「これほどの魔力、私も久しく感じていなかったものだ。どうやら、死力を尽くさなければならない時が来たようだな」

 レイナードも戦意を見せるように言った。

 とにかく、ミリィとレイナードの二人は、なまじ魔法が使えるせいか、僕たちよりも敏感に恐ろしい力を感じているようだった。

「ま、なるようになるだろ。何事も恐れていたら先には進めないし、俺は戦いたくてウズウズしているけどな」

 ロッシュは頬から汗の滴を垂らしながらも不敵な笑みを浮かべる。

「あたしも怖いけど、不思議と逃げる気には全くなれないのよね。たぶん、ここで偉大な騎士を目指すあたしの人間としての器が試されるんだわ。正念場ね」

 セレスも退く気はないようだった。

「さあ、行け、勇者たちよ。ここが踏ん張りどころだぞ」

 サンクナートが高らかに言うと、僕たちは互いに顔を見合わせてから、開いた床の下にある階段を下り始める。

 延々と続くような螺旋の階段を下りきると、そこは神殿の広間のようになっていた。神が住まうような厳粛な空気が漂っている。

 そして、その奥には何段も高くなっている祭壇があり、その上には空中に浮いている五十センチくらいの石があった。

 透明感があるので、石というよりはクリスタルといった方が良いかもしれない。何とも幻想的な光を放ってるし、あれが天空石と見て間違いないだろう。

 あの大きさの石で、大きな船を浮かすことができるかどうかは分からないが、必ず持ち帰らないと。

 だが、宙に浮かぶ石の前には、四本の腕を持つ体長が四メートル近くはありそうな巨人が立っていた。

 その手には恐ろしく大きい上に、刃の部分が曲線になっている剣が握られている。

 巨人の頭に生えている悪魔のような角や、山羊のような顔、人間ではあり得ない三つの目も僕の恐怖心を掻き立てた。

 全身を覆っている重量感たっぷりの漆黒の鎧も禍々しいし。そんな巨人を言葉で表現するなら「魔界の戦士」だろうか。

 正直、体の大きさは同じくらいでも、ミノタウロスなどとは比べものにならない迫力だった。

 ジャハナッグを相手にしていた時のようなある種の安心感もない。

 あれが魔王ヴァグナトスか。

 確かに魔王と呼ばれるに相応しい力を持っていそうだな。

 僕は怖気が走るようなものを感じながら、その場に棒立ちする。すると、巨人は三つの目を光らせながら重々しく口を開いた。

「ここに足を踏み入れるだけの資格を持った者がついに現れたか。しかし、まさかこんな子供が我が前に現れようとは」

 巨人は僕の顔を三つの目で見据えながら言った。

「久しぶりだな、ヴァグナトス」

 サンクナートはまるで古い友人に声をかけるような調子で言った。

「サンクナートか。随分と滑稽な姿をしているようだが、その様子だと、かつての力はまだ取り戻せていないようだな」

 ヴァグナトスは大きく口の端を吊り上げる。

「まあな」

 サンクナートは苦味のある顔をした。

「にしても、このような者たちを天空石のある場所まで導いたと言うことは、大洪水が起きるまであまり時間は残されていないということか」

 ヴァグナトスの言葉に、サンクナートは薄く目を閉じた。

「その通りだ。とにかく、こいつらに天空都市を支配している邪神ゼラムナートを倒せるだけの力があるかどうか試してやってくれ」

 天空都市を支配しているのは邪神ゼラムナートなのか。その驚愕の事実を耳にした僕は、凍り付くような寒さを感じる。

「私は命を賭した戦いしかしない主義だ。つまり、ここにいる者たちは全員、殺しても構わないと言うことだな?」

 三つの瞳の瞳孔が大きく広げられる。

「ああ」

 サンクナートは鷹揚に頷いた。

「良かろう。そういうことなら、私も手加減はしない。思う存分、数千年ぶりの戦いを楽しませて貰うぞ」

 ヴァグナトスは満足したように笑うと、像ですら真っ二つにできそうな四本の剣を振り上げて凄んできた。

 僕は気を抜くとガクガクと震え出しそうな足を叱咤しながら剣を鞘から引き抜く。ここまで本能的な恐怖を感じた時はないが、震えてばかりいては戦いにならない。

 ヴァグナトスは血湧き肉躍るような戦いを望んでいるのだから、僕たちもそれに応えなければ。

 僕は無理やり心を奮い立たせると、どんな攻撃が繰り出されても対応できるように一分の隙もなく剣を構える。

 そんな僕の隣にセレスとロッシュがザッと並んだ。二人の横顔には、僕のような在り在りと顔に浮かぶ恐れはない。

 どうやら、精神的な強さは僕よりも二人の方が上みたいだな。剣の技量はともかく、家でグータラしていた僕とは心の鍛え方が違うようだ。 

「やっぱり、魔王の存在感はハンパじゃないな。だが、魔王と剣を交える機会なんて、二度とないだろうし、せいぜい楽しませて貰うか」

 いかにも怖いもの知らずのロッシュらしい言葉だな。魔王を前にしても、弱腰にならないその心の強さは僕も見習いたい。

「あたしも死ぬかもしれない戦いだって言うのに、何だか無性にワクワクしてるの。自分の力がどこまで魔王に通用するか、試さずにはいられないわ」

 そう口にするセレスは騎士よりも戦士の方が向いているかもしれない。

 少なくとも、これまでの戦いでセレスの実力がそこらの騎士など及びもしないことは証明されている。

 なので、僕もこの戦いでは思う存分、頼らせて貰おう。

 そんなことを考えていると、ヴァグナトスは四本の剣をまだ距離があるというのに一斉に振り下ろした。

 すると、剣から美しい弧を描いた光りの刃が飛び出す。四本の光りの刃は、大気を切り裂くようにして僕たちの方に飛来した。

 それを受け、僕たちは横へとバッと飛び退く。その傍らを光りの刃が通り過ぎ、石の床をバリバリと砕いた。

 僕は光りの刃がボロ屑のように砕いた床を見て、背筋が寒くなるのを感じた。もし食らっていたら、僕の体なんていとも容易く切断されていたはずだ。

「こんな攻撃をしてくるなんて、さすが魔王だな。こっちも、命懸けで戦わなきゃ太刀打ちできないってことか」

 僕は冷や汗を掻きながら言った。

 とにかく、飛来する光りの刃は遠距離からの攻撃だし、間合いを詰めるのは相当の労力を必要としそうだ。

 しかも、いざ間合いを詰められても、四本の大剣が待ち構えているわけだし。

 一方、ヴァグナトスは僕たちに休む暇を与えないように、四本の剣から連続して烈々とした光りの刃を放ってくる。

 僕は立て続けに放たれる光りの刃を敏捷性のある動きで避けた。

 だが、避けるだけで精一杯なので、ヴァグナトスとの距離は縮まるどころか逆に開いてしまった。

 こんな攻撃、反則だろ、と言いたくなってしまう。

 そして、それを見ていたミリィは鎧で守られていないヴァグナトスの大きな目に向かって吸い込まれるような矢を放ったが、当たりはしなかった。

 続けて三本の矢を同時に放っても見せたが、相当な防御力があると思われる黒い鎧には突き刺さらずに鏃が跳ね返される。

 矢がポロッと床に落ちると、ミリィは青ざめた顔をした。

「私の矢ではダメージを与えられそうにありませんね…」

 ミリィは無力感を感じさせるように言った。

 それを受け、自らも遠距離からの攻撃を仕掛けようと思ったのか、レイナードも手加減なしの特大の炎の球を放つ。

 それはかわされることなく、ヴァグナトスの屈強そうな体に命中して膨れ上がるような大爆発を引き起こした。

 広間が地震にでも見舞われたかのように激しく揺り動かされる。爆発のあった場所からは肌を焼くような熱も漂ってきた。

 だが、爆煙の中から無傷のヴァグナトスが現れると、四本の剣による光りの刃が即座にレイナードに放たれる。

 その攻撃に対し、反撃を予想していたのかレイナードも飛来する光りの刃に向かって既に自分の杖の先端を突きつけていた。

 それから、杖の直線上にあるに空間が目に見える形で歪曲する。

 まさか、レイナードは空間そのものを破壊しようとしているのか。そんなことをしたら、とんでもないエネルギーが迸るぞ。

 そして、僕の推測通りレイナードは四本の光りの刃を、空間を引き裂いた際に生じる強力なエネルギーで、掻き消そうとする。

 その瞬間、強引に軌道をねじ曲げられた光りの刃は、形を変えて霧散した。

 上手く相殺できたかと思われたが、一本の光りの刃が空間の歪みをすり抜けるようにしてレイナードに迫る。

 レイナードも体術にはあまり優れていないので、それを余裕のない動きで避けた。すると、レイナードの肩を掠めた光りの刃は背後の壁に大きな裂け目を作り出した。

「ぐっ!」

 レイナードが肩の痛みに頬を歪める。レイナードが傷を負わされるなんて、これが初めてのことじゃないのか。

 おそらくだが、レイナードもこんな危うい力で相殺したと言うことは、全てを切り裂く光りの刃を完全に防ぐ手立てはないということだろう。

 ミリィの神聖魔法のバリアも強力なエネルギーが込められた光りの刃を食らえば、簡単に破られてしまうに違いないし。

 となると、光りの刃に対しては基本的に避けるしか手がないわけだ。

「強い…。だけど、逃げちゃ駄目だ」

 そう自分に言い聞かせると、僕はとにかく距離を詰めなければ活路は開けないと思い、恐れを振り払ってヴァグナトスに向かって疾走する。

 ヴァグナトスは更に厚みを増した光りの刃を目まぐるしく放ってきたが、僕はそれを卓絶した動きで避ける。

 そして、ヴァグナトスの前に出ると、雷光のように剣で斬りかかった。が、ヴァグナトスも四本の剣から悪夢のような斬撃を繰り出してくる。

 その一つ一つが達人のような太刀筋を見せるのだ。しかも、人間の膂力を遙かに上回るパワーも込められている。

 とても、受け止めたり、捌いたりすることはできない苛烈、極まりない攻撃だ。

 それから、僕の放った斬撃は造作もなく弾かれ、三つの刃が僕の体を絶妙な角度から切断しようと迫る。

 僕はそれをかろうじて避けると、不屈の闘志を燃やして再び挑みかかる。

「例えどんな強敵が相手だろうと僕は必ず打ち勝って見せる。そして、心置きなく天空石を手に入れてやるんだ!」

 そう叫ぶ僕の繰り出した一撃はヴァグナトスの体に命中したが、漆黒の鎧には傷一つ付かなかった。

 石の塊を殴りつけたような硬い反動も腕に伝わる。僕たちが用いる物理的な攻撃ではこの鎧を破壊するのは不可能だな。

 だが、僕がヴァグナトスの攻撃を引きつけている内に、セレスとロッシュの二人もヴァグナトスの間近に迫っていた。

 それから二人は阿吽の呼吸を見せながら、挟み撃ちにするように剣で斬りかかる。

 だが、二人の斬撃は本体とは別の意思を持っているかのようなヴァグナトスの二本の剣によって受け止められる。

 正面から放たれた僕の振り下ろしも、やはり残りの二本の剣によってガキンと火花を散らせながら受け止められてしまった。

 はっきり言って、攻守、共にバランスの取れた戦い方をするヴァグナトスには付け入る隙がない。

 やはり、ヴァグナトスは優れた力を持つ生粋の戦士だ。

「僕たちの攻撃がまるで通じないなんて…」

 僕は戦いの最中だというのに弱々しい言葉を発する。ただの勇気ではどうにもならない敵が目の前に立ちはだかっている。

 この試練をどう乗り越えれば良いんだろう。

 そんなことを思っていると、ヴァグナトスの体が四本の剣と共に旋回する。四本の剣による斬撃が円を描くようにして繰り出されたのだ。

 しかも、その刃はまるで生き物のように伸びて僕たちに届く。

 これには僕たちも死の風を纏った大剛の如き勢いを見せる斬撃に耐えきれず、大きく吹き飛ばされてしまった。

 受け身を取れたのは、単なる幸運に過ぎない。

「こんなに早くて重い斬撃を食らったのは初めてだぜ。受け止め方を間違えていたら、腕の骨が折れてたところだ」

 そう言うと、ロッシュは剣を支えにして、何とか立ち上がろうとする。

 が、体勢を立て直す暇もなく、倒れた僕たちに光りの刃が容赦なく打ち込まれる。僕は床を転がるようにして、必死に光りの刃を避けた。

 ロッシュも薄皮一枚のところで避けたか、セレスはそれができずに不安定な体勢から光りの刃を盾で受け止めようとする。

 その瞬間、分厚い鋼鉄の盾がまるで木製の板のように切断された。

 幸いにもセレスの体に光りの刃は届かなかったが、その必殺の威力はまざまざと見せつけられた。

「父さんから貰った大事な盾が台無しね。でも、必ず生きて帰って、父さんには謝ってやるわよ」

 セレスはこんな時でも強気の姿勢を損なうことなく言った。

 一方、一足先に立ち上がった僕はセレスとロッシュへの攻撃を阻もうと、自ら囮になるようにヴァグナトスのいる方に走る。

 そして、迫り来る光りの刃を奇跡のような動きで避けた。

 僕は上手い具合にヴァグナトスの前に出ることに成功すると閃光のようにヴァグナトスに剣を突き出す。

 だが、視認することすら許されない突きも四本の腕から繰り出される剛剣をかいくぐることはできずに弾かれる。

 手から剣を落としそうになった僕はたまらずヴァグナトスから離れる。

 対するヴァグナトスは負けるような相手ではないという慢心のためか、追撃はしてこなかった。

 それから、ヴァグナトスの攻撃を命からがら切り抜けた僕たち三人は、慎重に距離を取りつつ三方向からヴァグナトスを取り囲む。

 このような陣形を取っていれば、一人一人に迫り来る光りの刃の数も減るからな。

 とはいえ、遠距離からの攻撃ができ、接近戦においても比類なき力を見せるヴァグナトスを突き崩すには並みの攻撃では駄目だ。

 だが、どういう攻撃を加えればダメージを与えられるのか、僕にも全く分からない。

 とにかく、四本の剣と、頑丈な黒い鎧をどうにかしないことには僕たちに勝ち目がないのは事実だった。

「僕は勇者フィルックスの子孫だぞ。その誇りにかけて、こんなところで負けるわけにはいかない!」

 そう叫ぶと、僕は迷っていても仕方がないと思いながら駆け出し、無駄とは知りつつも、半ばやけくそにヴァグナトスに剣で斬りかかった。

 対するヴァグナトスはニヤッと笑うと、光りの刃を放つことなく僕の接近を許す。敢えて剣と剣を直接、交えるような戦いを臨むということか。

 僕は受けて立つように良く力が練り込まれた轟雷の如き斬撃を放った。

 しかし、その斬撃があっさりと受け止められると、反撃とばかりに四本の剣が計算し尽くされたような角度から僕に迫る。

 僕はその間隙を縫うようにして、死を具現化したような刃を避ける。だが、四つの刃は滞ることなく僕の体を四方八方から切断しようとする。

 かわしきれずに僕の肩や腕に浅い切り傷が付いたし、動き方を誤れば即、命を絶たれることになる。

 それに、この嵐のような斬撃を前にしては、とてもヴァグナトスの懐には入り込めそうにない。

 そして、絶え間なく浴びせられる尋常ならざる手数の攻撃をいつまでも避け続けるのも、いかんせ、無理があった。

 このままでは為す術なく殺される。

 セレスとロッシュも今までにない激しさで繰り広げられる僕とヴァグナトスの攻防には入り込めずに棒立ちしているし。

 その上、ミリィの矢やレイナードの魔法による援護もない。

 いくらヴァグナトスが僕との戦いに専念しているとはいえ、今の状況ではみんながヴァグナトスの不意を突くのは無理があるということか。

 僕は絶望感を噛み締めつつ、それでも迫り来る死から逃れるようにヴァグナトスの剣による猛攻撃を避け続けた。

 だが、とうとう足を縺れさせて転んでしまう。はっきり言って、これは致命的とも言えるミスだ。

「ここまでか…。やっぱり、僕みたいな子供が天空都市に行くなんて、所詮、無理な話だったのか」

 僕は直接、死を送り込んでくるような壮絶な四つの斬撃を前にして、まるで泣き言のような言葉を口にする。

 そんな僕はもう立ち上がろうとする気力すら失っていた。

 が、僕の心が完全に折れそうになった瞬間、ヴァグナトスの近くの空間がいきなり歪んだ。

 先ほどと同じように、空間に作用するような現象はレイナードの魔法によるものと考えて良いだろう。

 これにはヴァグナトスも僕への攻撃を戸惑うように中断する。

 それを受け、九死に一生を得た僕も急激に心臓に血液が流れ込むのを感じ、弾かれたように立ち上がる。

 そして、僕はグニャリと歪んだ空間を目にしながら、レイナードの魔法に巻き込まれないよう、反射的に後ろへと跳躍していた。

 すると、いきなり行き場を失ったようなエネルギーが放出されて、空間そのものが爆ぜ割れた。

 と、同時に全てを吹き飛ばすような風が僕を襲ったし、僕もその場に踏み留まるのがやっとだった。

 一方、避けきれなかったヴァグナトスの脇腹は鎧ごともぎ取られていた。

 さすがのヴァグナトスも空間そのものを破壊する魔法は防ぎきれなかったか。いかなる攻撃も寄せ付けなかった鎧にも大きな穴があいたし。

 これで、ようやく目に見えるダメージを与えることができた。しかしながら、同じような攻撃は、二度は通用しないだろう。

 見た感じ、空間を破壊する魔法は威力こそあるが、その効果を発揮するまでにかなりの時間が掛かるようだった。

 なので、次は確実に避けられてしまうはずだ。

 そんなことを考えていると、ヴァグナトスの脇腹の傷が見る見る内に塞がっていく。

 そして、三十秒もしない内に、内臓さえ見せていた大きな傷は綺麗に消えてしまった。この回復力だと生半可な傷は意味を成さないな。

「この私が血を流すなど、何千年ぶりのことか。やはり、お前たちのような勇者と戦うことができて良かった」

 ヴァグナトスはそう称賛するような言葉を口にして笑った。

「だが、本当の戦いはこれからだぞ」

 ヴァグナトスが歓喜に満ちた顔で剣を振り上げる。

 僕も押し拉がれそうな気持ちから何とか立ち直ってはいたが、それで何かが変わるわけではなかった。

 その証拠に、僕たちがヴァグナトスを打ち負かせるような攻め手に欠いているのは紛れもない事実だからな。

 僕が、また弱気な思考に流されそうになると、唐突に手にしていた剣の刀身が眩しい光りに包まれる。

 これには僕も何が起こったのかと思い目を丸くした。

 するとミリィが「私の内にある聖なる力を全て、その剣に宿らせました。これなら対抗できるはずです」と淀みなく言った。

 それから、ミリィは力が抜けたようにヘナヘナと床に腰を落としてしまう。全ての力を絞り尽くしてしまったのだろう。

 あの憔悴した顔を見るに、ひょっとしたら、己の寿命すら削ったのかもしれない。命そのものをエネルギーに変換できる魔法は僕も知っているからな。

 でも、何とかして僕たちの力になりたいという、ミリィの気持ちは痛いほど伝わってきた。その気持ちを裏切るような真似はできない。

 とにかく、セレスとロッシュの剣に変わりはないから、聖なる力が込められた剣を振るえるのは僕だけか。

 託された力を生かすためにも、ここが踏ん張りどころだな。

「行くぞ、ヴァグナトス!」

 そう戦う意思を取り戻したように叫ぶと、僕は自分の体にも流れ込んでくるエネルギーを感じ取りながら走る。

 それから、死線を越えるような動きでヴァグナトスに迫ろうとする。そんな僕の身体能力は先ほどよりも増していた。

「来い!」

 そう声を発したヴァグナトスも今度は僕の接近を許すまいと、乱舞するような光りの刃を何本も放ってくる。

 小細工なしの正面切っての勝負だし、ここで打ち負かされるようならヴァグナトスを倒すことはできない。

 だが、四本の剣から幾度となく放たれる光の刃は数え切れないほどだった。しかも、セレスやロッシュを寄せ付けないように器用に放たれている光りの刃もある。

 ヴァグナトスの繰り出す攻撃に死角はない。

 なので、僕は驟雨のように迫り来る光りの刃を死に物狂いで避ける。そして、避けきれなかった光りの刃は聖なる力が宿った剣で薙ぎ払う。

「こんなもの!」

 僕がそう叫ぶと光りの刃は形を失うようにして消えた。魔王の放つエネルギーを打ち消せるなんて、ミリィの聖なる力も凄いじゃないか。

 それから、僕は再びヴァグナトスの前に出て、まるで神話に出て来る雷神が繰り出せるような強力無比な一撃をヴァグナトスに放つ。

 ヴァグナトスは僕の剣に宿った力を危険だと判断したのか、四本の剣を交差させて防御に徹しようとする。

 まさに鉄壁の守り。

 だが、僕の繰り出した神域にも達したような一撃は、ヴァグナトスの二本の剣を一度に砕いて見せた。

 これには僕も何という破壊力だと刮目する。さすがミリィの体にあった全のエネルギーが込められているだけのことはある。

 人間の力も馬鹿にできたものではないし、そう思ったのは一瞬、痛恨の表情を浮かべたヴァグナトスも同じだろう。

 僕はちらりとミリィの顔を見ると、心の中で感謝した。

「確かに恐るべき力だが、それでも私を倒すには至らないぞ。力だけではなく、それを扱う技も見せて貰おうか」

 そう言うと、衰えぬ戦意を見せるヴァグナトスは残った剣で、猛然と僕に唐竹割りをお見舞いしてきた。

 それは空間そのものが断ち切られてもおかしくない一撃。

 だが、その一撃を僕は最小限の動きで避けると、カウンターを仕掛けるように剣を一閃させる。

 眩い光りを纏った僕の剣は、ヴァグナトスの鎧の胸の部分を一文字に切り裂き、その下にある体にも大きな裂傷を付けた。

「やるな、そうこなくては」

 そう苦しげに呻いたヴァグナトスもやられてばかりではない。二本の剣をクロスさせて、僕に反撃の余地を許さない激しい斬撃を加えてきたのだ。

 僕はその斬撃を何とか避けようとしたが、ヴァグナトスは剣の軌道を無理やり曲げると反応しきれないような速度で斬撃を放ってくる。

 しかも、僕の手にする光りの剣には触れないようにしながら、僕の体を左右から巧みに切り刻もうとしたのだ。

「この攻撃をどう凌ぐ、少年」

 ヴァグナトスはまるで時間が止まったかのような声で、そう問いかける。これは僕への明確な挑戦だ。

 それに対し、僕は普通に動いたのでは防ぎきれないと思い、風を味方に付けるようにして体をコマのように回転させる。

 そして、ヴァグナトスの二本の剣を、光りを渦巻かせるような斬撃で弾き返した。

 その瞬間、左から迫っていたヴァグナトスの剣が根元から砕かれ、その破片がキラキラと宙を舞う。

 これでヴァグナトスの剣は残すところ一本になった。

 あともう一押しと言うところだ。

 そして、純粋な力勝負にもかかわらず、押され始めたヴァグナトスは狼狽したような顔をする。

「人間がこの私をここまで追い詰めるとは…。やはり、私の知らないところで世界は変わりつつあるのかもしれんな」

 ヴァグナトスは何かを悟ったような声で言った。

 そして、両側から挟み込むようにしてヴァグナトスに迫っていたセレスとロッシュが漆黒の鎧の隙間を狙うようにして剣を突き出した。

 その鋭利な切っ先はヴァグナトスの体に潜り込む。

「ようやく、俺も一矢、報いることができたな。ま、やられっぱなしでいるのは性に合わないってことだ」

 ロッシュはヴァグナトスの体から剣を引き抜くと、血が滾るような顔をする。

「悔しいけど、あたし一人で戦っていたら、あなたにはすぐに殺されていたでしょうね。でも、今は仲間がいるし、不思議なくらい負ける気がしないわ」

 あまり誰かを頼ろうとしなかったセレスの心持ちも、だいぶ変化してきた思わせる言葉だった。

 そして、ヴァグナトスが鎧の下から血を流しながら後退すると、その肩の部分の空間がねじ切られるようにして歪んだ。

 今度の歪み方は小さくはあるが早い。

 すると、ヴァグナトスの片側にある二本の腕が血飛沫を上げながらバラバラに千切れ飛ぶ。もちろん、空間を歪めたのはレイナードだ。

 が、空間に作用する強大な魔法を何度も使ったせいか、レイナードの顔には疲労の影が色濃く浮かんでいた。

 おそらく、レイナードも残り少ない魔力を温存しながら、じっと好機が訪れるのを待っていたのだろう。

 でなければ、空間を歪め、破壊する魔法を連発することもできたはずだ。

 何にせよ、戦う前に言った通り、レイナードも全力を尽くしてくれたみたいだな。

「ありがとう、みんな。後は僕に任せてくれ」

 そう言うと、僕はみんなが作り出してくれたチャンスを無駄にはしまいと、大きなダメージを負ったヴァグナトスと間合いを詰める。

 ヴァグナトスは最後の剣を構えて、僕の接近を待ち受ける。

 その目は炯々と光っていた。

 例えどれほどの傷を負おうと、最後まで全力で戦い抜く姿勢を崩さない断固さかヴァグナトスにはあった。

 みんなも固唾を呑むように僕とヴァグナトスを見守っている。

 そして、僕とヴァグナトスの体が、際どいタイミングで交錯する。と、同時にヴァグナトスの無類の強さを誇る一撃は、僕の肩を掠めただけに終わった。

 それ受け、僕は大きな隙ができたヴァグナトスの体に全身全霊の力を込めて剣を振り下ろそうとする。

 剣から伸びていく光りは天空にも届きそうな長さを見せていた。

 そして、その光りは咄嗟にガードしようとして持ち上げられたヴァグナトスの最後の剣をガラス細工のように砕く。

 と、同時にヴァグナトスの三つの目が驚愕に見開かれ、そのまま光りの剣はヴァグナトスの体を頭から股間にかけて一刀両断にした。

 それから、二つに別けられたヴァグナトスの体は血飛沫を上げながら床に崩れ落ちた。ドサッと言う音が広間に響き渡る。

 その瞬間、広間は耳が痛くなるような静寂に包まれた。広間に充満していた不可視のエネルギーも急に消失する。

「勝てたのか?」

 僕もすぐにはヴァグナトスに勝てたという事実を飲み込むことができなかった。

 なので、しばし呆けた後、僕は全身の筋肉が弛緩するのを感じながら、どう見ても絶命していると思われるヴァグナトスの屍を見下ろす。

 すると、ヴァグナトスの体が堰を切ったように黒い塵となって消えていく。

 僕も立ち尽くしながら、その変化を見続けるしかない。

 そして、塵はいつぞやのジャハナッグの時と同じように一つに固まる。そんな塵の中から現れたのは真ん中に大きな目が付いた、黒くて奇妙な球体だった。

「見事だ、勇者たちよ。逃げることなく真っ向から戦い挑み、この私を打ち負かすとは。さすが、サンクナートが選んだ人間だけのことはあったか」

 球体には口がないというのに、それでも、賛辞を送るようなヴァグナトスの声は聞こえてきた。

「とにかく、これでサンクナートとの約束は果たしたし、私も思い残すことなく魔界に帰ることができる。だが、できることなら、お前たちとはもう一度、戦いたいものだ」

 ヴァグナトスは目で笑って見せた。

「今度は私が全力を出せる魔界で」

 そう言うと、ヴァグナトスの体は背景に溶け込むようにして消えてしまった。それから、補足するように口を開いたのはサンクナートだ。

「ヴァグナトスは過去の大戦いでおいらと戦ったんだ。その時はおいらに負けたんだけど、おいらもヴァグナトスの命までは取らなかった」

 サンクナートは懐かしむような声で言葉を続ける。

「だから、ヴァグナトスはその借りを返すために、天空石の守護という役目も引き受けてくれたのさ。ま、奴にとっても千年を超える月日は長かったはずだし、律儀な奴だよ」

 そう言うと、サンクナートは片目をパチッとさせて笑った。

「そっか」

 僕は胸を撫で下ろしながら息を吐くと、サンクナートに目で促されるまま奥にある祭壇へと近づく。

 それから、恐る恐る宙に浮かぶ天空石へと手を伸ばした。

 僕の指が何の抵抗もなく天空石に触れる。だが、僕の体に対しては、これと言った力は働かなかった。

 そして、僕は天空石を手に取り、胸の前まで持ってくると、みんなの方を振り向いてぎこちなく笑う。

 それを受け、みんなも大きなことをやり遂げたような顔で笑った。


 僕たちは迷宮から帰ってくると、ギルドの酒場に来た。そこで天空石を手に入れたお祝いをしようと決めたのだ。

 肝心の天空石は、僕の腕に抱えられている。だが、物を浮かすためには天空石にエネルギーを注ぎ込まなければならないのだ。

 ここにバード博士がいれば、エネルギーがなければ天空石という装置は動かないと説明したに違いない。

 そして、サンクナートが言うには、天空石を動かすエネルギーは何でも良いのだそうだ。だから、魔力でも構わない。

 現に天空石を触らせてくれと頼んできたレイナードは天空石に魔力を注ぎ込んで、自らの体を宙に浮かせた。

 ちなみに物体を宙に浮かせるような重力を操る魔法はコントロールが極めて難しい。リンゴ一つ浮かばせるだけでも、相当な労力を必要とするのだ。

 故に、人間が空を飛ぶのは魔法の力を持ってしても不可能と言って良かった。

 なのに、天空石があればただ魔力を注ぐだけで宙に浮かぶどころか、自由に空を舞うことさえできる。

 この力にはレイナードも瞠目していたようだった。とはいえ、魔力を扱えない僕には天空石の力は引き出せない。

 それはかなりもどかしいことと言えた。

 僕たちはいつものように五番テーブルに着くと、大量の料理を注文する。それから、ヴァグナトスと戦った疲れを癒すように料理を食べた。

 そして、僕たちは一息吐くと、揃って改まったような顔をする。テーブルの中央には天空石が置かれ、黄金色の輝きを放っていた。

「さてと、この天空石をどうするか。俺としては天空石の存在を公なものにして、祖国にまで轟くような名声を手に入れたいところだが」

 ロッシュはフライドチキンに豪快にかぶり付きながら言った。

「あたしもそうしたいわね。天空石を手に入れたことを発表したら、あたしの名前も王都中に知れ渡るだろうし」

 そう言って、セレスは使い物にならなくなった盾をちらっと見た。

「あくまで個人的な意見ですが、天空石は然るべき組織に託した方が良いと思います。個人で扱うには天空石は手に余る代物ですし」

 ミリィは場の空気を読むように控え目に言った。

「私は…」

 レイナードは声を詰まらせる。

 どうも、天空石を手に入れてからの彼の様子はおかしかった。どこか思い詰めているような感情が顔に表れているのだ。

 レイナードがなぜ天空石を手に入れたいと思っていたのかは知らないが、何か事情があるなら打ち明けて欲しかった。

「僕もみんなの方針に反対するつもりはないよ。でも、その前に天空石をバード博士に使わせて欲しい」

 僕はみんなの心を汲み取りつつ言葉を続ける。

「最初に言ったけど、僕はどうしても天空都市に行かなければならないんだ」

 僕は決意に満ちた眼差しで言った。

「確か、妹を連れ戻すためだったな。ま、お前がパーティーを結成したリーダーなんだし、俺もお前の決定には従うつもりだ」

 ロッシュは苦笑しながら肩を竦めた。

「あたしも同じよ。フィルの熱意と行動力があったからこそ、こうやって幻の天空石を手に入れることができたんだから」

 セレスの言葉には何の含みもなかった。

「私もフィルなら正しく天空石を使うことができると思っています」

 ミリィの僕に対する信頼は傷つけるわけにはいかないな。

「ありがとう、みんな」

 僕は相好を崩したような顔でお礼を言った。それを受け、レイナードを除いたみんなは一様に微笑ましそうな顔をする。

「その代わりと言っちゃ何だが、俺も天空都市に連れてってくれよな。空を飛ぶとかいう船には俺たちの乗るスペースくらいあるんだろ」

 ロッシュはフライドチキンの骨を皿の上に放り投げると、愉快そうに笑った。

「あたしも行きたいわね。王都に生まれてこの方、ずっと天空都市のある空を見上げて育ったんだから」

 セレスは腕を組みながら言った。

「それは私も同じです。天空都市に行くのは王都にいる人間なら、誰もが一度は夢、見ることですから。なので、私もこの機会は逃したくはありません」

 少し怖がりなところもあるミリィも付いて来てくれるわけか。みんなが一緒にいてくれるなら、これほど心強いものはないな。

「だが、天空都市には邪神ゼラムナートが待ち構えている。ゼラムナートは選ばれた者、以外の人間が天空都市に入り込むことを決して許したりはしない」

 真顔で口を開いたレイナードは、まるでゼラムナートことを良く知っているかのような口振りで言葉を続ける。

「脅すわけではないが、事と次第によっては魔王ヴァグナトス以上に苦しい戦いを強いられることになるかもしれないぞ」

 レイナードの言葉を聞き、みんなもそわついたよう顔をする。

「だとしても、僕は恐れずに天空都市に行くよ。ここで逃げたら、一生、逃げ続けなきゃならなくなる」

 僕は胸に様々な思いが去来するのを感じながら言った。

「そうか…。なら、私も同行させて貰う」

 そう消え入りそうな声で言うと、レイナードは黙想するように目を瞑る。みんなも言葉を出しづらくなったのか、押し黙ってしまった。

 それから、僕はただ一人、緊張感とは無縁の顔で唐揚げを頬張っているサンクナートに目をやる。

「そろそろ、天空都市の秘密について教えてくれないか、サンクナート。天空石は手に入れたんだし、話せない理由はもうないはずだろ?」

 僕は真剣な顔でサンクナートに言葉を投げかけた。

「でも、ショックの大きい話になるぞ」

 サンクナートはいつものような、ひょうきんさが失われた顔で問い掛けてくる。

 それに対し、僕も「構わない」と言って、サンクナートの目を凝視した。すると、サンクナートは溜息を吐いてから、ゆっくりと口を開く。

 そんなサンクナートの話を簡単に纏めるとこうだった。

 かつて、平和を謳歌していた世界、リバインニウムが大きなゲートを介して他の世界と繋がったことがあった。

 その際、異世界の人間の多くがリバインニウムに入り込んだ。しかも、彼らは大きな力も持っていた。

 それから、異世界の人間たちは、リバインニウムを支配しようとした。

 が、それに怒ったリバインニウムの創造神は、その人間たちをたちどころに滅ぼしてしまった。

 しかし、中には生き残った者もいて、彼らはリバインニウムに住む人間、つまり、リバイン人と交わり、次第にその数を増やしていった。

 すると、異世界の人間の血を引く者たちは、リバインニウムで暴虐の限りを尽くすようになった。

 大きな戦争も幾度となく起こり、たくさんの血が流れた。

 今まで何の問題もなかったリバインニウムの平和が崩れた原因は、どう考えても異世界の人間の悪意ある血だった。

 そして、そんなリバインニウムの状況を見かねた創造神の僕である善神、サンクナートは純粋なリバイン人を救うために動き出す。

 サンクナートはまずリバイン人と共に天空都市を作り上げ、そこに純粋なリバイン人だけが住めるようにした。

 もしもの時は天空都市から、異世界の人間の血を引く者たちがいる地上を大洪水で滅ぼせる装置もリバイン人たちに作らせて。

 そして、まだ地上にいるリバイン人たちを救済するために天空都市へと転移できるゲートも作った。

 天空都市サンクリウムには純粋なリバイン人だけが転移できる。

 一方、善神サンクナートは天空都市が完成してすぐに異世界から突如として現れた悪魔を退けた戦いで力を使い果たしてしまう。

 それからは、ただの羽の生えた蛇になって世界各地を放浪することを余儀なくされた。

 そして、創造神もまた大きな脅威は去ったと判断したのか、何処かへと姿を消した。

 が、その間に元々、サンクナートと対立していた邪神ゼラムナートが天空都市に入り込み、そこに住む人々を支配するようになった。

 その上、長い年月が経ち人口が増えると天空都市はリバイン人が住むには狭い場所となった。

 故に邪神ゼラムナートは大洪水で地上の人間を滅ぼし、純粋なリバイン人が地上に移り住めるようにしようとした。

 だが、サンクナートが遙か昔のリバイン人に作らせた大洪水を起こす装置は、そう簡単には起動できないようになっていた。

 なので、ゼラムナートも装置の起動方法の解明を現在、天空都市に住んでいるリバイン人たちに急がせている。

 そして、ゼラムナートはまた地上の人間が空を飛んで天空都市に直接、乗り込むことができないよう、サンクナートがもしもの時のために作らせた天空石も破壊しようと企んでいた。

 と、言うような話をサンクナートは抑揚のある声で語った。

 その話を聞いた僕は愕然としてしまった。

 それから、妹のルーミィが天空都市へと転移できたのは純粋なリバイン人だったからに違いないと確信する。

 反対に転移できなかった僕には異世界の人間の血が混じっていると言うことか。

 一方、その話を聞いていた他のみんなも驚きを隠せない顔をしていた。

 ただ、レイナードだけが平然としている。彼はその程度の事実はとっくに把握していたとでも言いたげな顔をしていた。

 その後、サンクナートの話を聞き終わった僕たちは宴会気分も吹き飛んでしまい、しばらくすると解散した。

 

 次の日の朝になると、僕は神殿に行っていつもの日課をこなした。

 だが、五年も続いた日課も今日で最後になるかもしれない。何せ、探し求めていた天空石を手に入れたのだから。

 それから、僕は心なしか重い足取りでカフェ・リーファに向かう。みんなとはギルドの前で待ち合わせをしていたが、まだ時間があった。

 僕は心を落ち着かせるためにも、リーファさんの煎れる紅茶でも飲もうと思い、涼むこともできるにカフェ・リーファの店内に入る。

「フィル君か。君の活躍は聞いているわよ」

 店の中に足を踏み入れると、カウンターでコップを拭いていたリーファさんが柔和な笑みを浮かべた。

 朝のためか、今日も店に客はいなかった。客で混み始めるのはやっぱり昼と夜らしいな。

「はあ」

 僕は間の抜けたような声を出す。

「ジャハナッグを倒し、天空石も手に入れたそうじゃないの。みんな、天空石をどのように使うのか注目してるわよ」

 それを聞き、僕は内心、冷やっとしていた。天空石を手に入れたことは、他の人にはまだ誰も知られていないと思ったからだ。

「そうなんですか?」

「ええ。漏れない情報はないわ。裏の世界ではその情報はもう知れ渡ってるから、君も天空石を奪われないように気を付けた方が良いわよ」

 リーファさんは僕の前に冷水の入ったコップを置いた。

「分かりました」

 魔王すら倒した僕から奪えるのなら奪って見ろと言いたくなる。

「それと、君の仲間にいる素性の分からない魔導師に良くない噂が立っているのは知っているかしら?」

 リーファさんの眼光が僕を射抜いた。

「レイナードさんのことですか?」

 他に思い当たる人間はいない。

「ええ。その様子だと、君もその魔導師についての情報はあまり持っていないようね。でも、裏の世界の情報屋の一人が金になると思ったのか、その魔導師のことをしつこく嗅ぎ回っていたのよ」

 確かに僕たちの情報は金になるだろう。

「何か分かったことでもありましたか?」

 レイナードが本当は何者なのか、僕もずっと知りたいと思っていた。

「いいえ。その情報屋は現在、大怪我をして病院に入院しているそうよ」

 リーファさんは懸念を滲ませながら言葉を続ける。

「どうも、その魔導師から無理やり情報を引き出そうと手荒な真似をして、返り討ちに遭ってしまったらしいわね」

 リーファさんは淡々とした口調で言った。

「そうですか」

 僕は複雑な胸中で俯いた。

「だから、あの魔導師は危険だと裏の世界に生きる冒険者の間では囁かれているわ」

 リーファさんのその言葉には僕も反論したくなった。

「でも、レイナードさんは良い人です。僕もあの人には何度も助けられましたし、とても悪い人には思えません」

 僕はそう断言するように言っていた。

「かもしれないけど、自分の正体をひた隠しにしている胡散臭い輩に変わりはないと思うの。余計なお世話かもしれないけど、君もあまり心を許さない方が良いわよ」

 リーファさんの言葉が胸に突き刺さるのを感じながら、僕は鬱々とした顔で紅茶を飲み、蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキも食べる。

 でも、心にしこりがあったせいか、いつもより美味しく感じられなかった。


 待ち合わせの時間になる。

 僕たちは一人も欠けることなく、約束の時間までにギルドの建物の前にやって来た。それから、寄り道することなく、みんなでバード博士の家へと向かう。

 その間、僕に話しかけてきたのは屋台のソーセージが食べたいと強請るサンクナートだけだった。

 そして、いざバード博士の家に辿り着くと、ロッシュは庭にある船を目にし「すげーな」と感心しているのか呆れているのか良く分からない声を上げる。

 僕もこの船が本当に浮かんでくれるのか、不安がないと言ったら嘘になるだろう。

 僕は玄関に行くと、いつものようにベルを鳴らす。すると、トーストのパンを口に咥えたバード博士が顔を出した。

「フィルか。これはまた、たくさんのお客人を引き連れてやって来たものだな。私が人間嫌いな性格だということを忘れてしまったのか」

 みんなを見たバード博士はあからさまに顔をしかめる。それに対し、みんなは愛想笑いをした。

「天空石を手に入れたんです。ですから、船を浮かばせて、僕たち全員を天空都市にまで連れてってください」

 僕は滑舌、良く言った。

「それは本当か!であるなら、さっそく船に天空石を取り付けよう。なーに、そんなに時間は掛からないから家の中でコーヒーでも飲んで待っていてくれ」

 バード博士は僕たちを安心させるように笑う。

「分かりました」

 そう言うと、僕は袋から天空石を取り出し、それを子供のように目を輝かせているバード博士に渡した。

 すると、バード博士は食べかけのパンを口の中に押し込んでから庭にある船へと登り、何やら作業を始める。

 僕は上手くいってくれと、祈りながらバード博士の家に入った。

「あれがバード博士か。聞いていた以上に奇天烈そうな外見をしていたな。あんな人に天空石を使わせて本当に大丈夫なのか?」

 ロッシュは目を眇めながら、窓から庭にある船を見た。

「たぶん…」

 僕は煮え切らない言葉を返す。

「そこは信じるしかないでしょ、ロッシュ。ちなみにあたしはバード博士の家に船があることはちゃんと前から知っていたわよ。ま、こうしてバード博士の家の中にまで上がり込んだのは初めてだけど」

 そう口にするセレスは新しい盾を所持していた。

「私は飛び級でアカデミーに在籍していたので、バード博士の講義は何度も聞いたことがあります。その時も何というか変わっていましたね」

 ミリィは穏やかに苦笑した。

「まあ、いくら変わっていても、それに見合うだけの知識や技術力が備わっていれば文句はないんだが」

 ロッシュは精彩を欠くような顔で言った。

「それは同感ね」

 セレスも相槌を打つ。

「大丈夫だと思いますよ。バード博士はアカデミーの博士号を幾つも持っていますから。博士が優秀なのは、一応、誰もが認めていることなんです」

 ミリィがバード博士のことをフォローする。それを聞き、僕もバード博士を擁護するように口を開く。

「その通りだよ。まっ、バード博士が歴史に名を残せるような人間になれるかどうかは、あの船を動かせるかどうかで決まるさ」

 僕はヤカンでお湯を沸かしながら言葉を続ける。

「もし、それができなければ一生、変人というレッテルを貼られたまま人生を終えることになる。それは本人だって嫌なはずだろうし」

 バード博士が人間として輝ける機会は、天空石を手にした今をおいて他にない。

「なら、あたしたちも博士の意地とプライドに賭けるしかないわね」

 セレスはそれも面白そうだとばかりに笑った。

「何とも、分の悪そうな賭だな」

 ロッシュも揶揄するように言った。

 僕はバード博士の人生が灰色にならないことを信じながら時が来るのを待つ。ただ、待つという行為がこんなに焦れたく思えた時もない。

 そして、僕がみんなの分のコーヒーを入れてから、一時間ほどが経つと、ただでさえ汚い白衣を更にしわくちゃにしたバード博士がやって来る。

「みんな、天空石の取り付けは終わったぞ。後は、空を飛んで天空都市に行くだけだし、みんなも船に乗り込め」

 バード博士はプラスのドライバーを握りながら、白衣の袖で額から噴き出す汗を拭う。

 そして、その言葉に促されるように僕たちが家を出ると、そこには確かに船底が地面から離れている船があった。

 大きな船が紛れもなく宙に浮いているのを見て、僕は胸に沸き立つようなものを感じる。これで本当に念願の天空都市に行くことができる。

 僕は込み上げてくる熱い感情を持て余しながら、船の甲板へと昇るための取っ手に手をかける。

 そして、みんなも期待と不安とが綯い交ぜになったような顔で船に乗り込むと、バード博士は船首に取り付けられて舵を握った。

 そして、ついに船が蒼穹の空へと旅立つ時が来た。

「行くぞ、エクスバード号」

 バード博士が捻りを感じられない名前を口にすると、船は僅かな振動を立てて徐々に空を昇っていく。

 船の両側に取り付けられた翼も吹き付ける風を切るように角度を変えながら上下していた。

 その動きに合わせて、船も動く方向を変える。

 そして、空の旅に出ることになったみんなも興奮を隠しきれないといった顔する。

 バード博士の家の近くにいた人たちも、ポカンと口を開けながら船を見上げているし、この船を馬鹿にしていた奴らも、これで自分の愚かさを思い知るだろう。

 僕も空の上から人を見下ろすと、神様にでもなったような気分になる。

 それから、ついに地上の王都を見渡せるような高さにまで船が浮上すると、みんなが思い思いの言葉を口にする。

「こいつは凄いな。こんな風に空を飛べるなんて、夢でも見ているみたいだ。事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだ」

 ロッシュが空に向かって目を瞬かせながら言った。

「驚天動地とはまさにこのことね。天空都市へと行こうとしているフィルと出会えたのは本当にラッキーだったわ」

 セレスも喜々とした顔をしている。

「上から見ると王都の景色も素晴らしいですね。もし叶うなら、私もこの船で世界中の景色を見てみたいんですが」

 ミリィは空からの眺めを満喫するように言った。

「天空石の力を、ここまで自由に操作するとは、地上にいる人間の技術も侮れないな」

 僕のポケットから顔を出していたサンクナートは称賛するように言った。ただ、レイナードだけが不気味なほど静かに沈黙を守っている。

「これから、天空都市に乗り込むわけだが、覚悟は良いか?フィルの話が確かなら、何か恐ろしい存在が待ち構えているのだろう?」

 バード博士がそう尋ねてくると、みんなは少し怖じたような顔をした。

「平気だよ。何が出てこようと今の僕たちなら負けはしない」

 僕がそう毅然とした声で言うと、みんなも迷いを捨て去ったような顔で頷く。それを受け、バード博士も満足げに顎を引くと、舵を大きく動かした。

 すると、船は急にスピードを上げて、くっきりと見えるようになってきた天空都市へと近づいていく。

 反対に地上の王都の建物は、その輪郭がぼやけてきた。

 そして、ゆったりと流れる雲にも手を伸ばせば届くのではと思えるほど、船が空高くまで来ると、僕もあと少しだと心の中で呟く。

 だが、そんな僕たちを阻む者が現れる。

「天空都市には行かせんぞ!」

 まるで、雷雲から轟くような声が不意に聞こえてきた。もちろん、船の上で発せられた声ではない。

 僕が船の手摺りに近寄ると、下から黒いドラゴンが翼を大きくはためかせて近づいてくるのが見えた。

 あれは間違いなくジャハナッグだ。

 ジャハナッグの体は前に戦った時と同じ大きさだった。

 だが、その体はあちらこちらから白煙が立ち上っていて、肉もまるでゾンビのように崩れていた。

 おそらく、ジャハナッグも自らの体を構築するのがやっとなのだろう。だから、あんなアンデット化したような姿をしているに違いない。

 僕は天空都市まで後一歩というところで襲われるなんて、と戦々恐々とした気持ちになる。

 一方、ジャハナッグは口から炎の球を幾つも吐き出してきた。その内の一つは船体を掠め、一部を焦げ付かせる。

 もし、炎の球をまともに食らったら、あくまで木でできている船は燃えてしまう。

 僕がどうしたものかと焦っていると、ミリィが矢をつがえずに弓を引き、聖なる光りで形作られた矢を放った。

 それは狙い通りにジャハナッグの脳天に突き刺さり、頑強さが失われていた体を内部から爆発させた。

 ジャハナッグの体はバラバラの肉片となり、空へと散らばる。ミリィの神聖魔法の効果はやはり絶大だった。

 ジャハナッグも自らの体を不完全な形で構築したのは間違いだったな。もっとも、そうでもしなければ僕たちを止められなかったんだろうが。

 そして、撒き散らされた肉片の中から現れた小さなドラゴンは、僕たちの耳を打つような大声を上げる。

「これで終わったと思うなよ。貴様たちの始末は邪神ゼラムナート様が付けてくれる。貴様たちが生きて地上に戻れる可能性は万に一つもない!」

 そう言い切ると、ジャハナッグは前と同じように、僕たちに小さい背中を向けて逃げていった。

 それから、僕が安堵の息を漏らすと、いよいよ天空都市が間近にまで迫ってきた。

 天空都市の裏側にある綺麗に敷き詰められた白石の壁が、肉眼で見えるようになったのだ。

 僕はここまで来たら絶対に妹を見つけ出してやると決心しながら、船が天空都市サンクリウムに辿り着くのを待った。



 エピソードⅤに続く。




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