滅亡の胎動 1
グランフェルデンから東に歩くこと数日、開けた野に在る小さな集落、フェゼント村がそこにはあった。
村人は他の多くの集落の住人と同じように田畑を耕し、そこから大地の恵みを収穫し、それらを摂取、時には他の街と交易する事によって生活をしていた。
フェゼント村に住む村娘の1人、セスチナもそんな毎日を送っていた。義理の親ではあったが両親との仲は睦まじく、生みの親同様の愛情をもって育まれた。その日を迎えるまでは。
その日は、普段の日常と変わらぬ朝から始まった。
普段より少々遅めに起き出したセスチナは家の食卓に掛けると、母はいつも通り食事の用意をし、父は大好きなコーヒーを啜っている。いつの間にか用意された朝食を簡単に済ませると、早速外出の用意をする。これからグランフェルデンに出立するのだ。
「道中、気を付けるんだよ」
「もう、毎回そんな大仰な。分かってるわよ、行ってきます」
玄関口まで揃って見送りに来る両親を嬉しくも煩わしく、2人に背を向けたまま返事をし、セスチナは家を出る。
その日の太陽はそれまでと変わらぬ日差しで、しかし普段の湿り気がない乾いた風がその場には流れていた。そんな風を肌に受けながらナルシは小さな村の入り口に立っていた。
「旅の方ですか?」
いかにも村娘風の少女がナルシに声を掛けて来る。チラと娘の顔を見ると、その頬は少し紅潮し目元が緩んでいる。妖精族らしい高身長にして細身、それでいて気品を備えた美男子を初めて見てしまった。ナルシに声を掛けた少女は、一瞬にして女の性から、そんな事を感じてしまったのだろう。神よ、罪深い私をお許しください!
そんな村の入り口でワナワナと身悶えする謎の妖精族男に声を掛けてしまった少女だったが、誠意をもって彼に道案内をする。2人は村の中心に向って歩み始める。ちょうどその時だった。
「ゴウゥゥゥゥゥ!」
一瞬にして2人の周囲が一変し焼け野原に変わる。迫りくる炎はナルシのそれよりも高く立ち上り、青年と少女に襲い掛かる。少女は急に訪れた恐怖に放心し、腰砕けたように立ちすくむ。しかしそんな様子にも炎は容赦なく2人を包み込んでいく。咄嗟、庇うように身を挺しながらナルシは少女を護ると、そのクタクタになった身体を抱き起しながら走り出す。
「ここにいては危険だ!とりあえず火のない場所に逃げよう!」
村の上空にはナルシがこれまで見たことのない、全身を炎に包まれた巨鳥が旋回していた。そしてその大きく開けられた口から、炎の矢を周囲に撒き散らすように滑空する。その情景を見ながらナルシはゴクリと生唾を呑みこむ。状況の確認よりも、今はまずやるべきことがある。それは少女の、身の安全を確保する事が最優先だった。
立ち尽くすセスチナ、その目には赤い炎がユラユラと揺らめいていた。これまで過ごした美しい野山、そして田畑や家屋が火にまみれ、まるでこの世の終わりといった様相が眼前に広がっている。ゴウゴウと音を立ててそんな彼女の美しい日々を飲みこんでいく炎。顔見知りの村人が阿鼻叫喚する。逃げ惑う者、恐怖し倒れ込む者、そして既に動かなくなった者。数分前まであった日常は儚くも崩れ落ち、今は炎の海だけが存在する。
「何を立ち尽くしておるセスチナ!逃げよ、早く逃げのるじゃ!」
その声にセスチナはハッと我に返る。周囲の状況が、炎の様子が、退路としての道が、そして声を掛けてきた者の姿が、瞬時に把握できる。声を掛けてきたのは村長のクラトだった。クラトはその老齢らしからぬ様子で俊敏に、そして冷静に村人の非難を呼び掛けている。その姿に呼応するようにセスチナも駆けだす。しかしその刹那、眼前の向こう側から村人の甲高い声が上がる。
「ま、魔物だぁ!」
赤い炎の向こうから大猿と火鼠の魔物が数匹、逃げる村人に立ちふさがるように出現した。炎と魔物、その2つに挟撃されるかたちとなった村人達は狼狽し、慄然と立ちすくむ。そんな村人と魔物の間を銀髪の少女は駆け抜ける。おもむろに懐に入られた大猿は驚愕し激昂した。力任せに少女に攻撃を加えるが、セスチナはその攻撃を鮮やかな身のこなしで回避する。逆にお返しだと言わんばかりの剣戟を大猿に見舞う。絶命するにはいかないまでも、大きな打撃を受けた大猿は苦痛の呻きを上げる。周囲の大猿はその攻撃に激怒する。
直後、光の矢が付近にいた火鼠の身体をやすやすと貫いた。悶絶する間もなく身体を伏した火鼠は、その赤い身体を硬直させ絶命する。
セスチナは悟った。誰か、私の後ろに神聖魔術を扱う手練れがいるようだと。村の者ではないだろう。が、敵でもないようだった。誰なのかという事よりも、今はその援護に感謝した。そうして眼前でセスチナを睨む大猿と改めて対峙する。
しかし再び驚愕するのは大猿の方だった。他に数匹いた火鼠の集団が凄まじい真空に煽られ、直後、空高く打ち上げられる。剣技“竜巻”。それはセスチナも扱う事の出来る東洋の剣技の1つだった。セスチナは驚愕した大猿から半歩後退し、火鼠と対峙する者達を見定めた。少女、いや子どもと言っても過言ではない背丈の女子が、まるで舞踏をしているかのような身のこなしで剣技を放ったのだと分かった。付近には神官風の野なる者と、細身の妖精族、そして書物を抱えた魔術師が身構えている。光の矢を放ったのは3人のうちのいずれかだろう。改めて少女を見やるとセスチナに加勢するようにこちらに向かって来るのだと分かった。瞬間、その少女と目が合う。栗色の髪をフワリとなびかせて向かって来る少女はニコリと笑顔を見せながら、セスチナに目配せして見せる。
セスチナは不思議と彼女の思惑が理解できた。その合図に小さく頷くと、改めて大猿達と対峙する。怒りの形相を見せながらも、しかし後ずさりをする大猿との戦闘は、その時既に勝敗が決まっていたのだった。
少女は銀髪を靡かせて大猿達の中央に跳躍した。大猿たちはそのか細い身体の獲物を睨み付ける。しかしセスチナはそんな様子に臆することなく、声を上げながら握りしめた厚刃の剣を一閃する。
「トルネード・ブラストォォォォォォッ!」
その声は悲痛な叫びとなってこだましたのだった。