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加筆修正版 エピソードⅢ 死者を動かす竜

 エピソードⅢ 死者を動かす竜


 リザードマン・ロードを倒してから、三日が経った。

 その間、僕は邪竜ジャハナッグと戦う心の準備をしていた。

 この三日間、顔こそ合わせていないが、みんなも危険な戦いに備えて、心を引き締めているに違いない。

 僕は朝起きると、ベッドの上で大きく伸びをした。

 今日も窓の外の空は快晴だった。太陽は爛々と輝いているし、その光りは何とも眩しく感じられた。

 そして、いつもと変わらぬ様子で、空には天空都市が浮かんでいる。天空都市にいる人たちも夏は暑いとげんなりしているんだろうか。

 もっとも、天空都市は地上よりも文明が進んでいると言うから、簡単にアイスクリームの一つでも食べられるのかもしれない。

 とにかく、どうなるかはまだ分からないが、ようやく天空都市に行くという夢も少しずつではあるが現実味を帯びてきた。

 今までは本当の意味で天空都市に行けるとは思っていなかった気がするからな。だから、僕も虎の尾を踏むようなことはしなかった。

 でも、あのジャハナッグと戦うことが決まった以上、僕も本気にならないと。でなければ、せっかく仲間になってくれたミリィたちに申し訳が立たない。

 ま、僕が始めたことだし、責任を持って最後までやり遂げないとな。その結果、死ぬことになっても、所詮はそこまでの人生だったと諦めるさ。

 どうせ人間は永遠には生きられないし、夢を叶えるためには危ない橋だって渡らなきゃならない。

 邪神ゼラムナートの忠実な僕であり、不老不死の竜の体を持っているジャハナッグみたいにはなれないからな。

 だらこそ、自分は永遠に生きられるくせに人間の死体をゾンビにして、命の尊厳を踏みにじるジャハナッグは放置してはおけない。

 僕も迷宮の地下六階に足を踏み入れた時は肉が腐って、鼻が曲がるような臭いを漂わせていたゾンビに襲われたし。

 ゾンビなんかを迷宮に徘徊させないためにも、この機会にジャハナッグは完膚なきまでに叩きのめしてやらないと。

「フィル、朝食ができたわよ。それと、神殿に行くなら、いつものように紅茶の茶葉を買ってきてちょうだい」

 母さんの声を聞いた僕は用意してあった朝食を食べると、意気揚々と言った感じで家を出る。

 それから、徒歩五分の距離にあるメイン通りへと向かう。

 いざ、辿り着いたメイン通りは朝から大賑わいだった。そういえば今日はこの先の中央広場で、自由市場が開かれているんだったな。

 自由市場はその言葉の意味通り、どんな人でも自由に物を売ったり買ったりすることができるのだ。

 もっとも、必然的に場所争いなどは起きるから、棲み分けのようなものはちゃんとされているけど。

 そんな自由市場は月に二回ほど開かれる。

 僕も古くなった家具などを、敷物を広げて売ったことがあるし。何にせよ、自由市場の日ならこの人の多さも頷ける。

 僕は人とぶつからないようにメイン通りを歩き、路地へと入る。すると、途端に縦に長い建物によって太陽の光が遮られた。

 そして、そこには子供が入ってはいけないような、所謂、大人の欲望を満たす店が軒を連ねている。

 もう少し時間が経つと女性たちも店の前で客引きを始めるからな。

 自由市場のような日には朝早くから、こういった店に足を運ぶ人も、けっこういるみたいだし。

 とはいえ、僕はこの路地の一角にある喫茶店に用があるのだ。

 穴場とも言える場所にある喫茶店の女性マスターから、僕は定期的にブレンドして貰った紅茶の茶葉を買っているからな。

 なので、こうして日の当たりにくい路地も歩いている。

 僕は周りにある店とは違い、嫌らしさは全く感じさせないシックで落ち着いた雰囲気を漂わせている店の前まで来る。

 レトロな看板には洒落っ気のある文字で、カフェ・リーファと書かれていた。

 僕はオープンという札が出ているのを確認してから、入り口の扉を開けた。すると、スーッと冷たさを感じる風が僕の肌を撫でた。

「フィル君か、よく来たわね」

 店に入ると、カウンターの奥でガラスコップを拭いている二十歳くらいの女性がそう声をかけてきた。

 時間が時間なので客は一人もいない。

 ちなみに茶色を基調とした小綺麗で、モダンな造りの店内には心地良い空気が流れている。まるで、外の暑さが嘘みたいな涼しさだ。

 なので、ここだけ別世界と言っても良いし、僕の体の汗も引いていく。

 僕はテーブルや椅子、カウンターに至るまでピカピカに磨かれているのを見て、相変わらず良い仕事をしているなと思った。

「いつものやつありますか、リーファさん」

 僕は口元を綻ばせながら尋ねた。

「あるわよ。今日は自由市場で質の良い茶葉を仕入れることができたし、ブレンドの方も完璧にできてるから、味の方は保証するわよ。だから、たくさん買ってってね」

 この喫茶店を営んでいる女性マスターのリーファさんはどこか見ている者を安心させる顔で笑った。

「じゃあ、五百グラム頂きます」

 僕がそう言うとリーファさんはニコッとした。

「分かったわ」

 リーファさんはカウンターに冷水の入ったコップを置いて、僕の前でたくさんの茶葉を袋詰めにし始めた。

 僕はリーファさんの茶葉を扱う手際の良さを見ながら、冷水をゴクゴクと飲み干す。

 ただの水も美味しいのは、さすが喫茶店と言ったところか。

 これを飲んだら、僕の母さんが汲んでくる井戸水なんて、不味く感じられてしょうがなくなるだろうな。

「それと、小耳に挟んだんだけど、ギルドでパーティーを結成して、早くもリザードマン・ロードを倒したそうじゃない、フィル君」

 袋詰めの終わった茶葉を、カウンターを挟んだ向かい側にいる僕の前に置くと、リーファさんはそう言葉を投げかけた。

「やっぱり、知っていましたか。さすがリーファさんですね」

 僕は苦笑いした。

「私も昔は冒険者、相手の情報屋をやっていたと言ったでしょ。ま、今は引退して、喫茶店の女性マスターなんかをやってるけど、その手の情報は嫌でも耳に入るわ」

 それは前にも聞いた。

 ちなみにリーファさんは普通の人間ではない。その証拠に、額や胸元には紋様のようなものが刻まれている。

 どうも、リーファさんの体には老化を遅らせる魔法が掛かっているようなのだ。なので、外見は二十歳くらいだけど、実際には五十年近く生きているらしい。

 とはいえ、魔法の力で老化を遅らせるのは別段、珍しいことではない。高名な魔法使いにお金を払えば、その手の魔法は何の問題もなくかけて貰えるし。

 ただ、払わなければならないお金の額が、一般人にはとても手が出せないだけだ。

 リーファさんも昔は凄腕の情報屋として、大金を稼いでいたみたいだから、そんな魔法もかけて貰えたのかもしれない。

「そうは言っても、裏の世界ではまだ現役なんじゃないんですか。僕もそういう噂はちらほらと聞いていますよ」

 僕は茶化すように言った。

 事実、リーファさんは僕の欲しているような情報を、店に来る度に教えてくれる。その情報の鮮度も、魚を刺身で食べられるくらい良いのだ。

 なので、時々だが、この王都中の情報がリーファさんに筒抜けになっているような錯覚を覚える。

「それはないわよ。ただ、今でも昔の仲間から色んな情報が入ってくるのは確かだけどね。表の世界には顔を出したくない冒険者も私の店に来ては、色んな話をしていくし」

 リーファさんは情報を売り買いしていただけあって、肝心なことに対しては口が硬い。だから、色々な人から信頼されているのだろう。

「そうですか」

 この人なら天空石がどこにあるのか知っていてもおかしくはない。そう思っていた時期もあったが、リーファさんでも、それは分からないらしい。

「ま、フィル君もこれから冒険者としてやっていくなら、交友関係は幅広く持ち、人脈も大切にしないとね」

 リーファさんが言うと説得力があるな。

「分かっています」

 僕は真摯な態度で頷いた。

「とにかく、無理はしないことよ。君はまだ若いんだし、軽はずみな気持ちで、あのジャハナッグに手を出したりしたら人生を棒に振りかねないわよ」

 リーファさんの言葉に僕もギクッとした。そんなことまで知っているなんて、やっぱりリーファさんは侮れない。

「肝に銘じておきます…」

 僕は頭を下げると、カウンターにお代を置いて膨れた茶葉の袋を手にする。それから、そそくさと店を後にした。

 

 僕はいつもの日課をこなすために神殿へと来ていた。

 だが、今日は魔方陣の前にフリックの姿はなかった。フリックも毎日、警備をしているわけではないので会えない日もあるのだ。

 僕はいつもとは違う心持ちで、魔方陣の中に入る。

 だが、やはり変化はない。

 もっとも、こんなことで気落ちしているわけにはいかない。

 この時の僕にはどういう形であれ、天空都市には必ず行けるという、根拠のない自信があった。

 それから、今日の一時にミリィたちとギルドで待ち合わせしていることを忘れないように気を付けつつ、今度はバード博士の家に向かった。

 バード博士も何とかして、古文書を完全に解読して、天空石の在りかを突き止めたいと思っているからな。

 その進捗の状況は定期的に確認しないと。

 僕は神殿を出ると、自由市場が開かれている人でごった返した中央広場を通り抜けようとする。

 その際、市場で売られていた新鮮なリンゴを買う。それから、甘酸っぱいリンゴを齧りながら、数日ぶりにバード博士の家に向かった。

 すると、バード博士の家の庭にあった船の一部が黒焦げになっていた。これには僕も少しぞっとする。

 それから、慌ててバード博士の家の玄関のベルを鳴らした。

「フィルか」

 バード博士は見るからに不機嫌そうな顔で現れた。その顔が何か嫌なことがあったことを物語っている。

「こんにちはバード博士。船が焦げているのを見たんですけど、何かあったんですか?」

 僕はすぐに尋ねる。

「近所の悪ガキが悪戯で火を付けたのだ。幸いすぐに消すことができたが、もう少し気付くのが遅かったら、全焼していたかもしれん」

 バード博士は白髪の頭を掻いた。

「酷いことをしますね」

 下手したら、バード博士の数年間の苦労が水の泡になるところだった。

「まったくだ。とはいえ、子供のやったことだし、いつまでも目くじらを立てていても仕方あるまい」

 バード博士は小さく息を吐くと、僕の目を見て言葉を続ける。

「にしても、今日はやけに生き生きとした顔をしているな。その顔を見るに、パーティーを結成したことで何か良いことでもあったのか?」

 バード博士は笑いながら、白衣の襟をピンとさせる。

「ええ。迷宮に潜ったその日の内にリザードマン・ロードを倒せましたし、パーティーに加わったみんなの実力は十分、確かめられました」

 僕は得た物は大きいと思いつつ言葉を続ける。

「迷宮での僕たちの戦い振りは博士にも見せたかったですよ」

 特にレイナードの使った凄い魔法はバード博士にとっても見る価値はあるだろう。

「それは良かった」

 バード博士はホロッとした顔で笑うと、改まったように口を開く。

「私も君に全てを任せるわけにはいかないと思い、天空石の在りかについては入念に調べている。だが、残念ながら天空石の詳しい場所に関しては依然として何も分からない」

 バード博士は一転して難しい顔をする。

「そうですか」

「いずれにせよ、私も研究者としてのプライドに賭けて、古文書の内容だけは全て解読して見せるつもりだ」

 バード博士は熱意を感じさせるように言ったが、すぐに溜息を吐く。

「だが、ひょっとしたら古文書には天空石の詳しい在りかは記されていないのかもしれんな」

 だとしたら、迷宮にあるだけに迷宮入りになってしまうってことか。

「そうなると、古文書ばかりを頼りにすることはできなくなりますね。まあ、僕の方でも、ちょっとした手がかりを掴んだんですけど…」

 僕は奥歯に物が挟まったような感じで言った。

「手がかりだと?」

 バード博士は眉を持ち上げた。

「はい。邪竜ジャハナッグを倒せば天空石の在りかが分かるそうです。もっとも、酒場にいる自称サンクナートの言葉ですから宛てにはなりませんけどね」

 僕はバード博士にあまり期待させないように言った。

「あの飲んだくれのホラ吹き蛇か。確かに、奴の言葉を真に受けるのは止めた方が良いだろうな」

 僕もその辺は心得ている。

 だからこそ、僕も糠喜びをさせたくなくて、今日になるまでバード博士にその情報を伝えなかったのだ。

 もちろん、ジャハナッグと戦うことが怖くて、その情報を信用できるものではないと無理に決めつけていた部分もある。

 だが、そうやって逃げている内はいつまで経っても天空都市には行けないだろう。だから、僕も覚悟を決めた。

「はい。でも、僕はジャハナッグを倒しに行くつもりです。今のところ、それしか手がかりはありませんから」

 僕は目力を強くしながら言った。

 とにかく、天空都市に行くためには、どんな些細な手がかりでも無視するべきではない。そのせいで、命を失うことになろうとも。

「そうか。まあ、ジャハナッグは恐ろしいドラゴンだし、勝てそうにないと思ったらすぐに逃げるんだぞ。奴は住処としている部屋から一歩も出ようとしないし、逃げるだけなら難しくないはずだ」

 そう言うと、バード博士はコーヒーを入れるからリビングでくつろいでくれと言った。


 僕はギルドの酒場の五番テーブルで、みんなが来るのを待っていた。すると、時間ピッタリにみんなが揃って現れる。

 どうやら、ジャハナッグに恐れを成した人間はいないみたいだな。ま、そうでなくては面白くない。

 四人が固まって歩いてくると、酒場に漂う空気が少し物々しいものに変わった。客の中には僕たちの方をじろじろ見てる人もいるし。

 その証拠にリザードマン・ロードを倒した日よりも、みんなの存在感は増しているようだった。

 ま、僕たちも少しずつではあるが、冒険者としての貫禄が板に付いてきたと言うことだ。

「さてと、これから迷宮の十階を目指すんだけど覚悟は良いかな。もし、問題があるようなら今の内に言ってよ」

 僕はアップルジュースを飲みながら、みんなに言った。

「別に問題はないけど、何か注意するべき点があるなら教えておいて貰いたいわね。あたしも三階より下は行ったことがないから」

 セレスはやや不安げな顔で言った。

「六階から十階まではゾンビが出て来るんだ。ゾンビは武器も使ってくるし、なかなか死なないから倒すのには苦労させられるよ」

 僕もゾンビは過去に二体しか倒したことがない。

 でも、ゾンビたちは首を切り裂かれようと、心臓を貫かれようと動きを止めることなく問答無用に襲いかかってくるのだ。

 ただ、頭部を破壊すれば完全に動かなくなる。

 あと、ゾンビは相手が人間だろうとモンスターだろうと、生あるものには見境なく襲いかかる。

 そして、人間やモンスターを殺して、ゾンビの仲間を増やそうとするのだ。

 だからこそ、六階から十階までの間で死んだ人間やモンスターの頭部はゾンビになる前に予め、切断しておくことがベターだ。

 そうすれば動き出すこともなくなる。

 ただ、その死体に鞭を打つ行為に忌避感を憶えるものも多く、徹底はされていない。

「なるほどね」

 セレスは腰の剣に視線を落としながら言った。彼女もゾンビ相手に普通の剣で戦うのは、心許ないと感じているのかもしれない。

「でも、私はアンデット系のモンスターに絶大な効果がある神聖魔法が使えますよ。ゾンビ相手に試したことはないですけど、それでも効き目はあるはずです」

 そう言葉を差し挟んだのはミリィだ。

「そうだった。ミリィの神聖魔法があれば、戦いを有利なものにできるかもしれないね。でも、ゾンビたちの怖さに怯んだら駄目だよ」

 僕だってゾンビは怖いのだ。

「分かっています。私も哀れなゾンビたちに対しては殺すのではなく、救うつもりで戦いますから」

 ミリィは今までにはなかった気丈さを見せながら言った。

「ま、ゾンビなんてたいしたことないだろ。それよりも問題なのはドラゴンのジャハナッグだ。何か、奴に勝てるような秘策はあるのか」

 ロッシュは宙を仰ぎながら言った。

「正直、真っ正面からぶつかってみるしかないと思う。下手な小細工は通用しないばかりか、逆効果になりかねないし」

 僕たちのパーティーの総合力が試されるのは確かだ。

「そりゃ、しんどいものがあるな。ま、伝説にしか出て来ないと信じられてきたドラゴンを倒せば、俺の名も上がるってもんだが」

 ジャハナッグの首に掛けられた賞金は千二百万シェケルだ。

 リザードマン・ロードとは桁が違いすぎる。が、それだけ途方もなく危険な相手でもあるのだ。

 例えジャハナッグに直接、殺されなくても、迷宮の六階から十階までで死んだ冒険者やモンスターはフロアーの隅々まで行き渡るジャハナッグの力で自然にゾンビになってしまうようだし。

「ただ、逃げることはそれほど難しくないみたいなんだ。ジャハナッグは一つの場所から動こうとしないから」

 それが唯一の救いだ。

「ひょっとしたら、その場所に天空石の手がかりがあるのかもしれないわね。何もないところに居座るほどジャハナッグも酔狂ではないだろうし」

 セレスの言ったようなことは僕も考えていた。だが、あの部屋に何もないことは既に確認されている。

 なのに、その部屋に陣取っていると言うことは、ジャハナッグも何か特別なものを嗅ぎ取ったのかもしれない。

「うん」

 僕が頷くと、みんなは顔の表情を引き締めて、ギルドの酒場を出た。ただ、何も言葉を発さずに黙していたレイナードはちょっと心配だったけど。

 まあ、リザードマンやゴブリンとの戦い振りを見る限りでは、今度もちゃんと活躍してくれるだろう。

 そう思った僕はみんなを連れて、ギルドを出た。

 

 僕たちは昨日と同じように迷宮の中へと足を踏み入れる。みんなの力はある程度、把握できているので必要以上の緊張感はなかった。

 そして、迷宮の通路を歩き始めてから十分ほど経つが、今のところはモンスターも出てこない。

 ただ、他の冒険者たちとは顔を合わせることができた。

 その冒険者たちは僕たちが、リザードマン・ロードを退治してくれたおかげで助かったと言った。

 どうも、ここ数日の間、リザードマンの姿がパッタリと見られなくなったらしい。なので、迷宮での浅い階の仕事も苦労せずにこなせているのだそうだ。

 僕はリザードマン以外にも敵はいるので、油断は禁物だと思いながら、迷宮の通路を突き進む。

 そして、モンスターと出会うことなく四階まで下りてくる。

 その静けさに少し不気味なものを感じていると、いきなり五匹の鬼のような顔をしているオーガと鉢合わせした。

 僕もオーガと戦ったことは一度しかないし、あの筋骨隆々とした体つきには気圧されるものがある。

 しかも、その手には無骨な棍棒が握られていた。

 あんな物で殴られたら、肉は潰され骨は砕けるだろう。

 ま、当たればの話だけど。

 とにかく、鬼の顔をしているのはゴブリンと同じだったが、迫力はオーガの方が断然あった。もちろん、迫力だけでなく、手強さの方もあのリザードマンを上回っている。

 僕は剣を鞘から引き抜くと、オーガたちの攻撃に備える。リザードマンを相手にするのと同じ感覚で戦えば痛い目に遭うだろう。

 みんなは大丈夫だろうか。

「さてと、相手はリザードマンよりも手強いオーガだし、棍棒の一撃は強烈だから、みんなも当たらないように気を付けなよ」

 僕がそう言うと、みんなも声は出さずに頷く。

 そして、オーガたちの方も戦う姿勢を見せた僕たちに刺激されたように殺気を迸らせながら襲いかかろうとする。

 オーガの筋肉の塊のような足が、めり込みそうな勢いで床を蹴った。

 迫り来るオーガの猛烈さには、僕も怯みそうになるがドラゴンのジャハナッグと戦うと決めたからにはこの程度の敵には負けられない。

 ここは勇気の見せどころだぞ。

 一方、オーガは勢いよく棍棒を振り上げながら僕に肉薄する。それから、技もへったくれもない、ただの力任せな一撃を僕に加えようとする。

 が、僕は振り下ろされた棍棒の一撃を見切ったようにひらりとかわす。

 確かに申し分のない威力を持っている一撃ではあったが、それも当たらなければ意味がないというものだ。

 武器を扱う技量なら、リザードマンたちの方がまだ上だし。

 僕は今度はこちらの番だと言わんばかりにオーガへと剣を一閃させた。煌めく刃はオーガの丸太のように腕の肉に食い込む。

 が、オーガの体はやはり頑強で、弾力のある腕の筋肉によって剣の刃が押し返されてしまう。それを受け、僕は手痛い反撃を食らわない内にすかさず剣を引き戻す。

 ここで隙を見せるのは命取りだし、慌てず慎重に戦うことが求められていることはしっかりと理解していた。

「さすがにリザードマンを倒した時のようにはいかないか。まったく、羨ましくなるくらい良い体をしているよ」

 自分のヒョロッとした体つきを気にしていた僕は少し悔しそうに言った。

 一方、オーガは腕の傷に頓着することなく、僕に向かって叩きつけるように棍棒を振り回してくる。

 僕はそれを踊るようにかわして、反撃の機会を窺う。

 そして、オーガが甘さのある一撃を繰り出した瞬間、僕はそれを避けて、筋肉の鎧に覆われていないオーガの横腹に旋風を纏った一撃をお見舞いする。

 結果、そのオーガは僕の一撃を受けて胴を二つに断ち割られて倒れる。内臓が飛び出し、鼻を摘みたくなるような血臭が漂ってきた。

 ま、オーガと言えども、所詮はこんなものだ。冷静に戦えばどう転んでも負けるような相手ではないな。

 一方、ミリィは自分の方に向かってくるオーガに絶え間なく矢を打ち込んでいた。

 だが、オーガには見ているこっちが痛々しくなるくらい何本も矢が突き刺さっているのに、なかなか倒れてくれない。

 額に突き刺さった矢もあるというのに、それでも、オーガの猛進を止めることはできなかった。

 たいしたタフネスぶりだと言えるし、接近戦に持ち込まれたら、いくらミリィでも勝ち目はないぞ。

「怖い…。けど、負けられない!」

 そう叫ぶと、ミリィは凛とした表情でオーガに矢を放った。オーガの体を映したその瞳は透き通るような輝きを見せている。

 窮地に陥った時こそ、その人間の真価が問われる。ミリィの目はそんな言葉を僕に思い起こさせた。

 そして、ミリィの放った矢は見事、狙い澄ましたようにオーガの鍛えようのない柔らかな眼球に突き刺さった。

 今度こそ、鏃が眼球の奥の脳にまで達したのか、そのオーガは大きな体をフラッとよろめかせて倒れる。

 抉られた眼球からは煙が上がっていた。聖なる力がオーガの脳を焼いたのだろう。

「やった!」

 オーガを仕留めたミリィは小躍りしそうな声を発する。

 そして、ミリィの斜め前にいたセレスも、棍棒の一撃を余裕綽々といった感じで盾で受け止めると、的確に剣を振るってオーガの野太い首を切り飛ばした。

 セレスの戦い方にはミリィのような危うさがなく、安定感がある。

 これだけの卓抜とした戦い方ができるというのに、騎士になれないんだから世の中、間違ってるよな。

「この程度のモンスターじゃ、まだまだあたしの敵にはならないわね」

 セレスは金糸のような髪を揺らしながら言葉を続ける。

「ま、これからドラゴンと戦わなきゃならないわけだし、そのウォーミングアップくらいにはなったけど」

 そう言い切れるセレスは本当に強い。

 とにかく、セレスの戦い方を見た僕も多少、スピードは落ちるにしても盾は持っていた方が良いかもしれないと思った。

 ま、僕は騎士って柄じゃないけど。

 一方、不敵な笑みを浮かべているロッシュは、真っ向からオーガの棍棒を剣で受け止めて見せた。

 ギリギリと互いの武器が擦れ合う。

 オーガと腕力で張り合おうとするのは無茶だと言いたいところだけど、ロッシュにはそれができた。

 ロッシュの筋力も相当なものみたいだな。

 それから、力比べに打ち勝ったように棍棒を弾き飛ばすと、ロッシュはオーガの心臓を銀の流線を見せる突きで串刺しにする。

 そのオーガは血の塊を吐いて倒れた。

「相手がオーガでも、俺を楽しませてくれるような戦いはできないってわけか。ちょっと、がっかりだな」

 ロッシュはオーガの屍をつまらなそうに見る。

 そして、最後のオーガは床を蹴り上げてレイナードとの間合いを一気に詰めたが、繰り出した棍棒の一撃がレイナードを打ち砕くことはなかった。

 棍棒の一撃がレイナードの眼前にまで迫った瞬間、空間ごと握り潰されたかのようにオーガの肩がグシャッと破壊されたのだ。

 これには僕もこめかみの辺りを引き攣らせる。

 それから、オーガの肉がごっそりと目に見え見えない力によってもぎ取られる。

 その際、心臓も一緒に潰されてしまったのか、そのオーガは大量の血を撒き散らしながら倒れた。

 あれは空間を圧縮する魔法かもしれない。

 空間に働きかける魔法は、恐ろしく高度なものだと学校の授業で教わった。当の僕もレイナードが使ったような魔法は見たことがない。

 しかも、なぜかレイナードの体には返り血一つ吐いていなかった。

 見るからに不可解ではあったが、レイナードの力なら何ができてもおかしくはない。

 いずれにせよ、レイナードに秘められた力はまだまだこんなもんじゃないだろう。やはり、この男は底が知れない。

 そして、全てのオーガたちを打ち倒した僕たちは互いの無事を確認する。

「みんな怪我はないよね」

 そう言って、僕はみんなの方を振り向いたが、苦痛の色を見せている者は一人もいなかった。

「大丈夫だよ。でも、オーガもたいしたことなかったな。スピードはともかく、腕力では俺たちを圧倒してくると思ったが、とんだ見かけ倒しだ」

 ロッシュはオーガの屍を足で踏みつける。まあ、オーガが弱いんじゃなくて、僕たちが強すぎるだけだと思うけど。

「そうは言っても、まだ四階なのよ。五階以降は出てくる敵もガラリと変わるって言うし、安易な楽観はできないわね」

 セレスは棍棒の一撃を受け止めた盾が壊れていないか確かめながら言った。

「オーガなんかに手を焼いている私の力がどこまで通用するかは分かりませんけど、恐れずに頑張ります」

 ミリィは残りの矢を数えながら意気込む。

「私もジャハナッグに絶対に勝てるという自信はないし、無駄な魔力は使わないように気を付けなければ」

 レイナードはあくまで堅実だった。

「ま、次の相手はゾンビたちになりそうだから、気持ちを入れ替えないと」

 そう言うと、僕は再び慎重な足取りで通路を歩き始めた。

 そして、地下六階にまで下りてくると、急に迷宮の空気が変わる。鳥肌が立つような、死の気配が漂ってくるのだ。

 腐たような臭いも鼻を突くからな。

 とにかく、ここから先は僕にとっても未知の探索となる。今までの常識は通用しないと考えた方が良いだろう。

 そんなことを心の中で呟きながら歩いていると、生温かい空気と共に、くぐもったような声が聞こえてくる。

 そこには武器を手にしてユラユラと体を揺らしている人間たちがいた。

 だが、人間たちの顔はあり得ないくらい青くなっている。その目はまるで死体のように濁っていた。

 間違いなく、あいつらはゾンビだ。衣服もボロボロになっているし、何よりも漂ってくる腐臭が凄い。

「やっぱり、ゾンビとの戦いは避けられそうにないか。ま、こっちも逃げるつもりは毛頭ないんだけど」

 僕がじっとりとした汗を流しながら剣を構えると、四体のゾンビたちは緩慢な動きで近づいてくる。

 そして、先頭にいた僕に錆び付いた剣を振り下ろしてきた。不安定な軌跡を描きながら剣の刃が僕に迫る。

 だが、僕はその遅すぎる剣を難なくかわすと、ゾンビに斬りかかった。

 ゾンビは僕の斬撃で胸を切り裂かれたが、全く痛みを感じていないのか、そのまま剣で攻撃してくる。

 もっとも、どのように動いても当たるような攻撃ではない。

 僕は続けてゾンビの武器を持っている方の肩を切り裂いた。だが、それでもゾンビは千切れかけた肩で剣を振り上げてくる。

 それを受け、僕はゾンビの心臓を剣で貫いたが、ゾンビの動きは止まらない。オーガとは違った意味で戦いにくい相手だな。

 なので、僕はやっぱり首を切断するしかないなと思いながら剣を振るった。

 すると、その一撃はゾンビの首をあっさりと撥ねる。それから、頭部がなくなったゾンビは力を失ったかのように倒れた。

 さすがにゾンビだけあってしぶとさは折り紙つきだったな。

 だが、息を吐く暇もなく僕の後ろから、短剣を手にしたゾンビが襲いかかってくる。

 僕は後ろにも目が付いているかのように短剣の一撃を避けると、慈悲の心も込めながらそのゾンビを斬首した。

 手品のように首がなくなったゾンビはそのまま横倒れになる。

 そして、残りのゾンビたちはセレスとロッシュによって、首を切断されたり、脳天から真っ二つにされたりして倒れていた。

 ま、この二人だったら、ゾンビ相手でも怖じ気づいたりはしないだろう。僕もリーダーとして対抗意識くらい燃やさないとな。

「ゾンビって言っても、恐れるほどのものじゃないな。どこを切られても痛がらないのは不気味だが、頭を破壊すれば簡単に倒せるし」

 ロッシュは倒れたゾンビの体を爪先で小突いた。だが、ピクリとも動かない。

「確かにリザードマンやオーガたちの方まだ手強いわね。ま、精神的にはこっちの方が戦いづらいけど」

 セレスはあまり良い気分ではないような顔をした。

「生きとし生けるものは、皆いつかは死ぬ。なら、死ねば我々もあのゾンビたちと大差はなくなるということだ。となると、生命に救いというもの存在しないのかもしれないな」

 レイナードは独りごちるように言った。

「すみません、みなさん。私、手が震えて矢一本、放つことができませんでした。ここは神聖魔法を使える私の出番なのに役に立てなくて…」

 ミリィは忸怩たる顔で言葉を続ける。

「やっぱり、ゾンビは予想以上に怖かったみたいです」

 ミリィはシュンとしてしまった。

「気にする必要はないよ、ミリィ。それが普通の女の子の反応さ。むしろ、ゾンビ相手に喜々として闘えるような人間の方がおかしいんだよ」

 僕は馴れ馴れしいと思ったがミリィの肩に手を置いた。

「そうですね。って、気を付けてください、みんなさん。たくさんの闇のエネルギーが迫ってきます」

 ミリィが途中から弾かれたような声を上げると、通路の奥からゾンビたちがぞろぞろと現れる。

 そのゾンビたちは、先ほど戦ったゾンビよりも腐敗が進行していた。

「こりゃまた、大勢、出て来たもんだ。どうやら、まだ死に足りないようだし、まったくもって哀れな奴らだ」

 そう嘲るように言うと、ロッシュが剣を持ち上げる。

 すると、十体以上もいるゾンビたちは、僕たちの方に向かって殺到するように押し寄せてきた。

 しかも、ゾンビたちの中には人間だけでなく、リザードマンやオーガの姿も混じっている。

 モンスターまで、ゾンビ化しているのを見た僕は緊張の度合いを高める。ただでさえ、しぶとかったオーガのゾンビには少し手こずるかもしれないぞ。

「今からゾンビとなって生き続けなければならない苦しみから解放してあげますね」

 そう優しさを滲ませたように言うと、ミリィは名誉挽回とばかりにすぐさま光りに包まれた矢を放つ。

 その矢を食らったゾンビは、ギャーと悲鳴のような声を上げてグラッと力尽きたように倒れる。

 すると、倒れたゾンビはボロボロと体全体が崩れていく。それから、僅かな肉片も残すことなく全て塵となって消えた。

 それを受け、ミリィはとにかく続け様に矢を放つ。

 矢が突き刺さったゾンビたちの体は聖なる光りに浸食されるようにして崩れ落ちていき、ことごとく塵と化した。

 やっぱり、ゾンビたちは神聖魔法にはとことん弱いようだ。

 死体があんな風に消えてしまっては、どんな力が働こうとも、もう蘇ることはできないだろうし。

 僕としては、ゾンビになった人たちの魂が天国に行けたと思いたいけれど。

 そして、次々と光りの矢の直撃を受けて面白いように倒れていくゾンビたちだったが、それでも全ては仕留めきれなかった。

 すぐに四体のゾンビが僕たちの前に辿り着く。

 すると、その内の一体のリザードマンのゾンビは人間のゾンビよりも機敏な動きで、ミリィに斧を振り下ろしてきた。

 が、ミリィも寸前のところで斧の一撃を避ける。

「矢の数もだいぶ減ってきましたし、後はお願いします、みなさん」

 接近戦であれば僕たちに任せてしまった方が無難だと判断したのか、ミリィは後退しながら言った。

 それを受け、僕はすかさず恐れを断ち切るような一撃で、斧を手にしたリザードマンの首を切り飛ばす。

 すると、首の切断面から腐臭のする血が吹き上がった。

 そして、そのリザードマンは倒れることもできず、まるで神に向かって懺悔でもするように跪いた。

 一方、迫り来るオーガのゾンビに対しては、セレスとロッシュが相対していた。

「私は死体に鞭を打つようなことでも躊躇いはしないわよ。バラバラにしてあげるからかかってきなさい」

 セレスはいつでも斬りかかれる体勢を取る。

「ま、俺やセレスは神聖魔法なんて使えないし、安らかに眠らせてやることもできないが勘弁してくれよな」

 ロッシュがそう言うと、オーガは猛るような声を発して、棍棒を振り上げてくる。

 が、そんなオーガに向かって、二本の剣が抜群のコンビネーションを見せながら、襲いかかる。

 もちろん、剣を振るっているのはセレスとロッシュだ。

 二人とも犬猿の仲のような感じを見せていた割りには、ピッタリと息の合った斬撃を繰り出している。

 そして、二人の舞い狂うような斬撃は、オーガの全身の肉を切り刻んだ。

 だが、オーガもゾンビとしての意地を見せるように体がボロボロになりながらも、棍棒で殴りかかろうとする。

 が、棍棒を振り上げた両腕は、ロッシュの銀の光彩を見せる美しい斬撃によって切断される。それから、頭部の方もセレスの豪快な振り下ろしを食らって断ち割られた。

 すると、脳漿を飛び散らせたオーガは哀れみを誘うような倒れ方をする。ゾンビでなければ、ここまで痛めつけられることもなかったろうに。

 やはり、闇の魔術なんかでゾンビを増やそうとするジャハナッグは許し難いな。

 そして、残った二体の人間のゾンビはいきなりもの凄い勢いの業火に包まれる。その熱波は僕の肌もチリチリとさせた。

 ゾンビたちの体はまるで松明のように燃えて、そのまま床に倒れた。

 思ったよりも呆気なかったが、ここは強力な魔法を扱うレイナードが凄かったと褒めるべきか。

 当のレイナードはゾンビを相手にしても何の感情も沸かないのか、灼熱の炎を放ちながら涼しい顔をしている。

 これで終わりかと思い僕が息を吐くと、今度は犬のようなモンスターが現れた。

 あれはウルフェンだが、顔が醜くなっていたり、眼球が飛び出しているところなんかを見ると、ゾンビ化しているみたいだな。

 汚い唾液を垂らしながら近づいてくるウルフェンを見て、僕はゾンビになっても食欲が忘れられないのかと辟易した。

「ウルフェンのゾンビに殺された冒険者は多いし、意外と手強いみたいだから、みんなも気を引き締めて戦いなよ」

 冒険者たちも、ウルフェンのゾンビは人間のゾンビなどよりよっぽど危険だと言って憚らなかった。

 だからこそ、僕の体にも緊張が走る。

 それから、五匹もいたウルフェンのゾンビたちは、人間のゾンビたちには見られない素早さで襲いかかってきた。

 ゾンビになっても生前と劣らぬ動きができることに僕も慄然とする。

 ミリィも応戦するように矢を放つが、瞬足を誇るウルフェンの動きはなかなか捉えられない。焦りのためか弓弦を引くミリィの指も震えていたからな。

 そんなミリィを見たセレスは、切り込む役を買って出るように盾を構えて前へと進む。それから、僕たちの前衛に出た。

 そして、セレスは飛びかかってきたウルフェンを盾で弾き飛ばし、そのウルフェンを壁に叩きつける。

 と、同時に気合いの籠もった踏み込みで壁から引き剥がされたウルフェンに迫ると、その頭部を切断する。

 さすがだ、としか言いようがない手際だ。

「随分と嫌な動きをしてくれたけど、このあたしには通用しないわよ」

 セレスは自信たっぷりに笑った。

 すると、今度はロッシュが吹き抜ける風のようにウルフェンに接近して、その体を頭から尻尾の先まで綺麗に二つに別けて見せた。

 まるで、神業のような剣技だな。モンスターの体を解剖でもするように切り裂いて見せるなんて。

 剣の国の王子という肩書きは伊達ではない。

「獣を狩るなんざ、お手の物さ。俺は五歳の頃から、近くの山に狩りに行ってたんだぜ」

 そう嘯く今のロッシュの目は狩人そのものだった。

 そして、セレスやロッシュの戦いぶりを見て発奮させられた僕も、ウルフェンに斬りかかった。

 が、ウルフェンはすばしっこい動きで僕の剣を避ける。それから、隙を突くようにして僕の腕に噛み付いた。

 僕は激痛に歯を食いしばると勢い良く腕を振り回して、ウルフェンを強引に投げ飛ばした。

「やってくれるな!」

 僕がズキッとする痛みに片目を瞑ると、ウルフェンは空中で体勢を立て直して床に着地し、また僕に襲いかかって来た。

 が、今度は僕も自らの神経を集中させると、即座にウルフェンの頭を断ち割り、切り返すようにして剣をVの字に振り抜いた。

 ウルフェンの頭は細切れになって、脳漿と共に床に散らばる。

 だが、休む暇もなく、もう一匹のウルフェンが大きく口を開けて横から僕に飛びかかってきた。

「避けてください、フィル!」

 僕の耳にミリィの糸を切るような声が入り込んでくる。

 その瞬間、僕は自らの反射神経に突き動かされるように横へと身を引いていた。そんな僕のすぐ傍を光の帯が通り過ぎる。

 と、同時にウルフェンのゾンビの口腔の中にミリィの放った矢が飛び込むようにして突き刺さる。

 すると、たちまちウルフェンの体はボロボロと崩れ落ち、塵となって消えた。ミリィには本当に助けられたし、この借りは返したい。

 そして、残った一匹はレイナードに襲いかかったが目に見えない塊のようなものに押し潰される。

 すると、その体は耐えきれなくなったのかバラバラに四散した。

 床も陥没しているのを見るに、あれは重力の魔法だろうか。どうやら、レイナードはあらゆる高度な魔法を使いこなせるみたいだな。

 その気になれば、選りすぐりの魔法使いで構成されている王宮魔法使いの頂点にも立てるんじゃないのか。

 そして、今度こそ、迷宮の通路は静寂に包まれた。

「怪我の方は大丈夫ですか、フィル?」

 心配そうな表情で僕の傍に来たのはミリィだった。

「たいしたことないよ。でも、ウルフェンのゾンビに噛み付かれたから、ちゃんと消毒しないと病気になるかもしれない」

 まあ、ゾンビに噛み付かれたからって、そのせいでゾンビになってしまうようなことはないけど。

「では、傷口を見せてください。治癒の魔法を掛けてあげますから」

 ミリィは白い光りを放つ掌を見せた。

「ありがとう」

 僕はそうお礼を言うと、ウルフェンの牙が突き立てられた傷を見せる。それを受け、ミリィも光りを放つ掌を傷口に当てる。

 すると、痛みが嘘のように引いていった。

「これで大丈夫です。一応、毒を中和する魔法も掛けておきましたから、破傷風になることもないと思います」

 そう言って、ミリィは額の汗を拭う。

 一分ほどで、自分の腕に付いた傷が綺麗に消えてしまったのを見て、僕も神聖魔法もたいしたものだと思う。

 それから、僕たちはお喋りをすることなく、迷宮の通路を進んで行く。もう、ゾンビたちも現れることはなかった。

 そして、何の障害もなく九階にまで辿り着く。このままジャハナッグのところまですんなりと行けると良いんだけど。

 だが、そんな思いを裏切るように、僕たちが十階まであとちょっとのところまで来ると、四メートルの巨体を誇るモンスターが現れた。

 その手には巨大な鋼鉄のハンマーが握られている。

 あの牛の顔を持つモンスターは悪名高いミノタウロスじゃないか。こんな浅い階で中ボスクラスの力を持つミノタウロスと出会すなんて、ついてないな。

 でも、良く見ると、ミノタウロスの体は所々が腐敗していた。大きな瞳にも光りはなく、死魚を思わせる。

 となると、あのミノタウロスは誰かに倒された後、ゾンビとして蘇ったと言うことか。これは厄介なことになったな。

「ミノタウロスのゾンビか。一筋縄にはいかなそうな相手だけど」

 さすがの僕も恐怖で体が震えるのを感じながら、剣を構える。今までの雑魚モンスターとはわけが違うし、全力で戦わないと。

 そう思っていると、僕の隣にセレスとロッシュもスーッと並んだ。

「やっと面白そうな敵と戦えるな。いくらゾンビになっていてもミノタウロスが相手なら不足はない」

 ロッシュの目は餌を与えられた肉食獣のような光を発していた。

「あたしも同じよ。ミノタウロスを倒したとなれば、一人前の冒険者の仲間入りだし、自分の名前を上げるチャンスね」

 セレスの言葉にも怯懦はなかった。

 すると、ミノタウロスはハンマーを振り上げて、力強く前へと跳躍した。八メートルはあった間合いが一瞬にして消えてなくなる。

 そして、恐ろしい質量を持ったハンマーが僕の頭上から振り下ろされる。

 それを横に飛び退いて避けられたのは、巻き上がるような風を肌で感じ取ることができたからだ。

 そうでなければハンマーの一撃で、グシャグシャに叩き潰されていた。

「今の攻撃はさすがに危なかった。やっぱり、ミノタウロスの力は本物だし、侮れるような相手じゃないよ」

 そう言うと、僕はすぐに体勢を立て直し、稲妻のようにミノタウロスに斬りかかった。その一撃はミノタウロスの二の腕に深い傷を付ける。

 だが、ゾンビと化したミノタウロスに痛みはないのか、今度は突風を纏ったハンマーが真横から迫ってきた。

 僕はその掠ることすら許されない一撃を、後ろへと足をバネのように伸ばしてジャンプすることで避けて見せる。

 それから、がら空きになったミノタウロスの脇腹にセレスが鋭く斬りかかった。ミノタウロスの脇腹がズバッと凄烈に切り裂かれる。

「あと少しで胴を断ち割れたのに、惜しかったわね。でも、次は確実に仕留めてやるわよ」

 セレスがそう言って笑った瞬間、ミノタウロスのハンマーを握っていない方の腕が急に動く。放たれたのは大木すらなぎ倒せそうな拳の一撃だった。

「くっ!」

 セレスはハンマーではなく予想外に繰り出された拳の一撃を避けることができず、盾でガードした。

 だが、突き抜けるような衝撃を防ぐことは叶わず、セレスは数メートル先まで吹き飛ばされてしまう。

 受け身も取れずにゴロゴロと床を転がったセレスは、すぐには動けないようだった。

 が、今度はミノタウロスの額に、背筋をピンッと伸ばしたミリィの矢が間髪入れずに突き刺さる。

 すると、ミノタウロスの額から煙が吹き上がり、他のゾンビたちと同じように肉が崩れ始めた。

 しかし、それは途中で止まってしまった。

「私の神聖魔法が効かない?」

 ミリィは驚きに目を見開く。

 どうやら、ミノタウロスは相当、強力な闇のエネルギーを溜め込んでいるみたいだな。浸食する聖なる力を打ち消すこともできるみたいだし。

 一方、ロッシュは迅速な動きを見せると、ミノタウロスの足を切り裂こうとした。

 あの重い体を支えている足をどうにかできれば、ミノタウロスの動きを止められると考えたのだろう。

 だが、ミノタウロスの硬い足の蹄が、迫っていたロッシュの剣の腹を蹴り上げた。その拍子にロッシュは剣をもぎ取られてしまう。

「クソッ。まさか、この俺が剣を落とすなんて」

 ロッシュは悔しそうに呻く。

 すると、ロッシュの脳天に雷撃のようなハンマーの一撃が振り下ろされる。だが、その腕にミリィの放った矢が絶妙なタイミングで突き刺さった。

 そのおかげで、ハンマーの一撃はロッシュの体を逸れ、床を大きく砕いただけに留まった。これにはロッシュも胸を撫で下ろすしかない。

 それから、レイナードも僕たちに加勢するように炎の球を何度も放った。

 が、猛火に包まれながらも、ミノタウロスは動きを停滞させることなくハンマーを振るってくる。

 その時には纏わり付く炎も掻き消されていた。

 それを受け、ミリィは僕たちに向かって「聖なる力を思いっきりぶつけて見ますから、もう少しだけ耐えてください」と叫ぶ。

 すると、ミリィの手から白色に輝くエネルギーのような物が溢れ出す。それから、矢をつがえていないというのにミリィは弓を引いた。

 と、同時にバチバチと激しい光を迸らせるエネルギーが矢の形へと変化した。しかも、そのエネルギーの矢は次第に大きさと、太さを増していく。

 その光りを目にしたミノタウロスが「グォォォ」と唸り声を上げた。どうやら、ミノタウロスもミリィの力に危険なものを感じたようだな。

 僕はミリィが攻撃されないようにミノタウロスを何とか引きつけようとする。

 その動きを受け、ミノタウロスは風圧を生み出すハンマーを振り回し、ミリィの前に立ち塞がる僕の体を殴打しようとした。

 だが、避けることに専念している僕の体を捉えることはできない。

 それから、いつの間にか起き上がっていたセレスがミノタウロスの真後ろから、お返しとばかりにその足を切り裂いた。

「あたしの存在を忘れて貰っちゃ困るわね。やられたら倍にしてやり返すのが、あたしの戦い方なんだから」

 セレスは剣を振り抜いたまま自分の流儀を口にした。

 これにはミノタウロスも自らの体重を支えきれなくなり片膝を突く。大きな体が仇となったな。

 そして、その絶好のチャンスを逃すことなく、剣を拾い上げたロッシュが活躍の場を見せるように走り込む。

 それから、ロッシュはハンマーを握っていたミノタウロスの手首を切り落とした。ミノタウロスのハンマーが、ガランと大きな音を立てて床を転がる。

「同感だな、セレス。この俺がやられっぱなしで、終われるわけがない」

 ロッシュは銀髪を舞わせながら言った。

 が、ミノタウロスも、すかさずもう片方の腕の筋肉を隆起させると、ロッシュの体に拳をお見舞いしようとする。

 まともに食らえば一撃死しかねない拳が間近に迫るのを見たロッシュは、思わずといった感じで動きを止めてしまう。

 ミノタウロスの拳は空を砕きながら、そのままロッシュの胸へと吸い込まれる。

 しかし、その拳がロッシュに命中する前に、僕がミノタウロスの腕を駆け抜けるようにして切り落としていた。

 危機一髪とはこのことだ。

 僕は床にドサッと落ちたミノタウロスの腕を見て、何とか間に合って良かったとほっとする。助けられたロッシュも僕の方を見て「ありがとよ」とお礼を言ったし。

 そして、追い打ちを掛けるように、ミノタウロスの胸に光り輝くエネルギーの矢が杭のように突き刺さった。

 もちろん、かなりの大きさを見せるエネルギーの矢を放ったのは掌から白煙を立ち上らせているミリィだ。

「ここまでです、ミノタウロス。心置きなく冥界へと旅立ちなさい」

 ミリィがそう言うと、ミノタウロスの胸を貫いた光りの矢はエネルギーを放出するように、白い光りを撒き散らしながら大爆発した。

 その瞬間、ミノタウロスの体も内側から膨れあがったかのように弾け飛ぶ。目が眩むような光り見て、僕も咄嗟に目を閉じてしまった。

 それから、数秒後に僕が恐る恐る瞼を開けると、そこにはバラバラの肉の塊になったミノタウロスがいた。

 しかも、その肉の塊も他のゾンビたちと同じように塵となって消えていく。

「これで終わりか…」

 僕は寒々しさを感じさせる声で言った。

 そして、全てが消えた後に残ったのは、ミノタウロスが持っていた鋼鉄のハンマーだけだった。

 それを受け、僕たちは息を整えると、無事を確認するように互いの顔を見る。

 みんな特に怪我はしてないようだったが、エネルギーの矢を放ったミリィの顔には明らかに疲労の色が浮かんでいた。

「かなりの強敵だったな。でも、ジャハナッグはミノタウロスよりも遥に強いだろうし、ちょっとぞっとするぜ」

 ロッシュは剣についた血の臭いを嗅ぎながら言った。

「そうは言っても、ジャハナッグは避けては通れない敵よ。ここでジャハナッグを倒さなきゃ、またゾンビになる人たちが出て来るし」

 セレスはこんな時でも正義感を見せる。

「私もジャハナッグに対しては本気で怒りを感じています。これ以上、命を冒涜するような真似はさせないようにしなくては」

 ミリィも嫌悪感を露わにしながら言った。

「命の大切さか…」

 レイナードはどこか嘆きを感じさせるような声で呟いた。

「とにかく、また厄介なゾンビたちが出て来ない内に先に進むよ。これ以上、体力を消耗するわけにはいかないし」

 そう言って、僕はそれぞれの反応を見せるみんなを一瞥してから、また歩を進めた。そして、十階に辿り着くと、ジャハナッグがいる部屋へと向かう。

 他の冒険者たちが言うには、ただ迷宮を深く潜るだけならジャハナッグを倒す必要性は全くないらしい。

 触らぬ神に祟りなし。

 襲っても来ないドラゴンをわざわざ倒しに行くのは金や名声に目が眩んだ奴か、ただのバカのどっちかだ。

 だが、僕たちはそのどちらでもない。

 全ては天空石を手に入れるためだ。とはいえ、金や名声に興味がないと言ったら少し嘘になるけど。

 ただ、迷宮からゾンビたちがいなくなって欲しいという気持ちはミリィと同じだ。僕もゾンビになってまで生き続けたいとは思わないし。

 僕は命の価値観を考えさせられながら、ジャハナッグのいる部屋へと向かう。そして、目指していた部屋に足を踏み入れた。

 その部屋は本当に何の変哲もないただの広い部屋だった。

 八メートルを超える体を持つ、威風堂々とした漆黒のドラゴンがいなければ。おそらく、圧巻という言葉はこういう時に出て来るのだろう。

 話で聞くのと自分の目で見るのとでは、受ける印象は雲泥の差がある。

 それほど、僕の視界にいるドラゴンは桁違いの迫力を有していたのだ。このドラゴンと比べたらミノタウロスなんて可愛いものだ。

「お前がジャハナッグか?」

 僕は人間の言葉も通じると聞いていたので、恫喝するような声で尋ねた。気を抜くと足がガタガタと震え出しそうになる。

 だが、天空石を手に入れるためにも、ここで尻込みするわけにはいかない。

「ほう、ガキのくせにゾンビたちを退けてここまでやって来れたか。その力と度胸はたいしたものだが、この俺様に何か用か?」

 ジャハナッグは明瞭な声で言った。

「やっぱり、お前がジャハナッグで間違いないんだな。悪いが、お前を倒させて貰うぞ」

 僕は敵愾心に満ちた目で宣言した。すると、ジャハナッグはおどけたように首を竦めて見せた。

「貴様のような青臭いガキが、このジャハナッグ様を倒すというのか?ハッ、冗談は顔だけにしておくんだな」

 ジャハナッグは相手にするのも面倒だといった感じで言った。これには僕も恐怖に勝る怒りが沸々と込み上げてくる。

「冗談なんかじゃない!」

 僕は滾るような怒りを言葉と共に叩きつける。が、ジャハナッグはドラゴンの顔で薄ら笑いを浮かべる。

「だとしても、悪いことは言わんから止めておけ。その若さで無駄死にはしたくはないはずだ」

 ジャハナッグあくまで、僕たちを見下した物言いをする。

 だが、僕にとってジャハナッグの言葉は意外に思えた。てっきり、すぐにでも敵意を剥き出しにしてくると思ったのに。

 やはり、ジャハナッグは、ただのモンスターとは一線を画す存在のようだ。

「俺とて邪悪なドラゴンには違いないが、それでも殺しを楽しむような趣味は持ち合わせていないからな」

 ジャハナッグは取り合うつもりはないとばかりに言った。

「だけど、僕たちはどうしても天空石を手に入れなければならないんだ。それにはお前を倒さなければならない」

 僕は震える心を叱咤しながら、そう言い放った。

「そういうことか、なるほど、なるほど。ようやく、そのことを嗅ぎ付けられるような冒険者がやって来たというわけか」

 ジャハナッグは獰猛さを感じさせるように笑った。

「何がなるほどなんだ?」

 僕は何やら一人、納得しているジャハナッグに向かって問い掛ける。

「なに、簡単なことだ。お前の言った通り、天空石を手に入れるためには、まず、俺を倒さなければならないということだ」

 ジャハナッグは笑いを含んだ声で言葉を続ける。

「いずれににせよ、そういう理由なら遠慮なくかかってくるんだな。ただし、殺されてゾンビになっても俺は知らんぞ」

 そう言うと、ジャハナッグは耳の鼓膜が破れそうになるほどの咆哮を上げた。と、同時に鬼気迫るようなプレッシャーが僕の体に浴びせられる。

 こうして、僕たちとジャハナッグの戦いの火蓋が切って落とされた。

 僕はどんな攻撃が来るのか分からないので、慎重に間合いを取りながらジャハナッグの出方を窺う。

 セレスもロッシュも迂闊に攻撃を仕掛けるようなことはしない。今までの相手とは、格が違いすぎるのだ。

 すると、ミリィがジャハナッグを牽制するように矢を放った。

 だが、矢はジャハナッグの黒光りする鱗に突き刺さることができず、呆気なく弾かれて床に落ちる。

「私の矢が突き刺さることすらできないなんて…」

 ミリィの指先がプルプルと震える。

 さすがドラゴンか、たいした強靱さと言えるな。矢の攻撃力ではダメージは全く与えられないわけか。

 僕がそんなことを考えていると、ジャハナッグが後ろ足を猫のように撓らせる。

 すると、一気に前へとジャンプして鋭利なナイフのような爪を振り下ろしてきた。その爪は斜めから僕の体を切り裂こうと迫る。

 僕はほとんどの無意識の内に後ろへと飛んでいた。まるで空間ごと切り裂かれそうな一撃は、僕の鼻の頭を掠める。

 もし、まともに食らっていたらと思うと心胆が寒からしめられるし、ミノタウロスの倍はある巨体でここまでのスピードを見せるとは。

 僕は聳え立つようなジャハナッグの巨体を前にし、肩をワナワナとさせる。

「これが本物のドラゴンか。確かに聞きしに勝る力を持っているみたいだな。でも、それに屈するわけにはいかない」

 僕が恐怖心を押し殺すように声を発すると、ジャハナッグは僕に様々な角度から爪を振り下ろしてきた。

 それに対し、僕は一糸乱れぬ動きで、迫り来る爪を避け続ける。

 ほんの少しでも気を抜こうものなら命はない。ジャハナッグの爪はその一つ一つが、死神の鎌と同じ意味を持つのだ。

 僅かでも掠れば、肉どころか骨まで断ち切られるだろう。

 僕は感覚神経を極限まで研ぎ澄ますと、迫り来る爪をギリギリのところで避ける。それから、一陣の風となって、ジャハナッグの懐に入り込んだ。

「今度はこっちの番だ」

 そう言うと、僕はがら空きになったジャハナッグの胸を、裂帛の気合いで斬りつけようとする。

 だが、ジャハナッグはその斬撃を巨体に似合わぬ俊敏な動きで避けた。

 が、ジャハナッグの左右には、セレスとロッシュが挟撃するように攻撃を仕掛けようとしている。

 僕も二人のタイミングに合わせて真正面から斬りかかろうとしていた。

「確かにジャハナッグは一対一の戦いで勝てるような相手じゃないな。なら、俺も仲間の力を信じて戦うだけだ」

 自信家のロッシュも、ジャハナッグの力は正当に評価せざるを得なかったみたいだ。

「私も同じよ。力を合わせた人間の底力ってもんを見せてやるわ。覚悟しなさい、ジャハナッグ」

 セレスもここに来てようやく僕たちを頼ろうとしてくれた。これにはリーダーの僕も仄かな嬉しさを感じる。

 いずれにせよ、さすがのジャハナッグも三方向から繰り出される斬撃を避けることはできまい。

 僕がそう思った瞬間、ジャハナッグの体が竜巻のように回転した。すると、太くて長い尻尾が全てを薙ぎ払うようにして迫る。

 僕の右側にいたロッシュは、それをかろうじて避けることができた。僕も身を低くしてやり過ごす。

 だが、セレスは避けきれずに盾でガードしようとした。

 が、暴力的な勢いで繰り出された尻尾の一撃は、盾ごとセレスを大きく吹き飛ばして床に叩きつけた。

 したたかに背中を打ったセレスは苦悶の表情を浮かべ、立ち上がることができない。

「チッ、何て動きをしやがるんだ、このドラゴンは!」

 ロッシュは舌打ち混じりに言葉を続ける。

「下手したら、今の一撃で俺たちは死んでいたかもしれないし、まともに食らったセレスはもう駄目か…」

 ロッシュは白目を剥いて倒れているセレスを一瞥する。

「大丈夫だ。セレスはこの程度の攻撃で死んだりなんかしない。それよりも僕たちだって、反撃に移らなきゃ」

 僕がそう言うと、ロッシュも真顔で頷く。

 それから、僕はセレスの心配をしつつも、疾風のような動きを見せてジャハナッグの胸板を斬り付けようとする。

 ここで攻撃の手を緩めるわけにはいかないからな。

 ロッシュもジャハナッグの死角に回り込んで、ジャハナッグの動きを封じるように剣で足を突き刺そうとした。

 が、僕たちの攻撃が当たる前にジャハナッグは瞬発力を高めたような動きで後ろへと跳躍して見せる。

 間合いの取り方も、良く計算されているな。さすが人間よりも知能があると言われているドラゴンか。

 とにかく、僕とロッシュの連携を絡めたような攻撃は失敗に終わった。

「フハハハ。そのような動きではこの俺を捉えることなど到底、できんぞ。威勢が良いのは最初だけか」

 ジャハナッグの哄笑が響き渡る。

 これには僕の心の中にある戦う気力も削ぎ落とされそうになる。

 何にせよ、戦いが長引けば不利になるのは体力で劣るこっちだろう。でも、どうしても攻め手に欠けているのが、今の状況だった。

 それから、僕たちとジャハナッグの間にかなりの距離が生まれると、すかさずレイナードが炎の球を放つ。

 しかも、その炎の球の大きさは特大で、正面からジャハナッグにぶつかると、一瞬、空間が撓んだように見える大爆発を引き起こした。

 その爆風は凄まじく、僕も尻餅をつきそうになった。

 そして、轟々と燃え盛る壮絶な溶岩のような炎の中で、生き残れる生物はいないように思えた。

 だが、屈強な体を持つドラゴンのジャハナッグは違った。

 炎の中から飛び出してくると、無傷に等しい体を悠然と見せつける。焼け跡くらいはあっても良さそうなものだが、それもなかった。

 この結果にはレイナードも少しだけ強張った顔をした。

「ほう、これほどの魔法が使えるとはな。どうやら、他のガキ共と違って、貴様はただ者ではなさそうだ」

 ジャハナッグはレイナードに興味を示すように言った。

 それを受け、レイナードはすぐに元の無表情に戻ると、ゴブリンを倒した時に見せた黒い光りをジャハナッグの頭上に呼び出す。

 その光りはまるで生き物のように猛り狂い、ジャハナッグの体に襲いかかった。

 雷を超えるような恐ろしい殺傷力を秘めた光りがジャハナッグに直撃したのだ。これを食らっては、さすがにただではすまないはずだ。

 だが、黒い光が消えてなくなると、体中から煙を立ち上らせているジャハナッグがさしてダメージは受けていない様子で足を踏み出す。

 ドラゴンには生半可な魔法は通用しない。

 だが、レイナードの魔法の威力は凄まじいものがあったはずだ。それがまるで通用しないとなるとこちらの戦う意思も挫けそうになる。

 不意に思い出したことだが、前にレイナードはこの世にはまだまだ恐ろしい敵がいると言った。

 まさに、その敵の一人がジャハナッグだったのだ。

「無駄だ。例えどんなに強力な魔法を使おうと、魔法への耐性に優れたこのドラゴンの体には傷一つ付けられんよ」

 ジャハナッグは不動さを感じさせる言葉を口にする。それから、「貴様たちの体は、そうはいくまい」と言ってよこしまに笑う。

 そして、何をするつもりなのか、ジャハナッグは大きく息を吸い込んだ。すると、口から何と炎を吐き出した。

 圧倒的な勢いを見せながら、地獄の業火を思わせる炎が僕たちに迫る。

 とても避けられるような炎ではないし、逃げ込めるような場所もない。このままでは焼け死ぬし、絶体絶命だ。

 すると、ミリィが「神聖魔法のバリアを張ります!」と早口で叫んだ。

 それから、その言葉からワンテンポ遅れて、炎は津波のように僕たち全員を飲み込んだ。炎によって、僕の視界も遮られる。

 だが、不思議なことに体を押し流そうとする炎は熱くも何ともない。気が付けば、僕の体は薄くて柔らかな光りの膜に包まれていた。

 僕は命拾いしたと思いながら、ロッシュと胸を押さえながらも立ち上がっていたセレスに目を向ける。

 二人の体もやはり光りの膜に包まれていた。

「この俺の炎を防いだだと?人間の魔法といえども、侮れるものではないというわけか。もっとも、そうでなくてはこちらとしても面白くない」

 ジャハナッグもミリィの魔法に対しては舌を巻いたようだった。

 それから、僕は二人に目配せすると、呼吸を合わせたように三人、揃って走り出そうとする。

が、ジャハナッグの方もそうはさせまいと、口から黒い色をした炎の息を漏らす。

「その程度のバリアでは今度の炎は防ぎきれんぞ。骨すら残らず、塵と化すが良い」

 そう言うと、ジャハナッグは僕たちを焼き殺そうと、猛威を振るうような黒い炎を口から何度も浴びせてくる。

 確かに、先ほどの炎とは込められているエネルギーの質が違うようだ。炎に炙られた床は黒い塵となって消えていくからな。

 これが学校で教えられたこともある物質そのものを消滅させる闇の炎か。

 正直、ぞっとする。

 だが、バリアに守られた僕たちには、その炎も通じない。

 もし通じていたら、あっという間に消し炭より更に救いのない黒い塵に変えられていたところだからな。

 そんな僕たちの背後では大量の脂汗を流しているミリィが手を翳している。彼女が僕たちを守るバリアにエネルギーを注ぎ込んでいるのだ。

 だが、それも限界に近いことは僕にも分かる。今の内に、反撃に打って出ないと。

 そう思った僕は炎の塊に真っ向から突っ込んだ。視界が炎の黒一色に染まる。それでも僕は足を止めなかった。

「馬鹿な」

 黒い炎から抜け出した僕を見てジャハナッグがそう言った。

 そして、僕は捨て身の覚悟でジャハナッグとの間合いを詰める。すると、ジャハナッグのせせら笑うような声が頭上から振ってくる。

「俺の炎を無力化してのけたのは褒めてやりたいところだが、鋼鉄すら切り裂くこの爪にはどう対処するつもりだ」

 その言葉と同時に、ジャハナッグの爪が回避不能とも言える角度から振り下ろされた。それを受け、僕もここで逃げていては、勝機は訪れないと確信する。

 なので、一か八かのような動きを見せて、ジャハナッグの全てを断裂する爪と交錯するように体を傾ける。

 その瞬間、迅雷の如き早さで繰り出された僕の斬撃が、ジャハナッグの腕を見事、切り飛ばしていた。

 それは僕の動きがジャハナッグの動きを完全に凌駕した瞬間でもあった。

 とはいえ、僕の方も首筋に微かだが切り傷をつけられている。一歩、間違えば、飛んでいたのは僕の首の方だったはずだ。

 なので、紙一重の差を制することができた僕は心底、ほっとしていた。

「ただの人間のガキになぜここまでの動きが…。しかも、貴様のその顔はどこかで見たことがあるぞ」

 ジャハナッグの意味ありげな言葉に僕は眉根を寄せる。

「ま、まさか、貴様はかつてゼラムナート様を打ち負かした、あの忌まわしき勇者フィルックスの子孫か」

 ジャハナッグは僕の顔を穴が空くように見詰めて愕然とした。

 でも、こんなところでフィルックスの名前が出て来るとは思わなかったな。ジャハナッグもフィルックスとは戦ったことがあるのだろうか。

「お、おのれ!」

 ジャハナッグはいきなり激昂した様な声を上げると、もう片方の手で執拗に僕を引き裂こうとする。

 だが、その冷静さを欠いた攻撃では僕の体に爪を突き立てることはできない。

 ならば、と思ったのかジャハナッグは鋭い牙を見せる口をガバッと開けて、僕にかぶり付こうとした。

 これには僕も体を硬直させてしまう。

 空間ごと飲み込むような口が僕に迫ったが、見計らっていたようなタイミングで、ミリィの矢がジャハナッグの眼球に突き刺さった。

 プシュと風船に穴が空いたように血が吹き上がり、ジャハナッグの口は僕の体を僅かな隙間を空けながら逸れた。

「私だって戦えます。いくらドラゴンでも人間の力を軽く見ないでください」

 ミリィは凛然した表情で言った。

 もし、ミリィの矢がなかったら僕の上半身は今頃、ジャハナッグの胃袋の中だったし、またしても助けられたな。

 そして、右の視界を失ったジャハナッグの側面からはロッシュが迫っていてジャハナッグの足を剣で串刺しにする。

 これには、さしものジャハナッグも片膝を突くしかなかった。

「ミリィの言う通りだ」

 ロッシュは剣を引き抜きながら口を開く。

「そんな風に驕り高ぶっているから、ドラゴンなんて生き物は、伝説の中にしか存在しないとか言われるようになっちまったんじゃないのか」

 ロッシュの言葉にはやけに説得力があった。

「ええ。あたしもドラゴンには憧れてたけど、あんたのせいで幻滅させられたわ。この責任はきっちりと取って貰うわよ」

 そう言うと、セレスも果敢な攻めを実行しようと、繰り出されるジャハナッグの爪の下を潜り抜けて、その懐に入り込んだ。

 僕もいつでも攻撃に移れるように鋭い剣の切っ先をジャハナッグに突きつけている。

 そんな僕たちをジャハナッグは再び吹き飛ばそうと、かなり無理のある動きで体を回転させた。

「たかが、人間ごときが数千年の月日を生きてきたこのジャハナッグ様に向かって、知った風な口を叩くな!」

 ジャハナッグがそう憤慨すると、真横からジャハナッグの尻尾が風を切る音と共に僕たちに迫る。

 だが、先ほどのような暴風を思わせる勢いはない。

 僕はその尻尾を卓越したような動きで避けると、まるで軽業師のようにジャハナッグの尻尾に飛び乗った。

 それから、駆け上がるようにして、ジャハナッグの背中を昇っていく。

 そんな僕を振り落とそうとジャハナッグも激しく暴れた。だが、僕もジャハナッグの背中に何度も剣を突き立てて、その動きに抗う。

「こ、小癪な真似を」

 ジャハナッグは悶え苦しむように言った。

 そして、僕と同じように尻尾の一撃をかわしていたセレスもジャハナッグの懐から、熾烈、極まりない無数の斬撃を繰り出す。

 その斬撃はジャハナッグの逞しい胸板を何度も切り裂いた。傷口から、夥しい量の鮮血が吹き上がる。

「グハッ」

 ジャハナッグの血を吐くような声が轟く。

 ロッシュもジャハナッグの傷のないもう片方の足の関節を狙って、渾身の力を込めた剣を突き刺す。

 そんな二人の攻撃が効いたらしく、足に負った傷もあってか巨体を支えられなくなったジャハナッグの腰がガクンと折れ曲がった。

「こ、こんなガキ共にこの俺が負けるだと。だが、ゼラムナート様の信頼を失わないためにも、そう易々と敗北を認めてなるものか!」

 そんな悔し紛れの叫び声が部屋全体に響き渡るのと同時に、傷ついた足で立ち上がったジャハナッグの動きがまた一段と激しくなった。

 少しでも気を抜けば振り落とされる。

 が、僕は負けまいと必死にジャハナッグの背中にしがみついた。

 そして、僕たちが負わせた傷から血を流しすぎたのか、ジャハナッグの動きも鈍ってくる。

 それを受け、僕はすかさずジャハナッグの頭部に飛び乗り、その脳天に思いっきり剣を突き立てて見せた。

 その瞬間、グサッと肉と骨を貫通するような感触が手に伝わって来た。

 すると、ジャハナッグは「ギャーッ」という悲鳴にも似た声を上げて、急に力が抜けたように横からドスンと倒れた。

 それから、ジャハナッグはピクリともしなくなる。脳を貫かれたのだから、普通の生き物であったら、生きてはいられないだろう。

 どうやら、僕たちの勝ちみたいだな。

 僕はジャハナッグの体から飛び下りると、荒くなっている息を静める。ドラゴンに打ち勝てたという喜びはないが、それでも安堵するものはあった。

 すると、ジャハナッグの体が黒い塵となって分解されていく。それは神聖魔法を受けたゾンビたちを彷彿させた。

 僕が唖然としているとジャハナッグの巨体は消え去り、その塵は小さく一点に集中した。すると、手乗りサイズのドラゴンになる。

「クソー、憶えてろよ、ガキ共」

 ドラゴンは憎々しそうな顔で言葉を続ける。

「どう足掻こうと、お前たちが滅びの運命から逃れことはできんのだ。それに逆らおうとするのなら、真の戦いはこれから始まるということを知れ!」

 そう言って、ドラゴン、いや、ジャハナッグは僕たちの前から尻尾を巻いて逃げ出した。空を飛んでいる上に、あの早さでは捕まえることもできない。

 僕たちはジャハナッグがいなくなった部屋に立ち尽くす。結局、ジャハナッグからは何の情報も引き出せなかったが。

「ジャハナッグを倒せたのは良いけど、もしかして、これで終わりなの?」

 僕はあっけらかんとした声でみんなに問い掛ける。

「分からん。でも、見た感じ、この部屋には天空石はありそうにないぞ。秘密の通路でもあるって言うなら話は別だが」

 ロッシュは部屋をぐるりと見回しながら言った。

「あたしたち、やっぱりあの蛇に騙されたんじゃないの。もし、何もなかったら、あの自称サンクナートは取っ捕まえて蒲焼きにしてやるわよ」

 セレスは腰に手を当てて、頬を膨らませた。

「でも、ジャハナッグがいた部屋なんですから、良く探せば何かあるのでは?私もこの部屋からはジャハナッグのものとは異なる魔力を感じますし」

 ミリィは手を前に翳して、何かのエネルギーを感じ取ろうとしている。

「確かに、微量ではあるが、この部屋の下からは魔力が漏れ出している。何かが隠されていたとしてもおかしくはない」

 レイナードは平坦な声で言った。

「そんなこと言われても、俺は何も感じないからなぁ。ま、地下に何かあるって言うならスコップでも使って掘ってみるか?」

 ロッシュは部屋の中央に立つと、アリでも眺めるような姿勢でぼやいた。

「それはさすがに無理だと思うし、とりあえずギルドの酒場に戻ろう。サンクナートに聞けば、何か教えてくれるはずだ」

 僕は早まった判断をしないよう、みんなにそう言い聞かせた。

 

 僕たちは死の気配がすっかり消えてなくなった迷宮の通路を歩いて行く。かなりゆっくりとしたペースで歩いていたが、ゾンビには全く出会わなかった。

 リザードマンの死体もあったが、動き出す様子はなかったし。

 そして、レイナードが言うには死体がゾンビとなるのは、やはりジャハナッグの体から放出されていた闇のエネルギーが原因らしい。

 ただ、闇のエネルギーはジャハナッグの体から自然に放出されていたので、死体がゾンビになるのは別にジャハナッグが意図してやっていることではないかもしれないとレイナードは言った。

 いずれにせよ、死体すら動き出すほどの闇のエネルギーが、ジャハナッグの体に漲っていたのは確かだ。

 それが本当なら、ただそこにいただけのジャハナッグには悪いことをしたなと僕も思う。

 まあ、ジャハナッグが邪悪なドラゴンであることに変わりないはないので、謝ったりはしないけど。

 とにかく、闇の魔術が云々とかいう話は尾ひれが付いたガセだったみたいだな。

 僕たちが五階まで戻ってくると、ようやくゴブリンの群れと遭遇した。だが、ゴブリンたちは僕たちを見ると脱兎の如き勢いで逃げ出した。

 どうやら、僕たちが強い冒険者だという認識は、モンスターたちの間でも広まっているのかもしれない。

 僕は肩の力が抜けたように迷宮から地上の王都へと戻ってきた。燦然と輝く太陽の光を浴びると生き返ったような気持ちになる。

 迷宮の中に長く留まり続けるのは精神的にも良くないのかもしれない。

 それから、僕は少しだけ不安を感じつつ、ギルドの受付へと向かう。ジャハナッグを討伐する依頼はちゃんと引き受けていたし、報酬は貰わないと。

 そこで、僕はギルドの受付の女性に、ジャハナッグがどうなったのかを包み隠さずに伝えた。

 すると、受付の女性はどれだけの報酬を払うかは、上の人と良く協議してから決めさせて貰うと言った。

 僕はすぐに報酬が貰えなかったことにがっかりしつつ、ギルドの酒場へと向かう。そして、そこにはカウンターで体を丸めて寝ているサンクナートがいた。

「おい、サンクナート。蒲焼きにされたくなかったら、とっとと起きろ」

 僕はサンクナートの首根っこを摘んだ。

「何だ、お前たちか。おいらに何か用か?」

 サンクナートは寝惚けたような顔で、僕を見た。

「お前に言われた通り、邪竜ジャハナッグを倒してきたぞ。まあ、ジャハナッグには止めを刺しきれずに小さくなって逃げられたけど」

 僕は疲れを滲ませながら言った。

「いや、それは構わない。でも、良くジャハナッグを倒せたな。おいらもお前たちのような力のある冒険者が現れるのをずっと待っていた」

 サンクナートの金色の瞳が光る。

「勿体ぶらずに天空石の在りかを教えろよ」

 僕は苛立ちを隠しきれずに言った。

「天空石はジャハナッグのいた部屋の地下にある。でも、地下へと続く階段を下りるには入り口の封印を解かなきゃならない」

 サンクナートは真剣味を帯びた声で言葉を続ける。

「それにはどうしてもおいらの力が必要になる。だからこそ、魔界のゲートから来た邪神ゼラムナートの僕のジャハナッグも、何とかして封印を解いて地下に行こうとしていた」

 サンクナートは更に説明を続ける。

「おそらく、この世界でただ一つしかない天空石を破壊するために」

 そう言うと、サンクナートはクイッと口の端を持ち上げる。

「そして、封印を解くことができないと分かると、ジャハナッグは誰も天空石を手に入れられないように、あの部屋に陣取ることにしたんだ」

 サンクナートは呆れつつ笑う。

「ま、何十年も粘り続けたその執念にはおいらも敬服するけどな」

 ジャハナッグはそんな理由で、あの部屋に陣取り続けたのか。

「本当にあの部屋の地下には天空石があるのか?」

 僕は動悸が早くなるのを感じながら尋ねた。

「ある。ただし、天空石の守護をしている魔王ヴァグナトスを倒せなきゃ、手には入らないけどな」

 魔王ヴァグナトスと言えば、魔界では邪神ゼラムナートと負けず劣らずの偉い地位にいる奴じゃないか。

 どんな奴なのかは僕も良く知らないけど、その力は想像を絶するものがあるに違いない。仮にも魔王と呼ばれている存在だからな。

「魔王ヴァグナトスだと。あのお方は、良くも悪くも武人。決して、邪神ゼラムナートの手下に成り下がっているわけでは…」

 そう狼狽したような声を発したのはレイナードだった。

「その通りだ。魔王ヴァグナトスは天空石を手にするに相応しい勇者が現れるのをじっと待っている。そのためだけに迷宮で数千年の時を生き続けてきた」

 そんな奴と死力を尽くして戦えというのか。

「お前たちが魔王ヴァグナトスを倒して天空石を手にする勇気があるというなら、おいらもあの部屋の封印を解いてやる」

 サンクナートは一点の曇りもない顔で言い切った。

「やっぱり、お前は本物のサンクナートなのか?」

 僕は何となくやるせないものを感じていた。妹を見つける手がかりが、こんなに近くに転がっていたことに気付かなかったなんて。

「おいらは、嘘は吐かないと言ったはずだぞ」

 サンクナートは口をヘの字にした。それから、羽を優雅に広げて、黄金色の体を宙に浮かせる。

 その金色の瞳を見詰めると、僕も今のサンクナートの言葉なら信じられると思った。

「なら、どうすれば天空都市へと転移できるのか教えてくれよ。それができれば別に天空石なんて手に入らなくても良いんだ」

 僕は弱音を吐くように言った。

「甘い!どうしてもそれが知りたければ、魔王ヴァグナトスを倒して天空石を手に入れろ。それができない奴が今の天空都市に行っても、殺されるだけだぞ」

 サンクナートは目を吊り上げると、有無を言わさぬ口調で言った。

 それを受け、僕は今の天空都市に行ったら、すぐに殺されるという言葉を心の中で噛み砕く。すると、途端に空恐ろしくなった。

 一体、天空都市では何が待ち受けていると言うんだ。



 エピソードⅣに続く。



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